開花
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ややあって、ルーディリートの瞼が動く。高熱で焦点を失っているかのような視線は暫く彷徨った後、兄の顔に注がれていた。
「お兄様……?」
「そうだ、ルー」
「ダメ、早く出て行って。私の病気が罹ってしまうわ。お兄様に、この病気は罹せない」
絞り出すような調子で、彼女はそう告げた。その言葉にランティウスは少なからぬ衝撃を受ける。暫く考えがまとまらない。
「ソニア、お兄様を外へ。それと……」
咳き込む。彼女はそれでも気丈に微笑みを浮かべた。
「元気になったら、お兄様のところへ伺います。ですから、それまではそっとしておいて下さい」
「……分かった。約束だからな」
「はい」
ランティウスは渋々と立ち上がった。やや未練がましく手を離した二人は、それ以上言葉を交わさない。扉の前までソニアが送った。
「それでは、姫様はお任せ下さい。若君はお仕事に支障のございませんように。支障があっては姫様が悲しみます故に」
「……頼んだぞ」
背を向け、部屋を後にするランティウス。その去り行く姿には、どことなく淋しさがつきまとっているようにも見えた。扉を閉じて、振り返ったソニアに主から声がかかる。
「ソニア、貴女たちも、私が呼ぶまでは向こうで待機していなさい。貴女たちまで感染させる訳にはいかないわ」
「姫様、何て勿体ないお言葉……」
「いいわね、貴女たちまで倒れる訳にはいかないのよ。それと、この部屋に来る人はみんな、医師以外は入れないで頂戴。城内に病気を蔓延させる原因を少なくしないとね」
「畏まりました」
ソニアは深々と頭を下げると、他の侍女たちを連れて、控えの間へと下がってゆく。後にはルーディリートだけが残った。彼女は激しく咳き込み、寝台の上でのたうつ。
「母様……、貴女と同じ病気かもしれません」
彼女は死を覚悟していた。自らが長く生きられないことは知っている。それは時空魔法を修得している途中で見た、未来の状況がそれを物語っていた。彼女の年老いた姿は見えなかった。しかしランティウスの子供の姿は見ることができたのだ。未来を垣間見ることは、時として悲しい結果も見なければならない。それでも兄の子供の姿を見れたのは彼女にとっては救いだった。
「お兄様、お幸せに……」
目尻から滴が落ちる。身体が燃えるように熱い。悶え、のたうちながら、このような姿を他人には見せたくないと言う心が、彼女を一人にさせた理由だった。
『お兄様……』
心の中で愛しい人の幸せをひたすらに願った。彼女にできるのはこれぐらいだろう。いつしかルーディリートは意識を失っていた。
どのぐらい眠っていたのだろう。気が付くと誰かの荒々しい口調が耳に入って来た。
「……ですから、姫様の命令です」
ソニアの声だ。相手は誰なのだろうか。扉の外から話しかけているような声は、間仕切りのカーテン越しではうまく聞き取れない。
「そのようなことを仰せられましても、私は姫様の命令を優先致します。あなた様も姫様が大切なのでしたら、どうか姫様の意思を尊重して下さい」
会話の内容から察するに、この部屋へ入ろうとしている誰かを、ソニアは帰そうとしているらしい。それに対して相手も食い下がっているようだが、如何せんソニアには敵わないようだ。
「そうです、姫様の意思です。いくら若君でも、ここへお通しできません」
若君と聞いた瞬間、ルーディリートは寝台の中で強張った。兄が来ているのだ。しかもソニアの口振りからすると、再三訪れたような感触を受ける。
「何度来られても同じです。医師が許可を下さらない限りは、私でさえも姫様に付けないのです。もしも貴方様に病気がうつりでもしたら、どうなると思っていらっしゃるのですか?」
彼女の言葉は扉の外のランティウスばかりでなく、室内のルーディリートにも影響を及ぼした。彼女は兄に会いたい気持ちを押さえつける。
「それは、大丈夫です。はい、ですから回復次第、姫様はそちらに参ると思います。ご安心下さい、必ず回復致しますから」
それから二言三言交わして、扉が閉じられる。ルーディリートは、それを確認してから上体をのそのそと起こした。