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侍女ハンナと黒狼レージング

 間も無く、夏から秋になろうとしています。フィズ様がコーディアル様に婿入りして、もうすぐ1年です。特にお2人に進展はありません。フィズ様は勘違い甚しいようで、月日が流れるごとにコーディアル様に嫌われていると思い込んでいます。


 理由はこんな感じです。まず一つ目。


——帰れと言われる。だから嫌われている。


 コーディアル様はフィズ様に帰れなど一言も申しておりません。ご家族に会いたくないですか? 故郷は恋しくないですか? 疲れているようなのでお休みください。少し遠出をして息抜きなどどうですか? そういう優しさと労わりの言葉をフィズ様に贈っています。


 まあ、領地改革が済んだらフィズ様は帰国する。ボランティア終了後、フィズ様は祖国煌国の想い人と暮らす。そう思っているコーディアル様の気持ちが伝わっているのでしょう。この誤解が何故解けないのか? フィズ様はコーディアル様に振り向いてもらえない限り、自分達は夫婦ではないという主張を貫きたいらしいのです。


 面倒で、ややこしいのでそろそろコーディアル様にフィズ様のことを暴露しようという話が出ています。領主の命令に背くという、問題があります。クビにはなりたくないです。フィズ様、コーディアル様第一主義のコーディアル様命ですので、ちょっと不安があります。


 では、二つ目の理由です。


——目を合わせてくれない。だから嫌われている。


 コーディアル様はフィズ様をごくごく普通に見ています。目を合わせられないのはフィズ様です。何でも、フィズ様の目を通すとコーディアル様の瞳は宝石らしいです。


 3日目の理由はこんなんです。


——避けられている。全然会えない。


 フィズ様がコーディアル様に楽をさせようと、それはもううんと沢山働いているからです。しかし、フィズ様は隙間時間を見つけては毎日コーディアル様に会いにいっています。向かい合って話をしていないのは、恥ずかしいのと、照れと、嫌われていると思い込んだフィズ様が影からコソコソ眺めているだけだからです。よくあるボヤキは「あられもない寝巻き姿だから近寄れない」らしいです。コーディアル様の寝巻きに、あられもないものはございません。


 このボヤキ、かなり多いです。私はまだ目撃していませんがアクイラ様からルイ様、それがハルベル様から侍女へというように伝わってきています。もしくはオルゴ様から騎士達へ、その後侍女達へと伝わってきます。経路はうんと沢山あり、週に1回の頻度で聞きます。そのくらい、フィズ様は夜にコーディアル様を見つけ、近寄れず、壁に向かって自己反省や自己抑制をしているようです。このポンコツ領主……危ない。クビにはなりたくありません。


 そんなコーディアル様を大好きでならないフィズ様は、煌国から連れてきた黒い大きな狼のレージング様とよく喧嘩をしています。黒狼レージング様は、呼び捨てにするなど畏れ多い程賢く、そして恐ろしい雰囲気の獣です。黒狼レージング様を小馬鹿にした騎士が骨折しました。黒狼レージング様は騎士に襲いかかったのではなく、冷ややかな視線でおもむろに騎士の足の骨を折った、らしいです。詳しい情報は知りません。


 とにかく、レージング様は怖いです。なのに、コーディアル様とはとても仲良し。殆どコーディアル様に寄り添っています。元々はフィズ様のご友人——それも無二の親友——らしいのに、コーディアル様にベッタリ。そしてフィズ様はその黒狼レージング様と気軽に接し、喧嘩さえします。フィズ様とコーディアル様って、はたから見ると似た者夫婦です。


 黒狼レージングの話なんて知らない? 恐ろしいので見ない振りをしているのです。知らんぷり。空気だと思うことにしています。因みにこの黒狼レージング様は毎日コーディアル様と一緒の寝台で寝ているので、フィズ様は大変おかんむりです。


——毎晩、毎晩、コーディアルの寝顔を見ている。何て不埒な狼なんだ


 先週、壁に向かってそう文句を言っているのを聞きました。フィズ様、本人に対しては「コーディアル様」と呼んでいますが呼び捨てにしたいようです。正式に婚姻している旦那様なので呼べば良いのに。


 知らんぷりしていたのに、何故黒狼レージング様の話をするのか? 急にどうした? 今、私の目の前にいるのです。丁度、フィズ様と喧嘩をしています。中庭にハーブティー用のコモンセージを摘みに来たら、ベンチの前でフィズ様とレージング様が向かい合っていたのです。フィズ様は不機嫌そうな、珍しい子供っぽい表情。あれこれ考え事をしていたのは、フィズ様と黒狼レージング様の様子をぼんやり眺めていたからです。


「レージング。今日こそ注意する。コーディアルは私の伴侶なので、友の妻と寝室を同じにするのはどうかと思う」


 片膝ついて、黒狼レージング様と目を合わせているフィズ様。黒狼レージング様の前足がフィズ様の膝をトントントンと叩きました。次に黒狼レージング様は「フッ」と鼻息を吐いてから笑いました。そう、黒狼レージング様は表情豊かです。大抵、涼しい顔をしていますが瞳や口元の動きで、まるで人のように感情が伝わってきます。犬とはかなり違う、かなり人間臭い獣なのです。


「君が護衛をしてくれているのは分かっている。しかし、コーディアルは私の妻だ」


 ベシリ、と黒狼レージング様の尻尾がフィズ様の頭を叩きました。黒狼レージング様は軽く吠え、体を少し動かしました。そして、歩き出します。フィズ様が不思議そうについていきます。離れて覗き見していた私も、気になってついていきました。


 黒狼レージング様は噴水前で止まりました。噴水の周りに、色とりどりの花びらが散らばっています。綺麗。私は思わずそう呟きそうになりました。


「レージング! これは蜂の巣ではないか。コーディアルの為に蜂蜜でお菓子を作れ。そういうことか。君は誠の友だな。しかし、淑女の愛くるしい寝顔を見るのは許し難い。いや、コーディアルでなければ良い。侍女達の護衛をすると良い」


 何ですって! フィズ様、さり気なく酷いです!


 黒狼レージング様も呆れ顔をしています。軽く吠え、噴水周りの花びらをトントントンと足で示したのに、フィズ様はまるで見ていません。拾い上げた蜂の巣に夢中。確かに、蜂蜜は貴重ですが……フィズ様は人だけではなく黒狼レージング様の話——仕草——も聞かないようです。ウキウキしながら中庭から去っていきました。


「レージングには世話になりっぱなしだ。これでコーディアルは私に素敵な笑顔を見せてくれるだろう」


 スキップ混じりのフィズ様。私はあんぐりと口を開けて、無言でフィズ様の背中を見送りました。


 ふと見たら、私の目の前に黒狼レージング様がいました。ひいいいいいい! か、過剰に怯える必要なんてない。とても優しい紳士。そうコーディアル様に聞いているので、自分に怖くないと言い聞かせます。人の言葉を理解している、とても聡明な狼だとも聞いていますが、それでも……怖いです。大きな体躯。鋭い眼光。鋭い牙。鋭い爪。黒くて艶々の毛並みは……すこしモフモフしてみたい気がします。


 黒狼レージング様の黄金太陽のような瞳がジッと私を観察しています。ひいいいいい!


「り、り、理解していても恐ろしいのです。すみません」


 黒狼レージング様の黄金太陽のような瞳が、やはりジッと私を見つめています。私は少し落ち着いてきました。動かないので怖くなくなってきます。


 数秒後、黒狼レージング様は私にゆっくりと頭部を下げ、それから3歩下がりました。小さく一度だけ吠え、噴水に体を向け、また軽く吠える。それで、スタスタと遠ざかっていきました。


「コ、コーディアル様にこの美しい景色をということでしょうか?」


 私の質問に、振り返った黒狼レージング様は微笑むように口元を動かし、頭部を縦に揺らしました。トンッと跳ねて、あっという間に木の上。そのまま颯爽と中庭を囲む壁や屋根へ移動して、姿を消しました。速くて目が追いつきません。


 この日、コーディアル様と侍女達でささやかなお茶会をしました。もちろん、中庭の噴水のところでです。当然、という顔でコーディアル様の足元に座っていた黒狼レージング様。コーディアル様はちょこちょこ黒狼レージング様の頭部の毛をサワサワしていました。触り心地良さそうでしたが、私には手を伸ばす勇気はありません。


 お茶会のお菓子は、フィズ様が孤児院に差し入れるために作った——という建前が準備された——蜂蜜かぼちゃプリンでした。


 コーディアル様の好物が全部含まれたお菓子。


 一緒に食べれば良いのに、私達侍女がさり気なく誘導したのに、フィズ様は不在。


 何でも、意気揚々と蜂の巣狩りに出かけたそうです。


 蜂の大群に追われ、逃げて、迷子になったフィズ様。3日後に素知らぬ顔で帰宅しました。コーディアル様は全然知りません。侍女達はフィズ様の帰宅翌日に、侍女筆頭ターニャ様がケラケラ笑いながら話をしたので知りました。幸運にも、蜂には刺されなかったそうです。とりあえず安心。


 しかし、まあ、フィズ様。そろそろ、いい加減にして欲しいです。コーディアル様で無ければ、男——狼ですが——に寝顔を見せても良いとは酷い。この話、ちゃんと侍女達内の伝達事項に追加しました。


 侍女ハンナは今日も思います。早くくっつけ姫と皇子。

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