019. 笑顔
蒼一たちが転移陣で飛ばされたのは、デスタ洞窟の祠の裏、監視小屋に隣接して建てられた救護施設の横手だった。
小さな石造りの社は、鉄柵で囲われていることを除けば、マルダラの洞窟で見た物によく似ている。
祠の周辺にも、各建物の中にも人の気配が無く、彼らの出現に気付いた者はいないようだ。
「メイリのおかげで、助かりました」
「ふふふ」
仲間のピンチを救い、少女の機嫌はこの上なく良い。
「みんなどこに行ったんだ……」
洞窟内では無我夢中で、時間の経過を気にしていなかった。
今は昼過ぎくらいだろうと予想していたが、日は随分下に落ちている。
夜になる前に街に帰ろう、そう動き出した蒼一は、バッと雪に振り返った。
大事なことを忘れていた。
「宝具、取って来たか?」
「あー、はい」
彼女は円い厚紙を、彼に差し出した。
紙の一端に紐が通され、ネックレスのように輪を作っている。
「これは……タブラか。変わった紙質だけど、何か魔法が組み込んであるのか?」
円盤の縁は波形に加工され、メタリックな光沢は、紙にしては高級感があった。
「蒼一さん、それ裏」
雪に指摘され、彼はタブラを裏返す。
先の扉前でのやり取りで見知った文字が、平滑な表面に殴り書かれていた。
“ほうぐ”
「徒競走のメダルかよ!」
「首に掛けられる仕様ですね」
「アホの勇者をアピールする趣味はねえ!」
ひょっとしたら何か効果があるのかもと、彼はタブラを舐め回すように精査する。
「……それ、あの部屋で作ったんですよ」
「え?」
雪の手から、同じ金属光沢の紙がパラパラと撒かれた。
直線と波線で構成された、細かな紙片。
「何をしてるのかと思ったら、これを切り出してたのか。あのバカ賢者!」
「自家撞着してますね、その表現」
タブラを投げ捨てようかと振り上げた彼の手は、だが途中で止まってしまう。
「うぅ……こんなくだらん“ほうぐ”の字が、俺の貧乏性を刺激する……」
苦く呻きながら、蒼一は袋にタブラをしまい込んだ。
メイリは彼の背に手を置き、優しく慰める。
「みんなの笑顔が、一番の宝具だよ」
「綺麗にまとめなくていい……」
消沈した蒼一が洞窟のゲート前に戻ると、人々の歓声が聞こえてきた。
「職員たちは、中にいるみたいだな」
「何かあったんでしょうか」
帰る前に一言声を掛けておこう。そう考え、蒼一たちは出て来たばかりの洞窟に、もう一度足を運ぶ。
洞窟の担当職員や警邏官は、一層を入ってすぐの所で、泥にまみれて作業していたらしい。
顔も服も一様に汚れているが、皆なぜか笑い合い、肩を組んでいる者もいた。
タルムの姿を見つけた蒼一は、この騒ぎの事情を尋ねる。
「どうしたんだ?」
「穴が開通したんだよ! これで閉じ込められた勇者様たちを助けに行ける」
「ああ、よかったな」
「…………」
一瞬の沈黙の後、タルムは素っ頓狂な叫びを上げた。
「ゆ、勇者様!」
「おう」
「ええ? どうやって?」
「そりゃ、穴が開いたんなら、出て来るだろ」
「ん? ああ……え?」
二人の会話を聞き付け、周りの人々も勇者の帰還を知る。
「おお!? 戻られたぞ!」
「出て? 来られた!?」
「バンザーイ?」
勇者一行は、皆に手を振って喜びの声に応え、帰り路につく。
洞窟を出る時には、職員たちの歓送の拍手が、耳を聾さんばかりに響いていた。
◇
夕焼けの中、宿に着いた三人は、温泉で汗を流し、その後で夕食をとる計画を立てる。
早風呂の蒼一は先に宿に戻り、雪たちが呼びに来るのを部屋で待った。
程なくして、彼の部屋の戸を雪がノックする。
「蒼一さん、お待たせしました」
「メイリはどうした?」
「何だか食欲が無いらしくて……」
顔色は良く、体調不良でもなさそうだが、メイリは夕食はいらないと言う。
「魔人化の影響か?」
「煩悩を捨ててましたしね」
一応様子を窺おうと、蒼一が彼女たちの部屋を覗くと、メイリは荷物の整理に勤しんでいた。
「あっ、ソウイチ」
「気分は悪くないんだな?」
「うん。なんか胃が重たいって感じで」
彼は念のため、彼女に回復薬を渡す。
「おかしくなったら、これを使え。下にいるから、叫べば聞こえる」
「ありがと。でも、本当に大丈夫だと――」
彼女の顔が、瞬く間に青くなった。
どう見ても、大丈夫だと言い張れる顔色ではない。
「おいっ、メイリ!」
膝を曲げ、床に手を付き、彼女はグエグエと潰れたカエルのように喘ぐ。
「これ、息が詰まってます!」
雪の判定に、蒼一たちの行動は早かった。
「気つけっ!」
「マジカルチョーップ!」
電撃と背中への衝撃で、メイリは床にゼリー状の固まりを吐き出した。
「まだいたか!」
彼女はショックで気を失い、床に倒れ込む。
その口に手を当てた雪が、正常に呼吸していることを確かめた。
「気管が詰まってただけみたいです」
「生きてるのか、こいつ? 煮沸しとこう」
蒼一が炊事を発動するために手を伸ばすと、ゼリーは猛然と床を這いずり回り始める。
「こらっ、待ちやがれ!」
逃げ場を求めた魔物の分体が見つけたのは、メイリが運んでいた食糧袋だ。
開いた口から袋へ進入し、勇者の攻撃を躱そうとスライムはもがく。
「ああっ、キノコが!」
栄養源の危機に、雪が悲鳴を上げた。
彼女は袋を逆さまに振り、中身をぶち撒ける。
転がるマンドラーネの一本に、半透明のゼリーがへばり付いていた。
ゼリーはキノコに吸収されるように姿を消す。
「……この小人の中に入っていったよな?」
「そうですね……」
不審な面持ちで二人が見つめる中、キノコはブルブルと震え、弾かれたように立ち上がった。
まさにその姿は、小人と呼ぶに相応しい。
「やっぱり小人じゃねーか!」
「スライムが乗り移ってるんですよ」
ピョコピョコ歩き、キノコの体で動く魔物を、蒼一は簡単に捕まえる。
「すい――」
「待って!」
煮沸しようとする彼を、雪が強く呼び止めた。
「殺さないのか?」
「なんか……可愛くありませんか、それ」
「ええー!?」
こいつの感性はおかしい、そう思いつつも、女神に逆らって殺す程でもない。
「これ、魔物だぞ。飼う気か?」
「うーん。様子見ですかね。メイリと相談してみます」
「キュッ……キュキュー……」
マンドラーネ化したスライムは、その後、宿屋に貰った麻袋に詰めて部屋に放置した。
真・気つけで目を覚ましたメイリは食欲を取り戻し、三人は一緒に宿屋の夕食メニューを楽しむことが出来たのだった。
◇
魔人にスライム化と身体を酷使したメイリと違い、勇者は洞窟戦での体力消耗を翌日に残すことはない。
これは回復歩行の恩恵であり、スキルの力は偉大だ。
女神に至っては、損耗を全て勇者に押し付けているため、体力に不足を感じることは有り得なかった。
それでも、精神的な疲労は別の話らしい。
三人ともこの夜は熟睡し、揃って翌朝遅くに起床する。
蒼一たちが食堂に集まったのは、もうブランチと呼ぶべき時間だった。
パンと粥のようなスープを口に運ぶ彼らのテーブルに、ドタドタと走り寄ってきたのは、街の責任者であるクルムスだ。
「勇者様! ありがとうございます!」
「あ、ああ……」
「まさか一日で成果を上げて頂けるとは!」
首長は小躍りせんばかりだが、勇者にはそこまで喜ばれる覚えがない。
「第四層を閉じて下さったおかげで、魔物の数は激減しております。最深部は、やはり常人が立ち入るべき場所ではないのでしょう……」
自動ドア――蒼一たちは、勝手に封印される洞窟の仕組みを思い返し、何が起こったのかを想像した。
「上層まで魔物が巣作りしてただろ?」
「はい、それはまだ駆除できていませんが……」
多少表情を曇らせるクルムスの背後から、彼以上の大声で蒼一を呼ぶ声が掛かる。
「勇者様っ、お探ししましたよ!」
「またお前らか」
食堂に入って来たのは、金髪で背の高い剣士と、茶髪に緑がかった目の魔術師。ナグ川で会ったラバルとマルーズの二人だった。
「カナン山に向かわれたと思ったのですが、ここに来ておられたとは」
「デスタ洞窟に魔物が現れたと聞いたので、もしやと……やはり勇者様、討伐されるのですね」
勇者の知り合いらしき二人に、クルムスは丁寧に経緯を説明する。
「既に洞窟の変事は、勇者様が解決されました」
「なんと!」
「最下層まで、一日で到達されたのです」
勇者の勇者たる偉業を聞かされ、ラバルたちは蒼一に熱い視線を送る。
マルーズが胸躍る冒険譚を求めて、勇者に質問した。
「下層には、やはり並外れた魔物がいたのですか?」
「蟻の親玉と、デカい亀がいた。この宿屋くらいの大きさくらいはあったな」
「それは凄い、そんな魔物を倒されるとは!」
――いや、放置して来たけども。
キラキラしたマルーズの瞳を濁らせるのも忍びなく、彼は無理に訂正しない。
「いや、それでな。上層に子分の蟻が残ってるのよ」
「アンティスたちですね」
「マルーズは、火に強かったよな?」
名前を覚えてもらった嬉しさから、彼女の返事にも力が篭る。
「はい! 火蟻の群れ程度、我が水の波動が打ち砕いてみせましょうとも!」
これにはクルムスも破顔して喜んだ。
「助かります、これで採掘再開の目処が立つ!」
雑魚魔物で勇者の手を煩わすこともないと、ラバルとマルーズは、洞窟の魔物討伐を引き受ける。
二人を案内するため、食堂を出ようとしたクルムスは、勇者一同に今後の滞在予定を聞いた。
「勇者様は、まだここにお泊りですよね?」
「武器の出来上がり待ちだ。しばらくはいるよ」
「街からも、お礼を準備しております。大した物ではありませんが、是非、出立前にお受け下さい」
そう言い残し、首長たちは宿を後にする。
「ふふっ。お礼だってよ。へへ……」
「顔が緩み過ぎです」
今回も無駄骨に終わったと落胆していた蒼一は、報酬を貰えると聞き、口元を綻ばせた。
「メイリも言ってたじゃん。俺の笑顔が、一番の優先事項だって」
「笑顔しか合ってない……」
カナン山行きを延期し、図らずも街で休息を取ることになった一行は、その後の滞在を温泉と買い物で過ごす。
残念ながら、翌日から雨模様が続いたが、蒼一に不満はなかった。
ラバルたちも一日で魔物を一掃し、いよいよ叶う勇者との共闘に意気込む。
しかしながら、彼らは大して蒼一たちと話もできないまま、街を去ることになった。
彼らを呼び戻した故郷ダッハからの使者の話は、勇者にも多少気になる内容ではあった。




