侍女ハンナと陽気な従者
目覚めの良い朝。窓の外は良い天気です。城勤めの侍女である私は、早起きしてまず主であるコーディアル様を起こしにいきます。しかし、コーディアル様。もっと早起きです。私が寝室の扉をノックをして、中に入るとソファで読書をしています。
なのに、今日は寝ていました。ソファにコテンと横たわっています。私は慌ててコーディアル様に毛布を掛けました。コーディアル様の手には編み棒。そして床に毛糸玉が転がっています。編み物をして、今夜はここまでと思いながら手を止められなかったのでしょう。私は毛糸と編み棒、それから編みかけの手袋を机へと置きました。
朝早くから夜遅くまで、領地や従者のために何かしているコーディアル様。このまま眠らせておきましょう。でも、古くて固いソファでは睡眠の質が下がります。
よし、ここは旦那様であるフィズ様に頼もう。
私はコーディアル様の寝室を後にしました。この時間、フィズ様は中庭で早朝鍛錬をしています。祖国、煌国から連れてきたアクイラ様とオルゴ様という側近と共に素振りや組手など。朝から殊勝な事です。コーディアル様の2つ上のフィズ様は、領地を守る騎士団にもう認められています。
騎士団を束ねる近衛兵長ゼロース様は、かつての私のようにスラム街から拾われて来た方です。ナーナ様に育てられ、コーディアル様を妹のように可愛がっています。そのゼロース様がフィズ様を可愛がっているので、他の騎士も自然とフィズ様を受け入れました。
二階から一階に降りて、中庭に向かいます。やはり、フィズ様はアクイラ様とオルゴ様と共に中庭にいました。鍛錬終了なのか、3人とも上半身裸で、布で汗を拭いていたので思わず私は謝りました。それにしても、日に焼けた褐色の肌に鍛え上げられた肉体。フィズ様は背は高くてもやや細身ですが、アクイラ様とオルゴ様は背が高い上に横にも広め。恥ずかしいより、怖いという気持ちの方が強いです。
私を見て、フィズ様は慌てて服を着てくれました。アクイラ様とオルゴ様は、そのまま。
「おはようハンナ。君がここに来たということは、コーディアル様は朝食か」
今日こそ一緒に朝食を摂るぞというように、ウキウキ顔で歩き出したフィズ様。早い。足が長いから歩幅も広い。お待ちください、と言う前にもう城へ続く扉の向こうへ行ってしまいました。
「おはようハンナ。フィズ様は今日もちっとも話を聞かないな。後で文句を言おう。なあ? オルゴ」
眩しい白い歯を見せて笑うアクイラ様の問いかけに、オルゴ様は生欠伸を返しました。
「ふああ。そうだなアクイラ。そもそも、ハンナがわざわざフィズ様の所に来たのは、コーディアル様と会わせようと思って、だろう? なあハンナ。何も聞かないで、思い込みと勘違いで直ぐ行動する、あの直動的な所を改めてもらいたい。フィズ様がもっと偉大になる。ああ、そうだ。おはようハンナ」
オルゴ様も白くて並びの良い歯を見せて笑いました。切れ長の涼しげな目をしたアクイラ様と、アーモンドっぽい形の目をしたオルゴ様。目の形が全然違うのに、笑うと細くなって三日月のようになるのはそっくりです。
「おはようございますアクイラ様、オルゴ様。そうです。今朝、コーディアル様を起こしに行ったところソファで眠っていらっしゃいました。夜通し編み物をしていたようでして」
ポン、とアクイラ様が握った右手を左手の掌に乗せて音を出しました。オルゴ様は顎に手を当てています。
「つまり、あの固いソファからふわふわな寝台へ移動させて欲しい。そう、フィズ様に頼みに来てくれたんだな。今日も、気の利く侍女だな」
「気配り上手な侍女だなハンナ。つまり、フィズ様にコーディアル様を運んで欲しいとお願いにきたという訳だ」
2人同時に発言して、少し沈黙。2人が向かい合ってガッシリと握手しました。はあ、いきなりどうしたのでしょう。
「俺達は賢いな。それに、ハンナの仕事振りも察した。なのに、フィズ様ときたら……。よし、あのポンコツ皇子を世話しに行くか」
「そうだなアクイラ。全く、安月給でポンコツ皇子の世話とは俺達は大変だな」
愉快だというように、あはははははと陽気な笑い声を出して歩き出したアクイラ様とオル様。この2人は、基本的に元気で明るいです。ポンコツ皇子と呼びながら、幼少より一緒に育ったというフィズ様をとても大切にしつつ、成長を促しているそうです。アクイラ様はフィズ様の乳兄弟で、オルゴ様はアクイラ様の幼馴染で3人は兄弟のように育ったと聞いています。本当の兄よりも親しい義兄弟。フィズ様はアクイラ様とオルゴ様をそう評しているらしいです。
フィズ様と共にこの城に来て、早くも2ヶ月。アクイラ様とオルゴ様はすっかり城に、この領地に馴染んでいます。
2人が城へ続く扉の前で、揃って振り向きました。
「ハンナ、世話のかかるフィズ様を一緒に促して欲しい」
「俺達だけではどうにもならん。ハンナ、助けてくれ」
頼まれると嬉しい。という心理を見抜いて、私達侍女をおだて、褒め、フィズ様の為に使うアクイラ様とオルゴ様。下心見え見えですが、もちろん親切にされて嫌だと思う事などありません。私は「はい!」と元気良く返事をしました。
☆★
食堂に向かったフィズ様は、もう居ませんでした。コーディアル様の朝食がまだなら、城裏の畑を見に行くと言って去ったという。で、城裏の畑に行ったのにフィズ様は見当たりません。
「あれだな、やはりそろそろコーディアル様の朝食時間だとソワソワして戻ったな」
「花を摘んで渡そうと思って、森に行って、向こうの扉から城へ戻った。そんな所だな。すれ違いか。フィズ様は体力が有り余ってる」
畑に来てすぐ、アクイラ様とオルゴ様はフィズ様の行動をそう推測しました。
「で、食堂に行ったらコーディアル様がやっぱり居なくて……。ふむ、それで何をすると思う? アクイラ」
「オルゴ、俺としては狩りに行く。に、一票だ。昨日の夕方、コーディアル様が痩せた、痩せたと大騒ぎしていた」
不意に、2人が同じ方向を見ました。なので、私も見てみます。白馬が軽やかに丘を駆け抜けました。乗っているのは騎士ではありません。質素な従者の格好。
「ありゃあ、パズだ。ってことはフィズ様か。オルゴ、お前の予想は正解だな」
「指笛吹いたら、賢いパズなら気がつくか? 俺は下手だから頼むアクイラ」
「あの馬はフィズ様が乗っていたら、フィズ様の命令を最優先にする。無駄だオルゴ」
みるみる遠ざかる白馬——パズという名前らしい——とフィズ様。
「コーディアル様。鹿は苦手なので、他だと良いですけど」
私が呟くと、アクイラ様とオルゴ様は歩き出して私を手招きしました。
「仕方ないので俺達がコーディアル様を寝台へ運ぼうハンナ。あんな固いソファでは体が休まらない」
「あの泥棒女、ローズのせいだ。せっかく本国から座り心地の良いソファを送って貰ったのに奪いやがって」
私は2人を追いかけました。さり気なく、私の両側に立つ2人。城外とはいえ、誰も居なくて獣も見当たらなくて安全なのに、守る位置ということなのでしょう。さり気なく腰の剣城の柄にも触れています。
「オルゴ様。一応、ローズ様です。それか、毒蛇でございます。コーディアル様から有無を言わさずソファを強奪したので、紅茶に少々美味しくなるものを入れておきました」
興味津々そうなアクイラ様とオルゴ様。ローズ様はコーディアル様の腹違いの姉君です。18年前に亡くなられたドメキア王妃ゴーテル様の娘。命と引き換えに残した、大蛇の国の宝石姫。大変、麗しいお姫様で王位継承権も第三位。ドメキア王に可愛がられています。でも、性格最悪。王族教育の息抜きに、コーディアル様をわざわざ虐めにきて、その度に城からあれこれ奪っていきます。
「賢明な君は言わない。俺達は軽口を叩くが、口は固いのにな。そのうち気を許してくれると嬉しい」
「まあ、そうだな。美味しくなるものか。さぞかしローズ様に相応しいものなのだろう。で、ハンナ。この間城に侵入した毒蛇は何を口にしたんだい? いや、やはり言わなくて良い。想像力を鍛える修業だ」
アクイラ様とオルゴ様は、2人揃って愉快そうに肩を揺らした。私は「おほほほほほ」と愛想笑いをして、同じように愉快だというように肩を揺らしました。
コーディアル様はローズ様には絶対に逆らえません。そんなことをしたら、領地ごとペチャンコにされます。コーディアル様は自分はともかく、領地や民に従者を守る気満々。ローズ様に絶対服従姿勢で、嫌味に暴力を受けても悪口1つ言いません。私のような親しい侍女にさえ、ローズ様を悪くは言いません。むしろ褒めるくらいです。あんな性格最悪のクソ——口が過ぎました——毒蛇さんにも良いところはあるというように、コーディアル様はローズ様を褒めます。ちゃんと、良いところを。まあ、主に容姿ばかりです。
「何だと思います? あら、思ったよりも美味しい紅茶。なんて言っていました」
正解は、言いません。壁に耳あり扉に目あり、です。私だけの秘密。
昼過ぎ、狩りから戻られたフィズ様の成果は鹿でした。料理長に「コーディアル様は鹿肉は苦手」と聞いて落ち込んでいたらしいです。コーディアル様の第1側近宰相バースが第2側近アデル、アデルが息子のルイ、ルイが侍女のエミリー、エミリーがラス、ラスが私。そのようにして伝わってきました。
それからアクイラ様がコーディアル様をお姫様抱っこして、ソファから寝台に移動させた話を聞いたフィズ様は、ぷんぷん怒っていたそうです。この話はアクイラ様からコーディアル様の主治医と城の従者の健康を守る医師カインから弟子のハルベル、ハルベルから侍女筆頭ターニャ、ターニャから私達侍女へと伝わってきました。
つまり、私達の仕事はご機嫌ななめなフィズ様をコーディアル様で機嫌良くして貰うことです。うっかり、告白するかもしれません。
合点承知!
侍女達はコーディアル様を何とかフィズ様に会わせようとしました。奇襲作戦です。それで私と侍女ラスが、廊下で2人を鉢合わせさせる事に成功しました。フィズ様ときたら恥ずかしい、恥ずかしいと、ちっともコーディアル様の前に現れないので大変です。もう夜になっています。
いつもコーディアル様の前で、ソワソワしながら視線を斜め下にしているフィズ様。今夜もそう。アクイラ様への焼き餅を抑えようとしているのか、顔色が少々変です。
「フィズ様。酷い顔色でお疲れなのですね。ハンナ、ラス。今夜フィズ様が良く眠れるようにハーブティーを入れて差し上げて。ほら、こっそり隠しておいたあれです。フィズ様、どうか今夜は早くおやすみなさいませ。心配です」
緊張で一言も喋らないフィズ様に、優しい労いの言葉と慈しみ滲む笑顔を向けたコーディアル様。優雅な会釈を残して、去って行きます。醜い化物? どこがですか。
フィズ様はデレデレ顔でコーディアル様の背中を見つめ続けています。私とラスに、コーディアル様の良い所を10分位話して、鼻歌混じりに「心配された」とスキップして何処かに消えました。途中、コーディアル様とハーブティーをと言いたくても、口を挟む隙がありませんでした。残念。私達は中々優秀な侍女ですが、あと一歩足りません。明日こそ、と毎日意気込んでいます。
侍女ハンナは今日も思います。早くくっつけ姫と皇子。