侍女ハンナと宰相秘書ルイ
今日は良い天気です。ポカポカ、洗濯日和。本日、コーディアル様は城下街にて炊き出しと配給を行っています。今年は不作。新作の染物や煌国の焼物輸入などで何とかかき集めた資金で、他国から食料を仕入れたコーディアル様。もちろん、宰相やフィズ様のお力添えあってこそ。
早朝から料理人達とスープを仕込んでいたコーディアル様。足の浮腫みが悪化して、痛そうでした。そこは察しの良いフィズ様がコーディアル様の代理として張り切って城下街へ向かわれました。それなら、と空いた時間でコーディアル様はフィズ様や側近のアクイラ様とオルゴ様に手袋を編んでいます。畑仕事は寒いので手袋です。しかし、裏地が羊毛の革手袋を買う余裕がないです。コーディアル様、民が寒い、死ぬと騒ぐから毛布やらあれこれ買い込んで配りました。
城の財政難は、領地の民がコーディアル様におんぶに抱っこだから。他の国は、市民にこんなに手厚くしてません。井の中の蛙とはこのこと。大蛇の国中探して、領主が食事を減らしに減らして民にあげるなんて土地はないでしょう。それなのに、城で贅沢をして私腹を肥やしているなんて悪評が流れています。どこぞの毒蛇女が吹聴しているせい。ムカつく!
考えながら、洗濯物のシーツを広げていたら、イライラしてきました。頭や要領の悪い醜い化物領主のせいで生活苦。王にも見放されていて、生きていけない。そんな噂ばっかりする市民。嫌なら領地から出て行け。出戻りは許さん。実際、すごすご帰ってくる者は多いです。それで、コーディアル様への尊敬が増せば良いのですが、半々というところ。そう、宰相秘書ルイ様が言っていました。
民が減れば、コーディアル様は楽を出来る。贅沢も出来る。しないでしょうけど。して欲しい。
「何をそんなにイライラしているんだい? ハンナ」
ちょうど考え事に出てきた、宰相秘書ルイ様が爽やかな笑みを浮かべて私に近寄ってきました。私も笑顔を返します。
「また、ローズ様の事を考えていたのだろう。どれ、フィズ様が私の仕事をどんどん奪って手が空いている。コーディアル様と話をしてくると良い」
私の手から、濡れた白いシーツをそっと奪ったルイ様。
「と、いうよりコーディアル様に説教されるんですね私」
「洗濯係の職権濫用は良くないからね」
バレている。ローズ様の肌着であんなこと、そんなことをした事がコーディアル様にバレています。ルイ様が来たということは、目撃者はルイ様なのでしょう。私は恥ずかしくて下を向きました。
「でも……」
「まあ、私もコーディアル様はもう少しご自分を大切に……今の立場では無理ですしね。ナーナ様亡き今、後ろ盾ゼロ」
笑顔のまま大きなため息を吐くと、ルイ様はシーツを広げました。
「フィズ様は、コーディアル様の手製の何かしらを食べたいらしいです」
含み笑いのルイ様。私の勘がピピピピピンッと反応します。
「コーディアル様に素直に怒られ、それから誘導してまいります!」
騎士の真似をして、胸を握った拳で軽く叩く。ルイ様が白い歯をキラリと光らせて、微笑みました。ちょっぴり胸が痛みます。ルイ様はもうすぐ、何とかかんとかテェルニ伯爵令嬢とめでたく御婚約。隣国の国王宰相の愛娘。つまり、コーディアル様の後ろ盾になりそうな家。幸いなことに、気立ての良い方らしいです。わざわざこの田舎領地へ越してきてくれるという噂。
「私も皇子に生まれたかった。ああ、今のは内緒だぞハンナ」
幼い頃からこの城で育ったルイ様とは、付き合いが長いです。妹みたいに扱ってくれています。ルイ様が私の髪をぐしゃぐしゃと撫で回しました。こういうのも、もうすぐ終わり。
「私だってお姫様に生まれたかったです。ローズ様の地位です。コーディアル様を溺愛するのに」
私は思いっきり笑ってみせました。
「溺愛と言えば、昨日フィズ様が料理長にこう言っていた。かぼちゃを節約し、なるべくコーディアル様へ使うように」
私はパチパチと瞬きを繰り返しました。かぼちゃ?
「私も知らなんだ。この城に来て半年以下のポンコ……フィズ様はコーディアル様のことをもう誰よりも知っているかもしれん」
ルイ様の顔に、悔しいと描いてあります。
「あの見目なので、他の誰にも見つからないと怠慢だった。横から掻っ攫われた。全く、何なんだ。いきなりポッと現れて……」
ムスッと俯くと、ルイ様は次のシーツを手に取りました。こんな表情、初めて見た。
「アクイラ様から聞いたのですが、フィズ様はとにかく、先に妻にしておかないと奪われてしまうと煌国皇帝からドメキア王に圧力をかけたそうです。コーディアル様と会った、晩餐会のその日に」
大きく目を見開いたルイ様。大口開けて固まっています。
「どうりで話がまとまるのが早かった。結婚式も急だった。それなのに影からコソコソ眺めている。領地運営には張り切り、自己向上にも勤しむ。なのに、コーディアル様から離れて、訳が分からん皇子だな」
あははははは! と大笑いするとルイ様はもう一度私の頭を撫でました。今度は優しくです。それから、目配せしました。愚痴は終わり。今のは秘密。そして、早く行ってくれ。そういう意味。ここまで以心伝心なので、余計に胸が痛くなった気がします。
「はて、1人で洗濯をしていたのに笑い声。疲れているようだから、少し休まないと」
私はルイ様に背中を向けて駆け出しました。ルイ様が無事に結婚して、私も何とかかんとか伯爵とかと結婚に持ち込んで、そうしたらもっと明け透けに語れる日が来るかもしれません。結ばれた人に真心尽くして、胸の痛みが消えたらもっと楽しくフィズ様とコーディアル様を眺められるに違いありません。まあ、今も愉快でならないですけど。完敗なので、嫉妬のしの字がほぼ出てこないのです。ルイ様と私は失恋同盟。ルイ様は知らないでしょうけど。
屋上から城内へ、それから廊下を進んで、コーディアル様がいそうな場所を推測します。談話室で編み物は終わりみたいで、姿がありませんでした。
コーディアル様は次に何をするでしょう? 休んだりしない方です。他国のフィズ様が励むのに、座っているなんて罰当たり。コーディアル様はそう思う筈です。他国のフィズ様ではなく、貴女の旦那様ですよー。
——コーディアル様、フィズ様を何だと思われているのですか?
つい最近、侍女のラスがコーディアル様へそう質問しました。さすが、切り込み隊長。
——何だと? 天からの遣いなのかと思っています。しかし、フィズ様の姉上様方と文のやり取りが出来ているのでフィズ様は確かに人のようです。
コーディアル様はそう言いました。尊敬と、多分あの瞳の奥にキラキラ輝いて見えたのは恋心ではないかと感じています。女の勘です。ラスとも意見が一致しています。
——婚姻は形式上だけのもの。誰もが知っていますよ
コーディアル様は、まるで自分に言い聞かせるようにそう口にしました。切なそうな、悲しそうな表情には何とも複雑な気分になりました。コーディアル様、完全に無自覚そうですが、多分フィズ様に惹かれています。フィズ様の名前を口にするとき、ほんの少し声が上擦っています。それに、たまに鏡の前でしょんぼりしている姿も見ます。以前はそんなことありませんでした。
「ようハンナ! 何をそんな辛気臭い顔をしているんだ?」
考え事をしながら、コーディアル様探しをしていたらオルゴ様に声を掛けられました。ちょうど、談話室を覗いた時です。談話室には誰も居ませんでした。
「コーディアル様の病気が治らないかと……」
他の台詞を考えていたのに、本音が溢れ落ちました。色々なことを考えていたせいです。急に涙がポタポタ床の絨毯にシミを作りました。我慢しようと目に力を入れても、止まりません。
コーディアル様の病気が良くなり、コーディアル様がもう少し自信を持てば、フィズ様がポンコツ勘違い皇子でも、2人は本当の意味で夫婦になります。そうしたら、煌国の権力がきっとコーディアル様を守ってくれます。田舎侍女には政治話は難しいので、良く分かりませんが、きっとそうです。
そうしたら、ルイ様はコーディアル様の為に何とか長ったらしい名前の伯爵令嬢と婚約破棄……しません。婚約までしたのだから誠実なルイ様は婚約破棄しません。コーディアル様の事も、思うところがあっても諦めたようです。
なら私は、この伝えられなかった想いにどうケリをつけたら良いのでしょう? コーディアル様は私の気持ちを察してくれていました。何も言っていないのに、晩餐会でルイ様と踊るように采配してくれたり、ルイ様と私の縁談はどうかとそれとなく話をしたり。
でもルイ様はコーディアル様を大切にしていたので、全部無視していました。いえ、踊ってはくれました。コーディアル様は鈍ちん。この何年かの、ルイ様の熱視線にまるで気がつきませんでした。フィズ様のことといい「自分なんかが」と男性に好かれるとは思っていないのです。容姿と境遇のせいとはいえ、それにしても鈍感。恩人のコーディアル様を悪く思いたくないのに、今日は少々感傷的です。
「中庭に行くといいハンナ。泣くのは薬。煌国ではそう言う。何か仕事や用事はあったか?」
大丈夫です、と言う前にオルゴ様は私に向かって首を横に振りました。少し、険しい表情です。
「俺がサボりたくなった時に代わって欲しいので、大丈夫は却下だハンナ」
ニッと笑うと、オルゴ様はもう一度「用事や仕事は?」と私に聞きました。
「コーディアル様の手伝いです」
「よし任された! では中庭へ行くといい。天気が良いし、人も居ない」
親指を立てた拳を私に突き出すと、オルゴ様は颯爽と去っていきました。とても気遣い出来る方で、大変有り難い事です。
中庭には誰も居ませんでした。ベンチでシクシク泣いて、声を出して泣いたら、少しスッキリしました。泣くのは煌国では薬。まさにその通りで、何だか涙と共に色々なグチャグチャが流れていってくれた気がします。
「ああ、すまない。先客が居たのか」
足元に人影が現れました。一緒にアクイラ様の声。顔を上げると、心配そうな顔をしたアクイラ様が立っていました。
「あ、はい。いいえ。もう仕事に戻るところです」
立とうとしたら、アクイラ様は私の隣に腰掛けました。ハンカチを差し出されたので、素直に受け取ります。
「目の充血が消えてからの方が良いぞ」
そう言って、アクイラ様は私の肩を抱いて軽く叩きました。男性が苦手なのでゾワゾワします。しかし、子供をあやすような手つきなので、優しさです。なので払ったりしてはいけません。私はさり気なくアクイラ様から離れました。
「何かして欲しい事はあるか? 食べたいものでも、見たいものでも、何でも用立てよう」
私の顔を覗き込み、アクイラ様は優しい微笑みを浮かべました。この表情、街で見かけた事があります。子供達と一緒にいる時です。正確な年齢は聞いてないので分かりませんが、恐らく5つ以上の差がありそうなのでアクイラ様から見たら私も子供の分類なのでしょう。
「いいえ、アクイラ様。煌国では涙は薬、らしいですね。少々叱責されて落ち込んでいましたが、そもそも自業自得です。反省して励みます!」
母親から放置教育——飢え死にしかけた——や、スラム街でやはり飢え死にしかけた事を思い浮かべると、今は何て幸せな日々でしょう。ちょっと泣いただけで、オルゴ様は仕事を代わってくれてアクイラ様も慰めてくれました。コーディアル様に見つかったら、うんと心配されます。ターニャ様にラスもそう。そのことに思い至ったら、ムクムクと元気が出てきました。
「アクイラ様! サボりたくなったり泣きたくなったら、このハンナに言ってくださいませ。仕事を代わり、時間を作ります。オルゴ様とも約束しました」
よし、元気一杯!
私はアクイラ様に向かって親指を立てた拳を突き出しました。オルゴ様の真似です。元気が出たら、自然と笑えました。アクイラ様に会釈をして中庭から城へと戻ります。
こんな風に、急に落ち込んだりするので今日も侍女ハンナは思います。早くくっつけ姫と皇子。