062. アイ・キャン・フライ
蒼一たちの戦闘を聞き付け、西からの街兵も塔前へ集結しつつあった。
統括指揮官のノースが、塔を見上げる勇者の横に立つ。
「犯人は、この中ですか?」
「そうだ。入り口を中心に、周囲を固めてくれ」
「承知しました」
いつの間にか指名手配犯の扱いになった大賢者の呼称を、蒼一は敢えて訂正しない。
火炎対策として、水系魔法の得意な魔術師が入り口付近には配置された。
昨日の会議でノースが街兵の戦力説明を行ったが、マルーズほどの手練れはいないらしい。ここに来て、彼はダッハの魔術師の実力を再認識していた。
包囲が完成してすぐ、塔の最上部に変化が現れる。
「ソウイチ、塔が光ってる!」
「ああ、動き出したな……」
青い光が、朝の空に目映く輝く。灯台の輝光石ではなく、魔力光による現象だ。
蒼一たちが見つめる中、光は左右に大きく伸び、やがて塔頂を中心とする二つの紡錘形が形作られた。
薄く広がる二枚の巨大な光の葉。それはまるで――
「――翼だ。あいつ、壁を飛び越える気だ」
彼の言葉を裏付けるように、光の羽根はゆっくりと塔から離れる。
大賢者は、飛翼の魔法で空中へと身を投じた。
東口を目指すグライダーは、風に吹かれる綿毛のようにフワフワと浮かぶ。
「このスピードなら追いつける、跳ねるっ!」
バネ音を発し、蒼一は大賢者に向かって大ジャンプを試みた。
跳躍方向はバッチリ、滑空する目標の真下に到達するが、彼の伸ばした手は後少しで賢者の足を逃す。
街路に着地した勇者は、走り寄る雪に新スキルを求めた。
「“加重”を取ってくれ! 上から押さえる!」
「はいっ!」
彼女は慌てて巻き物を開く。
能力取得を待たずに、蒼一は手近にある民家の屋根へ跳んだ。
少しでも高い場所を探して、もう一度跳躍。
ナタンドの市民会議所の屋上に降り立ち、十メートルほどの高度を稼ぐ。
「これでどうだっ、跳ねる!」
一度目より高いジャンプは、大賢者の上を取ることに成功した。
「粘着っ」
「う、上!?」
空飛ぶ少女の背中に粘着を当て、自分の右手をそこへ叩き付ける。接着点を軸に、彼は大賢者から垂れる振り子となった。
すかさず左手も彼女の腰に回すと、蒼一は両手で少女にぶら下がる形に持ち込んだ。
大きく揺れながらも、大賢者は翼に魔力を流し込み、邪魔な荷物を排除しようとする。
「離しなさいよ、解術!」
「させるか! 硬化っ」
石化勇者は多少重量が増すため、二人は一瞬ガクンと下に落ちた。しかし、その程度なら、大賢者の魔力で持ちこたえられる。
またすぐに平行飛行に戻り、勇者を振り払うべく発動される火炎魔法。
「炎渦焼塵!」
炎の渦が二人を包み、羽根の生えた火の球が空を飛ぶ。
――悪いな、硬化中は耐火勇者なんだよ。こっちも好きにやらせてもらうぜ。
――気つけっ 「ひぃっ!」
――震音盤っ 「あわわわわわっ!」
「蒼一さーん、選びましたよー!」
地上から雪が大声で叫んだ。
――よし、何に使うか分からなかったコイツの出番だ。加重っ!
「ぐえぇっ!」
何倍と体重を急増させた勇者に、さしもの飛行少女も降下を始めた。
重くて墜ちるのではない、痛いのだ。
腰に食い込む蒼一の石の手が、大賢者の身体を逆に反らせる。
「か、回復……」
緑光のベールが少女を癒すものの、再上昇するには痛過ぎた。
少しずつ地表に近付く火球。逃亡者は腰にある蒼一の手首を掴むと、最後の抵抗を試みた。
「解術!」
彼女の持つ膨大な魔力が、勇者のスキルを強制解除する。
生身に戻された彼は、間を置かずスキルを再発動させた。
「硬化っ」
後は着地するまで、この繰り返しである。
「解術っ」 「硬化」
「解術ぅっ!」 「硬化」
「解術うーっ!」 「ほい、硬化」
能力の応酬をする間にも、落ち続けた二人は、遂に地面に到達する。
硬い蒼一がブレーキとなり、街路に溝を彫って急停止した結果、大賢者は顔面をしこたま地に打ち付ける羽目になった。
「つっ! 痛い……」
――粘着っ、気つけ! 音震盤、炊事!
「か、解術!」
――水煙華、氷室、無気っ、加重!
「解術っ……ギブ! ギブアップッ!」
鎮火した挙げ句に、多重スキルで音を上げた彼女へ、全力疾走してきた雪がロッドを突き付ける。
「覚悟ですよぉー」
「ギブだって! 降参したって!」
「マージーカールゥー、パイルドライバーッ!」
「ぐぅえぇぇーっ!」
名前は派手だが、腹に押し付けたロッドをグリグリと捩る技は、お仕置き目的だ。
更に後から来たメイリが、槍を逆持ちして参加する。
「私もやる!」
「もう許して……」
「まじかる、槍の柄!」
「イタッ!」
槍の持ち手で大賢者の頭をコツンと叩いて、メイリは火傷の恨みを晴らした。
大賢者は既に抵抗は諦めたものの、未だ勇者の拘束の中でもがく。
食い込む蒼一の手が、やっぱり痛いのだ。
駆け寄ったノースたち街兵も少女を取り囲み、それぞれの武器を構えた。
「神妙にしろ! 勇者の怨敵め」
「する、するから、この人を何とかして……」
蒼一のしつこさに、大賢者の心が割と折れる。勇者ってこんなんだっけ、と、滲む目で蒼一を見返した。
歴代勇者と彼を比べつつ、拘束が解除されるのを、彼女はただ待ち望むしかなかった。
◇
不埒な魔術師などを収容するために、街には専用の牢が設けられている。
反魔法を練り込んだ魔石で囲まれた牢屋では、魔法の使用は不可能だ。
だが、実際には大賢者であれば、これくらいの反魔法は簡単に打ち破れる。彼女の魔法を消したければ、蒼一の百花繚乱クラスが必要だろう。
とは言え、逃げる気を無くした大賢者は、大人しくこの牢に収監されることを受け入れた。
鉄柵を挟んで、蒼一と大賢者が向かい合って座る。
追跡劇の後では、冷えた石の床の感触が気持ちいい。
「えーっとな、聞きたいことはあるんだ。いっぱい」
蒼一の言葉を、特に何の反応もせず、少女は黙って聞く。
「だけど、質問の前に、こいつの呪いを解いてくれないか?」
「呪い?」
蒼一の後ろには雪とメイリ、そしてノースが立つが、彼が言及したのは、もちろん金髪の少女のことだ。
よく分からないという顔で、大賢者は話の続きを待つ。
「贄の呪いが掛かってる。魔物を引き寄せるやつだ」
「……掛かってないわ」
「いや、でも、魔力が流れ出ててだな――」
「元からよ」
見つめ合う、勇者と大賢者。
今朝の雪との会話を思い出し、蒼一は一つの結論を出さざるを得なかった。
メイリを振り返った彼は、しばらくその顔を眺め、また牢の中に視線を戻す。
「何番目だ?」
「……十七番目よ」
一瞬、躊躇ったあと、彼女は付け加えた。
「ごめんなさい」
混乱したメイリが、思わず前に出てきて質問を浴びせる。
「私を知ってるの? 十七番目って?」
まだ口を開きかねている大賢者に代わり、蒼一がいくつかの事実を説明した。
「勇者の書、あれは勇者にしか読めないらしい」
「ええ? 私は読め――」
「そう、お前は読めるんだ。メイリも勇者だよ。こいつが言うには、先代、十七番目のな」
「でも、凄い能力なんて何も使えないし……」
そこが、おかしい。
「こいつが勇者の能力を使えない理由、知ってるんだろ?」
「ええ……」
「時間は有る、ゆっくり聞かせてもらおうか」
どうにも彼女には話しにくい内容らしかったが、もはや隠すことは出来ないと、ポツリポツリ経緯を語り始める。
「彼女は勇者として召喚された。五年前に」
「まだ子供じゃないか」
「そうね。カナン山に来るのも難しい危なっかしさだった」
王国から連絡を受けた大賢者は、道に迷い、山麓をうろつく若い二人を見つける。
十七番目の勇者と女神に選ばれた二人は、賢者に会うと、元の世界に還してくれと訴えた。
「本当は、帰らせる方法に自信なんてなかった。でも、泣きじゃくる女神を見てたら……」
「一か八か、試してみたんだな?」
「ええ」
城にある召喚陣、その逆紋様を推測し、自宅の裏庭に試作して霊酒で起動させる。
それだけでは、魔光は発生しても、転移は起きなかった。そこで試したのが、勇者のスキルだ。
「魔法陣に乗った状態で、勇者の役割を無効にする能力を探したの。試したのは“忘却”」
「で、これか……」
二人は姿を消し、転移は成功したかに見えた。
ところが、女神は王都の城内に出現し、記憶を失って呆然と立っていたと言う。
「彼女は今も、城で保護してもらっているわ。勇者の行方は、つい最近まで分からなかった」
「デスタで気付いたのか?」
「あなたといるのを見て驚いた。でも、勇者と一緒なら安全かと」
逆魔法陣による転移は、大失敗というわけだ。
「能力が使えないのは、“忘却”のせいか」
「転移の結果、勇者の書と女神の巻き物が消えたのよ。勇者の役割は解消できたはず」
「能力だけ消えたんじゃ、余計に事態が悪化してるじゃねえか。勇者って事実自体は消えてないぞ」
二人の会話を聞くメイリは、納得とも慨嘆ともつかない複雑な表情を浮かべている。
そんな彼女に、雪が淡々と語り掛けた。
「悪く考えちゃダメですよ。魔物じゃなくて勇者だったんですから、喜ぶところです」
「そっか……勇者なんだ、私。ソウイチと一緒」
「そんなショボいのと一緒にしなくていいです」
「こら」
女神の毒舌を聞いて、少女もいつもの調子を取り戻して行く。
自分も勇者なら、蒼一たちと一緒に地球へ帰還することも少しは現実的になった。喜ぶべきという雪の言い分は正しい。
冷静になったメイリは、これまでを振り返って、いくつか疑問が湧く。
「私が勇者だったら、なんで皆は知らなかったの?」
「王都の人間なら、覚えているかもしれない。その後はすぐにカナン山に向かったから……」
微妙に口ごもる大賢者の様子に、蒼一はピンと来るものがあった。
「デスタのギルド支部長、お前の仕業だろ」
「あ……ん……」
「さては、支部長もメイリを知ってるんだな?」
しばらく蒼一による尋問が続き、最後にようやく大賢者も自白する。
「デスタの支部長は、元王都勤務。十七代を知ってる可能性があった」
「しょうもない隠蔽するなよ。バレて何がマズいんだ」
「……叱られるかと」
「誰に?」
大賢者は無言で蒼一を指差す。
「はあ? 子供みたいだな、お前」
「子供じゃないです」
「名前はどうやった? メイリの記録、ギルドに残ってなかったぞ」
「偽名を報告したから」
十七番目の勇者の名前は、大賢者によって“メイローン”と登録された。
メイリ・ローンと似た響きに、デスタ職員のカルネも妙な符合を感じたが、少女が勇者本人とは思い至らなかった。
メイリの話はさて置き、大賢者本人の謎が残っている。蒼一はこれまでの情報を整理した。
「“大賢者は幼く、子供のようだ”」
「子供じゃない」
「書き取りも出来ないやつが、偉そうにすんな」
「子供じゃない! 二百三十二歳くらいだもん!」
――二百歳超えて、“だもん”はねえよなあ。
「“大賢者は同種族探知に引っかかる”」
「ハナ・レマルタ」
「ん?」
「私の名前。ハナでいい」
この名を彼女が告げるのは、何年ぶりだろうか。また本名で呼ばれたい、その思いが、久方ぶりに彼女の心の中に湧き上がった。
「よし、ハナ」
「うん」
「同種族で探知できるのは、俺、雪、メイリ、そしてお前だ」
今まで、その四人以外に反応した者はいない。
同種族探知は魔力量ではなく、字句通り同じ種族を探知するスキルではないのか。
なぜか少しだけ嬉しそうなハナを気色悪く思いつつ、蒼一は確認する。
「お前、何番目だ?」
「……七番目」
「どっち?」
「女神」
――あのトンデモ勇者の相方か。
二百歳超の幼女を前に、蒼一は何から聞くべきか、しばらく黙考したのだった。




