066. 女神たち
厩舎にマーくんの様子を見に来た蒼一は、マイゼルの悲鳴で出迎えられた。
葉竜は彼の腰ベルトを銜えて、俯せた体を持ち上げている。手足をバタバタさせて、彼は助けを求めた。
「ゆ、勇者様! 竜をなだめてください」
「何をやって、怒らせたんだ?」
彼の言うことには、首の付け根に出来た大きな鱗を引っ張った途端、葉竜が暴れ出したらしい。
あと一枚、鱗が必要という所での、施設長の勇み足だった。
「その上向けに生えてるやつだろ。そりゃ逆鱗だ」
「こ、これがそうでしたか」
「クピッ!」
しばらく不埒者を振り回していた竜も、蒼一を見て落ち着いたのか、口の獲物をドサリと落とす。
「そいつの鱗で、素材はラストか?」
「あっ、はい……女神様たちは?」
「塔に行ってる。メイリが子供化したんだよ」
「はあ……」
泥だらけのマイゼルは、節々を押さえながら、朝の日差しに目を細めた。
「いい天気です。この天候なら、本部長は昼過ぎに到着されるでしょう」
「いよいよか。皆も連れ戻そう。後でギルドに行くよ」
「お待ちしております」
「クピクピ」
飛翔魔法を体感して御満悦のメイリたちは、正午前に宿に帰ってきた。
「すごかったよ! ビューンって!」
手を振り回し、少女は飛行を再現してみせようとする。
「はしゃぐと、ほんと子供みたいだな。これも“忘却”のせいなのか?」
「多分……出会った時より、幼く見えるわ」
――脳みそツルツルにされたんだろうなあ。
喜ぶ少女は微笑ましいが、スキルのせいだと思うと苦笑いに変わる。
彼女たちが揃ったことで、蒼一たちは食堂に向かった。彼の予想通り、この昼も数日連続になる鳥肉が出される。
大怪鳥の肉で試作された雪の鳥料理は、街の人々にも好評で、大流行の兆しが現れていた。
今回も地鳥を使ったチキンサンドで、雪のレシピに従ったものだ。
「この鳥肉についてるナッツみたいなやつ、美味いな」
「ウォルミルの実を砕いて炒りました。トルで手に入れた物ですよ」
木の実には油分が多量に含まれており、一緒に焼かれた鳥肉の皮は香ばしく、食感もいい。
大味な巨鳥の肉よりも、下手をしたら数段上の味わいだ。
「大怪鳥はスープが一番美味でした。骨も取ってくればよかった」
「料理もいいけど、やっと本部長が来るってさ」
この発言には、雪よりもハナが反応する。
チキンサンドを片手に考え込み始めた彼女に、蒼一は質問した。
「本部長に会ったことはあるんだよな?」
「ええ……いや、あくまで大賢者としてだけね」
「素性を明かすのは、初めてなのか」
「とっくに気付いてても、おかしくないけど」
大陸ギルドを創設した老婦人については、ハナから多少説明を受けている。
会って何を話すつもりだったのかは、本部長が来たら分かると彼女は言った。横で聞けばいいということだ。
食事の後、ギルドに赴いた彼らは、倉庫室で魔物素材の整理に取り掛かった。
マイゼルに呼び出されたのは、水龍の短剣以外の素材をまとめ終わった頃だ。
「本部長が到着しました。会議室へどうぞ」
「オーケー」
円卓の置かれた広い部屋で待ち受けていた老齢の婦人は、彼らの姿を見て立ち上がる。
「初めまして、エマ・グランネラです。エマでいいわ」
「蒼一だ。十八番目の勇者をやらされてる。こっちは十七代の勇者メイリ、この頬肉の美味そうなのが――」
「十八番目の女神、ユキさんね。後ろのあなたが大賢者、いえ七番目の女神」
「ハナよ」
エマはこの世界の人間ではない。彼女も召喚された身だ。
十八番目と七番目、そして十五番目の三人の女神が、一堂に介した瞬間だった。
◇
本部長には蒼一も聞きたいことが山積みだが、まずはハナの用件から話は始まった。
蒼一が部屋の奥に座ると、テーブルを囲んで皆も着席する。言霊の女神、エマは彼の真正面、ハナはその隣に陣取った。
「ギルドは王国に逆らう気なの?」
「……神統会が王国だと言うなら、そうね」
「もう少しだけ待って欲しい。まだ、やりたいことがある」
「あなたの“もう少し”は、何年くらいなのかしら?」
物腰柔らかく、上品な銀髪の婦人がハナを見る。
本部長は質素な綿服を着ているが、袖口や襟に小さな刺繍があり、女神らしい洗練された印象を与えた。
しかし、その目は相手を射抜く鋭さを持ち、よほど彼女の方が二百歳オーバーで通用しそうだ。
「もう知ってるんでしょ? 私はトムスを助けたい。それが済んだら、何をしてくれても構わないわ」
「助けるために、今の王国を維持したい。そう考える理由は何?」
「国の仕組みを破壊して、何も起こらないと思うの?」
お互いが、質問に質問を重ねる。
何かを断定するには、どちらも情報不足なのだ。
エマは膝の上で手を組み、大陸ギルドの立場を皆に語り出す。
「私たちの、いえ、私の目的は、王国の不自然な在り方を是正することです」
「不自然って?」
今代女神が詳細を求める。
「魔物を王国に呼び寄せ、それを勇者が討伐する。百歩譲ってそれはいいとしましょう」
「良くはないですけどね。問題は?」
「その仕組みのために、王国には異様な呪詛が張り巡らされています。既にご存じかしら?」
蒼一と雪は、コクリと頷く。
「あれは王国民の精神を、何代にも亘って浸蝕しているのです」
「みんな狂ってると言いたいのか?」
彼の発言にゆっくりと首を横に振り、エマはそうではないと言う。
「人々は普通に暮らしています。ただ、どこかおかしい。低犯罪率、勇者教以外の忘却、出生率の低下……」
「ジワジワ影響が出てるわけだ」
「少ない新産児には、奇妙な障害を持つ子が多い。全身の体毛が無いとか、知能は高いはずなのに言語だけは習得できないとか……関連性は分かりませんが」
旅で見た記憶を思い返した雪は、エマの言う“不自然”を理解する。
ぶどう園では小さな子供が家族を手伝い、ナタンドの子たちは砂地獄で遊んだ。
王国でそんな微笑ましい光景を見たのは、スラベッタの村くらいだろうか。
「確かに、小さい子供はほとんど見ませんでした。よく人口が減りませんね」
「減っていますよ。私ですら気付くんですから、ハナならもっと分かってるでしょう」
大賢者として二百年以上、国を見てきた老幼女も、渋々その事実を認めた。
「大都市はともかく、小さな村はいくつか消えたわ。王都を出たら、森と山しかなくなったもの」
ギルド本部が大陸の東、王都とは逆端に設けられたのも、それが理由だ。
どこまで影響があるか分からない王都の呪縛を嫌って、エマは逃げるように大陸を横断したのだった。
自分を召喚した、そして王国の人を縛る仕組みに対抗するため、彼女は力を求める。大陸ギルドはそうやって組織された。
「悪影響はあるかもしれない。でも、この仕組みを無理に止めたら、私たちも女神を解任されるのではなくて?」
「それのどこがいけないの?」
その言い分に、老婦人は怪訝に眉をひそめる。
ハナは、雪の隣にいるメイリを指で差した。
「無理やり解除した結果が、その十七代の少女。全ての記憶を消されては困るのよ……それだけはイヤ!」
魔言語を忘れようが、幼く性格が変容しようが、そんなものはどうでもいい。だが、トムスを忘れてしまっては、ここまで生きてきた意味が無い。
見詰め合う二人の旧女神。
重い沈黙を破って、パチンと大きな柏手が響いた。
「はいはいっ、注目ーっ。地球に帰りたい奴?」
雪とメイリの手が挙がる。
「やっぱりか。老人二人は帰る気ねえんだな」
批難めいた蒼一の言い方に、エマは寂しく笑った。
「私も最初は帰りたかったわ。でも、ここでの暮らしの方が長いもの」
「そりゃそうだろうけど――」
「記憶が薄れるのよ。歳のせいじゃない。地球にいた実感は、もうほとんど無いの」
ラズレーズに移って、郷愁の喪失はマシになったものの、完全に食い止めることは出来なかった。
この現象には、蒼一たちも覚えがある。長くここで暮らせば、地球は単なる知識上の異世界となって行くらしい。
「問題点が分かった気がするわ。帰還欲求が薄いから、悩むんだよ」
「どういうこと?」
エマとハナの双方が、言葉の続きを待つ。
「その前に、もう一つ質問だ。今までに地球に帰った奴を知ってるか?」
「どうでしょうね。十六代は行方不明。私の相方の勇者はとっくに亡くなってる」
「魔物にやられたのか?」
「老衰よ」
さらに前の代については、ハナが話す番だ。
「……ほとんどは、行方が分からない。魔竜を倒しに行って、それっきりって勇者が多い」
「十二番目は違うよな?」
「ダリアの両親ね。二人はラズレで結婚して、天寿を全うしたわ」
ハナの正体を知って以来、蒼一の中でずっと一つの疑念が頭から離れない。
これまで帰還に成功した者は皆無なのではないか。その思いは、ここでほぼ確信に近くなる。
「誰も成功していない帰還の方法を探ること、要は俺の帰還を最大の目的にすべきだ」
「一応聞くけど、根拠は?」
聞いたハナではなく、エマに向かって彼は答えた。
「あんたらは巻物を読めるだろ。雪、見せてやれ。何て書いてるよ?」
雪が広げた女神の巻物に、二人の先代女神が注視する。
「……“帰れ”」
「あなたたちの目的は、帰還なのね」
ギルドを設立し、この世界の変革を目指す内に、彼女は自分の原点を忘れていた。
誰もが一緒と思った勇者の目的が、ここに来て変化したのはなぜなのか。勇者召喚の仕組みは、まだ調べるべき謎が多い。
蒼一の指摘に、エマは目まぐるしく考えを巡らせる。
「今一度、古い資料を当たりましょう。旧都の遺跡にも、再度調査団を派遣して――」
「あっ……旧都は、んー……」
「何かあるの?」
「何も無いんだ。潰れたから」
何となくバツの悪い彼は、大蜘蛛との一戦だけをエマに伝えた。
「樹の魔物だけかと思ったら、蜘蛛が繁殖してたのね。魔物に潰される前に、ギルドの調査隊を送るべきだった!」
「そうだね」
ただ、幸いなことに、勇者の書がある。
蒼一は冒頭の一部を写し書いて彼女に見せ、その解読を依頼した。
「旧王国文字ね。読める人材はいるけれど……これ、旧都で増えた記述よね?」
「城を訪れた後だな」
「私でも分かる、これは手紙の書式よ」
「王国史じゃないのか。誰宛てだ?」
「多分……“我が親愛なるロウ・クラウセ”かしら」
部屋の後ろに立て掛けた盾の方へ、勇者が振り返る。
「よかったな、ロウ。お前、名字があるらしいぞ」
「カッコイイデスネ」
「驚いた、喋る盾なんて初めて見たわ」
勇者の書の写しをメイリに任せ、蒼一は各人の方針についてまとめて見せた。
「俺が知りたいのは帰還方法、エマは呪縛システムの仕組み、ハナはトムスの居場所。まずは王城探索かな、そうすると」
しばらく黙っていたハナが、顔を上げ、口を開く。
「呪縛の仕組みは見当がついてるけど、教えるには条件がある」
「聞いてやるよ。何だ?」
「王城より先に、魔竜を調べて欲しい」
二百年以上待って、ようやく忌まわしい竜を倒すことが出来るかもしれない。
正攻法で行った全ての勇者は、返り討ちにあった。十八番目は得体が知れない。この人なら――そうハナは期待した。
「王都の南西、終焉の平原。そこの南端に、今も竜はいるはず」
「トムスの消えた場所か。なぜ今まで調べなかった?」
「真っ先に調べたわ。でも、竜の巣までは、私一人じゃ行けない」
彼女の要望を聞く必要はないものの、竜が魔王扱いと言うなら、倒せそうか見に行くのもいい。
どうせダリアがお守りを作るのには、時間が掛かるだろう。
「分かった、行くだけ行くか。介護が要るなら仕方ない」
「私は老人じゃない。エマと一緒にしないで」
この日初めて、ギルド本部長が顔を歪め、露骨に不快感を表した。般若像はほんの刹那で消え、またすぐに上品な老婦人が戻って来る。
「……それで、ギルドにして欲しいことはある? 手紙の翻訳以外で」
「あるんだが、魔竜の後かな。ちょっと面倒臭いぞ」
細部を詰めるため、会議は夕食を挟み、夜まで続けられた。
晩飯は雪自らが用意した鳥のポトフで、本部長は生涯で最高の味だと絶賛していた。




