侍女ハンナと守護騎士
朝です。正確には夜明け。カーテンを開けると睡眠不足には目に毒な眩しい光。鏡を見たら、目が腫れぼったくて、残念な顔。これが「隠れルビー」とは……。まあ社交場というのは、大袈裟です。あと、私は養子ですが名高いハフルパフ公爵家に属する令嬢。赤苺女とか、そういう呼び方はしないでしょう。拾われてきた時、かなり城下街の男の子達やお義父様と参加した社交場にて嫌味や中傷を受けました。
私は好きでこの髪色に生まれた訳ではありません! コーディアル様みたいな、素敵な蜂蜜色が良かったです。
お義父様とお義母様と共に、正午に馬車に乗り隣国へと向かう予定。明日の夜までにこの顔は治るのでしょうか? こんな有様で、舞踏会へなんて行きたくありません。ただでさえ苦手なのに。
——その淡い赤色が混じった艶やかな髪に可愛らしい容姿
褒められたのにちっとも嬉しくありません。オルゴ様のため息交じりの呆れ顔。そればかりがチラチラと脳裏をよぎります。人から聞いただけ。自分はそう思っていない。そういう表情でした。
一眠りしようにも、苛々と悲しさとあれこれでぐちゃぐちゃなので、散歩に出ようと思います。あんまり酷い顔なので、軽く化粧をして出発。
部屋を出ようと思ったら、扉と絨毯の隙間に羊皮紙が挟まれていました。2つ折りで、殆どが室内に入り込んでいます。いつの間に? 手に取って、開いてみました。
【嫌だなんて一言も口にしていない。暴走気味に思えたので心配だった。泣かせてすまない。誤解があるようなので、話をしたい。オルゴ】
縦書き。大蛇の国は横書きですが、煌国は縦書き。フィズ様がコーディアル様に贈り、私にも貸してくださった紅葉草子も縦書きの書物です。なんだか新鮮。
「誤解……」
私はぼんやりと手元の手紙の文章を眺めました。嫌だなんて一言も口にしていない。嫌ではないなら、前向き? しかし、あの表情です。ちっともそうは思えません。オルゴ様は嘘つきなので、私を呼び出して説教の追撃かもしれません。いえ、絶対にそうです。断固拒否。なんでまた、拒絶の返事を聞かないといけないんですか!
手紙をぐしゃぐしゃに丸めて、ゴミ箱に放り投げたいです。こんな惑わし紙は目の毒。心の毒。
それなのに、私は机に座り、机に手紙を乗せて、ぼーっと手紙を見つめました。筆跡が強くて、大きめの文字。なのに丁寧で綺麗な字体。大きくて、逞しくて、なのに優しいオルゴ様をそのまま字にしたというような筆跡。
ほんのりと何かの香りがします。どこかで嗅いだ花の匂い。手紙から香ってきます。好きな種類の香りなので落ち着く……。
コンコン。コンコン。コンコン。
ノック音にハッとしました。寝ていたみたいです。腰が、背中が痛い。座ったまま寝るとこういう目に合うのか。昔、娼館の廊下の床で寝たときのことを少し思い出しました。母の客に反抗してお酒もこぼして、蹴られ殴られた後に廊下に放り投げられた時のこと。私は随分と贅沢で幸せになったものです。
コンコン。コンコン。コンコン。
「ハンナ? 大丈夫ですか?」
お義母様の声です。うたた寝をして、もう出掛ける時間になってしまったようです。今日から3日間お休みをいただいていますが、コーディアル様の身支度を手伝って、話をしてから出かけたかったのに寝てしまうなんて。
「はい!」
鏡を確認して、手櫛で髪を整えて、なるべく元気だと思ってもらえるような声を出しました。それから扉を開きます。
「夜通し読書をして、感動して泣いたらこんなですお義母様。おまけに明け方から眠り込んでしまいました」
聞かれる前に、必殺大嘘です。自惚れ阿呆な勘違い娘だったから、お嫁にもらってもらえなくて、泣いてましたとはとてもじゃないけど言えません。
「まあまあ、馬車内で目元を冷やしましょう。明日までにはどうにかなるかしら」
「大丈夫ですお義母様。私、隠れルビーと呼ばれているらしくて隅っこに隠れていても問題無さそうです。明るくない所に居るようにします」
私はお義母様、それにお義父様、従者数人と隣国へ向かいました。
求婚者との挨拶がある。とりあえず顔合わせだと、そうお義父様が言っていました。
社交場で手の甲にキスされる。顔見知りだと軽く抱きしめて頬にキスされる。舞踏会なので、体を密着させて踊るという苦行もあります。男性に触れられるのが苦手なので、どれもこれもしたくないです。
馬車に揺られて、ゴトンゴトン。
半日かけて、隣国に到着しました。お城で行われる、国王の三女であるリリア王女の誕生会。晩餐会の後に舞踏会という流れです。それが明日の私の職場です。ラスやエミリーは姉妹の方々が参加。せめて2人が、もしくはどちらかでもいれば勇気百倍だったのに。
公爵令嬢ハンナは思います。侍女ハンナに早く戻りたい。
☆★
リリア王女の誕生会での戦闘衣装はアイボリー色のシンプルなドレスです。ピンク色の薔薇柄の刺繍をあしらってはありますが質素です。でも代わりにお義母様から借りた、大きなルビー付きの首飾りをしています。オパールにダイヤを飾っていて、中々豪華な代物です。イヤリングは大粒の白真珠。
パニエスカートなんて古臭い。そう、ローズ様が言っていたらしいのでコルセットだけで裾が自然な形のドレスを仕立ててもらいました。薔薇柄は当然ローズ様のこと。それにルビーと白真珠はローズ様が大好きなものです。
名付けてローズ様に媚び媚び戦闘衣装です。やはりローズ様のお気に入り令嬢は似たようなデザインのドレスでした。主役のリリア王女もです。つまり、私の掴みはバッチリ。
挨拶の際のお世辞のたびに、ローズ様のセンスを褒めちぎっておきました。当の本人とも対面しましたが、私は何にも言っていないのに「コーディアルの侍女が私に平伏している」というようにご機嫌でした。
ローズ様、フィズ様がコーディアル様に婿入りした事に大憤慨らしいのでコーディアル様のものを奪うのが快感なのです。上辺に騙されて、お馬鹿さんと心の中で嘲笑って、ニコニコ笑顔の私は中々の悪女だと思います。私みたいに社交場は偽りばかりです。
サロンにてお義父様、お義母様と一緒に挨拶回りが終わりました。なので、これから舞踏会へと移動します。根回しされている、本国フレデリスタス侯爵次男オーガスタ様にエスコートされます。サロンで挨拶しましたが、背が高くて魚っぽい方です。格好良い分類のいわゆる最高級魚ですが、私を値踏みするような視線なので辟易しました。まあ、遠くから眺めるには目の保養。
ローズ様とフレデリック王子、リリア王女とルイス王子が踊っています。主役と並んで踊り主役の相手より格上のフレデリック王子と踊るローズ様。怖いものなんてこの世になさそう。
今の曲が終わったら、全員が参加できます。つまり、オーガスタ様と踊らないとなりません。
公爵令嬢といっても、分家で僻地領地勤務の公爵の令嬢なので、次男といえど本国侯爵はいくつか上の地位。というのを頭に叩き込んできました。連合国の大蛇の国は、所属国や王家直下の領地など場所により貴族の地位が変わるので覚えきれません。
さすが王室主催の舞踏会。人が多過ぎ。1曲目が終わったら、サッと友人を探すつもりり。でも骨が折れそうです。
リリア王女——というかローズ様——の踊りにホール内は大喝采。親しいのか媚びかルイズ王子と言葉を交わしたオーガスタ様。そのままで良いのに、私の方へと向かってきます。何だか既に腕がぞわぞわする。逃げたい。視線が何か嫌。ニヤニヤ笑っているのは侮蔑?
その時でした。ホール内が妙にザワザワ。色めき立つのは女性達。私は目を疑いました。
何てことでしょう!
フィズ様!
これはまたうっとりする程美しい美男子で、ホール内の誰よりも輝いて見えます。ああ、ローズ様がいました。互角です。
フィズ様はリリア王女とローズ様に会釈をしています。爽やか笑顔ですが、いつもと違って刺々しい気がします。
しかし、何故フィズ様が? フィズ様もコーディアル様も招待されていません。コーディアル様は僻地領地に追いやられていてもドメキア王の娘。招待状を送らないのは不敬。送りましたけど、欠席されてしまいました。とか、返事がありませんでしたという嘘が大蛇の国内に流れます。招待状がないので、来ようにも来れません。
「まあ、牽制だハンナ。フィズ様はあれで怒らせると中々怖い。待てども待てども招待状が届かないので困ってしまいました。気を揉んでいた妻は体調不良です。父にも声を掛けるつもりが……とか何とか言いたい放題だ」
右隣からオルゴ様の声。私は勢い良く右側を見上げました。困り笑いを浮かべています。中々豪華な貴族服ですが、騎士の格好の方が似合います。
「暴走娘が心配で、ちょいと主を利用した。今夜は壁の花でいても許されるぞ。まあ、コーディアル様以外にだとポンコツ皇子ではないから代償としてこき使われる。また緑茶を横流ししてくれ」
ニッと歯を見せて笑ったオルゴ様は、上着の内ポケットに手を入れました。出てきたのはピンク色のコスモス。差し出されたので、受け取ります。
心配で……貴族の服なのにやはり騎士みたいです。
「星姫の為に流れ星になろうとするな。夜空で輝きずっと照らして欲しい。それが我等の美しき星姫の祈りと願いだろう?」
まさか、オルゴ様が大蛇の国のおとぎ話を知っているとは思いもよりませんでした。コーディアル様の為に政略結婚をするなんて考えるな。それをこんな風に言うとは……。
無骨な見た目ですので、はっきり言って似合いません。しかしフィズ様の為に幼い娘向けの絵本まで読むとは、まさに従者の鏡。だから、こんなにキラキラして見えるのでしょう。
フィズ様の方へと歩き出したオルゴ様の上着の裾を、私はそっと掴みました。コスモスは髪に飾ります。宝石より価値がある真心の花。同僚に、主の愛する妻の従者に、こんな気配りが出来るなんて、やはりオルゴ様が最善の相手です。
「オルゴ様。大好きなお姫様の願いを叶えて闇夜に消える流れ星は、誰よりも幸せな気持ちで煌めくのです。誤解だと言うなら検討してくださるのですよね?」
「だからハンナ。君の為にもコーディアル様の為にもそういう損得感情で……」
私はオルゴ様の唇を右手人差し指で止めました。ぞわぞわしません。鳥肌もなし。こんなに優しくて真心溢れる人が怖い訳ありません。やはり、です。
私は小さく首を横に振り、そっと手を離しました。確かめる為とはいえ、これは恥ずかしくてなりません。
「いいえ。オルゴ様が断固拒否なら次の方を考えます。オルゴ様が1番なので、他の方はまだ検討してませんが、大蛇の国は広いので誰かいると思います。まずはこの舞踏会にて励みます」
困惑と戸惑いの表情を浮かべたオルゴ様。口がへの字で怒っているようですが、目付きがとても優しいので怒っていないかもしれません。
「なら踊ってみるか? この間の様子だと無理だと思うがな」
とても優雅な所作で私をエスコートしたオルゴ様。コスモスに、歯が浮くような例えに、この風雅さと色々意外です。笑ったら完璧なのに、真逆で仏頂面です。
この間とは、つんのめって転びそうになった所を助けて貰った時の事でしょう。まだ、オルゴ様女誑し疑惑の時です。あと、急だったのもあります。
「いいえオルゴ様。私は大丈夫です」
「大丈夫……か。はあ、まあ分かった。不安や嫌悪なく踊れたらな。駄目ならそもそもの考え方を変えるんだぞ」
合点承知!
オルゴ様とならバッチリ踊れますよー。自分のことだから分かります。
公爵令嬢ハンナにして侍女ハンナは、やはり見事にオルゴ様と踊ってみせました。楽しかったので頼んで2曲続けて踊りました。オルゴ様はその後にフィズ様と消えました。私も舞踏会に用はないと逃亡。
コーディアル様みたいに嫌いな相手にさえ慈愛を与えるのは無理ですが、オルゴ様になら素直に誠心誠意尽くせるでしょう。
やはり無自覚娘。




