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侍女ハンナと侍女ラス

 春です。暖かな日差しに、柔らかな風。大好きな季節がやってきました。厳しい冬を越えることが出来てホッとしているコーディアル様。フィズ様とコーディアル様の素晴らしい領地運営により、今年はなんと餓死者も凍死者も出なかったそうです。フィズ様の評判はうなぎ登り。一方のコーディアル様。相変わらず、誤解されているかと思えば最近は少し風向きが違います。


 フィズ様のコーディアル様への熱愛、情熱。コーディアル様以外にはかなり浸透しているのです。まあ、少し見ていれば誰でも分かります。アクイラ様とオルゴ様から「楽をさせ、褒め称え、愛おしむように」とアドバイスされているのに「楽をさせる」で止まっているフィズ様。あちらこちらの壁や柱、樽や犬猫へコーディアル様への口説き文句を練習しています。だから、少し見ていれば誰でも分かる、なのです。


 さて、今日はお休み。侍女ラスと共に街に買い物に来ました。今日もラスは大変綺麗です。1つ年上のお姉さん。貴族へ養子縁組みしてもらえるような教養を、このラスから教わりました。そりゃあ優しくも厳しく、大変な日々でしたが、思い出も山のように出来ました。密かに、私はラスを自分の姉だと思っています。青みがかった金髪を可愛らしく編み込んだ今日の髪型、明日にでも真似する予定です。


「今日は良いクリームを見つけられて良かったわね、ハンナ」


「ええ、ラス。これで今夜のコーディアル様の浮腫み退治をパワーアップさせられるわ」


 喫茶店で紅茶を飲みながら、笑い合う私とラス。交易が徐々に盛んになってきたこの街には、他国から色々な品がやってきます。今日仕入れた、薬用のクリームもその1つです。仄かなラベンダーの香りがする、あまり不純物が入っていないというクリームです。今、コーディアル様の浮腫み退治に使っているクリームが無くなってきていたので、これは素晴らしい買い物をしました。


「それで、ハンナ。少し前だけど、身の丈に合った想い人って誰?」


 話の急な方向転換に、私は紅茶を噴き出しそうになりました。大きな目に興味津々という光。


「それはコーディアル様が、私がフィズ様を慕っていると大きな勘違いをしているから咄嗟に出た台詞。まあ、一瞬……」


 私は苦虫を噛み潰したように、言い澱みました。


「ルイ様、あのメルダルテェルニ伯爵令嬢様と本当にご結婚されるのかしら? まあ、するわよね。婚約破棄とかルイ様はしないもの。それに、何だかんだ本当の恋人みたいだしあの2人。とてもお似合いよ」


「その顔。ふーん。まあ、前より諦めがついて元気になっているなら良かった。他に気になる方が出来たとか?」


 ワクワクしたようなラスに向かって、私は首を横に振りました。


「まさか。代わり映えのしない従者の中で……」


 その時です。私の脳裏にフッと現れた方がいました。


 アクイラ様です。中庭で泣いたときの、とても優しい手つきや眼差しが急に蘇ったのです。それに、あの後から心配してくれているのかアクイラ様は私によく物をくれます。コーディアル様と一緒にどうぞ、という枕詞をつけて飴、お菓子、小さな髪飾りなどなど。部屋の引き出しに物が増えました。


「ふーん、あら真っ赤。私に隠し事をするとどうなると思う?」


 ニヤニヤ笑うラスに、鼻を摘まれました。ちょっと痛い。


「あのー、ラス。自惚れだったら恥ずかしくて穴に入って埋まりたいのだけど……」


 これはフィズ様譲りの自虐言葉です。穴があったら入りたい。むしろ穴を掘って入りたい。穴に入って埋まるしかない。フィズ様、落ち込むとブツブツこんな言葉を使うのです。何度か聞いたら、うつってしまいました。


 それに、と私は心の中で首を傾げました。アクイラ様からの視線は、どうも妹へ向けるようなものに感じられるのです。男と女の熱視線や欲情みたいなものは、母が働いていた娼館で学びました。なので、やはり自惚れだと思うのです。


「良かった。コーディアル様並みに鈍感な娘がいたら私の仕事が増えるもの。まあ、あれだけ明け透けなければ気がつくわよね」


 ラスの楽しそうな笑みに、私の全身が熱くなりました。名前を出していないけど、誰の話なのかは多分伝わっているでしょう。


「あれだけ明け透けな? そ、そんなに? 少し、何だか、そうかなあって思っただけで……」


 ごにょごにょ声が小さくなります。正直、困っています。私はアクイラ様のことを、こんな兄がいたら良いのにな、という気分なのです。


「へえ。コーディアル様の鈍感力の原因の1つはハンナね。さっきから、そこらの男が私達に声をかけようか、かけないか思案中なのも気がついてなかった? 店の外でま、ち、ぶ、せ」


 少し身を乗り出して、私に耳打ちしたラス。言われてみて、喫茶店の窓の向こうを見ると若い男性が少し多い気がしました。目が合った人に手を振られます。思わず手を振り返しました。何故かラスに耳たぶを引っ張られます。


「気の無い男に愛想を振りまくんじゃありません」


 小声の叱責なのに、ドスが効いていて怖い。生粋のお嬢様なのにラスは時々荒々しいです。厳しい教育の反動?


「は、はい」


 私は慌てて手を引っ込めて、膝の上に戻しました。ラスは身を乗り出すのを止めて、元通りの姿勢。優雅な手つきでティーカップを色っぽい唇に運んでいます。


「煌国とのパイプ。それに我等が領主様達は必ず地位向上させる。よってあの2人をキープしておこうと思ったのに。まあ、まだ1人残っているのでそちらを囲います」


 冷ややかな声のラスに、胸の奥がヒュッとなりました。


「私が冷めているから悲しくなった。ってところ?」


 何でもかんでも見透かしているような、ラスの視線に少し背筋が寒くなりました。たった1つ違いなのに、私とラスには大きな溝が横たわっているみたい。


「私、恋愛結婚に夢見てないもの。父や母のように、後から穏やかに歩み寄れれば十分幸せ。それって難しい事だと思うもの。例の側近様が実際どんな方なのかは、自分で情報収集をしなさい。それか本人に直球。私だと口を割らないの。遊び半分なのか、本気なのか、調べるのやめちゃった」


 可憐なウインクをすると、ラスはお皿に乗っているクッキーをつまみました。美味しい、とはにかみ笑いも色っぽい。アクイラ様の名前を出さないのは、周りに女性が多いからでしょう。フィズ様とアクイラ様とオルゴ様の3人のことは、何でもすぐ噂になります。ラスのように、取り入っておきたい者が沢山いて、それで親が娘にもそれとなく促すからです。


 そろそろ帰りましょう、とラスが伝票を手にして立ち上がりました。また、ご馳走になってしまうようです。この分、私は後輩侍女のエミリーに与えるようにしてます。それもラスの教えの1つです。


 店を出ると、サッと歩き出したラス。歩き方も品があって女性らしい。真似をして隣に並びます。


「ツンと澄ましておきなさい。面倒だから」


 また、小声で耳打ち。


「これはこれはツェリラント子爵令嬢ラスティニアン様」


「人違いのようです。(わたくし)、城勤めの侍女ラスと申します。鉄さびという名の令嬢なんていらっしゃるのかしら?」


 ふふふ、と肩を揺らしてラスは声をかけてきた男性に向かって少し首を傾げてみせました。凛とした美人が、甘ったるいあどけない美少女風。ラスはそのまま歩き出しました。


「ラ、ラス。良いの? あの方……」


「咄嗟にこう出てくる頭の回転の良い方となら話しますよ。鉄さび? そんな意味があるとは知りませんでした。昔から古風で奥ゆかしさを祈って付けられる名前ですから。なんて、聡い男が好みです。機転に使える古語くらい学んでないと」


 チラリと振り返ると、何とかかんとか子爵の長男——多分——はポーッとラスを見つめています。


 その時です。前からアクイラ様とオルゴ様が歩いてきました。今日は騎士の格好です。城下街の定期見回りでしょう。役職がもらえないからと、週に3日は騎士となりますと騎士団に入隊した——もとい強引に居座った——アクイラ様とオルゴ様。ひそひそ、ひそひそ、黄色い声が聞こえます。子供達が2人に駆け寄っていきました。全員、男の子です。今年も行われるこの領地の剣術大会にて、騎士団長ゼロース様にアクイラ様やオルゴ様は勝てるのか、勝てないのか。民はこの噂に夢中です。


 屈託無く、豪快に笑うアクイラ様とオルゴ様。1番幼い男の子を肩に担いだアクイラ様。オルゴ様は男の子2人と手を繋いでいます。


「やあハンナ、ラス。今日は休みなのか」


 アクイラ様に名前を呼ばれて、私は思わずラスの体に少し隠れました。さっきの今だと恥ずかしくてなりません。


 途端にラスがよろよろと、しゃがみました。


「ラス?」


「ラス?」


 アクイラ様とオルゴ様が駆け寄ってきます。私はラスを支えながら、顔色を確認しました。真っ青です。


「少し目眩が。急に暑くなったからかもしれません……」


 そう言うと、ラスはアクイラ様にもたれかかりました。お姫様抱っこでラスを運び出したアクイラ様。優しい甘い声でラスを労っています。ピピピピピンッと私の中の男女の関係知識が反応しました。はて、アクイラ様はラス? では、ラスが明け透けないという話をしたことこそ勘違い? ラスは勘が良いと思っていたのですが。


 ラスはアクイラ様の首に腕を回し、肩から少し顔を覗かせました。私に向かってウインク。ウインク? 何で?


「ハンナ。今日は……」


「オルゴ様、本日もお勤めご苦労様で……」


 向かい合って、目が合った時、オルゴ様は風邪でも引いたのか真っ赤でした。


「まあ、季節の変わり目ですから熱を出したようですオルゴ様。帰って休んだ方が良さそうです」


 子供達が口々にオルゴ様を心配しまし。私は任せて! と胸を張り、オルゴ様をさあ帰りましょうと促しました。通り過ぎる人の中に、買い出しにきていた料理人のランスを見つけたので、オルゴ様を託します。


 さて、私はコーディアル様の靴探し。ラスは何だかよく分からないけれどアクイラ様をロックオンだったみたい。つまり、喫茶店での会話は私への牽制だったみたいです。主語を言うというのは、大切なことですね。また一つ賢くなりました。フィズ様に教えて差し上げましょう。コーディアル様、と必ず先に言うように。言えるのでしょうか? フィズ様は大変照れ屋です。というか、コーディアル様への熱が高過ぎるようです。


 今夜、私はラスにアクイラ様に気がない、そんな気になれない話をするべきでしょう。コーディアル様と3人で談笑しながら、ラスをちょっと揶揄いたいです。


 侍女ハンナは今日はこう思います。早くくっつけ侍女と側近。

ここにも勘違い娘と奥手男がまた1組。



そしてこちらの2人


——オルゴ様に見本を見せるのは良いけど、初心なハンナを口説き落としてしまったら責任を取ってくださいね


——俺はそんな間抜けな事はしない。見本と嫉妬心を煽って背中を押すのはもう十分。もう、サッと手を引く。フィズ様だけで大変だから後は知らん


さて、侍女ハンナの恋物語の始まりはもう少し先です

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