侍女ハンナと王子様
見上げる空に舞う紅の雪。キラキラと星のように輝いています。大通りの方へ体を乗り出して、助けを求めれば良いのですが、地面より空が近いので私はぼんやりと奇跡の夜空を眺めていました。
「寒い……」
夕陽が大地へと沈み、どのくらいの時間が経過したのでしょうか。そんなには経っていないと思います。冷えた風に私は身震いしました。
私は夢を見たのでしょうか? 巨大な蛇に蛇神様による王の戴冠式。そんなことが、現実に起こるなんて……。
——信仰を伝えなさい。それが貴女への罰にして救いです
私、ローズ様への仕返しを怒られたみたいです。神様ってやはり人の行いを見ているのですね。
——代わりにうんと星姫を愛でた
コーディアル様は可愛い姫で星姫。これにはとても納得です。それなら星の王子様はフィズ様。コーディアル様はフィズ様を天からの遣いとまで称したことがありますが、その通りなのかもしれません。運命的で神にまで認められる素敵な夫婦。
ドサリ、という大きな音がして、私は身を縮めました。今度は何? 蛇神エリニース様かシュナ様が戻ってきたのでしょうか?
「っ痛……。何だあの暴漢……ここは……」
体を起こした人物に、私は目を丸めました。
「オルゴ様!」
領地を出て行った時と同じ煌服姿。私は思わずオルゴ様に抱きつきました。
「ハンナ⁈」
私は見聞きしたことを話そうと口を開きました。私の姿を確認しながら、オルゴ様は私の背中に腕を回します。
「きゃあ!」
「うわっ!」
空から突如バサバサと葉っぱが落ちてきました。オルゴ様が一気に落下してきた葉を腕で払ってくれます。オルゴ様の肩に乗った葉を手に取るとまた紅葉。
——可愛い唇で秘密を漏らすと、空から何かが落ちてくるからな
紅葉姫といい、何故紅葉なのでしょう。紅葉草子? それともすぐ肌が赤くなるから? 話してはいけない事を口にすると、紅葉が落ちてくるということでしょうか?
「どっから落ちてきた? それに紅葉なんてこの地域には……。それに俺もどうやってここに……。ハンナ、何があった?」
「私も気がついたらここにいました。世の中は奇々怪々ですオルゴ様……。フィズ様とコーディアル様の元に蛇神様らしき方が現れたのです。見てください、この美麗な景色……」
——戴冠式の話と、罰の話は広めなさい
私は言われた通り、蛇神エリニース様やシュナ様と会って言われた事以外をオルゴ様に説明しました。
「何だその創作物みたいな話は……。しかし、君がそんな嘘をつく必要なんてないし、他の者にも聞けば分かるか。蛇神か……」
私とオルゴ様は肩を並べて、赤く光り輝く空を見つめました。
「行いは良くも悪くも巡り巡って返ってくる。私、なるべく清く正しく生きていこうと思います」
「そうか。俺にはもうそう生きているように見えるけどな。まあ、ローズ様へのイタズラは違うか。それに、次々と男を泣かせている」
私と向かい合って、私の腰に手を回したオルゴ様。表情が愉快そうです。
「イタズラではなく悪因悪果です。しかし、止めます。おほほほほほ、と褒めそやして上手くあしらってあげます。あの、次々と男を泣かせている? それは身に覚えが……」
ゆっくりとオルゴ様の顔が近寄ってきて、唇に唇が触れました。
優しくて甘いキス。と思ったら、待ってください! また多いです! それにまた長いです! ちょっとお待ちください! ここは外! 人目は無いですが破廉恥!
私はオルゴ様の胸を押し戻しました。非力な私に鍛えているオルゴ様なので、無理矢理離れるなんて本来なら不可能。でも、オルゴ様はそっと離れてくれました。
「いいや、ハンナ。挨拶回りなのに、方々からネチネチと嫌味を言われた。出自を抜いても君を嫁にしたい本家の次男、ハフルパフ家に並ぶ公爵家の3男なんて特にな」
「そんなの知りません! ま、まあ良いでは無いですか……私はオルゴ様と……ですし……」
中々情熱的だったキスに、近い顔に、優しい微笑み。恥ずかしくてオルゴ様の顔が見れません。
「さて、そんなに恥ずかしいという態度は明るいところで愛でたい。続きは後にしよう。暴漢に襲われて気絶したらここ。突然いなくなって、フリッツ様やバース様が心配しているだろう」
なんか、こう、オルゴ様って私をずっと口説けなかったという割には明け透けなくて余裕たっぷり。釈然としないというか、私だけ照れまくりってちょっと腹立たしいです。
私から離れるとオルゴ様は建物周りや下を観察し出しました。
「降りれそうだ。ハンナおいで」
白い歯を見せて笑ったオルゴ様に手招きされて、私は黙ってゆっくりとオルゴ様に近寄りました。
「ハンナ?」
「なんで……そんなに……普通なんですか……」
「ぶわっはははは! なんて愛くるしい表情をしているんだハンナ。普通? 一刻も早く2人きりになってこちらを見てもらいたいと焦っている。1ヶ月少々も離れて、さぞ悪い虫がつきまとっていただろうからな。涼しい顔に態度かと思ったが、今の様子なら少し安心だ」
オルゴ様が私を抱き上げました。子供を抱っこするようにです。涼しい顔に態度? 私、オルゴ様が現れてからずっとドキドキして喜びでいっぱいです。男を袖にしてとか、あしらっては、私の感情と態度の連結不足のせい? でも、私は思っていることが割と顔に出ます。他人から見た自分と、自分が知っている自分の違いとは難しいですね。
でも、誰しもがそうなのも知っています。コーディアル様、フィズ様、ラスにアクイラ様。オルゴ様もそう。皆、知らない一面を持っています。
「落とすつもりはないし、落下したら庇う。しがみついていてくれ」
囁かれて、私はオルゴ様の首に腕を回しました。オルゴ様、壁の凹凸に合わせて建物を降りていきます。力持ちなのも鍛えているのも知っていますが、こんなことも楽々と出来るなんて逞しいです。
路地を抜けて、大通りに出ます。空を見上げる人々で溢れています。祈るように手を握っている者、家族や夫婦、恋人や子供と寄り添っている人が多いです。
「人生の大ピンチに颯爽と現れるのは王子様なんですよオルゴ様。どこからどう見てもそうは見えないですし、そもそも好みでもないですけど」
ちょっと仕返しという気持ちを込めて、私はオルゴ様の顔を覗き込みました。でも、手は繋ぎます。
「何だと! それなら……というよりあんなにつれなかったのに……俺は女性自体がよく分からないが君の事は余計に分からんな」
オルゴ様は私の手を引いて街の砦門の方へと歩き出しました。繋いでいない手で、髪を撫でつけています。これは、照れの仕草だったはず。
「私、底抜けの鈍感娘みたいなので自分でも分かりません。父がオルゴ様との縁談を考えていると聞いた時、それはもう乗り気でした。他の方の名を聞いた時は嫌だったのに。オルゴ様は逆です。うんと沢山オルゴ様の良いところが出てきました。なので、日頃の行いというもので以前から惹かれていたんだと……」
私はギュッとオルゴ様の手を握り締めました。こんなの、恥ずかしいのですがまた誤解は困ります! あんなに胸が痛くなるのは嫌です。
「そ、そうか……」
「遠回しではなくて、ハッキリ誘われていたらもっと早く意識していたと思います」
「かなり鈍いみたいだからな。そうかと思って、今はなるべく頑張っている。だから、まあ、余裕があるのではない」
人目が気になってきました。オルゴ様は目立ちます。そう思っていたら私達を見つけた騎士達が集まってきました。突然いなくなった私を心配を掛けたベルマーレさんを見つけて、私は平謝りしました。分からないうちに建物の屋上にいて、オルゴ様に助けて貰った話をします。
「くそっ、俺が先に見つけていたら……」
悔しそうなベルマーレさん。えっと、先に見つけられても……というよりオルゴ様を襲った暴漢は黒い法衣を着ていたそうなので、蛇神エリニース様の采配。つまり、オルゴ様と私って蛇神エリニース様公認。それに気がついて私の全身が熱くなりました。
「何だベルマーレ、脈ありみたいだぞ」
ベルマーレさんの肩に腕を回したのはガビさん。
「脈、脈あり? わ、私はオルゴ様のお嫁さんになりますので……。そんなことは全く……」
他の方は断固拒否します! とは流石にこの場では言えません。しかしそもそも、ベルマーレさん。貴方はラスに気があるんですよね?
騎士達から大ブーイングを受けました。私、そんなに注目されている侍女だとは知りませんでした。
「何なんだ。いきなりポッと現れて横から攫うとは! 裏切り者! 俺達には不可侵協定があったのに! 卑怯者!」
「そうだそうだ! 何、見せつけてくれてるんだ!」
「抜け駆けしやがって! にやけてるんじゃねえーよこの鬼上官!」
なんか、オルゴ様への文句大会が始まりました。オルゴ様は別ににやけていません。
私、マルクにオルゴ様から引き離されました。オルゴ様は「喧しい!」と叫びながら騎士達とじゃれあっています。騎士達は私へあまり本気ではなさそう。オルゴ様を揶揄いたいだけのように見えます。なので、私はマルクと歩き出しました。
「フリッツ様とバース様にオルゴ様とハンナは無事でいちゃついていたと伝令を頼むぞパーズ。ハンナさん、急に居なくなったと聞いてエミリーが心配してました。城へ帰りましょう」
マルクがパーズ君の肩をポンと叩きました。パーズ君はぼんやり。この子は騎士としてやっていけるのでしょうか? 皆、面倒見が良いのできっと大丈夫。
「そうなの? なら、早く帰らないと。夜中前まで休んでラスと交代しに病院へ戻る予定なの」
「あー、それならアクイラ様が苛々しているからアクイラ様に頼むと良いです。あの人、天の邪鬼な癖して底知れないヤキモチ妬きで面倒。なんか、もう、最近は夫婦や恋人という存在自体を敵視してますよ」
ケラケラ笑うマルク。私も吹き出しました。
城に戻るとアクイラ様は確かに不機嫌そうでした。談話室でフィズ様とコーディアル様がソファに並んで座り仲が良さそうに寄り添っています。というより、甘えるようなコーディアル様がフィズ様の肩にもたれかかり、フィズ様は固まっています。無表情。
「フィズ様、コーディアルは旦那様と2人で素敵な夜空を見たいです」
おおおおおお! コーディアル様! 勇気を出して素晴らしい攻撃をしました! もっとやれ!
「旦那様? 今、私を旦那様と呼んでくれたか?」
驚愕という様子のフィズ様。いや、このやり取り、何回か見ています。
「夢か。素晴らしい夢だな。蛇神のような方が現れ冠を与えてくれたというのが、そもそも夢だ。夢なら何をしても許される。なら行こう私の夢のコーディアル」
鼻歌交じりで、フィズ様がコーディアル様をエスコートし始めました。腕が動かないけれど、肩や目の仕草が優しくコーディアル様を導きます。それを見ていたアクイラ様は呆れ顔の後に、苛立ったような顔になりました。
侍女ハンナは思います。姫と皇子はさすがにくっつけ。今夜こそ、この奇跡のような夜にこそ結ばれなさい。あと、七面倒臭い侍女と側近も早くくっつけ。私とオルゴ様の甘い時間を奪う冷やかし騎士達を連れていって下さい! 私よりラスが人気者なので、2人はさぞ冷やかし対象になるでしょう。私とオルゴ様よりもあしらい上手そうなので、問題なし!
☆★
——奇跡の雨が降る
その夜、蛇神エリニース様の予言通り大雨が降りました。私はアクイラ様を連れてラスと、病人看護を交代しました。アクイラ様はラスが疲れ切って大人しいからかラスを優しく扱い、憎まれ口も叩かず、紳士的に城へと連れて帰りました。
非番の騎士達にしこたま飲まされたオルゴ様。ちゃっかり、お義父様やバース様やルイ様も参加したらしいです。次の日の早朝、頭が痛いと青白い顔をしながら、病院にいる私を迎えに来てくれました。
城まで馬に乗せてもらいました。まだまだ緊張する、距離が近い2人乗り。今日は白馬です。オルゴ様は私の王子様ですが実に似合いません。オルゴ様にはそんな意図はないでしょう。私、内心くすくす笑っていました。
城のホールに入った時、階段の上から美女が降りてきました。
秋の豊穣を象徴するような、黄金に輝く直毛。雪のように白く、陶器のように滑らかな肌。熟れた果実のように瑞々しい唇。大きな目で、睫毛は長く、夏の空のような色の瞳。手足は長く、スラリとしているのに胸は豊か。甘ったるい顔の、極上の美人です。どことなくシュナ様に似ていますが、目の形や唇の大きさが少し違います。質素な青い花柄の白いワンピース姿。
後ろから慌てた様子のフィズ様が現れました。寝間着姿で顔は真っ赤。
「コーディアル! そのようなあられもない姿で歩かないでくれ!」
コーディアル様!!? なんとまあ、見目麗しい……! それにフィズ様! 腕が元通りで動いています!
「いいえ、フィズ様! もう苦労や迷惑をかけないと皆に見せたいのです! フィズ様の腕の治癒も知らせねばなりません!」
私の名を呼んだのは、コーディアル様の声です。満面の笑顔は、大輪の薔薇の花よりも咲き誇っています。空色の温かい眼差しが、彼女がコーディアル様だと伝えてきます。私が慕い、大好きで仕方がない尊敬するお姫様その人です。
侍女ハンナは驚愕しました。コーディアル様、病気が治りました。そして、誰よりも光り輝く美しい女神のような姿。
私はコーディアル様に駆け寄って抱きつきました。奇跡の雨とはこのことだったようです!
フィズ様の使う香料の匂いが私の鼻を擽りました。つまり、そういうこと。それに首にチラリとそういう跡も見えましたよ。
侍女ハンナは今日も思います。早くくっつけ姫と皇子。これからは結ばれなさいという意味ではなくて、仲睦まじく幸せに寄り添ってイチャイチャして下さいという意味。私はおとぎ話みたいなお姫様と皇子様をニヤニヤしながら揶揄い、2人を見本にしながら自分もちゃっかり幸せになります。
☆★
この日を境に、謎の流行り病の患者は軒並み快方に向かい、やがてそんな病気は無かったというような平穏が訪れました。
それから1ヶ月後、私はオルゴ様と結婚式を挙げました。とにかく先に夫にしないと、素敵な王子様を奪われてしまうからです。見た目は全く王子様ではなくて、どちらかというと無骨な騎士。役人なのに週の半分は騎士仕事に勤しんでいますしね。
——男性が怖いので、少しずつでお願いしますという我儘も受け入れてくれそう
私の考えは正解で、オルゴ様は私から男性への恐怖が無くなるくらい、時間と日数をかけてくれました。それで、それはもう最高に甘い甘い初めての夜を終えました。ね、素敵な王子様だと思いませんか?




