03 自動販売機の取り出し口で、手がぶつかった女の子が家に入ってきた
結局、藤野さんはずかずかと家に入ってきた。
姉ちゃんの「ここまで言ってんだから入れてあげなよ」の一声に僕は逆らえなかった。
「あら、弘奈。お友達?」
「いや、優希の彼女さんっぽい」
「あら……! 先に言ってよ、晩御飯だってちゃんと……」
「いや、彼女じゃないし、帰るから。この人」
「…………うう」
藤野さんはうつむく。
いや、彼女じゃないのは本当だろ。
「え~、ご飯くらい食べてってもらってもいいじゃん。ね、お母さん」
「そうね。あ、お父さんに電話しなきゃ」
母さんは帰宅途中の父さんに電話をかける。
「今日お父さんのご飯ないから」という旨の連絡を済ませると、藤野さんを含めた四人分の食事の準備が進められた。
「え、帰る家が無い? どういうこと?」
「姉ちゃん、嘘だから。この人の言うこと信じないで」
「……」
「優希。そういう言い方はやめなさい」
なんで僕が悪者扱いなんだ。
姉ちゃんも母さんも、落ち込む藤野さんの味方だ。
「……それで、美穂ちゃん今日どうすんの? 良かったら、泊まってく?」
「……ご迷惑じゃ無ければ、お願いしたいです」
あれ?
この礼儀正しい人は誰?
藤野さんそんなキャラじゃなかっただろ。
女の子はこういうとこずるいんだ。
「大丈夫大丈夫。電話すればいいだけだから」
母さんは、再度帰宅途中の父さんに電話をかける。
「今日お父さんの寝るとこないから」という旨の連絡を済ませ、
「弘奈、あんたお父さんの部屋で寝なさい。美穂さんには弘奈の部屋で寝てもらうから」
「えーやだ。優希の部屋でいいじゃん。彼女なんだし」
藤野さんは顔を赤らめる。
こいつ……。
……結局、姉ちゃんと藤野さんが一緒に寝ることで決着が着いた。
話は本題に戻る。
「……でね、言いにくいことかもしれないんだけど、どうしてお家に帰れないの? ……やっぱり、親御さんも心配してるでしょうし、事情は知っておかないと……」
「パラレルワールドから来たんだってさ。藤野さんが存在する世界から、藤野さんが存在しない一週間前の世界に」
「……? どういうこと?」
「……わ、私から説明します」
藤野さんは、そんな嘘まみれの作り話を、さも本当かのように僕の家族に説明した。
これで母さんも姉ちゃんも目が覚めるだろう。
「……あらあら」
……しかし、その話の上手さが凄まじかった。
最初こそ電波女を見るような顔をしていた姉ちゃんも、いつの間にか藤野さんの境遇に涙している。
僕も、今の姿の藤野さんから初めてこの話を聞いたら信じてしまっていたかもしれない。
「分かったわ。美穂さん、私はあなたの味方よ。元の世界に戻る方法、一緒に考えましょうね」
「はい! よろしくお願いしますっ」
この女……、いや、藤野さんの底が知れない。
よそ行きの顔っていうのか、こういうの。
そのレベルを超えている気がする。
「話は全て聞かせてもらった」
「あ、おかえり。お父さん」
振り向くと、牛丼の袋を片手に持った父さんが、決めポーズをしながら立っていた。
「藤野さん、と言ったかな。恐らく君は、ある使命を託されこの世界に移動したんだ」
「お父さん、そういうのいいよ」
ファンタジー物の映画が好きな父さんが興奮げに、恥ずかしげも無くそんなことを言う。
「まあまあ、聞いてくれよ。藤野さんは、これから一週間後のどこかで起こる、重大な事件を解決する鍵となる人物のはずなんだ」
「は、はあ……」
さすがの藤野さんも圧倒されている。
自分の嘘がよく分からない方向へ広がっていくのは怖いだろうな。
「……で、何か無い? 大地震とか、テロとかさ。今日から一週間、何か凄いこと、起きてない?」
「えっ、え~っと……」
はは、自分の嘘で墓穴を掘ったな。
空気の読めない父さんだけど、今日は珍しくいい仕事をしているぞ。
「大きな事件みたいなのは、無かったような……」
「え~~っ! まあ、そっかぁ。そうだよね、はぁ~~、飯くお」
そう言って父さんは牛丼を食べ始めた。
あれ、もう終わり?
中途半端に空気を読んで身を引いたせいで、全方面に向けて空気が読めていない。
「……あ」
「おっ、どした? なんか思い出した?」
「いや……。多分、違うと思うんですけど……。すみません、何か書くものお借りできませんか」
何やら嘘を思いついたようだ。
藤野さんは母さんからペンと紙を借りる。
「えっと、優希くん。ここに漢字で名前書いてみて。お姉さんのお名前も、その下に」
「なんで? ……まあ、別にいいけど」
言われたように、渡されたペンで
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優希
弘奈
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と書いてやった。
何が始まるんだ?
「あっ」
「何?」
「いや……。う~ん、多分、こうかな……」
藤野さんは、名前を見ると少し驚いたような顔をした。
そして、少々唸りながらゴソゴソと文字を書き加えていく。
「あの、お父さまと、お母さまのお名前って、こうですか……?」
藤野さんは紙をこちらに見えるように持ち上げた。
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お母さま…優奈さん
お父さま…弘希さん
優希
弘奈
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紙にはそう書いてあった。
「あら! えっ、どうして分かったのかしら?」
母さんがびっくりしながら反応する。
確かに合っていた。
「皆さんの名前、全体的に若い感じの名前だなって思って。……それで、優希くんも弘奈さんも、お父さま、お母さまの名前から一文字ずつ貰ってたんだなぁって思ったから。……それに気付いたら、なんとなく覚えちゃって」
名前の由来もそのとおりだ。
僕も、姉ちゃんの名前も、漢字も読みもそのまま親の名前から貰っている。
もう一人産まれたらどうする気だったんだ? と思った覚えがある。
だけど、そういうことじゃない。
「いや。なんで名前を知ってるの、って話だよ」
「…………今日、ニュースで見たから」
「ニュース? 一週間後ってこと? 何の?」
家族みんなが気になった。
藤野さんはそこまで言って黙り込む。
長い沈黙。
ニュース。
家族全員の名前。
嫌な予感がした。
「……皆さん、は、殺人、事件、の……、犠牲者でした」
父さんの箸が落ちる音がした。
暖かかった空気が完全に凍えた。




