侍女ハンナと剣術大会 1
寝巻き珍事件から10日程経過しました。コーディアル様が「フィズ様は私の教育までして大変です」と呟いたのは3日前。以前にも同じようなことを言っていましたが、あの状況のフィズ様のあからさまなヤキモチを華麗にスルーしたコーディアル様。フィズ様のヤキモチは、教育指摘と誤解されました。コーディアル様、鈍感の大会があれば、優勝できるでしょう! 友人ならベシリと背中を叩きたいところですが、コーディアル様は私の主。命の恩人。そんなことは出来ません。
さて鈍感大会はないですが本日から2日間、剣術大会が実施されます。毎年恒例の領地行事です。街はずれの演劇場にて執り行われます。昨年、運営をしていたコーディアル様、今年は見学のみです。今回の剣術大会の運営はフィズ様が指揮を取りました。勿論、コーディアル様に楽をさせる為です。
正午からの剣術大会に顔を出されるコーディアル様。私は衣装部屋にて、コーディアル様を飾りつけています。
「このフェイスベールというのは良いわね」
水色の裾の長いドレスに、ドレスと同じ素材を使用した少し煌びやかなフェイスベール。ドレスは長袖で、首回りにレースがついています。コーディアル様は人前にあまり顔を、体を出したくないので、普段の公務より元気そうで嬉しそう。
「コーディアル様の素敵な瞳が強調されて、お綺麗ですよ」
コーディアル様の髪を結い上げるラスが、コーディアル様を褒めました。私も大きく頷きます。
「お世辞は良いのよ。ここまで隠れられる正式な服があるなんて、世界は広いわね」
やはり、コーディアル様はご機嫌です。公務で正装になる時、いつも憂鬱そうですが、今はニコニコしています。
コーディアル様の身支度を整える私とラスは気がついています。
——さすが姉妹。コーディアル様はローズ様と良く似ている。
目元しか見えず、その目の周りの肌を少々化粧で整えている状態。目の形がローズ様とよく似ています。大きな二重瞼に睫毛の長いこと。顔の浮腫みが今日は軽度なので、本来の目が良く見えています。更に、瞳の奥の柔らくて優しい光はコーディアル様の方がローズ様より圧倒的に上。
ふんわりとした袖のドレスで腕の浮腫みは隠れています。手袋もしているので手も同じです。同様に浮腫んでいて、痛そうな足もドレスの裾で隠れている。
胸や胴回りはそんなに病気で変化していません。コーディアル様、お世辞でも何でもなくとても綺麗です。古くからある、謎の風土病の恐ろしさを今日程感じない日はありません。コーディアル様、病がなければローズ様に引けを取らない美女でしょう。コーディアル様は生まれつきですが、いつ誰がかかるか分からない病です。何て恐ろしい。
「ハンナ?」
「いえコーディアル様。フィズ様、用意したこのドレスがコーディアル様に良くお似合いで喜ぶでしょうと考えていました」
「ありがとうハンナ。そうでしょうか……」
コーディアル様、後半は独り言のようにとても小さな声でした。ジッと鏡を見つめて、小さなため息。病や容姿について諦めているようなコーディアル様でしたが、フィズ様がこの城で暮らすようになってからは少々違います。まあ、無意識のようです。最近のコーディアル様はローズ様へも良く羨望の眼差しを向けています。以前は羨望よりも、子供を見るような視線だったのに。これも自覚は無さそうです。
この乙女心には、胸が苦しくなります。同時にフィズ様がもっとしっかりとコーディアル様を口説いてくれれば少しは解決するのに。そうも思います。コーディアル様に足りないのは自信です。
全く、フィズ様ときたら……と思ったところに当の本人が現れました。衣装部屋の扉を開けたところで停止しています。煌国の正装姿で大変格好が良いのですが、耳まで真っ赤。目を見開いて、瞬きすらしません。
私はラスと目配せしました。
——逃亡を止めましょう。
——合点承知!
「コーディアル様! 大変良くお似合いでございます。それに髪型も素敵です。仕立て屋も喜ぶでしょう」
大きな声を出して衣装部屋に入室してきたのはアクイラ様でした。フィズ様は消えています。遅かった。しかし、アクイラ様がいて、オルゴ様が不在なのでフィズ様を影で確保しているのでしょう。
コーディアル様がゆっくりと振り返ります。恥ずかしそうですが、目元は少し笑っています。いつもなら、あからさまなお世辞だと思い込んで悲しそうな笑顔になるですが、今日は違います。
「あれこれ隠れていますので、思ったよりもみっともなくないようで、安心しています。ありがとうございます」
「思ったよりみっともなくないようで? 自己卑下が過ぎると相手に不快を与えますぞコーディアル様。本日はニコリと笑って、ありがとうございますで十分です。あちこちから、褒められるでしょうから」
コーディアル様がパチパチと瞬きを繰り返します。おおおおお! アクイラ様、中々言い難いことをよくぞ言ってくれました。私のような侍女はともかくアクイラ様はフィズ様の目付け監視役。立場的にもこのくらい言っても問題無しなのでしょう。もっと言ってください!
「そうですコーディアル様。姉妹ですから、こうしてみるとローズ様に良く似ておりますね。まあ、コーディアル様の方が何百倍も中身まで輝いていますけど!」
アクイラ様に便乗して、コーディアル様を褒めましたが言葉が過ぎました。コーディアル様は眉間に皺を寄せ、私に向かって首を横に振りました。
「ハンナ。私が主でも、姉上は私の姉上です。今は聞かなかった事にしますが気をつけなさい」
私は一歩下がり、深々と頭を下げました。
「裏での態度は表に出ると言いますからね。ハンナ、注意力散漫だ。常にわきまえよ。しかし、コーディアル様を褒めるのは良い。思ったまま素直なことを口にするのは君の長所だ。大事にしなさい」
アクイラ様が私を庇ってくれました。コーディアル様が私の両肩にそっと手を添えて「ありがとう」と囁いてくれました。
「まあまあ、全身隠せば良いとは考えましたね!」
まさに危なかった! というタイミングでローズ様が嫌味と共に降臨。そろそろ領地に到着するのは知っていましたが、本日は城下街の1番上等な宿の最上の部屋に泊まる予定でしたのにいきなり登場。驚きです。従者を侍らして、おほほほほほと聞こえてきそうな笑みを浮かべています。領主に呼ばれてないのに勝手に来るな。むしろこちらから宿へ出向かないと不敬だという話が出たり……それが目的か!
しかし、嫌味ったらしい声でも、表情でも、やはり絶世の美女。悔しいことに、可愛げがあります。
「ええ姉上! そうなのです。もっと早くこうすれば良かったです」
コーディアル様、やはり珍しくご機嫌です。その態度に、ローズ様は面食らったようで大きなおめめを益々大きくしました。
「姉上、これで相手に嫌な思いや心配をかけずに済みます。私も心苦しくなくて気が楽です。あら、姉上? 宿がお気に召しませんでした? 姉上の好みに仕上げたと自負しておりましたが何が不足でしたでしょう?」
いつもなら落ち着いた雰囲気でローズ様にそつなく対応するコーディアル様。しかし、本日は少々違うようです。これだと、まるで、姉妹ですね。親愛こもった優しい瞳でローズ様を見つめるコーディアル様。
「ふふ、しかし姉上。今日も羨ましい程お美しいです。私はここまであれこれ隠して、宝飾などで飾らないとなりませんが姉上には何も必要ありません。胸元の希少なタンザナイトでさえ霞んでいます」
おやまあ、と言うほどコーディアル様は機嫌が良いです。私、ビックリ。演技派ラスも驚いている様子。ローズ様も同様です。ローズ様が無言でコーディアル様ばかり話すというのは珍しいというか、初めて見ました。
そうだ! とあまり学がない頭で悪知恵を考えつきました。
「コーディアル様、ローズ様自体が宝石ですから当然です。大蛇の国が誇る至宝でございます。内外共に輝きを放つからこその強い光でございますね。姉妹仲良く並び、ローズ様が妹様を労わるので民も感涙し、ますます名声が高まることでしょう。このような姉君がいらっしゃるとは羨ましい限りです」
侍女が気安く話しかけるな、と言われると困るので私はコーディアル様に笑いかけました。コーディアル様へなら素直に満面の笑顔を向けられます。コーディアル様は大きく頷き、ローズ様をまた褒めました。
「私は残念よコーディアル。何の得にもならない妹しかいませんから。まあ、何とかにも衣装と言います。そのくらい視線を上げていなさい」
私は一瞬、耳を疑いました。ローズ様が、嫌味の後に、コーディアル様を本当に労いました! 私がローズ様を上手くおだてられたからでしょうか? いえ、きっと無邪気にローズ様に親しげに接するコーディアル様の姿が、ローズ様の琴線に触れたのでしょう。
「得になるように励みます姉上。ありがとうございます。それに向上する為の的確な指摘までありがとうございます」
ふふっと可憐に笑ったコーディアル様。言い方や声色一つで嫌味にもなるのに、素直に感動と感謝が伝わってきます。ローズ様が愛くるしい笑みを浮かべました。いつもの瞳の奥の嫌な光はありません。いつもこれなら、ローズ様は本当に至宝です。
——自己卑下が過ぎると相手に不快を与えますぞコーディアル様。
私は今までローズ様のことばかり悪く思っていましたが、コーディアル様にも直すべきところがあるということです。気にはしてましたが、病気のせいで仕方ない。コーディアル様は可哀想。私はそこで終わっていました。
「ローズ様。フィズ様とコーディアル様にわざわざご自身からご挨拶をという配慮、誠に有難き気遣いでございます。コーディアル様、見習わねばなりません。支度に手間取りローズ様に気を遣わせてしまったということです。ローズ様、フィズ様はまだ大会運営の指揮を執るために城を不在にしております。改めてこちらからご挨拶に伺いますので、宿まで送らせてください」
わりと淡々と発したアクイラ様。普段の陽気で朗らかなところは影を潜めています。それにしても、アクイラ様は急にどうしたのでしょう?
ローズ様、コーディアル様へ向かって恭しいという会釈をすると、アクイラ様は再度ローズ様と向き合いました。
「伝令を出してフィズ様にローズ様のご到着を知らせます。演劇場から直接、ローズ様の元へと向かうでしょう」
あらそう、とローズ様はすぐに撤収。これは、つまりどういう采配?
「フィズ様と宿で2人きりになれる。そういう餌よ」
さり気なく私に近寄ってきたラスが、私に耳打ちしました。成る程、こうやって操るのか。あと、ローズ様はおだてに弱いらしい。いつもチヤホヤされているのに、まだチヤホヤされたいとは不思議。
しかし、良いのでしょうか? 賢いコーディアル様ならアクイラ様の思惑に気がついて……ああ、気がついていらっしゃいます。
何とも悲しげで、切なそうなコーディアル様。
……フィズ様! フィズ様! やはりコーディアル様のお心はフィズ様に傾いていますよ! コーディアル様! そんな顔をしなくてもフィズ様はコーディアル様に気持ちが悪いくらい、つきまとって変態みたいに影からデレ……ゴホゴホッ! 言葉が過ぎました。そんな顔をしなくてもフィズ様はコーディアル様に夢中ですよ!
「コーディアル様、フィズ様に随伴しなければなりませんので失礼致します。バース様とアデル様には私から声を掛けておきますので宿前で合流しましょう。正式なご挨拶をせねば恥をかきます」
これはフィズ様とコーディアル様の2人が揃った状態でローズ様にご挨拶をしましょうという意味ですね。そんなことをすると、ローズ様の神経を逆撫でしませんか? サッと身を翻して衣装部屋から去っていったアクイラ様。ここまで強引なのは初めてです。コーディアル様は戸惑い気味。
何だかハラハラしそうな1日になりそうですね。私は、この後お休みなので誰かから何があったか教えてもらおうと思います。