081. 切り札
腕を押さえ立ち上がるトムスに、ハナが駆け寄る。
彼へ回復を発動しながら、彼女は蒼一に向かって叫んだ。
「魔傀儡は始末したわ、後はそいつだけ!」
「どういう奴なんだ、これ!?」
一つ一つ意志を持って本体に集まろうと移動する、細かな銀の断片。全てが結集すると、震音盤で崩れる前よりも、さらに体を大きく膨らませたように見える。
水銀のようなその構成素体は、彼女の知識にもあった。
「魔銀……床全体が、こいつの材料よ!」
「それじゃあ、いくらでも補修できるじゃねえか」
魔銀のゴーレム。流動体の巨人は、魔力抵抗に優れ、物理攻撃を受け流す。
防御に偏った性能を誇っており、攻撃方法は二つだけだ。
力任せに殴るか、魔銀に取り込んで溶解するか。
「聖剣が溶かされた……剣が通用しない」
愛剣を破壊され、トムスが悔し気にゴーレムを睨む。
「核にしか攻撃は通らないわ。どこかに埋まってるはず!」
「どこかって、どこだよ? もうスライムみたいだぞ!」
ハナのアドバイスを受けつつも、蒼一は手持ちのスキルを試し続ける。
粘着は一部を貼り付けるだけで、分離した本体に影響が無い。木枯らしや風圧盤は、多少形を歪めるだけ。
鎌鼠は、食いつくどころか、逆に魔銀に包まれて消えてしまった。
「警戒走行っ」
動きは遅いため、警戒状態ならゴーレムの攻撃は躱せる。しかし、打撃も無効となれば手出しできず、じり貧だ。
――どうすれば、核を露出できる? 震音盤の連打……いや、この変幻自在のボディを、まず何とかしなければ。
「トムス、お前のスキルの出番だ」
「なんだ、何をすればいい?」
「魔竜用に取ったんだろ、石波動」
「ああ!」
バジリスク相手には結局使用できなかった石化スキル、こいつで固めれば、勝機が生まれる。
蒼一と戦う銀の塊へ、トムスが横からスキルを放った。
「当たれ、石波動っ!」
スライム状のゴーレムは、体の半分を石と変化させたところで、その身を半分に分裂させる。
まだ動く半身が、核のある方だろう。
小さくなった魔銀が、蒼一たちから逃げるようにスルスルと床を移動する。
「連射してやれ!」
「分かった、ハナは後ろへ!」
残る敵へ向けて、石波動の赤い魔光が連続で撃ち込まれるが、魔銀は器用に直撃を避けた。
小さくなった魔銀は移動スピードを上げ、その加速をトムスの石化では捉え切れない。
石化がかすって固まった部分を切り離しながら、銀のスライムは大空洞の中央へと滑り逃げた。
「くそっ、あと少しなのに……」
部屋の中心へ走る蒼一とトムス。その後ろを、雪やハナたちが追いかける。
直撃さえ当てれば――そう考えて駆ける彼らの足元が、急に暗転した。
「なんだ……?」
「光が集まって行きます!」
雪の表現を、ハナが正す。
「光じゃない、床の魔銀が中心に集まってる」
大空洞の床を覆っていた魔銀のコーティングが、吸い込まれるように中央へ引き寄せられた。
仔犬大にまで小さくなっていた銀色の守護者は、再び人の姿を取り戻して膨張する。
手足は巨木サイズに、体高は天井に届きそうなほどに。
最大限まで掻き集められた魔銀は、イシジンの数倍という大巨人に生まれ変わった。
「なんて大きさだ……石波――!?」
トムスのスキル詠唱は、ゴーレムの放った弾丸で邪魔される。
腕を軽く振り、体の一部を分離して、そのまま弾として投射する。巨大化したことで、魔銀のゴーレムは新たに危険な攻撃手段を増やした。
列柱を利用して弾丸を避けつつ、トムスが石化を狙う。
表面を石波動で削り、消耗戦を挑むしかない。
メイリとレイサは、最早近付くこともできず、後方で祈るように戦いの推移を見守っていた。
蒼一は囮役として、ゴーレムにちょっかいを掛け、少しでも石化のための隙を作ろうとする。
同じく標的になろうとする雪とハナへ、彼は怒鳴った。
「お前らは下がってろ! 弾が当たったら、俺たちが倒れる」
「で、でも……」
「彼の言う通りよ、ユキ!」
ゴーレムの両腕が、伸びた麺のようにダラリと伸びて、地面にとぐろを巻く。
水銀のゴーレムは、人を模していても人ではないのだ。人間には有り得ない動きで、巨人は攻撃を開始した。
ゴーレムの上半身が、グルグルとその場で水平回転し、長い腕が鞭となって振り回される。
銀の鞭も強烈だが、それだけでは済まなかった。
近くの列柱が魔銀でズタズタに砕かれ、飛び散る破片も蒼一たちを襲う。
「こいつ、ここが壊れてもいいのかよ!」
「蒼一さん、後ろへ逃げてください!」
蒼一と雪は運良く攻撃を回避したものの、トムスは鞭を足に食らい、その場に膝を付いた。
石材が降り注ぐ中、ハナが回復のため彼に駆け寄る。
石の破片はメイリにも届き、頭を強打した彼女も地に臥せた。
「メイリさん! きゃあっ!」
レイサが悲鳴を上げながら、必死で少女の体を引きずって逃げる。
「あれを止めないと駄目だ!」
「蒼一さん!」
トムスも石波動を撃ち返し始めたが、それだけじゃ足りない。
蒼一は盾を構え、ゴーレムに向かって走り出した。
「警戒走行っ……鞘合わせ!」
鞭を鞘で防ぎ、巨人の足元まで接近した彼は、魔装の盾を銀の体に圧着させる。
「震音盤っ!」
震動は確かに、魔銀の体を内部から揺らした。
手先まで伝わった震えが鞭の強度を緩め、一瞬、回転攻撃が速度を落とす。
「もう一回! 震音盤っ……あ、あれ?」
連続する震動の衝撃波はゴーレムの動きを阻害したものの、接触攻撃は褒められた戦法とは言えない。
波打つ魔銀が、盾を包もうと蠢めき出す。
「コ、コレハ……気持ちイイ……イヤ、悪い……?」
「どっちでもいいわ! 人型に戻れ、取り込まれるぞ」
黒い魔傀儡に戻ったロウの手を、蒼一は全力で引っ張った。その彼の手にまで、魔銀は触手を広げて行く。
「放しやがれ、この水銀野郎! 炊事っ、気つけ!」
スキルの連打で、僅かにゴーレムの体表に泡が立つ。
だが、それが限度だ。
「ソウイチ殿、手を放せ、石化させる!」
「ハナシテ……ドウゾ……」
――諦めのいい性格なら、こんな所まで来るもんか。
ロウを掴み続ける蒼一に、トムスの方が先に痺れを切らす。
「すまない、ソウイチ殿ごと石に――」
「クピィィーッ!」
石波動が撃たれる直前、キノコの叫びが響く。
巨人の脚部に目掛け、葉竜が捨て身の体当たりを敢行したのだった。
◇
メイリの周囲をウロウロしていた葉竜は、少女が石つぶてに倒れたことに動揺した。
仲間の言葉を、彼も何となくだが理解している。トカゲを倒して回った時は、笑って褒められたことを、誇らしく感じた。
なら、今するべきなのは、あの汚い生き物を倒すことだと彼は考える。あれをやっつけたら、今までで一番みんなが喜ぶだろう、と。
床を蹴って走り出した竜は、女神の横をすり抜け、勇者に向かって突撃する。
あの太い脚に、渾身の一撃を。
鬨の声を上げ、葉竜は全力で敵にぶち当たる。
「マーくん!」
雪が叫んだ時には、竜の身体は八割方、魔銀に埋もれていた。
まだ見えていた長い尻尾も、瞬く間にゴーレムの体内へ引き込まれる。
さしたる影響も無く、葉竜の攻撃を吸収したと思われた巨人。その身体に現れた僅かな変化を、接触している蒼一は見逃さない。
「おっ……これなら……おりゃーっ!」
拘束が緩まったチャンスに、彼は盾を勢い良く引き剥がす。
ゴーレムの体をちぎり、銀の飛沫を撒き散らして、ロウと蒼一は後ろへ転がった。
巨人の鞭が、力を失って床にグニャリと横たわる。
竜が侵入した脚の表面に、白い光が浮かび出た。葉脈を思わせる光条は、ヒビ割れたガラスのようだ。
ヒビは生き物を思わせる動きで魔銀を浸蝕し、ゴーレムの巨体は銀と白のマーブリングで彩られた。
「これは……おいっ、キノコッ! 聞こえてるなら、そいつの核を探してくれ!」
魔銀のゴーレムは、体内に最強の毒を招き入れてしまったのだ。内側から体を奪う、キノコの毒を。
白と銀が、支配権を争ってゴーレムの全身を駆け巡る。
やがて巨人の頭頂部が、激しく発光し始めた。
「あそこか。トムス、てっぺんを狙え、あれが核だ」
「分かった!」
蒼一は雪にも振り返る。
「聖剣だ、包丁を寄越せ!」
「は、はい!」
石波動が、身じろぎしなくなった巨人の頭へ次々と撃ち込まれた。
頭部が岩と化すと同時に、巨体を構成していた魔銀が、床一面にぶち撒けられる。濁流となった水銀へ、ゴトンと石の頭が落下した。
「喰らえーっ!」
猛然とダッシュした蒼一は、銀の波を踏み分け、岩へと向かう。
その手に握られるのは、セラミックの聖剣だ。
ガーンッ――空洞内に反響する衝突音。
高強度の勇者による石化をものともせず、岩に包丁が三分の一ほど突き刺さった。
残る刃は、スキルで押し込む。
「鞘打ち! 重撃、連環撃っ!」
重なる打突に残響も加わり、鼓膜を破らんばかりの音が轟いた。
蒼一の鞘が、ボウガンが、包丁をセンチ刻みで岩へ刺し込んで行く。
「割れろ、乱れ鞘打ちっ!」
ガンガンと叩き付ける鞘のラッシュの末、遂に刃が完全に岩の中に消えた。
乾いた破裂音と共に生じる細かな亀裂。
ほんの刹那の静寂が、苛立たしい程じれったい。
一転、爆発するような反響が空洞内を駆け巡る。全員の視線に耐えられなくなったとでも言わんばかりに、岩が粉微塵に砕け散った。
いびつな石の残骸の中に、一つだけ滑らかな輪郭が目立つ。
「これが本体か。手間掛けさせやがって!」
拳サイズの石盤を拾い上げ、固く握り締めた蒼一が、トドメのスキルを宣言する。
「研磨っ!」
細かな砂クズが、指の間から噴き出した。
全てを粉にするまで力を緩めず、石盤の存在が消し去られてやっと、蒼一はその手を開く。
パンパンと両手を叩いて、埃を払う彼に、雪やトムスが近寄って来た。
メイリもハナに回復してもらい、レイサと一緒にゴーレムの成れの果てを見回す。
「マーくん……」
姿の見えない葉竜の名を、メイリは小さく呟いた。
魔銀は溶けた形のまま、固体に戻ろうとしている。ただの金属となった銀色の床へ、少女は腰を下ろし、手を触れた。
「ここ、まだ光ってる」
幾筋もの微かな白光が、メイリの指を目掛けて銀塊の中を走る。
魔銀から抜け出した光は、指を辿り、彼女の嵌めていた絆の指輪に集まった。
「マーくん?」
「それっぽいけど、さすがに指輪に宿ったんじゃ――」
「クピィー」
「喋れるのかよ!」
――もうスライム系じゃなくて、霊体じゃん。マンドラー霊。
実のところ、メイリの体内に吸収された時点で、マーくんは魔力体として変質していた。
スライムと十七代勇者の力、打ち勝ったのは勇者であり、メイリは知らずして魔物を調伏していたのだった。
「ちょっと残念でしたね、蒼一さん」
「葉竜じゃなくなったからか? 別に構わないよ。荷物は自分で持てば――」
「最後の締めくらい、派手なスキル使いたかったでしょ。ハラキリとか」
「誰が使うか、そんなもん! 取ってもいねえよ!」
一度も使い所が無く、使う気にもなれない死にスキル。
蒼一によってその第一位は、字面も相応しい“切腹”に決定したのだった。




