01 自動販売機の取り出し口で、女の子と手がぶつかった
八月二十四日。
僕達高校生は、夏休みが残り一週間しかないという事実に怯えている。
……怯えているが、予定は無い。
僕は完全に暇を持て余していた。
「暑っ……」
暇すぎて外に出てみた。
残暑がきつい。
セミの鳴き声もうるさい。
引きこもりがちで運動不足な僕にとって、外は控えめに言って地獄だ。
「あっつ……。飲み物、持ってくれば良かった」
十分も経たないうちに、身体は限界を迎えた。
自動販売機はどこだ。
ジリジリとした熱気を吹き飛ばす、炭酸飲料が飲みたい。
「……うわっ、コーヒーしか残ってない」
コインパーキングに横付けするように、自動販売機が一つだけ設置してあった。
……しかし、炭酸飲料はおろかお茶すらも、ボタンは売り切れのランプが点灯している。
観光業に力を入れている反面コンビニやスーパーの少ないこの街は、夏は観光客が自動販売機にむらがるのだ。
「……せめて微糖にしておこう」
……周りに他の自動販売機が無いことを確認した。
諦めて、残っているコーヒーの中から一番無難な"微糖"を選んだ。
これは一時しのぎだ。
少しだけ飲んで、帰ったら、残りでコーヒー牛乳でも作ろう。
「……いや、普通に帰れば良かったような」
そう思った時にはもう遅い。
金は吸い込まれ、代わりに缶が落ちている。
……何してんだろ、僕。
早く帰ろ。
残りの夏休みは家にいよう。
そう決意して、自動販売機の取り出し口に手を入れたそのときだった。
「きゃっ」
「えっ」
手があたる感触があった。
女の子の手。
「……えっ?」
自動販売機の取り出し口で。
「あ、どうぞ」
「あ、どうも……」
思わず譲ってしまった。
彼女も、ちょうど同じコーヒーを買ったんだろう。
これは恥ずかしい。
タイミングが被ってしまった。
「……いやいやいや、おかしいでしょ」
百歩譲って、図書館で同じ本を取り合うシチュエーションは理解できる。
……自動販売機は違うでしょ。
同時に買うなんてありえないぞ。
「えっ、あ……。じゃあ、どうぞ」
彼女は、一度は譲ってしまったコーヒーを、さも「譲ってあげます」と言わんばかりの表情で差し出す。
違うでしょ。
買ったの僕だぞ。
「……あの、そもそも、買ったの僕なんですけど」
「えっ? ……いや、私が、買いましたけど」
彼女は少しムッとしたような顔を見せる。
おや?
「買って、取ろうとしたら、あなたに横取りされそうになったんです」
僕は気づいた。
ヤバい人だ。
「ちょっ」
この暑さの中で関わる相手じゃない。
僕は走った。
コーヒーを取るのも、お釣りを取るのも忘れ一目散に走った。
今朝のニュースで、「八月の熱中症の人数が過去最高を更新した」なんて言っていた。
あれも、きっとその前兆に違いない。
やっぱり外は危険だ。
「……熱中症?」
……熱中症。
……その前兆?
ハッとして後ろを向くと、コーヒー片手に走ってくる彼女の姿が見えた。
……が、
「あっ」
次の瞬間、よろよろとよろめいて、その場にしゃがみこんでしまった。
「……熱中症だ!」
僕はあわてて戻った。
そんな八月の後半だった。
「少し休めば治るから」と言い張る彼女に押し負け、ファミレスまで介抱してやることになった。
入口まで肩を貸したので、さて帰ろう(逃げよう)と思ったら、
「二名です」
と彼女が店員に言ったので、僕は仕方なく入店することになった。
「ふう……。涼し~」
彼女は服の胸元をパタパタと動かし、汗を乾かしている。
よかった。
さっきよりは元気に見える。
熱中症の前段階だったのかもしれないが、幸いにも彼女は熱中症ではなかったらしい。
「……じゃあ、行くから」
「えっ、行っちゃうの? ……うっ、頭、痛いなぁ」
「…………」
なんなんだ。
なし崩し的に、元気になるまでファミレスで休憩することになった(小遣いあんまりないのに)。
くそ、コーヒーの無駄買いだ。
しかも取られたし。
「……そろそろ、大丈夫なら、行くけど」
入店から十分。
会話もせず光速で三杯目のサイダーを飲み干し、ドリンクバーの元をとってやった。
汗も引いて見た感じ元気になったし、もういいでしょ。
「……私が、泥棒みたいに思われたままなのが納得いかない」
うわ。
「いや、だってそうじゃ……」
「私がお金を入れて、コーヒーを買ったの!」
ドドンとテーブルに手を叩きつけ、急に怒り出した。
……この人、もしかして素でもおかしいのか?
声もでかいし、周りの目が痛い。
「分かった。もう、それでいいから」
「その"折れてあげました"みたいなのやめて!」
あ~、怒るとめんどくさいタイプだ……。
……相手に合わせて、ほんとに早く終わらせよう。
「そんなこと思ってないよ。僕も暑さで変だった。コーヒーだって、本当は好きじゃないし」
「……じゃあ、なんでその、嫌いなコーヒーを買ったと思ったのよ」
「……いや、他の飲み物が全部売り切れてたから」
「……? コーラとか、お茶とか、普通にあったじゃない」
ん?
「いや、全部売り切れてたでしょ」
「? 売り切れてたのなんて、ミネラルウォーターくらいだったでしょ?」
……それは違うぞ。
穏便に済ませようと思ったが、ここは否定したい。
嫌いなコーヒーで妥協するくらいには、ちゃんと一つ一つ確認したんだぞ。
「売り切れだったら、ボタンのところに赤いランプがつくんだよ。見本の液体の色が透明になると思ってる?」
「……馬鹿にしてるでしょ、私のこと」
怖。
今度は静かに睨まれる。
「………………」
「………………」
無言が続く。
膠着状態だ。
……はあ。
……どうでもいいとこでムキになって、何してんだろ、僕。
…………もう、本当に帰ろう。
「……元気になったみたいだし、やっぱ帰るね」
「……ええ。一応だけど、付き添いありがとう。……せっかくの夏休みの最終日に、こんなことになるなんて」
「え? いや、まだ一週間あるでしょ」
「あなた、私立なの? 私のところは八月末までよ」
「……今日、二十四日だけど」
……日付の感覚が一週間ずれている。
誰かと予定があれば、そして夏休み終盤なら尚更、こんなズレは起こらない。
この人も寂しい人だな。
さっきもただ外にいただけだし。
僕もだけど。
「えっ? あれ、本当だわ」
彼女はスマートフォンを取り出し日付を確認する。
そして、思った以上に焦っている。
「えっ、えっ、なんで? おかしいわ……。えっ、なんで?」
「……まあ、夏休みとか予定ないと、そういうことあるよね」
「あるわよ! 昨日だって、友達と遊びに行ったわ! 明日で夏休みも終わりだねって話もしたの!」
……しまった、自動販売機で会った時から分かっていたはずなのに。
ヤバい人なんだった。
うっかりしてると、ついつい常識で反応してしまう。
「今日だって、朝のニュースで、八月も最終日になりましたね~、って言ってたわ!」
「……じゃあ、また機会があったらよろしく」
「待って!」
腕を掴まれた。
「とりあえず、ちょっと、待って」
掴んだ僕の腕を放す気配も無い。
なんだろう、さっきとはまた別の次元で怖い。
今刺激するとまた騒ぐかも……。
……仕方なく席に戻った。
「……何? 君は、時間が一週間戻ったって言いたいの?」
「……ええ。そう、絶対。だって、おかしいわ、こんなの」
理由になってない。
「……それなら、この時間の世界に、君が二人いちゃうけど」
虚言を暴く一手のつもりで、僕は言ってやった。
さすがに、この人が二人並んだら信じるよ。
「そういうことに、なるけど……。……分かった。証明する。家まで行くから着いてきて」
「えっ」
しまった。
また発言を間違えた。
何回間違えれば学習するんだ、僕は。
「はやく。お会計しとくから」
知らない人について行ってはいけません。
これは格言だ。
明日からは不用意に外に出るのはやめよう。
自動販売機の取り出し口で知らない人と手が触れたら逃げよう。
「はやく!」
いつまで彼女のごっこ遊びに付き合わされるんだ……。
「……はぁ」
……切り替えよう。
この子は子供だ。
上手いこと合わせてあげて、満足した頃に帰ろう。
そう心に決めたとき、動かない僕にしびれを切らした彼女に腕を引っ張られた。
こうして僕は再び、外の残暑にあてられた。




