025. 酒宴
岩場での攻防は、蒼一の活躍により、勇者側が優勢で進むものの、魔物は次々と集まってくる。
打ち据えられたイ人たちが積み重ねられ、敵の攻勢が弱まる頃には、夕闇が訪れようとしていた。
「なんちゅう数だ。どこから湧きやがった」
「勇者様っ、もう我慢できません!」
警邏隊の接近戦要員が、痺れを切らして、戦場になだれ込む。
槍や剣を手に、彼らはオークへ、コボルトへと果敢に斬りかかり、勇者の周りは大混戦となった。
「お前ら、怪我するぞ!」
「亜人の相手は任せて下さい、勇者様は前へ!」
蒼一の鞘で、既に手傷を負った魔物も多い。
後衛の弓や魔法の援護があれば、数で優る警邏隊でこの場の制圧も可能に思われた。
「分かった。俺は上に登る!」
「はいっ、お気をつけて!」
回復歩行を発動し、蒼一は傾斜を早歩きで進む。
追い縋る敵を連環撃で弾き倒し、阻むイシジンは研磨で削り転がした。
岩場の上端が見えようかという地点まで登ると、更に先に木立に紛れた建物が見える。
ここはもうカナン山の中腹、その石造りの小さな家こそ、大賢者の住居だった。
「やっとゴールか……」
未だ勇者に刃向かう亜人を鞘で払いのけ、彼は家へと突き進む。
その歩みを邪魔する者が、あと一匹。
蒼一の真横で、通り過ぎようとする勇者に反応した岩が揺れ動いた。
「またこいつか……えっ?」
イシジンを予期した彼は、土中から出現した巨体に戸惑う。
地表に見えていたのは、この魔物のほんの一部分であり、泥を撒き散らして飛び出た体高は、今までのイシジンの二倍はあった。
黒く艶のある身体の質感は、彼の持つ愛剣“十八番”に似ている。
「研磨っ!」
すかさず魔物の足元に滑り込み、蒼一は脚を削りに掛かる。
「ゴルゴルゴルッ!」
黒いイシジンは唸り声を上げ、掬い上げるように勇者を殴り飛ばした。
「ぐぉっ!」
削りが全く間に合わない。
このイシジンは色と大きさが違うだけではなく、硬度も段違いに高い。
空中を舞った蒼一の体は、着地後も回転して斜面を下り、また来た道を逆戻りさせられる。
「ぐぅ……っ!」
立ち上がろうとした彼は、胸や手足を襲う激痛に、顔を歪ませた。
肋骨や上腕骨に入ったヒビが、吹き出る脂汗の原因だ。
膝立ちする蒼一へ、メイリが駆け付けた。
「これを飲んで!」
彼女は回復薬の小瓶を、彼の口に当てる。
「助かった……下は大丈夫なのか?」
「うん、警邏隊が押しまくってるよ」
彼女が戦闘をすり抜けられるくらいには、亜人との戦いは鎮静化しつつあった。
メイリを追って、雪も顔を見せる。
「メイリ、急ぎ過ぎです。危ないですよ」
「ゴルゴルゥーンッ!」
三人は空気を震わせた咆哮に目を向けた。
「黒光りしてますねえ」
「無茶くちゃ硬いぞ、あれ」
作戦を練ったところで、出来ることは限られている。
ボスイシジンを倒したければ、削るしかない。
「あれも酒入りじゃねえだろうな。アル中か、賢者は?」
「こんなとこじゃ、それくらいしか愉しみが無いんですよ」
手の空いた魔術師や警邏官も、勇者を助けようと上に登って来た。
「あれは! 魔石のゴーレム!」
そういえば、彼の黒剣も魔石製だと説明されたことを、蒼一は思い出す。
「俺が削ってくる。援護を」
「了解です、勇者様!」
警戒走行を発動させ、彼は黒イシジンに向かって走り出した。
「地走り!」
煙幕の中、魔物の背側に回ろうと、蒼一は右にカーブを描く。
イシジンの腕先が、その軌道上に振り下ろされた。
「鞘合わせ!」
ガンッ!
鞘と黒岩の激しい衝突が、薄暗くなったカナン山中に火花の閃光を生む。
力も硬度も五分の押し合いだ。イシジンはバランスを保ったまま、一旦腕を引いて再攻撃を狙った。
「跳ねるっ」
蒼一が目指すのは、蟹戦と同じ安全地帯。
岩の腕が空振りする隙に、彼は岩の上部に取り付き、自らを固着させた。
「粘着っ、硬化!」
「ゴルィェ!?」
十八代勇者の必勝パターンである。
――さあ、最後まで付き合ってもらうぜ。研磨っ!
今回の消耗戦は四十分を要したため、雪の空腹は過去最大を更新したのだった。
◇
鉱物の硬さの指標に、モース硬度というものがある。
十段階の硬度は精密なものではないが、簡便な鉱物種別の同定法として利用されている。
普通のイシジンのモース硬度は六、これはナイフの刃が負ける硬さだ。
黒イシジンの硬度は八、但し、魔力を含ませた場合、硬度九以上に上昇する。これは地球のダイヤモンドに次ぐ硬度である。
「……つまりですね、ダイヤモンドは地球で一番硬い物質なんです」
「へえー、こっちの魔爛石みたいなもんかな」
「キラキラで、綺麗ですよー」
持久戦に退屈した雪とメイリは、鉱石談義に花を咲かせていた。
蟹の時は炊事を手加減したために時間を費やしたが、今回の蒼一はフルパワーの研磨で削っている。
それでも黒イシジンの硬さは尋常でなく、ジワジワとしか角を落とせない。
頭の上の異物に苛立ち、動き回る魔物を、魔術師の攻撃が牽制する。
「炎蛇よ、紅蓮の鎖で縛り止めろ! 焔蛟縛錠っ!」
火炎の渦が、イシジンを包む。
「氷天の魔杭を受けてみよ! 結氷槌っ!」
人間サイズの氷柱が、魔物の進路を妨害するように地面に撃ち込まれた。
――研磨っ! ……研磨っ ……研磨。お前らの魔法、なんか派手じゃね?
石化中の勇者が、また無常感に苛まれる。
ちなみに、硬化勇者のモース硬度は堂々の十だ。キラキラでも、綺麗でもないが。
「お腹空きましたー。何か有りませんか?」
「干しトルトが有るよ。ユキさん、好きでしょ」
雪がサーラムで食べていたチクワの、保存食版だ。
「おっ、これはイケますねえ」
やにわに立った彼女は、イシジンにしがみ付く勇者に声を張り上げた。
「ツマミだけだと寂しいです! 中身を零さないでくださいね!」
――やかましいわっ。贅沢言ってないで、マジカルにチクワ食っとけ!
黒イシジンも、三十分を越す頃には球形になり、四十分後に遂に脚が巨体に堪えられないくらいに縮む。
体を支えられなくなった魔石の塊が、前のめりに転倒した。
――あっ。
蒼一の硬化と粘着は有効なままだ。
イシジンは踏ん張ることが出来ず、斜面をゆっくりと転がり始めた。
巨大なボーリングの開始に気付いた雪が、警邏隊に注意を促す。
「皆さん、危険です! 勇者の最後のトドメです!」
――違う、俺もヤバい。
蒼一の心配通り、粘着の外れないまま球は加速して、猛烈な勢いで山を落下する。
上下が高速に入れ替わる視界の中、チクワをくわえた雪が手を振るのを、彼は確かに見た。
樹木を薙ぎ倒し、崖から跳ね飛び、球はカナン山を転げ降りる。
勇者とイシジンの高速下山は、ベースキャンプの簡易テントを押し潰すまで続いた。
やっと動きを止めた岩球に駆け寄ったカルネが、キャンプにいた仲間に指示を伝える。
ドーン、ドン、パラパラ、ピヒャー!
――勘弁してくれ……。
硬化が解除されるまで、彼はまた一番から“勇者の耳が痛い”を聞かされることになった。
◇
再度、麓から夜間登山をする羽目になった蒼一は、月影で色粉を確認しながら嘆息する。
「あいつら、上で待ってるのか……?」
迎えもないまま、彼は一人黙々と山道を辿る。
だが、仲間との再会は、蒼一の予想よりは少し早かった。
「あれっ、ここまで降りて来てくれたのか」
彼が雪たちの顔を見つけたのは、数日前にイシジンと格闘した空き地だ。
「あー、蒼一さーん。おかえりぃ、ふふ」
「……お前、酔ってるな?」
赤ら顔に、だらし無く垂れ下がった目と眉。
何よりアルコール臭い吐息が、彼女の酩酊を雄弁に語っていた。
「ユキさん、トルトじゃ足りないって、ここまで飲みに来たんだよ」
「スキル使い過ぎですよお。アハハハハ」
メイリも雪の強引さに振り回されたんだろうと、蒼一は少し同情する。
彼女たちの傍らには、彼が叩き割ったイシジンの球があり、その中身はもうほとんど残っていないようだ。
蟹を倒した後も、彼女は親の仇のように肉に喰らいついていた。今回の飢餓感が、蟹以上だったのは想像に容易い。
「しかし、腹膨らますのには、酒でもいいのか……」
「美味しいですよー」
「これは単なる酒ではありません」
話に加わったのは、火炎で勇者を援護していた魔術師だった。
二十代半ばといったところの碧眼の彼は、名をネルハイムと言う。
「特殊な酒なのか?」
「気持ちいいですー」
「これは霊酒です。魔力を液体化した物と言えばいいでしょうか」
使った力の補充には、最適であろう。
「お前たちは飲まないのか?」
「あはは、もう一杯!」
「とんでもない! 女神様だから、直接摂取できるのです。我々が飲めば、過剰魔力で暴走してしまいます」
雪が蒼一の背中を、無意味にバンバンとしばく。
この世界には霊脈があちこちに流れ、失った魔力はそこから自然回復するらしい。
霊酒は魔物の力を利用して周囲の魔力を集め、醸造したものだろうと、ネルハイムは解説する。
「それでイシジンの中に入ってたのか」
「ふふ、欲しいですか? あげませーん」
「はい、魔物はその名の通り、魔力を利用する力に優れています。自然吸収で醸造するより、効率が良いかと」
そうなると次の疑問は、なぜ霊酒を作ったか、だ。
「こいつの利用法は?」
「私が飲みます!」
「女神様や勇者様の回復薬。もしくは、起動用ですかね……」
「起動用?」
ネルハイムは、火焔石の嵌まったロッドを前に掲げる。
隣で雪も真似をしてロッドを振り回しだした。
「魔術師は、力をこういった魔具に注入して、魔法を発動します。しかし、それでは自分の力以上の魔法は使えない」
「それを霊酒でブーストするのか」
「私もブーストしてまーす」
「普通は無理ですよ。霊酒の力は強すぎる。でも、理屈はそういうことです」
蒼一はメイリを呼び付けた。
「おい、この酔っ払い、連れていってくれ。臭い」
「あっ、はい」
蒼一の方が臭いのにーと喚く雪を、メイリが何とか引きずって離す。
「起動用ってことは、魔法陣でも使えるんだよな?」
「設置型の高威力魔術ですね。一般的には、魔物の体液なんかで発動させます。もちろん、霊酒でも可能でしょう」
彼の頭の中で、いくつかの点が繋がり始める。
魔物の血、霊酒、召還陣。
「大賢者がどういうつもりか知らんが、イ人どもが混合した原因は上にありそうだ」
本丸は、黒イシジン戦前にチラリと見えた。
「照明は持ってるか?」
「はい、ランプは揃ってます」
夜が明けるのを待つこともないだろう。
「本拠地に乗り込む。行くぞ!」
「はいっ!」
「あはは」
勇者と酔っ払いと警邏隊は、残敵に警戒しつつ、再びカナン山を登り始めた。




