侍女ハンナと侍女ラス 2
仕事をサボって、ラスの部屋にて正座をしています。正座というのは、足を曲げて脛が下になる座り方です。膝を揃えて畳んだ状態。煌国の座り方であるこの正座、これはオルゴ様に教わりました。紅葉草子に出てきて、謎だったからです。私はいつもオルゴ様に煌国のことを聞いていて、正座のことも質問に行きました。オルゴ様は実演して見せてくれました。いつも、本当に優しい方です。
サボりと言っても、侍女筆頭のターニャ様は許可を出してくれました。ラスが頼んでくれたそうです。多分、仕事にならないからです。あと、普段の行いが良いからです。私達は普段、とても真面目に働いています。
ラスはソファにしなだれかかっています。絵画になりそうな格好。私はそのソファの前の絨毯の上で正座中。正座は色々な場面で使うそうですが、紅葉草子にの中で主人公の想い人が反省をする場面があったので、自然とこうやって座っていました。ラスは、今の私の座り方に別段何も言いません。
「そ、れ、で ? 何、その真っ赤な顔。それからコーディアル様と話をしている間、一晩中ずっと両手で包んでいたサザンカ。ハンナ、貴女の髪の色にとても似合うわね」
ラスの表情は、ずっとニヤニヤしています。それはもう、ずっと、ずーっと笑いを堪えているのです。私はバッと自分の頭に手を伸ばし、髪に飾ってあるサザンカを外しました。いつ、また髪に飾ったのでしょう? 無意識です。全然、覚えがありません。
「わ、わた、私……私……ど、ど、どうやら、あの、その……」
何から話せば良いのか分かりません。オルゴ様は私を好きみたい。衝撃的で、恥ずかしいことこの上なくて、口に出来ません。思えば、ラスはずっと前から教えてくれていました。
「可愛いわねハンナ。好きでいっぱいいっぱい。フィズ様といい、そこまで惚れられるって才能だと思うわよ」
……?
私は首を傾けました。
「好きでいっぱいいっぱい?」
「え? はあ? ハンナ、自分の事なのにまだ認識していないの? そこまでくると病人並みよ。恋しさで頭が狂ったの?」
信じられないという表情のラス。私こそ驚愕です。あと、ラス、辛辣過ぎです。
「私……好き?」
恋というのは、ルイ様への気持ち——もう以前のものですが——のようなものを言います。……あれ? その気持ちとはどんなものだったでしょうか? ルイ様の顔を思い浮かべる前に、オルゴ様の星のような煌めく瞳が脳裏によぎりました。
次は頬をくすぐった親指。陽気で朗らかな笑顔。父親みたいな表情に、子供みたいにポカンとした顔。次々と出てきたので、私はブンブンと頭を振りました。
昨夜から、少々動悸がしていて胸が苦しいのですが、強くなっていきます。オルゴ様の事を思い出してからです。深呼吸したいのに、浅い呼吸しか出来ない。このままでは窒息してしまいます。なので、オルゴ様の事を頭の中から追い出さないとなりません。
「ふふ。あはははは! 何て顔をしているのよ。クルクル、クルクル、表情が変わるから見ていて楽しい。オルゴ様が大好きでどうしよう、じゃなかったみたいだけど、それなら私に何の話をしたかったの?」
オルゴ様が大好きでどうしよう? 大好きで?
——何をそんなに意固地になっている
パチン、と何かが弾けて頭の中の点と点も繋がりました。オルゴ様は本当に私を伴侶に選ぶのは嫌みたい。説得するのに骨が折れる。私はそう思いました。他の人ではなく、絶対に何が何でもオルゴ様。それは、私がオルゴ様を好きだから。意固地になったのは、単に好かれていないのが、キスされないのが心底嫌だっただけ。
キスされないのが、キスをされないのが⁈ キスをされないのが心底嫌⁈
「ちょっとハンナ、茹でタコみたいよ貴女の顔。ねえ、何を考えたらそんな風になったの? ハ、ン、ナ」
ソファから私の前に移動してきたラスが、私の顔を覗き込みました。それはもう、ニヤニヤしています。
「な、な、な、何を? 何も考えてないわ! そ、そうよ。そうなの。何も……。そ、そうさっきのラスの質問に対する答えを考え……」
オルゴ様はどうやら私を好いてくれている。なのに、昨夜の私はオルゴ様にこう言いました。
——嫌です。必要以上、私を誘惑しないで下さい
あれは単に嫉妬です。手慣れた様子だったのでその裏にあるだろう過去の女性関係へのヤキモチ。自分の恋心を自覚したら、答えがどんどん分かります。そうです。私、単に嫉妬しただけです。
オルゴ様に惚れたら、死ぬまで片思いが続いて笑って生活出来ないと考えました。オルゴ様に惚れたら。 その発想が、もう既にオルゴ様を意識している証拠。次々と思い当たる事が蘇ります。
私、コーディアル様を追い抜いて鈍感大会優勝です。それも剣術大会にて10年連続優勝しているゼロース様並みの連続優勝が出来るかも。
「ハンナ? 顔が真っ青よ。大丈夫?」
「ラ、ラ、ラス! 助けてラス! い、嫌だと言ったんです! せっかく甘、甘い、甘い雰囲気だっ……だったのに……私の鈍感阿呆でポンコツ勘違いの思考回路が……ラス……どうしよう……」
私の馬鹿。馬鹿、馬鹿、馬鹿! 自分からオルゴ様に突撃しておいて、いざとなったら拒否するとは最低。フィズ様を笑い者になんて出来ません。
——君の為だと我慢していたのだが、しなくても良さそう。そういう意味だ
あれは、多分こういう意味です。多分、おそらく、こうです。ハンナが俺を好きなら、何の問題もなさそう。だから、だから、オルゴ様は私の頬に手を……キスをしようとしたということです。いえ、いきなりそんな事をする方ではありません。ハンナ、俺は君の……その続きの台詞があった筈です。
——ああ……それなら、すまないことをした
貴方の事がとても気になっていて、好きです。というような台詞を投げた後に、私は貴方の行為は嫌だと逃亡しました。
——どこかの悪女が俺の友を拐かしたり、惑わしたりして面倒ごとに巻き込むからだ
オルゴ様はアクイラ様に相談したのでしょう。悪女……悪女! 私はラスにしどろもどろ、昨夜のオルゴ様とのやり取りを説明しました。良い巻き返し策が、助けが欲しいので、恥を捨てて話すしかありません。
それはもう勇気を出して一生懸命、話をしたのにラスは大笑いです。私の目の前で、お腹を抱えて笑っています。普段の、どちらかというと澄まし顔のラスは影も形もなし。
「ふふふ。あははははは。そんなに心配しなくても……ふふふふふ。あはははは。大丈夫よ。ハンナが変なのは向こうも分かって……あははははは」
「ラ、ラスーー……。わ、わ、笑わないでよ……変なのは分かって……? ラスーー……」
「オルゴ様、本当に優しいわね。貴女に自覚が無さそうだから一線引いてあげて……まあ自信と決定打がないから迷っていただけかしら? あははははは。羊がバターを持って、おまけにステーキになってバターまみれでお皿に乗って現れたのに、いきなり羊に戻って逃げ出したら、そりゃあ……絶対に面白い顔をしていたわね。あはははは」
ラスはもう大笑いです。何、その表現。羊がバターを持って来るっていう諺の応用? ラスってたまに、こういう遠回しな言い方をするので意味を考えるのが大変です。
ひとしきり笑うと、満足したのかラスは割と真面目な表情になりました。
「どうしたら良いか分からない? ハンナ、貴女なら分かるはずよ。好きに、自由にしなさい」
くしゃりと屈託無く笑うと、ラスは私の頬を包んでムニムニしました。力が強くてちょっと、痛いです。あと、どこかで聞いた台詞。好きに、自由に……。
「この悪女め! けしからん顔に性格だ! 無自覚に次々男を袖にして、踏みつけて、ぽややんと本命の心臓を鷲掴みして命を握るとは、どこでそんな技を覚えた! 私にも教えなさい!」
それはどこの誰の話ですか? 何の技も使っていません。私は次々男を袖にしてなんて……していたのでしょう。オルゴ様も似たような事を言っていました。自己意識改革が必要です。私はコーディアル様と同じような状態のようです。ハッキリと言われないと分からない脳みそ。私は賢くないので分かりますが、コーディアル様は聡明なのにどうして?
私なんか。その考えが根底にあるからかもしれません。コーディアル様は病気による容姿、私は娼婦の娘でスラム出身。そのせいにしてはいけません。考え方を改め……どうやって? 無意識だったのに? いいえ、前に進まないと淑女や素晴らしい女性にはなれません。
「ひ、ひはいはふ」
い、痛いラス。でも伝わってません。
「も、も、もうっ! い、痛いわよラス! そ、それに、それに……」
ラスに揶揄われて、笑い者にされている場合ではありません。誤解を解かないといけません。逆のことをされたら……私は応接室でのやり取りを思い出しました。あの痛みは失恋です。そうか、それで一晩中泣いたのか私。自分の気持ちを知ったら、どんどん考察が出来ます。
「はいはい、いってらっしゃーーい。ふああ、コーディアル様に続いてハンナまで面倒ねえ。今日の私の仕事は全部任せたからねハンナ。ターニャ様に上手く伝えて。私、眠くて、眠くてならないもの……」
すっと立ち上がると、ラスは私に向かってシッシッというように手を振りました。ラスらしからぬ所作ですが、それでも品があるという不思議。ポスンッと寝台に倒れこんだラス。
私は立ち上がって、感謝を述べて、軽く会釈をしました。ラスは私の顔を見ないで、また手を振りました。
ラスへのお礼にサザンカを置いていくか迷います。でも、私の両手はサザンカを離したくないと、拒否しています。なので、私は付けっ放しだった貝殻のイヤリングを机に置きました。
去年の剣術大会の時に、露店で見つけて、気に入って買ったイヤリング。最後の一点でラスは私に似合うと褒めちぎってくれました。でも、このイヤリングを最初に見つけたのはラスで、目も欲しそうでした。割と強引に私の耳にイヤリングを付けて、譲ってくれたラス。彼女はいつもそうやって、相手を慮っています。私の見本、大好きなお姉さん。
「ラス、ありがとう」
私はもう一度お礼を口にしました。
「本当に敵じゃなくて助かった……。明日、お酒に付き合いなさいよ……私、あんな人を追うのには疲れた……」
私は一言「うん」とだけ告げてラスに背を向けました。今のラスの雰囲気が強い拒絶なので、今は何か聞くべき時ではありません。明日の夜、何かしらの悩みを打ち明けられるようなのでそれまでにシャンとしないとなりません。十中八九、アクイラ様のことでしょう。追うのには疲れた、とは恋人ではないようです。いつか話してくれると思っていましたが、その時が来たようです。
侍女ハンナは思います。早くくっつけ侍女と側近。いつも見本になってくれて、私を助け、守り、元気をくれるラスに背中を見せないと!
私はオルゴ様のところへ行って、自覚した想いを伝えます!
羊がバターを持って来る
造語です。




