どうして、インターネットは、失敗したのか?
一昔前は、あらゆる情報がネット上に統合され、新しい世界が来る、情報革命なんて物が、主張されていました。
今回は、何故、そうならなかったのか、何故、インターネットは、失敗したのか、というお話です。
こんにちは、ふりがなです。
インターネットは失敗したのだ、なんて書くと、お前は、何を言ってるんだ?と言われそうですが、一昔前、皆さんが、想像したような、理想のインターネットとは、かけ離れたインターネットが、今では、出来上がりました。
情報の統合なんて事は、夢のまた夢、デマと不完全な情報の散らばる、信じてはならないゴミ溜めのような、インターネットを予想した人は、当時、少なかったように感じます。
読者の中には、同じような話を、聞いた事がある人も、居るのではないでしょうか。
私なりに、インターネットの失敗を考えますと、いくつかの、大きな要因を見出す事が出来ました。
一番大きな要因は、インターネットが、インフラとして、ユーザーに対し、コアな情報へのアクセス権を、確保出来なかった事です。
本当に重要な事は、ネットには載っていない。
きちんと知りたければ、書籍を漁るしかない。
ネットの情報は、どんどん消えていく、紙媒体が最強なのだ。
今、ネットは、何かを知りうるツールでは、なくなりつつ有ります。
むしろ、コアな情報であればあるほど、アクセス部分に、妨害が働くのが、現時点のインターネットなのです。
インターネットは、インフラの役割を期待されていましたので、同じインフラの、道路に例えてみましょう。
市民の多くが、車で、役所に向かいたいとします。
道路には、役所に向かっている多くの車が走っているのに、信号が整備されていない所か、役所へと通さないように、警官が、道路上で邪魔をしてきます。
これでは、インフラとしての道路は、意味を無くしてしまいますよね。
これこそが、インターネットの現状なのです。
市民は、道路を使った役所へのアクセス権を、確保出来ていません。
しかし、インターネットは、インフラとして機能しているんだ、中には、正確な情報もあるのだと、指摘する人も、たくさんいらっしゃるでしょう。
これは、道路の話に直すと、道路には、信号も無く、邪魔者もいて、役所には、決してたどり着けないが、自宅から300m先のコンビニくらいには、たどり着く事が出来る、という話になります。
仮に、役所には、たどり着けなくとも、自宅からコンビニまで、道路があると、充分に便利ですよね。
インターネットは、近くの知識までなら、整っている。
しかし、コアな情報までは、届いていない。
何故、このように、情報によっては、アクセス権が、限られりしているのでしょうか?
私が役所と評した、コアな情報の正体とは、いったい何なのでしょうか?
この正体が解るようになると、現時点のインターネットの問題点が、導き出せるようになります。
・そもそも、情報の価値って、いったい、何だろう?
面白い話がありまして、情報の価値なんて物は、無いと言う人がおります。
アフリカの水害で、3千人の方が亡くなった情報よりも、自分の子供が、熱を出したという情報の方が、主婦にとって価値が高い。
情報の価値は、個人の関係性に左右されるという話です。
この関係性の価値からすると、多くの人が、アクセス権を妨害したくなるような『コアな情報』は、次のようになります。
多くの人に、深く関係する『パブリック(公的)で深刻な情報』が、コアな情報で、少数で浅くしか関係しない『プライベート(個人的)かつ軽い情報』が、コアでは無い情報です。
多くの人に深く関係するので、アクセス権を、妨害したくなるほどに、よりパブリックな情報は、価値が高い。
少数にしか関係しない上に軽い情報なので、アクセス権を、妨害するほどには、よりプライベートな情報は、価値が無い。
こう見ると、パブリックな情報であればあるほどに、妨害が多いように思えますよね。
実際の所、ネット上で、パブリックな情報と、プライベートな情報において、アクセス権への妨害に、大きな差異はあるのでしょうか?
アクセス権の妨害と言うと、その手段には様々な種類があります、例えば、その内の一つは、デマ、フェイクニュースです。
あらゆるパブリックな情報には、デマが付き物なのか。
あらゆるプライベートな情報には、デマが流れていないのか。
考えてみて下さい。
パブリックであろうが、プライベートであろうが、ネット上は、嘘が付き物ですよね。
実は、パブリックな情報であろうと、プライベートな情報であろうと、デマの有無自体には、全く関係がないのです。
では、デマの付きまとうような、パブリックな情報と、デマの有り得ないような、パブリックな情報。
デマの付きまとうような、プライベートな情報と、デマの有り得ないような、プライベートな情報、これらの、差異の原因はなんなのでしょうか。
結論を言いましょう。
デマの原因は、その情報が、より政治的であるか、もしくは、より商業的であるか、さらには、その情報が、扇情的であるかが、本当の決め手になります。
また、アクセス権への妨害の種類が、他の時も、決め手となる原因は、全く一緒です。
例えば、情報を流さないで隠す、その理由は、その情報が、より政治的であるか、より商業的であり、扇情的であるかが、決め手になるのです。
近い所では、日本人の物として、北朝鮮から返された拉致被害者の遺骨が、ロシア人拉致被害者の物だったのを、公表すべきではなかったと、外務官僚が吐露していました。
これは、政治的な問題、そして、扇情的な情報となる事が原因です。
また、議会の議事録破棄なども、政治を商業的に扱った情報の隠匿ではないのかと、問題になっています。
つまり、ネット上で、アクセス権の妨害されるような『コアな情報』の正体とは、パブリックな情報であれ、プライベートな情報であれ、より政治的、商業的、扇情的な情報であるか、という物になります。
私たちは、より政治的な情報、より商業的な情報、そしてより扇情的な情報への、ネット上での、まともなアクセス権を、失いつつあるようです。
これが先に書いた、車が役所にたどり着けない問題です。
政治的な理由、商業的な理由、扇情的な理由が、複合している時、私たちは、まともな情報には、たどり着けません。
一方で、より政治的でなく、商業的でもない、より扇情的でもない情報の、アクセス権だけは確保され続けています。
こちらは、でも、コンビニにたどり着けるから、それで良いじゃん、という話ですね。
最も、これは、ネット上の情報に、限定された話ではありません。
情報の扱い自体は、インターネットの登場前から、大きく変わっていないのだと感じます。
かつて、インターネットは、あらゆる情報を、統合出来る可能性を、秘めていました。
実際に、インフラとして、きちんと『道路』を整備すれば、その性能は、遺憾なく発揮されたことでしょう。
インターネットの登場時に言われた予想は、高性能なF1カーが、サーキット上で、充分に走り回れるという類の物だったのです。
しかし、用意された車体は、F1カーでも、その道路は、サーキットではなく、奥に進めば進むほど、ジャングルになるような、不可思議な物だったのです。
それでも、社会はインターネットによって、変革しつつあると言われます。
例えば、SNSの世論への影響は、大きいのだとかです。
これからの未来、信頼の出来ない、情報は、いったいへと向かうのか?
大衆にとって、一度妨害された情報の真偽は、簡単に見分けがつくものではありません。
はっきり言ってしまえば、ネット上に溢れる政治的、商業的、扇情的、三要素の組み合わさった情報は、その殆どが信頼出来ない有害なものです。
ですので、昨今は、情報の真偽そのものよりも、その情報を、誰が発信したのかという、情報の属人化が、より重要へと、変化しつつあるようです。
その象徴が、SNSによる政治への影響ではないでしょうか。
・知の統合ではなく、むしろ逆へ、個々へと別れる情報の属人化は、インターネット、ひいては、社会に何をもたらすのか?
先に挙げた三要素からすれば、情報の属人化の影響は、情報による政治的な社会の分断、情報による商業コストの増大、事実のより扇情的な情報への加工が予想出来ます。
というか、これらは、既に身に覚えがありますよね。
トランプ大統領の、躍進のきっかけになったとも言われるSNSのフェイクニュースは、正に情報による政治的な社会の分断です。
より、ネットを、商業的にしようとすれば、情報のコストは、増大せざるを得ません。
そのため、無料で優良な情報は、これから駆逐されていく運命にあるのです。
そして、フェイクニュースにも使われる、情報の扇情的な加工は、事実関係を無視してでも、行われます。
これでは、その情報が、本当なのかどうかもわかりません。
フェイクニュースに対しては、どげんかせないかん、という話も、ようやく聞くようになりました。
民間に、自由にやらせてきたインフラの結末は、これからどのように進むのでしょうね。
果たして、インターネットは成功したのか?
それとも、失敗したのか?
読者の皆様は、この記事を読んで、どちらだと思ったでしょうか。




