13 自動販売機の取り出し口で、手がぶつかった女の子と
夕方。
午後十七時。
「このまま、何もなかったりして」
「……それなら、風水の力のおかげだ」
完全に集中が切れた僕達は、なんとなく天井の隅を見つめながら会話する。
人が継続して集中できる時間なんて一時間くらいだ。
今更ながら、見張りを当番制にしなかったことを後悔する。
「……寝ててもいいぞ」
「……今更、なんかそれはやだ」
眠いかと言われたら眠いけど、寝不足でも無い。
昼寝くらいの感覚で寝て殺されたら、たまったもんじゃない。
…………。
……暇だなあ。
夕方はこんな感じで過ぎた。
「……ぁ」
おい、今父さん寝てたろ。
「あと十二時間くらいだ、頑張れ~……みんな……」
寝ていたのを誤魔化すような、力の無い鼓舞。
まあ、それを怒れるほど、僕も集中できてはいない。
「……皆さん。良かったら、あの……!」
キッチンのほうから美穂の声がした。
手に持ったお盆の上には、人数分のコーヒーが乗っている。
「み、みなさん! もう一踏ん張り頑張りましょう……!」
父さんとは対称的な、人を元気づける鼓舞だ。
「コーヒー……」
美穂がコーヒーを淹れてくれていたことに全く気が付かなかった。
そのレベルで集中が切れていたことを改めて実感する。
「美穂ちゃ~ん……! 気が利くよ~」
疲弊した姉ちゃんがとろけた声を出す。
父さんも母さんも、姉ちゃんほど態度に出さないけど、一息つけることに安堵した様子だ。
今の僕達には、コーヒーという飲み物は、まさに最も欲している物かもしれない。
「藤野さん、本当にすまない。私達家族がこんな体たらくで……」
「いえっ。案外、これが私の役目なのかもしれません」
美穂は明るく振る舞う。
……ああ、本当に、美穂は…………。
「いただきます」
「あ、ミルク忘れちゃった」
「……もう大丈夫。美……藤野さんが淹れたコーヒーなら、ブラックでも美味しいから」
「うわっ、優希~~!」
姉ちゃんが僕を見てニヤける。
やめろ。
「……あっ。ブラック! コーヒーも"黒"じゃない!」
急に母さんがはしゃぎだす。
……確かに、黒色が風水的に意味があると言うのなら、この一週間飲み続けたコーヒーには、きっと眠気覚まし以上の意味がある。
「本当に、このコーヒーが最後のパズル的なもんだったりしてな」
父さんが同調し、みんなは笑う。
さっきまでの鬱々とした雰囲気が一変した。
……本当に、何から何まで、美穂に助けられてばかりだ。
この一週間で一番大事だったのは、ビー玉や人形、バリケードや武器、そしてコーヒーでもない。
美穂という存在だ。
「……よし。朝までだ! 気合入れて乗り切るぞ!」
「お~っ!」
「はい!」
コーヒーを一気飲みした勢いで、父さんは宣言する。
姉ちゃん、母さんもそれに続く。
僕も続こうと思ったけど、
「……うぇ」
……やっぱ苦いな。
やっぱ苦いな。
やっぱ苦いな。
??
「あっ、起きた?」
誰かの声がする。
「コーヒー苦手だったもんね。みんなまだ寝てるよ」
頭がぼーっとする。
……身体が動かない。
かろうじて目は動くみたいだ。
「優希くん。こっち見て。私のいるほうだよ」
…………美穂?
「今からお母さん殺しちゃうね」
何か喋っているようにも見えるけど、よく耳が聞こえない。
美穂が包丁を振り上げたのが見える。
……美穂が動いたあと、何かお湯みたいなものが飛んできた気がする。
顔が動かない。
なんだか床が濡れているような。
何があったんだろう。
……なんだか眠い。
「死んじゃった。別にお母さんは悪くないんだけどね」
「優希くん。ごめんね、私が別の世界から来たって話、嘘なんだ」
「全部この家に入るための嘘。なのに、アイテムだとか、風水だとか。色々こじつけだしてさ。笑っちゃうかと思った」
「優希くん、聞こえてる? ……聞こえてなくてもいいけど、最後に全部教えてあげる」
「……お姉ちゃんと私、中学の同級生だったんだ。それも、同じ学校の同じクラス」
「中学一年生。入学してすぐ。初日だよ? 私、優希くんのお姉ちゃんにいじめられたの」
「酷かったよ。まだ話してもいないんだから。お姉ちゃんがクラス内の地位を上げるための、……踏み台にされちゃった」
「結局、耐えられなくて。夏休みに入る前にはもう、学校行けなくなっちゃった」
美穂が、何かを蹴っているのが見える。
……なにしてるんだろう?
「なのに、全然覚えてないんだもん。謝りたい人もいないんだって」
「せめて、謝ってくれたらな~……。まあ、もう遅いんだけどね」
あっ、……美穂の顔が見えた。
……しゃがんだのかな。
……視界がぼやけてよく分からない。
かすかに、耳元でグチャっとしたような音がしたり、硬いもの同士がぶつかるような振動が床から伝わってくる。
「……ふう。でもね、私、頑張ったの。中学は行けなかったけど、高校は行きたかったから」
「うちはお金が無くて。私立は無理だし、家から近いところしか通えない。不登校だったから内申点も足りない。だから、志望校を決めるだけでも一苦労だった」
「……でもね。一つだけ、良さそうなところがあったの。頑張らなきゃって、毎日遅くまで勉強したよ」
「……受験の日、何があったか分かる?」
「優希くんのお父さん、お家では優しいんだね。……あのね、この人に痴漢されたの、朝の電車で」
「びっくりしたよ。久しぶりに外に出て、人もたくさんいて、一人で電車に乗るのも初めてで。怖かったけど、頑張ったんだから大丈夫、見返してやるんだ、電車くらいなんだ、って自分に言い聞かせて」
「最初はね、何をされてるか分からなかった。混んでたし、こういうものなのかなって思ったから。でも、そんなの十秒くらい。痴漢されてるんだって分かってからは、地獄だった」
「抵抗したらみんな助けてくれるのかな。警察に行ったら試験はどうなるのかな。そもそも女性専用車両に乗らなかった私が悪いのかな。……いろんなこと考えたよ」
……?
あ……。
一瞬、意識が飛んでた。
美穂がいない。
どこだろ……。
「降りてからはね? 切り替えなきゃ。あの人はもういない。試験に集中しようって。そう言い聞かせて、心を殺したの。……でね、なんとか学校についたけど、やっぱり頭の中真っ白になっちゃってて。気が付いたら試験、終わってた」
「当たり前だけど、不合格だった。あんなに頑張ったのに、全部台無し。……でもね、お父さまもやっぱり覚えてないの。恨まれる心当たりもないみたい」
「お母さんに事情を話したら、私立でもいいよって言ってくれた。でも、駄目なの。電車もだけど、完全に人が怖くなっちゃった。もう外も出れなくて」
「はぁー……。結構疲れるんだね、殺すのって」
……あ。
美穂だ。
……今、何時だっけ?
何曜日だろ。
「……それからはね、ずっと家に引きこもってた。何もしないで毎日過ごして、自分が生きてるのか死んでるのかもよく分からなかった」
「でも、今年になって、急に思ったの。"私の人生壊した人が、今日も笑って生きてるんだ"って」
「……無性にイライラした。その日に決めたの。あの二人に復讐する、って」
「薬を飲んで、外に出て。駅に張り込んで、家まで跡をつけて」
「そしたらね、その二人は家族だったの! 弘奈と、コイツが! ……この一族は殺さなきゃ。それが私の使命なんだって確信した」
……美穂、今、何時……?
僕達、助かったの……?
「さっきね、コーヒーに薬入れて出したの。もっと絶望を味わわせてから殺したかったんだけど、みんな一気飲みするから。起きないし、もういいやって思って殺しちゃった」
「……それが真実。……あはは、別世界なんてあるわけないじゃん。会話も誘導しただけ。あいつが映画オタクなのも調べたし、もちろん本名も、全部全部全部」
「……でもね、優希くん」
……?
何、呼んだ……?
「優希くんのことが好きなのは、本当だよ」
「……私と結婚しよ?」
……?
美穂……。
今、何……時、なの……?
「…………」
「優希くん、聞いてる?」
「…………」
「……そっか。優希くんも、私のことなんてちゃんと見てくれてないんだね」
美穂……。
「ばいばい」
……?
今、何か揺れたような……。
…………。
……何か、お腹が温かいような……?
何だろ……。
……美穂、何しt
終わりです。




