侍女ハンナと騎士達
もう、かなり日が高くなってきました。ターニャ様に頼んで、私は城下街への買い出しに行けることになりました。そんな仕事ないのに、ターニャ様はニヤニヤ顔で仕事を与えてくれました。私の口調がしどろもどろだから何か察したのでしょう。隠せていると思っていたルイ様への片思いが城中に広まっていたように、オルゴ様への気持ちも筒抜けなのかもしれません。
今日の曜日、このお昼前の時間だとオルゴ様は騎士達と城下街の見回りをしています。
さささっと買い物をして、騎士達と城へ戻る。その際にオルゴ様に接近して、どうにか話をします。善は急げ。鉄は熱いうちに打て。時間と日にちが過ぎると、きっと気まずくなってしまいます。
街は、昨年に比べて随分と賑やかになりました。フィズ様とコーディアル様が、交易を盛んにさせようと努力して、実ってきているからです。
騎士達は目立つのですぐ見つかりました。3人一組で城下街を巡回する騎士達。オルゴ様はもっと目立つので、見つけるのは簡単でした。馬に乗って大通りの中央を進んでいます。騎士隊長のゼロース様の副官、司令塔相当なのでゼロース様と並んでいます。副隊長のラーハルト様の反対側。下位の騎士が巡回で、ゼロース様達上官は守護騎士ここにありというように行進。月に1回実施される、市民へのアピールと犯罪行為に走りそうな者への威嚇行為です。
今日はその日。すっぽりと頭から抜けていました。
最近の騎士達は、領地への人の出入りが増えた分、人数が増えています。フィズ様と煌国に取り入りたいと、以前は少なかった貴族の息子も次々と入隊希望を出しているそうです。その数は、こちらが選べるくらい。
選び抜かれた将来有望な男性達に、貧困層出身なのに彼等の真横に並ぶ男達。どちらも乙女の憧れの的です。そもそも、何もなくても若い娘に騎士は人気。今も、私と同年代の女性達は、ヒソヒソときゃあきゃあ言っています。私はつい、オルゴ様に熱っぽい目線の女性達を睨んでしまいました。これは、いけません。深呼吸をして気持ちを落ち着けます。
フィズ様とゼロース様が統括する騎士により治安が向上しているので、若い娘以外にも騎士団は大人気。こんなに人がいては、オルゴ様に近寄れません。
この後、オルゴ様達は領地周囲の巡回にも行きます。帰ってくるのは2時間後くらい。お腹を減らしている彼等に提供する食事を用意する手伝いが必要。ターニャ様は許してくれましたが、帰らないと。
私はとぼとぼと歩き出しました。人混みを一生懸命、すり抜けます。しかし、歩き辛い。裏路地経由で帰ろうと思います。女性1人で歩きたくないですが、真昼間ですし今日は安心安全な日。少し歩けば騎士に会うでしょう。顔見知りばかりなので、城まで送ってもらえる筈。
案の定、若手騎士マルクの姿を見つけました。隣には彼の教育係のビアー様。あともう1人は誰でしたっけ? 新人さんで、まだ名前が覚えられていません。ひょろっとして背が高い、マルクくらいの年齢の男の子。
気心知れている騎士に会えるとは幸運。
「ビアー様」
1人、名前が分からないのでマルクの名を呼ぶのは止めました。少し大きめの声を出して、手は胸元前で小さく振ります。ブンブン、大手を振っては淑女にはなれません。3人が振り返りました。
「ハンナ、こんな裏路地に1人とは……まあ、今日はこの通りだからな」
一瞬私を咎めたビアー様が、上を指さしました。窓から顔を出して、ビアー様達に手を振る市民。マルクが軽く市民に会釈。ぬぼーっとしている新米騎士を小突いて、挨拶を真似させています。3歳の時、雪の日に城前に捨てられいたマルク。城で育てられた皆の弟マルクも大きくなったものです。どこからどう見ても、もう立派な騎士。入隊して1年、もう子供っぽさは大分減りました。
ビアー様が私に近寄ってきます。
「買い物か。仕入れの不備か? どれ、俺が持とう。マルク、パーズ、俺はハンナを城まで送る。しばし2人で巡回出来るな?」
「いえ、出来ません。私がハンナさんを送ります」
マルクが駆け寄ってきて、私から買い物カゴをサッと奪いました。
「おい、マルク。こういう時はどうするのか分かるな?」
「上官を呼んでくる、ですビアー先輩。パーズ! 副隊長補佐官をお呼びしろ。酒がルビーと戯れて仕事をサボると伝えてくれ」
へ? 酒とはビアー様でルビーとは私? 戯れて仕事をサボる? それにしてもマルク、先輩になんて口の利き方ですか。ここは姉代わりとして叱らないといけません。
「あっはははは! 小生意気な! 正解は鬼上官達が恐ろしいので、自分とパーズで城までの護衛をします。信頼して任せて下さい、だ。まあ、その案も良いぞマルク」
豪快に笑うと、ビアー様は私と向き合いました。肩を竦めて、呆れ顔。
「君の護衛達は過保護だな」
「違います。ビアー先輩だと足りないだけです。家族の共通認識です」
この流れ、前にも見た気がします。その時は、マルクへの教育なんだと思って、ぼんやりと微笑ましい気持ちで眺めていました。仕事やコーディアル様の事を考えながら。目の前の会話だけに集中すると、ビアー様が私を口説いていたという話も聞いていますし、違う意味が見えてきました。
ボッと私の体が熱くなります。ビアー様は私を好んでいて近寄りたい。でも、誰かに邪魔をされている。弟みたいなマルク。家族の共通認識とは、お義父様? お義父様とお義母様はマルクをとても可愛がっています。それから、多分ルイ様? ラスがそのようなことを口にしていました。
「へ? ハンナ?」
「ハンナさん?」
私はぶんぶんと首を横に振りました。両手を頬に当てます。熱いので、絶対に顔が赤いです。ビアー様のことなんて、ちっとも、何にも気にしたことありません。これだけ明け透けない雰囲気なのに、私自身は気がつきもしていなかったとは、恥ずかしいのと情けないのと申し訳ないです。
「ぶわっはははは! やはり気がつきもしてなかったのか。邪魔者ばかりな上につれないけれど、そもそも何にも考えていないなら希望はあるとも思っていた。よし、ハンナ。やはり城まで俺が送ろう。今夜は……痛っ!」
「エミリーにも粉をかけ、パン屋のミーナにも擦り寄るビアー先輩には触らせるか! もういいかって言っていたじゃないですか! おいパーズ! 早く副隊長補佐官を呼びに行け!」
私に手を伸ばしたビアー様の耳を引っ張ったマルク。ですから、先輩にそのような対応はいけませんよ。でも、私の為みたいなので叱ってはいけません。ビアー様はそんなに私のことを気に入っていたのではないようで、少しホッとしました。私、底抜けの鈍感阿呆娘という訳ではないみたいです。誰も知らないだろうラスやコーディアル様、そんな他人の色恋にはそこそこ気がついています。
マルク、副隊長補佐官を呼ぶという発言を止めてください。副隊長補佐官は、正式な役職ではないですがオルゴ様の事です。なので、副隊長補佐官と聞くたびにチラチラとオルゴ様の顔が思い浮かんで、心臓が煩くなります。まあ、マルクは知らないので仕方ありませんが……。
「痛てててて! 分かってるって! おいパーズ、ボサッとしてないで副隊長補佐官を呼んでこい! 上手い理由付けをするんだぞ」
ビアー様にわりと強めに怒鳴られた新人騎士パーズが、青ざめた顔で返事をして大通りの方向へ駆け出しました。
「それで、ハンナ。俺には散々つれなくて、取りつく島も無かったのに随分な豹変ぶりだな? あちこちで男が泣いているぞ。なあ? マルク」
ゲラゲラ笑いのビアー様がマルクの肩に腕を回しました。
「先輩達には高嶺の花って言ってたじゃないですか。ビアー先輩とかあり得ない」
ビアー様が「この野郎!」とマルクを小突きました。なんか、じゃれ合っています。隠れルビーの次は高嶺の花。驚きしかありません。高嶺の花は騎士達からラスへの評価でしたが、私もひっついていたみたいです。なんとまあ、ターニャ様や亡くなられたナーナ様にお義母様の教育の賜物です。
「いや、チャンスは平等にあった」
「ハンナさんのここ最近の熱烈なアピール振りには、正直辟易しています。影からコソコソ、フィズ様2号」
フィズ様2号⁈ わ、私は邪な気持ちで騎士宿舎の掃除をしていた……のかもしれません。もう、自分のことが分かりません。
クスクス笑いのマルクが、私に向かって呆れ顔を向けました。ビアー様、まだ笑っています。目の光がアクイラ様と同じです。親が子供を見る目。
「で、無自覚悪女は昨夜の美しき夜に我らの副隊長補佐官に何をしたんだ? 酔っ払ってクダを巻いて、結構面倒だったぞ」
また「ぶわっははは」と笑い出したビアー様。
「副隊長補佐官は口が固くて教えてくれない癖に、八つ当たりだけはしてきて大変……うわっ!」
叫んだマルクが目を丸めて、少し顔の角度を上げました。なんでしょう? 私は振り返りました。
黒くて光沢のある馬に乗る、騎士甲冑姿のオルゴ様の姿。あまり広くない裏路地を、ゆったりとした速度で進んできます。
オルゴ様、怒っています。怖い顔。ビアー様とマルクを睨みつけています。
「げっ! パーズの奴、何て言いやがった! あの野郎、絶対に呼び方を間違えやがった!」
「うわっ! 誤解で鬼上官にどやされたくないんで、ハンナさん駆け寄って下さい! 逃げましょうビアー先輩!」
一目散というように走り出したビアー様とマルク。
「貴様等! よりにもよって大巡回の日に何をしている! 特にビアー! 出世早々にあるまじき行為! なっておらん!」
こ、こ、怖い! 私はあんな恐ろしい姿のオルゴ様は知りません。大熊も驚いて逃げ出すのではないでしょうか! オルゴ様はどんな誤解をしているのでしょう?
「違います! 多分、伝達不備です! 職務を全うしていました! なあ、市民よ!」
走りながら剣を引き抜き、窓から顔を出す民に問いかけたビアー様。そうだ、そうだと大合唱。かと思えば冷やかし。ビアー様への賛同と軽い罵倒が入り混じります。
くるりと体を半回転させて、マルクが戻ってきました。
「危険な裏路地に淑女が迷子でした! 粛々と巡回を続けますので頼みます!」
駆け寄ってきたマルクがいきなり私を抱き上げ、ポイッと投げました。かなり近くまできていたオルゴ様に向かって。
「き、きゃあ!」
いつの間にマルクはこんなに力持ちになったのでしょう! という程に私はわりと高く投げられました。
「おいマルク!」
馬から少し身を乗り出したオルゴ様の腕が、私のお腹に回されました。オルゴ様に掬い上げられます。私は地面に落下しないで済みました。おまけに私、オルゴ様の前に座っています。
「いくら俺が受け止めると思っても、こんな危険な真似。怪我でもしたらどうするつもりだマルクの奴め」
見上げたオルゴ様の顔は憤慨という様子です。道を曲がって姿を消したビアー様とマルク。オルゴ様が大きなため息を吐きました。それから「性根から叩き直してやる」と低い声で呟きました。やっぱり、怖いです。でも、私を受け止めた腕は正反対くらい優しかった。チグハグな人。
裏路地は急に大喝采。どうしてでしょう?
「あー、ハンナ。もう大丈夫だからその手は離せ」
指摘されて、私はオルゴ様の胸に両手を添えて身を寄せていることに気がつきました。
凄い人目。困っているようなオルゴ様。私を見ないで遠くを見ています。
どうしましょう?
「いえ、このままでいます。は、はな、話が、話があります。い、い、色々気がつきまして……とても大事な話です。よ、良い話です。ふ、2人にとって……」
馬の上なので私は逃げれません。オルゴ様も逃げられません。これは好機。
少しして、オルゴ様が私の背中に腕を回しました。
「余程怖い目に合ったのか。城まで送ろう」
わざとらしい、少し大きな声。私はオルゴ様が言ったように見えるようにと体を縮めました。でも、民にバレていそうです。冷やかしの声が聞こえてきます。
馬が歩きだして、速度を徐々に上げます。連動するように、私の心臓の音も煩くなっていきました。




