侍女ハンナと侍女達
本日の夕食は魚のなんたら焼きです。レモン風味のクリームで大変美味しい。フォークとナイフの使い方は、何年も修行したのでもうバッチリ。新米侍女のシェリがターニャ様に手取り足取り教わっています。シェリは隣国農家の末娘です。子が多いので売られそうなところを、コーディアル様が侍女に迎えました。まだ8歳。ナイフとフォークと格闘している姿は、かつての私みたいです。
食後の紅茶を、ターニャ様とシェリが淹れることになっています。なので、ラスとエミリーと雑談になりました。エミリーが、最近気になる方がいるという話をしたので、私も縁談話があることを2人に相談しました。それで、窓拭きの際にオルゴ様とアクイラ様と少し話したことも告げました。
「はあ……ハンナ。貴女って娘は……」
頭が痛いというように、こめかみを揉みだしたラス。エミリーはクスクス笑いです。
「ロマンスのロも字もないなんて、どの口が! この口か! 形の良いぷるぷるな唇め! こう、もっと慎み隠しなさい!」
ラスの右手が伸びてきて、私の頬っぺたをつまみました。い、痛い。形が良いかは知りませんが、ラスから教えてもらったクリームでぷるぷるなのはその通りです。でもラス、私にロマンスはないですよ。
「ひ、ひはいはふ」
い、痛いラス。でも伝わってません。
「稀代の悪女か! どこぞの宝石姫みたいね」
今度はラスの両手で頬をむにむされました。これは痛くありません。
「どういうことか説明してよラス……」
宝石姫とはローズ様のことでしょう。ローズ様みたいな悪女? 私はいつのまにかそこまで性格がアレになっていたらしいです。確かに、ローズ様の肌着であんなことやこんなことをしましたからね。
エミリーの笑い声が大きくなり、ケラケラ笑い出すとターニャ様が「笑い方! なってない!」と怒りました。それなのに、ターニャ様も震え笑いしています。私が「大嫌いな女」に近づいていて、何とも滑稽という意味でしょうか?
「コーディアル様と育ったから似た者同士なのかしら。ハンナ、貴女最近誘いが増えたんじゃない? 騎士のビアー様とかタクスブル子爵のタダン様とか」
誘い? ビアー様は確かに会う頻度が増えた気がします。縁談話の情報収集をされています。タダン様は礼儀作法の先生の息子さん。週に1回、レッスンの度に挨拶はしますが、誘われたことなんてありません。ラスの問いかけに私は首を横に振りました。
「何も誘われていません。求婚者の方への情報収集をされています。タダン様とは挨拶しかしない仲です。私、選んで良いと言われたのに次々と断られるかもしれないの。何から直すべき?」
助けてという意味で、ラスの両肩を掴みます。ラスは目をぐるりと一回転させて、呆れ顔にまたため息。
「あー、とりあえずオルゴ様に袖にされていないなら良いんじゃない?」
「そうねラス。でも怒っていたわ。怒っていたのは何故なのかしら? それよ、それをラスとエミリーに聞きたかったの。会議室か応接室で話す内容をペラペラ廊下で話したせいかしら? 確かに、さあ自分達の利益の為に結婚しましょう! なんて分かりきっていても公に話すことでは無い……そういうものです?」
これは社交場を避けてきたツケです。18歳の成人になってからで良いよ、と言ってくれていたお義父様に甘えていました。本当に出席して欲しいと言われた時だけで良い。私は義父母に大変甘やかしてもらっています。そのツケが今、巡り巡ってきてしまったようです。
「ハンナ」
ラスが私の手をそっと取りました。ラスの肩からやんわり手を離させられた、だけではなくラスは私の手首を握りました。結構、強い力。
「もし、万が一ルイ様に政略結婚しましょうと言われたらどうする? もしも、の話よ。もしも。ほら、想像してみて」
何故ここでいきなりルイ様なのか。もしも、と言われても想像し難いです。気持ちの整理がついています。むしろ政略結婚の先輩として尊敬し始めているくらいです。
「はあ。誠心誠意尽くして、良い妻になります」
ラスは少し目を丸めました。
「へえ、貴女。もう良いの」
何を言われたか分かって、私の全身が熱くなりました。誰にも知られずにいたと思ったのに、ラスに見抜かれていたようです。
「え? あ、ラス……」
「本人も含めて殆どの人が知っているわよ。鈍いコーディアル様でさえ薄々」
ひっ! 誰にも言ったことなんてないのに、どういうことでしょう⁈ 本人まで⁈ エミリーがうんうんと頷いています。ターニャ様も同じ。今度は寒気に襲われました。
「お、おわ、終わったことで……」
「そうみたいね。まあ、見ていてもそんな気がしていたけど。ルイ様も人が悪い。応えられない良心の呵責と、妹みたいだからとハンナに寄る悪虫を追っ払っていたからねえ。見事にポンコツ娘の出来上がり」
「ポンコツ娘?」
真っ先に浮かんだのはフィズ様です。私、フィズ様と同類? 恥ずかしいことに、ルイ様本人に私の気持ちはバレバレだったらしいです。
勝手に片思いして勝手に諦めた。それを城中の人が知っている。クローゼットの中に隠れて、出てきたくない気分です。
「恋を諦めたから潔く政略結婚! とは極端な子ね。ハンナ、貴女は結婚を焦るよりも男性との付き合い方を学びなさい」
「いえ、ターニャ様。私はモテない上に男性が苦手なのでそれは無理だと結論付けました。それにうかうかしていたら、売れ時を失います。ねえ、ラス。女の花は短いのでしょう? お義父様も政治面で追い風ですし」
「まあ、そうね。一理あるわ。それで、相手がオルゴ様なのはどうして?」
尋ねられて、私はターニャ様からラスに顔の向きを変えました。ラスはまだ私の手首を掴んでいます。
「お義父様の人脈で1番コーディアル様に有益な方です。お義父様がもうオルゴに話をしている途中です。私もコーディアル様の従者を続けられる相手が良いです。アクイラ様も同じですが取りつく島もないそうで。オルゴ様、長所ばかりの性格が良い方です。酷い扱いなんてされないでしょう」
私はこの後、応接室にてオルゴ様と話をすることをラス達に説明しました。誤解がないように、自分なりにオルゴ様と私が結婚する利点と欠点をまとめた用紙を用意したことも話しました。結婚にあたり譲って欲しいことと、我慢することもリストアップ済み。
剣術大会での件や、お誘いの件などからオルゴ様は前向きそう。でも、2人で話した際は嫌そう。この辺りの確認をしないとなりません。オルゴ様にその気が全然なくて、アクイラ様のように取りつく島もなければ次の方を探して検討するべき。問題は、思い浮かべても他の方が中々思いつかない事です。流石に見ず知らずの煌国の方は、気が進みません。あまりではなく、かなり。
晩餐会にて社交場に慣れた貴族男性達と交流をするのも、やはり気が進みません。一回、勘違いしましたがフィズ様からオルゴ様は女性に手慣れた男性ではないという情報を得ました。それなら気楽そうです。私が嫌がることはしないでしょう。
次の方探しは、オルゴ様に完全拒否されてから考える。一旦保留。これぞという方は思いつきませんのでそうする。
同意を求めたら、ラス達は全員曖昧に笑いました。なんでしょう? 賢くないので、悪い案なら代替え案が欲しいです。
ラスは私の手首から手を離し、私の肩をポンポンと叩きました。エミリーにも同じことをされました。
「代替え案は無くて良いと思うわ。好きになさい」
「私もそう思いますハンナさん。好きにしてください」
ラスとエミリーは順番にそう言いました。ターニャ様も「貴女が良いなら良いのよ」と口にしました。
3人とも冷ややかで、それでいて呆れたような様子。それなのに3人で肩を揺らして楽しそうに笑い出しました。そのうちシェリまで加わりました。4人で愉快そうな笑顔。私が理由を聞くと、オルゴ様との打ち合わせについて考えなさい、とのこと。腑に落ちない。しかし、代替え案を提示されなかったので今の自分の案でいくことにします。
ターニャ様がシェリに紅茶の淹れ方を教えて、私の前にもティーカップが置かれました。温度を間違えたのか、少し香りが少ないです。お湯の沸かしすぎでしょう。
侍女ハンナは今日も思います。相談に乗ってくれる親しい人がいて、美味しい紅茶も飲めて幸せ。
一方——……
アクイラ「鴨が葱背負ってきて、おまけに鴨葱鍋を提供してくれるみたいだな。食う以外に選択肢があるか? 食べないと他の奴が食うぞ」
オルゴ「そういう表現は止めろ。俺は真面目に相談しているんだ」
アクイラ「開いた口に牡丹餅ではなく、開いた口に餅が食べてと突っ込んでくるみたいだが、どうするんだ? 避けたら他の口に行くみたいだぞ」
オルゴ「だから、その表現は止めろ。もういい。色々と早まるなと説得する」
アクイラ「意地張るより頰張れ。まあ、俺ならこんな事になる前に見事口説き落としているけどな。主に似てヘタレめ」




