侍女ハンナと毒蛇姫ローズ
正午過ぎに、歩く宝石とまで呼ばれるローズ様が襲来しました。ローズ様は、私の主であるコーディアル様の姉君です。なぜ歩く宝石なのかというと、まず瞳です。エメラルドをはめ込んだような素敵な色と輝きを放っています。まあ、その輝きはよくみると刺々しくて、嫌な光ですが大抵の方は気がつきません。ふわふわの艶やかな巻き髪に、長い睫毛に大き目。雪のような肌は滑らかで、スラリとしながらも豊満さと色気を放つ体つき。目、鼻、眉、唇、額の広さなど、完璧とまで言えるほど整っています。
「ローズ姉上、本日は遠路遥々ようこそいらっしゃいました。お疲れでしょう。ささやかながら、食事の用意をしてあります」
ローズ様を城のホールで出迎えられたコーディアル様。質素な白いワンピースドレス姿。かつて、この地で行われていた染物を試し、青い花柄にしたものです。コーディアル様はこの染物を交易の品にしようと計画しています。
ローズ様は仏頂面で、手に持つ扇をコーディアル様に押し付けました。私はコーディアル様の隣を陣取り、コーディアル様からさり気なくローズ様の扇を受け取りました。早速、コーディアル様を小間使い扱いのローズ様。いつものことですが、腹立たしい。
「相変わらずの顔ねコーディアル。まあ、このような城にお似合いです」
「領地運営に四苦八苦しておりまして。ローズ姉上がいらっしゃるだけで、まるで大輪の花を生けたよう。姉上、いつも気にかけていただいてありがとうございます」
フンッと鼻を鳴らして、ツンと澄ました表情になったローズ様。社交場での愛想笑いなんて、微塵も見当たりません。しかし、毎度ながら会話が少々噛み合っておりません。コーディアル様は、心から歓迎しているというような笑顔。会話の噛み合わなさは、笑顔が本心ではない、という意味かもしれません。慇懃無礼と言いますからね。
「あらコーディアル。虫がついてますよ」
バチンッ! ホールに嫌な音が響きました。この性悪女! と叫びたいのを我慢して私は拳を握ってニコリと笑います。本当にムカつく女。突然、頬を叩かれたコーディアル様は少し放心気味です。その後、悲しそうに微笑みました。何も言いません。
ローズ様の侍女達がクスクス笑います。毎度ながら、ザッと10人の侍女を侍らしているローズ様。美人ばかりですが、微妙にローズ様より劣る方しかいません。そういう選出なのでしょう。
「肌が鈍いので気がつきませんでした。ありがとうございます姉上」
「今更デコボコしても変わらないでしょうけど、年頃ですから気になりますものね。コーディアル、あの花瓶はどこで?」
早く帰れ。私は心の中でブツブツ念じました。でも、いつも効果ありません。今日もでしょう。ローズ様は今回、何泊して帰るのでしょうか? 最短1泊。長いと3泊。本国からこの領土までやって来てダラダラして、帰国の際に他の領地や国で物見遊山と買い物を楽しむ。ローズ様は2〜3ヶ月に1回くらいの頻度で、そういうお出掛けをします。
「あちらはフィズ様が贈ってくださったものです。煌国の焼き物でございまして、名を……」
「まあ! フィズ様が。ミネラ、いつものようにお願いね」
コーディアル様の説明を遮って、ローズ様は嬉しそうな顔。多分、ローズ様の脳内はこうです。
——あちらはフィズ様がローズ様に贈ってくださったものです
ローズ様の世界の中心はローズ様なのです。まあ、多分でございます。ああ、せっかくフィズ様がコーディアル様へ贈って、飾る花まで摘みに行っている花瓶が……。あれよあれよとローズ様のものに。
「姉上様。いらしていたのですね」
ホールに、不意にフィズ様の声が響きました。よく通る声。階段の上から、フィズ様が降りてきます。この時間に、城内にいるということは上の階にある私室で読書をしていたのでしょう。アクイラ様に聞いたところによると、フィズ様が読む書は医学書か法律書らしいです。しかし、フィズ様は腕に黄色いスイセンを抱えています。
「フィズ様。ええ、会いに来ましたの」
ニッコリと、それはそれは美しい笑みを浮かべたローズ様。まさに天使の微笑み。背が高い美男子のフィズ様と並ぶと、悔しいことにとても絵になります。
「今回はわざわざコーディアル様に会いにいらっしゃったのですね。そうですか。でしたら、こちらをどうぞ」
ひらり、とローズ様の「フィズ様に会いに来ました」という台詞をかわしたフィズ様。ローズ様に興味なさげな態度です。よしよし、もっとやれ。しかし、フィズ様。私の心の中での応援虚しく、ローズ様に対して花を差し出しました。黄色いスイセン。腕に数十本のスイセンを抱いているフィズ様は、そのうち1本だけをローズ様に渡しました。
ローズ様は、フィズ様の優しい微笑みに対してはにかみ笑い。
「まあ、ありがとうございます。尊敬していますとは恐縮です」
機嫌良さそうに会釈をして、花を持っていない手をフィズ様に伸ばしたローズ様。手の甲にキスする、ご挨拶の要求です。スイセンの花言葉は尊敬。ローズ様にも教養はございます。
「コーディアル様の姉上様ですから。残りは飾りますので、すみません。殺風景ですので……ん? 花瓶はどうした?」
フィズ様、バッサリ。コーディアル様の姉だから「尊敬」する。そしてローズ様の「挨拶おねだり」をさり気なく、無視しました。天然なのか、わざとなのか、私にはイマイチ判断出来ません。いつのまにか、コーディアル様の隣——私の反対側——に立っていたアクイラ様にチラリと目線を送ってみます。肩を少し揺らして苦笑いなので、どうやら天然の方みたいです。
フィズ様はホールをぐるりと見渡して、それから私を見ました。何故、私なのか? フィズ様は照れてコーディアル様の目を見れないのです。よく、壁に向かってブツブツと「あの吸い込まれそうな瞳を見る練習をせねば」と申しております。知らないのは、コーディアル様だけです。
「フィズ様、姉上はあの花瓶を大変褒めてくださいまして本国でお披露目して、煌国の焼物の購入希望者がいないか探してくださるそうです」
何も言えない私を庇うように、コーディアル様が一歩前に出てフィズ様に笑いかけました。ピピピピピン! 私の中で、妙案が浮かびました。
「この美しい扇を逆に煌国へどうかとも、そう提案されました。ローズ様はとても聡明でございます」
関心した様子のフィズ様。私はすかさず、コーディアル様の背中越しにアクイラ様に手を伸ばしました。さり気なく扇を渡します。
「ドメキア王様は、このような才色兼備の娘を持って大変鼻高々でしょう。羨ましい限りでございます。それにしてもこのような品を買われるとは、お目が高い」
アクイラ様はしげしげと扇を眺めました。次々とローズ様の侍女が、ローズ様を称賛します。ローズ様、得意顔です。こういう単細胞——コホン、純粋なところは結構可愛いです。アクイラ様の言葉の真意は、当然のようにローズ様に伝わりません。
アクイラ様の台詞訳:このような才色兼備の娘コーディアル様を持って大変鼻高々でしょう
ローズ様を見た後に、コーディアル様を長く眺めているので注意して観察していればこの本音は丸分かり。でも、ローズ様や侍女達にそんな洞察力は無し。バーカ、バーカ、有名店の新作っぽい扇も貰ったやっ——……おほほほほほ。またもや口が滑るところでした。
「そうですか姉上。コーディアル様とあれこれ外交話をされたのですね。では叔父上や姉上に少々、言付けをしておきます」
フィズ様はチラリとコーディアル様を見て、視線を泳がせ、伸ばしかけた腕を引っ込めました。コーディアル様はそれを見ていません。コーディアル様はローズ様を褒め、ローズ様に笑顔を向けています。
「視察へ行かねばなりません。コーディアル様、ローズ姉上様、失礼致します」
フィズ様が私にスイセンを押し付けました。コーディアル様に渡す気満々だったのに、恥ずかしくて無理だったようです。多分、そうです。後で私の所に来るでしょう。あたふたしながら「あのスイセンはコーディアル様へ」などと口にするでしょう。なので、先回りしなければ。そうすると、フィズ様は私達侍女にまた花を持ってきます。もちろん、コーディアル様へ渡してくれると期待してです。フィズ様から、と言葉を添えてくれることも期待します。素直に頼んできます。フィズ様、コーディアル様に対してでなければ落ち着いて、ハキハキお話しされます。
期待に応える私達は、城中を花で飾り立てます。常にフィズ様がコーディアル様へ用意したと語ります! あとは、フィズ様を見つけた時に一番近くにあった花瓶から花を抜いて「さあ、コーディアル様へ」と促します。
先月、飴で同じ作戦を決行しました。残念なのは、飴をコーディアル様に渡せたフィズ様はそれだけで満足してしまったこと。
——私がコーディアル様の為に選んで買ってきたものを、喜んで食べてくれた。
スキップして、鼻歌交じりで、城の柱に激突したフィズ様を料理人のタダンが見かけたらしいです。一方、コーディアル様は「昔、母上がこっそりおやつをくれた時みたいね」なんて楽しそうでした。飴だとロマンチックの欠片もなし。しかし、花なら少し違うでしょう。きっと違いますよね?
コーディアル様の髪に花を飾り、艶々の蜂蜜色の髪を褒め、告白して欲しいです。フィズ様が壁に向かって「甘い香りの艶やかな髪だなコーディアル」と愛を囁く練習をしているのを、この間見かけました。侍女エミリーも見たらしいです。
フィズ様はアクイラ様を残して、1人城外へと去っていきました。
「コーディアル様。少々、相談がございます。ローズ様。失礼致します。おくつろぎくださいませ」
「せっかくの花が萎れかけておりますので、私も失礼致します」
逃げるが勝ち。アクイラ様がコーディアル様を安全な所へ避難させてくれるようです。フィズ様はローズ様のコーディアル様への態度にきちんと気がついています。アクイラ様に目配せしていました。コーディアル様に合わせてローズ様を褒め、ご機嫌を取りつつも、今みたいにちゃんと救援してくれます。ご自分で、ではないのはローズ様が猫撫で声を発する理由を察しているから。と、アクイラ様がつい先日言っていました。フィズ様、鈍感ではないようです。
私と何人かの侍女、そしてアクイラ様とオルゴ様は「コーディアル様近衛兵」仲間。先月、発足致しました。近衛兵長はアクイラ様かオルゴ様で意見が割れています。
私はスイセンを抱え、そそくさとホールを後にしました。
そのままコーディアル様の寝室へと向かいます。スイセンをソファ脇の机に置いてある花瓶に生けます。少し残して、コーディアル様の寝室から廊下へ出ます。まずは、フィズ様がコーディアル様にお休みなさいを言いたくて、ウロウロする場所にでも残りのスイセンを飾りましょう。
この日の夜、フィズ様は私の思惑通り、スイセンが生けられた花瓶のある廊下をウロウロしたそうです。いつもの如く、歩きながら本を読んで、待ち伏せでしょうね。目撃者はオルゴ様です。
残念なことに、コーディアル様はローズ様に呼びつけられて肩を揉まされていました。これには、私と侍女のラスも参加していました。私の手はコーディアル様の浮腫み退治用なのに、何で毒蛇女なんかの……口が滑りました。べ、別に蛇とか毒とか言ってません。
まことに残念なことに、オルゴ様が「小1時間廊下をウロウロして途中で諦めてスゴスゴ就寝したフィズ様」を目撃したらしいです。まだ、いたのか。笑える。と思ったらしいです。
世の中理不尽で、憎まれっ子がはばかるので、代わりに毒蛇姫様の肌着で掃除をしておきました。洗濯物を託されるって、素敵ですね。洗濯前に一旦あんなところや、そんなところ。それに害虫駆除やら何やらまでした肌着。知らぬが仏。まあ、私には、こんな卑怯で陰湿な事しか出来ません。
コーディアル様は、ローズ様を内心どう思っているのでしょう。悪口1つ言いません。その一言が領地の破滅を招くかもしれない。それを理解しているからです。私のようなコーディアル様第一主義の娘にも、何も言いません。むしろローズ様を庇うような発言ばかり。
ローズ様が帰国される際に、コーディアル様は手土産に「寝巻きのワンピース」を渡しました。鮮やかな青い花柄の、質素ながらも肌触りの良い綺麗なワンピースです。領主なので、フィズ様の手から渡されました。
さてこの寝巻き。ローズ様は着るでしょうか? きっと着ます。それで、自慢するかもしれません。贈り主が贈り主ですからね。この領地の染物、噂になるでしょう。ローズ様を真似したい娘達が欲しがるでしょう。この領地にお金が落ちます。
コーディアル様はこのように狡い手を使います。やられっぱなしではないのです。フィズ様からご自分への矢印には気がつかなくても、ローズ様からフィズ様への矢印には思い至っているコーディアル様。上手くいけと思っているのか、利用するだけしてやれ、と思っているのかは誰も聞かないので分かりません。先日、フィズ様には煌国に本物の妃がいる。なんて話をしていたので、後者でしょう。アクイラ様が「フィズ様には想い人がいる」と本当の事を名を伏せて告げたら、捩くれました。私をはじめとした侍女連合は、この件に関して激怒中です。
コーディアル様は容姿や境遇のせいで、自分が異性に好かれる発想が無いのです。ですのでアクイラ様の「想い人はコーディアル様です。分かりますよね?」作戦は、逆効果。単にコーディアル様はフィズ様を異性として見ていないことが露呈しただけ。コーディアル様の中の辞書には「自分の恋愛」が存在しないようなのです。薄々、そうだと感じていた私達。アクイラ様にはそれが分かっていなかったのです。
フィズ様は照れ屋を克服しないと、ちっともコーディアル様の心に触れられないでしょう。口説きに口説かないと、好意は伝わりません。前途多難。
毒蛇女襲来は疲れてなりません。腹が立つことばかり言われ、こき使われます。フィズ様が「遠慮しながらコソコソとコーディアル様を守る」ではなく、しかと守護する日が来ることを祈るばかり。コーディアル様に何年も振り向いてもらえなかったら、祖国に帰ることも検討しているらしいフィズ様。帰らないで煌国の権力を振りかざして、ローズ様を黙らせて欲しいです。
フィズ様を怒らせたら、大蛇の国と煌国の薄氷の上に立つ休戦は終わり。そんなこと頭の片隅にもない、脳みそ空っぽローズ様よりも対外関係を踏まえてきちんと自制しているフィズ様。フィズ様の立場はローズ様よりも上なのです。つまり、コーディアル様もフィズ様の庇護下ならローズ様と肩を並べられます。コーディアル様は、そういう脅迫めいたこと、嫌いでしょうけど。私としてはいつかザマアミロ! と心の中で大絶叫したいです。性悪? 別に良いです。誰しも、心の中は自由です!
フィズ様、コーディアル様に恋を教えて差し上げて欲しいです。壁に愛を囁いてないで、本人に言えポンコツ皇——……危ない。アクイラ様やオルゴ様の言葉がうつる所でした。
侍女ハンナは今日も思います。早くくっつけ姫と皇子。