09 自動販売機の取り出し口で、手がぶつかった女の子と海に来た
「ただいま。お母さん達、もうすぐ帰ってくるって」
夜になり、父さんが帰ってきた。
「あ、おかえり」
家に帰ってから、僕は宿題を手にとった。
もうすぐ死ぬのにやる意味はないだろ、と思っていたけど、死なないという決意表明のために宿題を始めた。
藤野さんを見ていたら、"生きたい"って気持ちが湧いてきたからだ。
理由はよくわからないけど。
「母さんからお金貰ってるよ」
「お、じゃあ出前にしよう。ちょうどピザのチラシ入ってたからさ」
うおおおピザ!
……若干重いな。
「いただきます」
もう水曜日も終わりだ。
その不安と、昼に食べた肉のせいで、いまいち食が進まない。
「ピザ…………、美味しい~」
藤野さん、割と食べるな。
女の子ってそういうとこあるよね。
思ってたのと違う的な。
「今日はこれくらいにしとこうかな……」
僕は駄目だ。
胃が重い。
少し横になろうと席を立とうとしたとき、家のドアが開く音がした。
「ただいま~」
「お。おかえり」
母さんと姉ちゃんが帰ってきた。
ちょうどいいや。
代わりに食べてくれないかな。
「ピザじゃん。死ぬからってヤケ食いしないでよね」
「いいだろ、たまには。コーラもあるぞ」
「……ま、いっか。それと、はいこれ」
そう言って、姉ちゃんはテーブルに小さな人形のようなものを置いた。
「なにこれ」
「なんか、ばあちゃんがくれた」
話によると、おばあちゃんが隣の人と世間話をしていたときに、その隣の人の息子が持ってきたものだという。
これが何かは分からない。
姉ちゃんが手に取ったときに、不思議な感覚に陥ったという理由で貰ってきたらしい。
……ほんとか?
「ん~……。なんだ、この人形」
父さんが反応に困っている。
見たところ、かなり雑な出来の人形だ。
特徴を具体的に言うと、黒い布をツギハギして無理やりウサギのような形に縫い付けたれた不気味な人形だ。
「まあ、もしかしたらってこともあるから、貰ってきたんだけど……。なんか逆に呪われそう」
「うーん……。ま、一応とっておこう。呪いの力で悪霊を寄せ付けないパターンも、無くはないしな」
パターンて。
ともかく、これでキーアイテム候補はビー玉と人形の二つになった。
これで犯人から助かるとすれば、本当に呪いとかそういう力に期待するしかない。
「あー、あと、父さん明日仕事休むから」
「あら、休めたの?」
「……ちょっとな。明日、みんなで旅行しよう。みんな予定無かったろ」
「一応、受験勉強あるんだけど……。ま、いっか」
「……いいわね。久しぶりに、みんなでどこか行きましょうか。……申し訳ないんだけど、美穂さんも、それでいいかしら」
「あっ、はい。むしろ、同席していいのかなって……」
「もちろんよ。迷惑じゃなければ、だけど……」
「い、いえ。……では、よろしくお願いします」
突然飛び出した旅行の話。
反対する理由は無かった。
……いつの間にか、お腹の胃もたれはなくなっていた。
「夏だしな、熱海でも行くか?」
木曜日。
僕達は五人乗りの車いっぱいに乗り込み、日帰りの旅行に出発した。
「え~っ、熱海まで行くなら泊まりたい~っ」
姉ちゃんの言うことはごもっともだが、明日は土曜日に備え準備をしなければいけない。
明日の夜は藤野さんの予定通り、コンビニに行く必要もあるのだ。
「熱海は遠いわね。片道三時間はかかるわよ」
埼玉県の田舎からではそのとおりだ。
結局、微妙に近いお台場に向かう。
「私、お台場は初めてです。楽しみだなあ」
「そうなの? 海とか色々あるよ」
「海……。久しぶりかも。小学生以来だなぁ」
いくら埼玉県民とはいえ、普通は年に一度は海に行く。
藤野さんが活動的じゃないのか、藤野さんの家の方針が厳しいのか。
初めて会った日の藤野さんも、八月の後半なのに肌は真っ白だった。
……追求したい気持ちもあるけど、旅行に行くって時に家庭の事情に踏み込むのはやめておこう。
「寝てていいぞ。着いたら起こすから」
父さんの言葉に甘え、僕は、車から流れる音楽を聴きながら眠りに落ちた。
そういえば、今日はコーヒー飲んでないな。
「浮き輪とか水着とか、そういう海じゃないんだね」
「うん。恋愛物の海のほう」
「うわっ、優希キモ~」
お台場に着くと、明るいうちにと浜辺沿いを歩いた。
藤野さんは海水浴場のような海を想像していたみたいだけど、東京湾は泳げるほど綺麗じゃない。
「風が気持ちいいです。砂浜も、歩いてて楽しい」
「藤野さんは、あんまり家族で遊びに行ったりとかしないんだ」
相変わらず、父さんが空気を読まずに質問を投げつける。
あんまり聞くなよ、ほんとにさ……。
「……はい。家族で出掛けるなんて、もうずっとしてなくて……。仲が悪いわけじゃないんですけどね」
「そうか。じゃあ、今日は父さん達のことを家族だと思って楽しんでくれ。こっちの世界の家族としてね」
「…………はいっ。よろしくお願いします、お父さんっ」
「! は、ハイ!」
「お父さんキモ……」
平和な一日だった。
みんなで昼ごはんを食べた。
一通り流行りきったパンケーキの店は相変わらず混んでいたけど、流行るだけあって美味しかった。
よく分からない現代アートを見た。
藤野さんだけじゃなく、みんながよく分かっていなかった。
晩御飯は、窓からレインボーブリッジが見える店で食べた。
綺麗だったけど、ご飯が出てくる頃にはもう誰も見てなかった。
週末に起こることなんて、すっかり忘れて楽しんだ。
父さんの「そろそろ帰ろうか」という言葉で、夢から醒めた。
「最後に写真撮りたい」
思わず口に出てしまった。
最後というのが、何を指しているのか自分でも分からなかった。
「……そうだな。撮るか、記念に」
誰かにシャッターを頼もうかと思ったが、藤野さんが「私が撮ります」と聞かないので、シャッターをお願いした。
さすがに気を使ったんだろう。
「優希も、美穂ちゃんと撮ってあげるよ」
「えっ」
姉ちゃんが気を利かせた。
余計なお世話と言いたいが、本当は嬉しい。
「もっと寄って、ほらほら」
「ちょっ……」
肩、くっついてんだけど……。
「はい、チーズ」
なんとなく緊張して、笑わないでカッコつけるタイプの写真になってしまった。
なんで緊張してるんだ。
……この感情が恋なのかは分からない。
多分違う。
……そう思わないと辛くなる。
「……よし、帰ろうか。運転は頼む、お母さん」
「はあい。久しぶりだから怖いわ」
僕達は駐車場に戻り、今度は母さんの運転で出発した。
父さんがビールを飲んだからだ。
……母さんの運転、ちょっと危ないんだよなあ。
『実際の交通規制に従って、走行してください』
「はーい」
カーナビの音声に元気よく返事をする母さん。
「みんな、寝てていいからね。……ふんふん、このルートで……。あら」
始まった。
「こっちの道のほうが空いてるわね」
母さんは運転すると、すぐに小道に入ろうとする。
それが逆に時間がかかることを知らないらしい。
今回も、車がすれ違えないような狭い道をひたすら進む。
「あら、ここ曲がれるじゃない」
「駐車場抜けたらショートカットできるわね」
「こっちの道のほうが空いてるわね」
この言葉を何回聞いただろう。
既に家についていてもおかしくない時間だけど、僕達はまだ埼玉県にすら入っていない。
父さんも姉ちゃんも、すっかり寝てしまっている。
こんなことなら、父さんにビール飲ませなきゃ良かった。
「ねえ、優希くん」
諦めて眠ろうとしたとき、隣に座っていた藤野さんに耳打ちされた。
「……なに?」
「今日、楽しかったね」
後部座席で、母さんには聞こえないよう呟く。
「うん。……楽しかった」
「……もとの世界でも、優希くんたちと仲良くなれるかな」
「……普通に話しかけてくれたらね」
あっちの世界の僕のためにも、癇癪は起こさないでくれ。
「分かった。……私のこと、忘れないでね」
「……うん」
そういって、藤野さんは僕の肩に頭を乗せた。
どちらからともなく手を繋ぎ、僕達は車に揺られ眠りに落ちた。




