002. 聖剣
サーラムは王都の外れにある小さな街だ。
大街道からは遠く、定住者も少ないが、賑わいだけは立派なものである。
この街の外にはナグサの深い森が広がり、恰好の狩りと腕試しの場所になっている。
剣士志望や新米狩人は、まずここを目指す者が多く、それが街の活気に貢献していた。
通りに並ぶ店も、宿屋や酒場、装備品や遠征用の食糧を売る商店など、冒険の拠点に相応しいものばかりだ。
「絶対に要るのは食べ物か。先に買っとこう」
蒼一の提案で、二人は異国の食糧を試食して回る。
「縁日みたいで、楽しいですねえ、蒼一さん」
「蒼一でいい。保存のできそうなのを選べよ。そのチクワみたいなの、美味いけどさ」
チクワと言うより、きりたんぽが近いか。串に刺した練り物は、甘辛いタレが日本人好みだった。
雪は両手に一本ずつ持って、食べながら歩いている。女神にと屋台のオヤジが一本無料でくれたところ、雪が勇者の分は無いのかともう一本強奪したものだ。
街の外れまで通りを歩き切ると、大きな宿屋が呼び込みをしていた。
蒼一たちは街出口に隣接する宿屋に荷物を預け、出立に向けた買い物を済ませることにする。宿屋で近辺の案内をしてもらい、二人は必要な店に赴いた。
一軒目は、宿の目と鼻の先だ。
石作りの入口の横に、ジグザグ模様の描かれた木の看板が掛かる店。開かれた扉の奥に、槍や剣が陳列してある。
「まずは武器屋か。お前も一応、使えそうなのを買っとけよ」
「その剣じゃダメなんですか?」
雪は彼の腰のロングソードを見る。二匹の龍が握りに浮き彫りされた美しい剣だ。
「これ一つじゃ、頼りないだろ。遠距離用も欲しいしな」
そうは言うものの、彼に武器の良し悪しを見分ける自信は無い。分からないなら、聞くまでだ。
店奥のカウンターに迷わず直進すると、彼は店主と思しき男の前に立つ。
「ちょっと聞きたいんだが、いいか?」
「らっしゃい、何かお探し……ひえっ!?」
――ひえっ?
冒険家上がりだろうか、店主はなかなか精悍な顔つきで、首や腕には傷痕もある。
その荒くれ風の男の第一声が、「ひえっ」だ。「にゃん」とか「のじゃ」とかと同類の語尾変化かもしれない。
郷に入れば郷に従おうと、蒼一も彼に倣った。
「強い武器を選んで欲しいんだ。俺じゃ分からなくてひえっ?」
「私の分もですひえっ」
店主は眉を垂れ下げて、情けなく二人に懇願する。
「勘弁してください。悪気はなかったんです。勇者さんがいきなり来て、驚いたんですよ」
「謝らなくていいひえ。とりあえず、剣と手軽な弓が欲しいな。初心者でも扱えるやつを」
「剣、ですか……」
腕を組んで、店主は何か考え出す。
蒼一は、城で貰ったロングソードをカウンターに置いた。
「これも見てくれよ。剣の質としては、どうなんだ?」
「えっ、これは聖剣じゃないですね」
店主の名前はドランと言う。二代目として店を任されて日も浅く、勇者に会うのは初めてだそうだ。
先代は十七番目の勇者たちを知っており、彼にはいくつか、言い聞かされていたことがあった。
「勇者は、それぞれ聖剣や宝具の加護を受けていると言われてます。聖剣が無いのは、どこかで主を待っているのでは?」
蒼一が思い浮かべたのは、森の中の石に突き刺さる壮麗な剣だ。資格のある者だけが抜ける、エクスカリバー。
「……その剣の場所に心当たりは?」
「まさか、武器屋の分際で知るはずはないですよ。勇者の書なら、手掛かりが書いてあるのでは?」
勇者の書――マニュアルのことだ。後で調べてみるのがよいだろう。
聖剣が存在するにせよ、当座の武器は必要である。
「それで、この剣はどうなんだ?」
「儀礼用の王剣ですね。価値はありますが、鑑賞用です」
「最悪だなひえっ!」
――あのヒゲ、インテリアを渡しやがったのかよ。どこに飾れと。この店か。
「買い取ってくれ。替わりに店の上物を寄越せ」
「上物?」
「一番高いやつだよ」
ドランの額に、玉の汗が浮かび始める。彼の目に浮かぶのは、恐怖で間違いない。
「何もタダでくれってんじゃない。これも鑑賞用じゃないだろ?」
ヒゲの土産のメインはこれ、支度金だ。重い革袋を二つ、蒼一たちは背嚢に入れて運んでいる。
袋の中には金貨、それもデカいやつがごっそり入っていたため、重くて仕方がない。
貴重な大金だろうとは思うが、旅に出るなら少し減らしておきたかった。
この世界の価値観が地球と大差ないなら、大抵の物がこれで買えるはずだ。
「……あのですね。うちは大陸ギルドの公認店です。表に稲妻の標識があったでしょう? 公認店は、勇者から代金を頂けない決まりなんです。罰則まであります」
「そりゃ災難だな、俺に目を付けられて。一文も貰えないのか?」
「いえ、三割までは援助が出るのですが……」
高いのを求められると、それがそのまま店の赤字になるってことだ。
「少し手加減してあげましょうよ。この濃い顔で怯えられると、なんかこっちが悪人みたいです」
「勇者なのにな」
「女神なのにねー」
二人の会話に、ドランは少し安堵する。
「ではこちらのレイピアなど……」
「二番目だ」
「え?」
「二番目に高いやつを寄越せ」
店主の脂汗がまた一気に噴き出す。
「しょうがねえな。三番目で手を打とう」
「……」
汗染みが、カウンターを黒く汚した。
「四番目」
「……!」
「五番目」
「…………!?」
「六番目、おい、汗で会話するのを止めろよ」
蒼一は溜め息をついて、妥協することに決めた。
「何番目なら出せるんだよ」
パッと表情を明るくし、ドランは朗らかに宣言する。
「十八番目なら!」
「狙ってるだろ、それ!」
彼に纏わり付いた番号の因果は、まだ始まったばかりだ。
結局、彼はその剣を選び、「十八番」と名付けた。
◇
武器屋主人が用意した剣は、細めの片刃剣だった。
やや黒い刀身は、見た目より遥かに硬い。なんでも南方の魔金属製で、相当荒い使い方にも耐えると、ドランは自慢していた。
遠距離用には、小型のボウガンと矢を多数。矢帯も貰い、タスキ掛けで装備する。
「これ綺麗ですね。魔法使いみたいで、テンション上がります」
雪に渡されたのは、宝珠を先にあしらったロッドだ。
自分の持つ力の放出を援助する魔具は、当然、魔力を扱える者だけが使用できる。
「雪は魔法が使えるのか?」
「うーん。でも、ドランさんは、女神が使えないわけないって」
同じことは蒼一も指摘されている。
実践できない内は半信半疑だが、二人とも高水準の魔力適性者らしい。
「スキルが無くても、使えるものなんかねえ」
そうであれば、巻物に出涸らししかなくても、どうにかなるのに。
相方の魔法に期待しつつ、次に彼が向かったのは防具店だ。
「あー、ちょっと頼みが……」
「ひぃ!」
「早えーよ!」
ここも稲妻マークがあったのは、入った時に見た。わざわざ印を探して店を選んだのだから当然だ。
「この店の鎧が欲しい。動きやすい、軽鎧がいいな」
「は、はい……」
店主の反応は、さっきと大差無い。
「一番高い……」
「ひっ!」
「……」
またこれか。
「……十八番目に高いやつをくれ」
「妥協早いですね、蒼一さん」
時間が勿体ない。
雪にも女性用の革鎧をもらい、店の奥で二人は着替える。
地球の服を袋にまとめ、ローブを羽織れば、外見上は一端の冒険者だ。
店の外で改めて雪を見た蒼一は、よく似合っていると彼女を大袈裟に讃えた。
「いやですよ、お世辞とか」
「本気だよ。女神には見えないけどな」
革製品で身を包み、背嚢にローブという姿は魔法使いですらなく、正しくハンターの格好だった。
その後二人が日用品を揃える頃には、日が山際に迫り、通りが赤く染められる。宿に帰る前に、もう一軒だけ店に寄ることにした。
サーラムにしては人通りの少ない街の裏。その見つけにくい路地奥に、店はあった。
「雰囲気ありますねえ、ここ」
「怪しいと言った方がいいかな」
石作りの街にそぐわない、木造の小屋からは、寒色系の煙が流れ出ていた。入り口の厚い布を払いのけ、蒼一たちは中に入る。
「いらっしゃい……これは珍しい」
素晴らしい、これでこそ店だと、蒼一は鉤鼻の老婆へ機嫌良く話し掛けた。
「魔具が欲しい。この世界に疎いんだけど、スクロールとかマジックリングとか、そういう物があるのか?」
「無い」
違うらしい。よくある魔法の道具を想像していた彼は、魔具屋の商品を予想して頭を捻る。
「……魔法薬とか、あっ、お守りとかか?」
「違う」
「魔法武器?」
「知らん」
――ダメだ、このババア、面倒臭いタイプだ。
クイズに付き合う気が無い蒼一は、単刀直入に頼んだ。
「この店で売ってる物を見せてくれ」
「それじゃ」
老婆の指先を目で追うと、紙や本が山積みされている。
棚に歩み寄り、二人は商品を手に取った。
「……白紙?」
「何も書いてねえな」
雪が開いた本も、蒼一がめくった紙も、色は付いているが無地だ。
解説を求めて、彼らは店主に向き直った。
「魔紙とか魔本とか呼んでおる。まとめてタブラと言うことが多いのう。魔の理を記す受け皿じゃよ」
今度はちゃんと説明があったものの、二人には使い方が分からない。
「どうやって使ったらいいの?」
「必要になれば、目の前に開けるだけさ。言ったろ、それらは受け皿じゃと」
腕組みした蒼一が、結局クイズに答える。
「魔法の効果対象ってことか? 地図を書いたり、透視先を映したりとか」
「ほう、今回の勇者は、飲み込みが早いのう」
正解だった。何かと使うこともありそうなので、彼はいくつか購入することにする。
紙は色の違いだけでなく、複雑に飾り切りされた縁取りがある物もある。本の装丁も様々だ。
蒼一はその差に目を凝らし、タブラと呼ばれる魔具を吟味した。
「婆さん、色や飾りで何が違う?」
「赤は火、青は水……」
やはり魔法系統との相性が――
「そうやって使い分けると、気分が出るじゃろ?」
「趣味かよ!」
――好みなんてどうでもいいわ。
紙を選ぶのは雪に任せ、彼は老婆に質問することにする。
「あんた、以前の勇者に会ってるな?」
「十三番目より前は、よく覚えておらん。ずいぶん昔のことじゃしな。十四以降は皆、この店に来とるよ」
この発言で、勇者の召喚間隔が、なんとなく推測できる。
「そいつらは、今どこにいる?」
「さあの。現れた勇者は使命を果たすか、命を絶つまでこの地に留まる。そう言われておるのう」
紙と本を選び終わった雪が、老婆の前に自慢のチョイスを並べて置いた。
「これだけ貰いますね。その後ろのやつはダメなんですか?」
客の手の届かない店の奥にも、何冊かの本がある。商品より立派な貴重品の匂いに、雪は反応していた。
「こいつらはダメじゃよ。失敗作じゃ。反省のために置いておる」
ここは大陸ギルドの店ではない。蒼一が代金を金貨で支払い、釣りを受け取る。
店を出ようとする彼を、老婆が呼び止めた。
「カナン山に向かうのじゃろ? これを餞別にやろう」
目玉の形のアミュレットが、彼に差し出された。
「お守りは無いんじゃねえのか?」
「これは私物じゃよ。勇者の道途は暁光が示さん。魔は勇者に引き付けられる、精々気をつけてな」
「おう……」
老婆にそれ以上の言葉は無く、蒼一たちは宿に戻っていった。
二人部屋の真ん中にシーツを掛け、それぞれのベッドで早い眠りにつく。
明朝には、すぐに森へ行こう。
二人は夢にうなされることも無く、疲れた身体を休める。
夢に出せるほどの思い出は何も残っていないのだから、それも当然だった。




