06 自動販売機の取り出し口で、手がぶつかった女の子とコンビニに行った
翌日、火曜日。
今日の予定は、藤野さんが行ったコンビニに行くのみだ。
正直、何かあるとは思えない。
「美穂ちゃん、何かこの世界にしかないものとか無い?」
「うーん、特には……。私の影響力なんて小さなものですし……」
「そっか~……。ね、近所とか散歩してみようよ。この辺りなら何かあるかもしれないじゃん」
そう言って、姉ちゃんと藤野さんは外に出て行った。
「色々辛いこともあるでしょうに、美穂さんは強い子ねえ。あんたも優しくしてあげなさいよ」
「…………」
……そう言われなくても、別に、優しくするよ。
…………まあ、日曜は結構、酷いことしたかもしれないけど……。
「いつも、夜の八時くらいに行ってるので、今日もそのくらいに出てたはずです」
姉ちゃんと藤野さんが帰ってきたのは夕方だった。
いつの間にか母さんに小遣いを貰って、外でパスタを食べたらしい(ずるい)。
……それは置いておいて、もうすぐコンビニに行く時間だ。
僕達は藤野さんの予定に合わせ食事を済ませると、各自外出の準備を始めた。
「よし。行くぞ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
父さんは、出発当日の冒険家のような、浮足立った足取りで外に出ていく。
母さんは洗い物があるから留守番だ。
「夏の夜~……って感じ」
外は真っ暗だ。
静かな夜で、平和な夜。
「で、どこだっけ」
「工場の隣のところの、あの住宅街の中にあるコンビニなんですけど……」
コンビニまで藤野さんが先導する。
「あそこです」と指差した方向は、日曜に藤野さんの自称自宅があったところのほうだ。
「ここです」
予想通り、到着したコンビニは、藤野家から百メートルといったところにあった。
これを外出と言っていいのか? と思ったが言わないでおく。
「ほんとに、工場の隣の、住宅街の中にあるね……」
「す、すみません、何もなくて」
「あっ! いや、ごめんね、別に責めてるわけじゃなくてね!? ……と、とりあえず、悲鳴が聞こえるまで待とうか」
思った以上に手がかりにならないコンビニを前に、父さんのテンションは一度"無"になった。
……悲鳴、か。
住宅街の悲鳴なんて、喧嘩とか、食器を落としたとか、そういうレベルの話じゃないのか?
誰もがそう思っていたが、言えずにいたときだった。
「……うぎゃァーーーッッ!!」
……悲鳴だ!
しかも、かなり近いところから。
女性の声だ。
そしてちょっと鈍臭い人の悲鳴だ。
先週、ゴキブリと対面したときの姉ちゃんと同じような声だ。
「ちょ、ゴキブリッ! 優希! 殺してっ!」
姉ちゃんだった。
夏の住宅街の、夜のコンビニの前だ。
ゴキブリいるよね、そりゃ。
「えい」
藤野さんは、躊躇なくゴキブリめがけ自分の足を踏みおろした。
すんでのところでゴキブリは飛翔し、闇の中へ飛んでいった。
「あ、ありがとう、美穂ちゃん」
「いえいえっ。虫好きなんです、私」
どっちだ。
好きなら殺すなよ。
若干の引きを見せた姉ちゃんだけど、頼もしさを感じたのか、それからは藤野さんの腕によりすがり始めた。
「ま、全く、ゴキブリくらいで……。……ん? あれ、これってもしかして、リンクしたんじゃないか?」
父さんが思い出したように言う。
確かに、今のはまさしく悲鳴だ。
時間も合っているし、他に悲鳴は聞こえない。
「え、じゃあ何、私の悲鳴だったってこと?」
「うーん、聞こえたのは遠くからだったような……」
「いや、これは世界線の違いによる誤差だ。藤野さんが生まれていないという影響が、バタフライエフェクトのように……」
スイッチの入った父さんが、一人でぶつぶつとつぶやき始めた。
父さんの演説は別として、確かに偶然の話としては少々できすぎている。
「……つまり、あっちの世界では、僕達が藤野さんに影響を受けるときがあって……」
……あ。
例えば日曜日、自動販売機のときだ。
本来なら、どっちの世界でも普通にコーヒーを買えていたのに、こっちの世界だけズレが生じた。
そういう積み重ねが、たとえ道を譲るだとか順番待ちに並んでいただとか些細なことでも、今までに何度かあったんだと考えると、こういう結果になってもおかしくはない。
「あっちの世界では、今ゴキブリが飛んでった先で弘奈がびっくりしたのかもしれないな。……ぷっ、その運命からは逃れられないのな」
「うざ……」
ただ、話はここからだ。
「……藤野さんの世界とリンクしたとして、この後、どうすればいいんだろう」
「確かに……。藤野さん、何か思い当たることは無いかな」
「えっ。うーん、このあとなにしたんだっけな……」
藤野さんは必死に思い出そうとする。
なんでもない日のことなんて、何か具体的なことが起こっていないと覚えているものでもない。
「うーーん……。何も無かったかも、……って、あれっ」
藤野さんが何かに気づく。
指さされた方向に目を向けると、黒猫が一匹、コンビニの左側の道路を歩いていた。
「黒猫じゃん。縁起わる」
「いや、黒猫は逆に縁起が良いとも言われてるんだぞ。……とりあえず、追ってみよう」
何かあるとしたら、この猫くらいしか無い気がして、僕達は惹き込まれるように黒猫のあとについていく。
黒猫も、しきりに後ろを向き、僕達がついて来ていることを確認しているように見えた。
「ニャア」
到着した場所は、脇道に時々あるような小さな神社だった。
「ニャー」
「ニャニャニャ」
「えっ、かわい~」
猫を見て、姉ちゃんが猫をかぶりだした。
その神社には、合計五匹の猫があちらこちらに寝そべっていた。
月の光に反射した神社と、そこに住まう猫の景色は神秘的で、僕達はしばらく目を奪われた。
「……で、何をすれば」
「ここでお祈りしろってことなんじゃない?」
猫を撫でながら、姉ちゃんが提案する。
「まあ、やってみる価値はあるな」
神社に来てすることなんて、正直それくらいしかない。
父さんが小銭をみんなに渡し、それぞれが賽銭箱に投げ入れる。
なんて祈ろうか。
……家族みんな、来週も生きていられますように。
「…………」
……藤野さんが、元の世界に帰れますように。
お祈りを済ませると、いつの間にか猫たちは、どこかへ散らばっていった。
「……とりあえず、これでいいのかな?」
「さあ……。あっ、これなんだろ」
お祈りを終えた姉ちゃんが、神社の石畳の溝に挟まっていたものを拾い上げる。
「ビー玉?」
黒い玉だ。
月の光に照らすと、その玉は綺麗に光り輝いた。
「黒いビー玉なんて珍しいな。……弘奈、それ、持ち帰りなさい」
「えーっ、汚いじゃん……。優希、持っといて」
「えー……」
汚いものは僕だって持ちたくないんだけど。
「大事に持っておけ。こういうものが役に立ったりするんだ」
「神社の物を持ち帰るって、ちょっと怖いですけど……」
「……落ちてるものはセーフだ! ホラー映画なら常識だ、確か」
都合の良い解釈すぎる。
……何はともあれ、黒いビー玉を戦利品として、僕達は家に帰った。




