侍女ハンナと剣術大会3
抜き足差し足忍び足というように歩き、質素な街娘風の服装で演劇場へとやってきました。コーディアル様と侍女達全員に「読書をするので剣術大会は観に行きません」と言った手前、今更行きますとはとても言えなかった。
しかし、どうやらオルゴ様は私に観に来て欲しかったらしい。オルゴ様の気持ちが、ラス達が示した通りなのかは半信半疑ですが、私もオルゴ様を恋愛感情で見たことはないですが、まずは歩み寄るべき。そう、結論を出しました。何せ、コーディアル様にフィズ様に歩み寄るようにやんわりと訴えてきた私です。自分がしないことを、相手にしてはなりません。
演劇場は城下街の東部の外れにあります。凄い人混み。昨年より多いです。僻地の小さい大会ですが、領地外からもそこそこ人が集まる日。今年はフィズ様が仕切ったので、動員が増えたようです。これは、例年より街にお金が落ちます。
「まあハンナ。その格好は何ですか」
振り返るとお義母様でした。落ち着いた紅のドレスに同じ色の日傘。ご自分に似合った素敵な装い。お義父様と腕を組んでおられます。お2人は子供に恵まれなかったけれど、仲睦まじい夫婦です。お家断絶でも仕方がないという覚悟で、お義母様と添い遂げる決意をしたというお義父様。2人は密かに恋愛に憧れる貴族娘達から羨望の的となっています。
そのお2人に、身柄引き受けをしていただき、更には家の存続を任された私。コーディアル様の亡き母ナーナ様や宰相バース様達のはからいです。つまり、この今の格好は恩を仇で返しています。ハフルパフ公爵令嬢ハンナとして大失格。
「お義母様、大変申し訳ございません」
「これはこれで可愛らしいわ。今日は公爵令嬢ではなく侍女として見学に来たということかしら?」
パチクリ。私は瞬きを繰り返しました。幻聴? お義母様、大変素敵な優しい笑顔です。隣のお義父様は無表情。元々、お義父様は殆ど笑いません。
「いえ、あの、一度行かないと言った手前……」
私はごにょごにょと理由を説明しました。読書予定だったが、やはり行きたくなった。そう、素直に伝えました。その理由までは話すかどうか迷います。またしても公爵令嬢失格の話し方になってしまいました。心が痛いです。
「まあまあ! その紅葉草子? という物語は先日お茶をしていた時に話してくれたコーディアル様お気に入りの煌国小説ですね。それに、そうですか。それなら娘と共に家族3人で仲良く見学が出来ますね」
「ふむ。そうだなフィオール。コーディアル様に同伴すると思って遠慮していたんだハンナ」
優しい眼差しで、おいでと言うようにお2人の間に招かれました。嬉しくて小躍りしたい気分。お2人はいつもこう。12歳で養子にしていただきましたが大変良くしてもらっています。出自を考えると、私は目眩がするほど幸せな立場なのです。おずおずと、招かれた位置に移動します。
「お義母様、コーディアル様があまりにも紅葉草子を気に入ったのでフィズ様が煌国から何冊か取り寄せてくれるそうなのです。色々な従者が読むと、コーディアル様と共通の話題になるという考えです。それで、その、お義母様にもと頼んでみます」
「領主様におねだり可能とは、ハンナは良く働き認められているのですね。バース様から時折報告を受けておりますよ。頼む前に気を遣ってくれてありがとう」
ふふふ、と笑うお義母様は本当の母親よりも随分年上です。祖母と母の中間くらいの年齢。なので私は気が楽です。もちろんお母義様の人柄あってこそですが。
「おねだりではなく、褒賞としていただきます。本日もフィズ様にコーディアル様の麗しいお姿を披露致しました」
お義母様は、フィズ様とコーディアル様の話が好きです。というより、フィズ様の奇行が愉快なのだそうです。お茶をしながら「息子も欲しいわ」と口にしたこともあります。
しばらくフィズ様とコーディアル様の話——誰が耳をそばだてていでも良いように仲睦まじい話——をしながら演劇場の席へと移動しました。公爵なので中々良い席を、少し多めに確保してもらっているそうです。時折、この身分格差というものには胸が痛みます。
お義父様やお義母様が悪い訳ではありません。遥か昔から、人は人に上下関係を付けてきました。コーディアル様は「底上げするしかない」という考えの方。領地の最下層の者が暮らしやすく。それがコーディアル様の目標。まだ16歳だというのに、コーディアル様は現実を直視し、遠い未来を見て生きています。
「まあ、本日のコーディアル様は全身隠されているのですね」
領主、そして特別来賓席はこの席からそんなに遠くありません。お義母様は少し顔をしかめました。
「素敵な瞳が強調されています。人前に姿を出すのが嫌なコーディアル様は機嫌が良くて笑顔でした。フィズ様、すっかり照れてしまって直視せずに逃亡。今も、様子が変です」
コーディアル様を左手、ローズ様を右手にして中央に座るフィズ様。大変見目麗しいのですが、無表情です。あんなに表情乏しいフィズ様は珍しいです。
「明日は我が身ですからね……あの病は……。対症療法はそこそこ確立されましたが、何百年も根本治癒法が分からず医者も研究すらしなくなってしまって……」
おいたわしや、とお義母様が呟きました。私も同感です。後天的に、歳をとってから、部分的にかかることが多い謎の病。石病、浮腫み病、はては醜病などその名称も様々です。コーディアル様のように生まれつきで、全身というのは大変珍しいです。
「お辛いことも多いですがフィズ様が現れました。コーディアル様は節々の痛みや浮腫み以外はとても元気です。コーディアル様の浮腫み退治はこのハンナが生涯続けます。関節が痛んで眠れぬ夜は温め、さすります」
「してハンナ。その目標は我が家として良い行為なので続けてもらって構わない。特にフィズ様が領主様となった今、領主様方との強い絆は社交界で大変役に立つ。それで、ハンナへの婿入希望が増えている。本国本家より少々急かされていて、見合いだけでもして欲しい」
お義父様の急な発言に、私は固まりました。今まで「そろそろ婿入の話も出ている」程度のやんわりとしたものだったのに、今、ここで、これ?
お義父様が淡々と縁談相手を口にします。なんと、5人もいました。年に2、3度しか社交場に顔を出さない私でも知っている名前です。つまり、この領地と領主はそれ程価値が高くなってきているということみたいです。
大蛇の国唯一の煌国とのパイプ。煌国との交易は全てフィズ様を介さなければなりません。政治のことは良く分かりませんが、本国ドメキア王ともやり取りをしているというフィズ様。コーディアル様は冷遇され続けてきましたが、本国ドメキア王の直系。
「選びたい放題だから、お見合いをして適当にあしらってくれれば良いのよ。余程の格差がなければ、ハンナが気に入った方と縁組をしてくれて構わないわ。今後、私達はそれだけの立場になれるようなのだから。掌返しではないから、そういう実を結ぶこともあるのよね」
割と砕けた口調で、のんびりと口にしたお義母様。かつて、ナーナ様の乳母だったとか違うとか、まことしやかな噂を聞いたことがあります。田舎の貧乏領地に引っ込んだ、後継もいない没落寸前の公爵家。王に見放されている領主を支援して、年々財を減らしている見る目無し。それがお義父様とお義母様への逆風。今は、思いっきり追い風のようです。
「会ってみないと相手の人柄は分からない。よって見合いはして欲しい。フィズ様の側近方や煌国華族も視野に入れてくれ。来年辺り、煌国へ行く予定があるとバース様から聞いている。完全に自由ではないが、ある程度の自由はある。気に入った者がいたら教えてくれ」
衝撃的な事態に、私は言葉を失いました。確かにそろそろ婿取りの話が出てくるとは思っていましたが、私に選択権があるとは驚きしかありません。娼婦の娘、その人生にこんなことが起こるとは奇跡。全てはコーディアル様が助けてくださったからです。
コーディアル様に有益な婿を!
「お義父様の人脈で1番コーディアル様に有益な方と縁組みしたいです。どんな方でも誠心誠意尽くします」
即答した私に、お義父様とお義母様は苦笑いを返しました。一瞬、コーディアル様の為に結婚を決めたルイ様を思い出しました。あまり胸は痛みません。私はコーディアル様に完全敗北ですし、ルイ様と婚約者は仲睦まじいらしいです。ルイ様が真心を持って接しているのでしょう。すっかり長年の想いという熱は冷めています。
私も相手が誰であろうと同じようになれる気がします。お義父様は嫌な人間と私を縁組みさせたりしないでしょう。ご自分の後継になる者ですから、それなりに吟味する筈。
「そう言うと思ってな、あちらのオルゴ様に少々話をしている。アクイラ様は取りつく島もなくてな。煌国でも強い権力握る華族の次男。フィズ様とコーディアル様の側近。大蛇の国から脱出せねばならなくなっても、煌国と縁を結んでおけば安心だろう? 大蛇の国でこのまま暮らすにしても、煌国に行くことになっても、お前はコーディアル様に奉仕を続けられる。向こうも大蛇の国に公爵の地位を得られる」
衝撃的事実が2件目です!
あちら、とお義父様が示したのは演劇場の舞台に登っているオルゴ様でした。名前も告げたので、当然オルゴ様ですね。騎士の格好で、アクイラ様と向かい合っています。お母様との歓談や縁談話などで、ながら見していましたが、領主挨拶が終わり演舞披露になったところです。
黄色い声援の多いこと。
アクイラ様とオルゴ様の人気は、大蛇の国にはあまりいない屈強さや力強い男らしさからきています。それに、煌国華族とのパイプ。飄々としているお2人には、未だ浮いた話がありません。煌国とのパイプが欲しい貴族は、娘の相手にと望んでいるのは聞いています。お義父様が告げたように、相手であるアクイラ様やオルゴ様は大蛇の国での地位を得られます。
アクイラ様が、祖国では少々女性関係が目立っていたというのは、新米騎士マルクから聞きました。オルゴ様は不明です。まあ、紅葉草子を読んで知ったのですが煌国華族の男性は浮名を流すのがステータス。オルゴ様もアクイラ様と似たようなものかもしれません。フィズ様は特例なのでしょう。話を聞かない、勘違いが多いという、かなりの変人ですし。
この雰囲気ですと、かなりの数の縁談話がアクイラ様やオルゴ様に舞い込んでいるのではないでしょうか?
……。
チラリとコーディアル様に一途なフィズ様が脳裏によぎりました。あんな風に、たった1人だけですと、大切に想われたいです。
……。
オルゴ様は煌国文化を大蛇の国にも持ち込むかもしれません。そもそも、大蛇の国の貴族男性も少々女関係が派手です。お義父様はフィズ様同様に例外の分類。
……。
正直私はルイ様のようなスラリとした貴族らしい貴族が好みです。屈強な騎士に憧れるか、王子様系に憧れるかは意見が分かれるものですが私は後者です。
……。
コーディアル様。私、コーディアル様やお義父様やお義母様の為にオルゴ様と政略結婚を目指します!
ラスの言う通りオルゴ様が私を気にかけてくれているのならば、達成出来るかもしれません!
乙女の憧れなどゴミ箱ポイポイ! 背に腹は変えられません! オルゴ様が優しい事は良く良く知っています! 好みも気持ちも何とかなるでしょう!
このハンナは必ずやオルゴ様との政略結婚大会を勝ち抜いてみせます!




