侍女ハンナと侍女ラス 3
乙女の緊急会議です! 私はもっと早くラスに詰め寄るべきでした。せめて、酒場でそうするべきでした。
「に、苦っ! ちょっとハンナ、何を食べさせたのよ」
「薬よ! 話すと言っていたのに、何も話さないからよ。それから、危ない真似をしたそうだから軽率を治す薬です」
私は腰に手を当てて、ラスに説教をしました。つい先程、オルゴ様に言われたことの復唱。なので、スラスラ、スラスラと口から出てきます。ちょっと八つ当たりの気持ちも入っています。
気の強いラスは言い返すと思っていましたが、しゅんと萎れて絨毯の上に正座。正座? 大きな瞳に目一杯涙を溜めて、子供みたいな拗ね顔です。それにカタカタ震えています。私はラスの前にしゃがみました。
「わ、わた、私……ついて行ったのではないわ……」
ボロボロ泣きながら、ラスは何があったのか話しました。オルゴ様と違って、夕方からは仕事が無い予定のアクイラ様が、こっそり酒場に来ると思っていたそうです。自分のことを気にして。そう仕向けたらしいです。そんな事をしていたなんて知りませんでした。それで、あの灰色法衣の男性が、アクイラ様だと思って近寄ったら別人。確かに体格が似ていました。いきなり攫われて、怖くてたまらなかったそうです。
「こわ……怖かった……。あ、あんなに……騎士もいるし……店主にも根回ししてたから……知らない男に連れて行かれるなんて……」
私は大泣きするラスをなるべく優しく抱き締めました。確かに、蛇神様の遣いがラスを連れ去ったのはいきなりでした。
「おと、大人しくついてこないと……」
なんと、ラスはナイフで脅されていたそうです。腕を組んでいたのではなく、腕を組まされていた。私はラスの背中をさすりました。
——サファイヤもかわゆいので背中を押してやろうと思ってな。ちょっと遊んだら、迎えのナイトに返却する。
蛇神様の遣いはそう言っていました。なのに、ナイフで脅迫されて襲われかけたとはどういうことでしょう?
「おと、男は私が思っているより……怖いから気をつけなさい……って……。ル、ルビーを少し見習って……捻くれを治せとも……」
裏路地で壁に押し付けられたけれど、殆ど何もされなかったそうです。ラスの首に赤い跡がついています。あと、綺麗にまとめていた髪も乱れています。多少、何かされたようです。
蛇神様の遣い、ラスの背中を押すとは軽いお説教だったようです。混乱しているようなラス。確かに、見ず知らずの男に連れ攫われ、襲われるような真似をされて、結局何もされずに叱られるなんて、訳が分かりません。私は答えを知っているので、うんうんとラスの話を聞いていました。
「あの人……最初は怖かったけど……あまりにも優しい目だったの……」
恐怖が通り過ぎて、叱られて、穏やかに見つめ合っていた時にアクイラ様が登場。アクイラ様、蛇神様の遣いだなんて知らないので、殴りかかったそうです。殴られた相手が撤退して、ラスはアクイラ様と無言で城に帰ってきて、談話室で激怒された。と、いう流れだったと。
蛇神様の遣い、迎えのナイトに返却すると言っていましたが、わざわざアクイラ様に殴られるなんて……神様の遣いだから痛くないのでしょうか?
「ラス……何もなくて良かったわね。次から気をつけましょう。あと、捻くれを治せと言われたのに……どうして談話室であんな態度……」
泣き止みかけていたラスが、またポロポロ泣き始めました。
「みっともないじゃない! 人違いをして攫われて、襲われましたなんて……。それに私が正直な話をして、信じる? あの人……指名手配にされてしまうわ……。私が知り合いに似ていて、今後危ないと思ったって……」
私はラスから離れました。
「ラス、たまたま親切な方で良かったわね」
色々な話は省略して、あの人は以前コーディアル様に助けられた人だという話をしました。それから、私も似たようにお説教されたとも。嘘は苦手ですが、上手く話せていそうです。私はずっと持っていた、首飾りをラスに渡しました。
「これ、以前コーディアル様が失くしたと……」
「どうにか生きていけるようになりました。ありがとうございますって返しに来てくれたのよ。私達、しばらく見られていたみたい」
これで、辻褄は合うのでしょうか? 私はオルゴ様に叱られ損ですが、あんなに熱心に叱ってくれて宝物みたいに抱き締められたので良しとします。それに、キスもしてもらいました。
両手の上にある首飾りを見つめ続けているラス。私はラスの腕を引っ張って立たせました。
「これは、ラスがもらった。そういう本当の事を話しましょう。恩を返しに来た人が、女誑しの欲情魔だなんて誤解は解いておきましようね」
「ハンナ……。ありがとう……」
いつもは逆で、私がラスにポンポンとあやされるのですが今日は私がラスの背中を撫でます。お姉さんになった気分。
「ラス、貴女も紅葉草子読んでいたのね。興味無いって言っていたのに。反省して正座って、私と同じね」
こくん、とラスが頷きました。
「私、あんな風にひたすら男を待つなんて人生は嫌……あっちに妻、こっちに妻……」
「今の煌国は皇族以外は一夫一妻だそうよ」
きょとん、とラスが目を丸めました。
「ねえ、もう恋人なの? それとも片思いなの? 私、なーんにも聞いてないのだけど」
瞬間、ラスがボンッと爆発したみたいに真っ赤になりました。私の口元が緩みます。ニヤニヤ笑いが出てきました。
「ち、ち、ちが、違うわよ! わ、わ、私を気にしているみたいだから、ちょっと夢を見させてあげているの!」
捻くれを治しなさいとは、これのことでしょう。私はラスを軽く睨みました。
「わ、分かって、分かっているわよ。可愛げがないって……。好まれないわよ……。あの人……岩山みたい……」
溢れ出した涙を、手の甲で拭うラス。それにしても、本当に美しい動作。赤い泣き顔で、切なそうな表情は、女の私から見ても可愛いです。
——別の妙なのに捕まった
アクイラ様はそんな事を言っていました。でも、ラスの様子だと片思いみたいです。それでアクイラ様も片思い? ちょっと前のオルゴ様と私ですね。
——興味の無い女なら少し痛い目を見させてから助けるところだ
興味がある女だから必死に探して、相手に殴りかかったアクイラ様。ラスが痛い目をみないように直ぐにということでしょう。心配からの激怒は、オルゴ様そっくりのものでした。
先程の様子だと、アクイラ様ってラスの捻くれ姿を愛でて楽しんでいるのでしょう。これは、ラスだけではなくアクイラ様も悪いかもしれません。
——俺の気を引きたいなら愛くるしく擦り寄って来い
アクイラ様、ラスと似た者同士? お酒を飲んで酔っ払いながら素直な私を羨ましいというような口振りだったラス。アクイラ様があんな態度でなければ、ラスももう少し素直になれるのではないでしょうか。困った2人ですね。私が言うな、とラスに言い返されそうですけど……。
「さっきの話は私からアクイラ様に説明するから、ぷるぷる唇を固く結んで捻くれ言葉が飛び出ないように我慢してなさい」
私は以前の仕返しとばかりに、ラスの頬を摘んでむにむにしました。強めに。
「ひはいはんは……」
訳:痛いハンナ、ですね。
「悪因善果よ! この娘は男慣れしているようで、実はしていなかったな! 夢を見てないって言って紅葉草子を好むとは、本当は恋に憧れているな! この捻くれ娘め! 怖かったって胸に飛び込むくらいしなさい!」
あんまり揶揄うと、あとが怖いです。社交場での踊り方や、所作などの指摘で、ネチネチチクチク言われるでしょう。私はラスの手を引いて、部屋の外へ出ました。
迷いましたが、時間が経つとおかしくなってしまうでしょう。まだ居ない気がしますが、一階下にあるアクイラ様の部屋に寄ります。やはり不在でした。一応、オルゴ様の部屋にも行きました。居ません。多分、まだ談話室かな? とラスの手を引いて一階まで降ります。
まだいました。罰が悪そうなアクイラ様としかめっ面で腕を組んでいるオルゴ様が向かい合って立っていました。背が高くて体格の良い2人が並ぶと、やはり中々の威圧感。2人とも、私達にすぐ気がついてこちらに体を向けました。
「あの……ラスは……」
私が説明をする前に、ラスがアクイラ様の胸に飛び込んでいきました。突然だったので、アクイラ様は大きく目を見開いて、ラスを見下ろしています。
私は慌てて話をしました。みるみる、アクイラ様の顔色が悪くなっていきます。オルゴ様もです。怖かった時を思い出したのか、ラスは震えています。脅された後の親切と、コーディアル様への恩返しらしい話、それに首飾りの返却について語ります。アクイラ様とオルゴ様は複雑そうな、困惑の表情をみせました。
ラスはアクイラ様にくっついたままです。まだ震えています。ラスが手に持つ首飾りを無言でオルゴ様へと差し出しました。
オルゴ様が首飾りを受け取ると、バッとアクイラ様から離れたラス。
「興味の無い女だから、あれこれ触られるまで放置したのね! 貴方みたいな薄情者、大嫌いよ!」
激怒という顔で、叫んで走り出したラス。ええええええ……ラス……。その解釈は逆です。それにアクイラ様にくっついて泣いた後にこれって……。
大嫌いと言われたアクイラ様、倒れそうなくらい青白いです。いえ、褐色に日焼けした肌なので青黒いという表現の方がしっくりきます。
「き、きら、嫌い……大嫌い……。俺は心臓を刺されたような気持ちで即座に助け……。大蛇の国の女はどうなっている! 妙なのばかりで面倒だ! 大体この俺が1人を選ぶなど、可愛い娘達の夢と希望が……っ痛! おいオルゴ! 本気で殴るなこの馬鹿力!」
オルゴ様に背中をバシリ! と叩かれたアクイラ様。オルゴ様と睨み合っています。
「だから、そういう態度を止めろと前々から注意している。単に怖くて素直になれないだけの癖に。あーあ、どこに行くのやら。あんなの男が放って……おおベルマーレ。良い男には良いタイミングが訪れるようだな」
談話室から見えるホールのところで、ラスに騎士のベルマーレさんが駆け寄っていました。
「ラスティニアン嬢! 無事で良かった! 不埒な男に攫われかけたと……ああ……そんなに恐ろしかったのですね……」
アクイラ様が走り出しました。それも脱兎の如くです。
「そうだベルマーレ! ラスを助けた者がいる。探し出して礼をせねばならん。オルゴ、指揮を頼む」
触るなというように、ラスとベルマーレさんの間に入ったアクイラ様。ラスがおずおずとベルマーレさんに寄り添いました。アクイラ様が、オルゴ様に縋るような目をします。
「お前が行けアクイラ。俺は1日中働いて疲れている。何処かの誰かがどうしても仕事を代わってくれと頼んだからだ。ハンナ、ラスはまだ混乱している。ベルマーレ、来い。どうにも眠くて怠いので、2人の護衛をしてやれ。ではアクイラ、指揮官として頼むぞ」
オルゴ様と目が合いました。
合点承知!
先程のアクイラ様の台詞は格好悪くて自分勝手でした。オルゴ様はアクイラ様の仕事を肩代わりしていたようです。私の大切な友人かつ姉代わりのラスを振り回し、そしてオルゴ様と私の時間も奪うとはアクイラ様の味方はしません! 以前、私とオルゴ様の架け橋になってくれましたが、その分はオルゴ様がアクイラ様を助けるでしょう。オルゴ様、以前から注意しているようですし。なのでラスも悪いですが、私はラスの味方をします。
私はラスに駆け寄って、談話室に連れ戻しました。ベルマーレさんに「お願いします」と会釈もします。ベルマーレさんがラスを労わるように寄り添いました。アクイラ様、嫉妬なのかわなわなと震えています。私はプイッと顔を背けました。ラスを労うベルマーレさんを褒めちぎっておきます。
侍女ハンナは今日も思います。はやくくっつけ侍女と側近。騎士でも良いです。私はラスを尊敬していて大好きなので、真心ある相手なら誰でも良いです。今後、ラスの捻くれ屋なところを治す力添えをしようと思います。
紅茶を淹れる際に、そそそっと井戸に行って蛇神様の遣いから渡された金平糖もどきを放り投げておきました。
見上げた夜空に、星明かりが一筋。私は流星にコーディアル様とラスの幸せと、蛇神様への感謝を祈りました。なんと、驚いたことに、また紅葉の葉がひらひらと落下してきました。私は帆立貝のように、固く口を閉じて、蛇神様の話を秘密にしようと思います。




