083. 選択
紫の石盤に近づく蒼一へ、ハナがその理由を聞く。
「私の意見以外に、根拠はあるの?」
「ねえよ……いや、色かな」
「紫がどうかした?」
「単なる連想ゲームだ。勇者と女神の召喚陣、青とピンクだっただろ?」
「そうね」
「どっちとも繋がってるなら、混ぜて紫かと思っただけだよ」
その答えに、彼女は案外納得した。
召喚陣と接続しているというのは、間違ってはいない。大元が混色しているのも、有り得る話だった。
「……悪くない推理ね。任せたわ」
「恨みっこ無しだぜ」
石の縁に手を掛け、深く息を吐くと、彼はスキルを発動した。
「研磨っ」
齧られたチーズのように、円い石版が歪な形に変形して行く。
円の欠けた部分が中心に届くかというところで、紫の魔光が薄まり消失した。
「みんな、何か変化はあるか?」
「……無いわね」
「ありませんねえ。正解でしょうか」
ハナと雪に続き、メイリも首を横に振る。
台に置かれた大型タブラにも、特に変わりは無い。
「タブラが無事なら、正解ってことだ。次は雪の出番じゃないか?」
「あっ、はい……何をすれば?」
“女神の力をもって、物語は幕を閉じん”
これは王国全土に行き渡る呪縛を解除することだと思われたのだが……。
女神の巻き物の原典は、ハナが先に読んでいた。
彼女が指針を示してくれる。
「あなたのこと、書いてあったわよ。“最後の勇者に見守られ、女神が染める。王国に栄えあれ”」
これは女神版のラストの記述だ。
曖昧なのは相変わらずだが、雪の女神の力を想像する助けになった。
考え込む雪を、蒼一たちが黙って見守る。
何かに思い当たった彼女は、徐に口を開いた。
「あの時、思ったんです。ほら、ハナさんが石像を解呪した時です」
「終焉の平原でのこと?」
「そうです。白い光が石像に降りかかって、真っ白になりましたよね。あれ、雪みたいだなって」
彼女はこれまで何度も、“雪”を発動しようとしてきた。
人に対して、魔物に向かって、時には路傍の石にも。
“雪”のイメージは、彼女の能力としてそれで正しく、間違っていたのはタイミングと対象だ。
発動すべきは、今この時、王国の土地全てに向けてだった。
「やってみます」
雪の女神は、この国全土に降り注ぐ雪を思い描く。
光を発して舞い降り、遍く地上に積もる白いベール。
全てを白く染め上げよ――。
この瞬間、王国の空から、無数の魔光が降り始めた。
季節外れの雪に、デスタで、ハルサキムで、トルで、人々は外に駆け出して上を見上げる。
光る雪はどこか温かく、触れた肌を優しく撫でた。
木々を包み、野に積もり、カナン山は美しく輝く。
王城の外で、捕虜を誘導していたネルハイムとローゼも、不可思議な現象にポカンと口を開ける。
ロッドの先を肩に載せ、ニッキが二人へ歩み寄った。
「始まったのよ、ようやく」
「この雪は……一体何が?」
「あのマイペース女神、雪の女神なんでしょ? あの娘の能力よ、たぶん」
神の御業のような幻想的な光景は、たっぷり半刻は継続した。
降り積もった雪は、人々を縛ってきた理と共に溶け、やがていつもの風景に戻って行く。
景色は変わらずとも、何かが大きく変化したことに、皆気付いていた。
「もう、城の呪いは消えたと思うわ。兵を見てみなさい」
まだ夢見心地のローゼに対し、ニッキは杖で捕虜たちを指す。
赤子のように辺りを見回す兵は、自分の置かれた状況が把握できず、戸惑いを隠せていない。
「じゃあ、もう王国は……あっ、ニッキさん、どこへ?」
「決まってるでしょ、私も地下へ行く。面白そうじゃない」
彼女を皮切りに、他の勇者や女神たちも、ゾロゾロと城内の階段へ向かった。
◇
目を閉じて集中する雪の額の汗を、メイリが拭いてやる。
長時間の能力発動は、さすがの女神でも重労働だ。仕事を終えた女神は、大きく深呼吸して、やっと体の硬直を解く。
「長かったあ。上手く行ったんですかね――って蒼一さん!」
雪の背後では、蒼一とハナが天日干しのシェラ貝を堪能していた。
「時間掛かりそうだったから、昼飯にさせてもらったぞ。お前も食うか?」
「あったり前です! どんだけお腹が減ったと思ってるんですか」
「二百年以上、生きて来た甲斐があったわ。貝だけに」
ハナが絶賛するのも無理は無い。天日で熟成された貝は、旨味の化け物だ。
四人で遅い昼食を楽しみつつ、次の行動について相談が始まった。
「呪縛の話は片付いた。魔物への対処は、今後は大陸ギルドが主導してくれるだろう」
「……私も手伝うわ。こっちに残ろうと思うから」
ハナが帰還しないと言い出すのは、蒼一には想定済みだ。
特に驚きもせず、彼は「そうか」と短く返す。
「俺たちは、地球へ帰る。方法も分かった、返却だ」
「それなんですけど、どういうことです?」
「雪にしては珍しく鈍いな。メイリ、お前さっき一冊パクってただろ?」
盗んでないもんと怒りながらも、少女は抜き出して来た本型タブラを差し出した。
背表紙を見て、なぜメイリがこの本を選んだのか蒼一は理解する。
「知ってる名前を見つけたんだよ」
「こいつもそうだったのか」
「誰ですか?」
彼は本の背を雪に向けた。
「ドスランゼル……ええっ、あのヒゲの!?」
「北部第一神官だったな。こいつ以外にも、知った名前をチラチラ見たぞ」
大図書室に収められたタブラは、全て人の名前が記してある。中身はその人物の、地球での記録だ。
どうやらこの王国に召喚されたのは、勇者と女神だけではないらしい。
タブラの数だけ被召喚者がいるとするなら、万は超す計算になる。
「勇者の任を解く方法は二つ。えーっと……」
立ち上がった蒼一は、勇者システムの原典のページを繰った。
何らかの理由で勇者の務めを放棄したい者にも、一応の緊急手段が用意されている。
「一つは“その者、全てを忘れ、この地に再臨す”、これはメイリのパターンだな」
「勇者だけど、勇者じゃなくなる。あんまり嬉しくないね」
「……ごめんなさい」
メイリの感想に、ハナが改めて謝罪した。
ロクな効果ではないものの、“忘却”は公式スキルだ。文句を言うべきは、底意地の悪い二代目女神だろう。
「もう一つある。“記録を返されし者、この地を去るべし”」
「ああ! タブラの記録を“返却”するんですね」
「返却スキル、このためとしか思えん」
振り直しの際には、“撤回”と“返却”とで迷った。あの時、返却を取っていても、何も起こらなかったに違いない。
返却する対象は、ここに置かれたタブラだった。
「俺が“返却”を取り、まず雪とメイリを送り帰す。俺自身が帰れば、返却はまたスキルリストに戻る」
「続きはトムスにやらせるわ。彼も残るだろうから。帰りたい者は、私たちに言えばいい」
「そうしてくれると、俺たちも助かる」
万事解決に見えるこの手順にも、一点だけ問題があった。
「……どこにあるんですかね、私たちのタブラ」
「探すの大変そうだよ」
先程の雪の奮闘中、蒼一もただ貝を噛んでいたわけではない。
彼はどうやって効率良くタブラを探すか、それを考え続けていた。
「この機巧の女神だけどな。根性は曲がってるが、無駄なことはしてない」
「まあ、そうですかね。ちょっと独りよがりにも思いますけど」
「そこは置いとこう。こいつの作ったスキル集が鍵だ」
返却や忘却にも、役割は存在する。どの能力も、何か目的は必ずあるはずだ。
「何の役にも立たないスキルは、おかしいんだよ。つまり――」
「分かりました。ハラキリですね」
「そう、俺が腹を切れば、タブラの場所が判明する。そんなわけがあるかあぁーっ!」
――ことここに及んで、まだボケるのか、この半笑い女神は。俺の腹の中味に執着し過ぎだろう。モツ好きもいい加減にしろ。
「自己探索だよ! 腹なんか絶対切らないからな」
自分を探す、その意味は、自分の本を探すではないだろうか。
雪に返却と自己探索を取得してもらい、紙のタブラに早速スキルを試してみる。
光点が部屋内を示したことに、蒼一はガッツポーズを取った。
「おっしゃ! そんでだな、この紙をメイリも持ってみろ」
「あ、うん……」
自己探索のタブラが少女の手に渡った途端、光は別の場所に移る。
所持者の“自己”を探す、その期待通りのスキル効果を確認でき、蒼一とメイリはハイタッチした。
「これで私も帰れる!」
「おう、さっさと探そうぜ」
タブラを頼りに、蒼一たちは書架の間を走り回る。
万の蔵書があろうが、ヒント付きなら大した手間でもない。
メイリのタブラ、雪のタブラと見つけ出し、蒼一の番となった頃、トムスたち他の者が部屋の入り口に現れた。
◇
呪縛がなくなったことで、勇者と女神に加え、ネルハイムやマルーズたちも地下に降りて来た。
この施設の詳細や、これまでの経緯について、ハナが皆に説明する。
「それじゃ、ソウイチ様は帰られるのですね……」
マルーズが左手の指輪を触りながら、寂しそうに呟いた。
こればかりは、最初から分かっていたことだ。勇者と彼女では、戻る世界が違う。
自分のタブラも発見し、読み歩きながら帰ってきた蒼一へ、ニッキが手の平を差し出す。
「貸して、それ。私も探す」
「それって、自己探索か? えっ、お前も戻るの?」
「なんで不満そうなのよ」
――そりゃ、平和を司る勇者としては、ちょっと躊躇うぞ。
彼はトムスに帰還斡旋役を譲ることを説明し、七代目に返却を頼むよう彼女を説得した。
「仕方ないわね。じゃあ、とっとと帰りなさい」
「はい、そうします」
ニッキに促されなくても、蒼一はそうするつもりだ。感傷的な別れなんて、彼には似合わない。
「勇者様、あとは私たちにお任せください」
これはローゼ。横でネルハイムが厳かに両手を合わせる。
「たまには……こっちにも遊びに来て、ソウイチさん」
無茶を言うのはマルーズ。蒼一の代わりに、ラバルがツッコんでくれた。
「また空から迎えに来てくださいね」
さらなる無茶は、言わずと知れたドリーマーだ。たまには自分が飛べと、つい口に出してしまった。
彼らと言葉を交わす最中に、蒼一は胸の念話石が光っていることに気付く。
王国に降った雪の報告を受け、エマが一言だけメッセージを送ってきていた。
“お疲れさま”
石を見つめる彼へ、ハナとトムスが進み出る。
「ソウイチ殿には、いくら感謝しても足りない」
「いいよ、そんなの。こっからだろ、大変なのは」
「王国人にも、帰りたい人はいると思うわ。ライルのタブラもあったみたい」
「神統会の連中には、地球出身も多そうだな」
――ごっそり帰れば、地球側が混乱するかもしれん。いや、帰る先って、みんな一緒なのか……?
雪に振り返った蒼一は、本の中を読むように頼む。
どうせなら、帰還後に飯くらい奢ってやろうと彼女の地球での住所を尋ねた。
「えーっと、私の家はですね――」
意外と近く、これならまた直ぐに顔を合わせられそうだった。
メイリにも尋ねたものの、彼女は楽に合流できないだろうと顔を曇らせる。
そんなのは時間の問題だと、蒼一は笑って励ました。また会いたいと思うなら、きっと叶うはずじゃないかと。
十八番目の勇者の放浪譚は、こうして終わりを迎えようとしていた。




