001. 勇者と女神
「それで、なんで取り調べを受けてるんだ?」
真田蒼一は、石造りの部屋を見回す。
広さはそこそこあるが、窓は無く、中央に大きなテーブルが一つ。
入口を背に、白く立派な顎髭の男が座っていた。キラキラした金属製の飾りを胸に下げ、見るからに上質の白いローブを羽織っている。
「取り調べではござらん。そんな畏れ多いことを、するはずがなかろう」
そうは言っても、入口には警備の兵が二人。どちらも槍を持ち、蒼一を逃がすものかと、こちらを睨む。
テーブルを挟み、蒼一と対峙するこの老人は、ライル・カースと言うらしい。
ヒゲ老人の話は、荒唐無稽が裸足で逃げ出す内容だった。
「この部屋は、勇者が現れる紋章が刻まれています」
確かに、部屋の床の隅に青い魔法陣が描かれている。
「紋章からは、勇者が現れます」
――ほう。
「あなたが、その勇者様です」
自分が若年性のボケなのか、この老人が真正なのかどっちなのだと、蒼一の目が険しく狭められた。
押し問答を続ける二人に、彼の横に座る人物が忠告する。
そう、同じ不幸を嘆く人物が、もう一人いた。
「諦めようよ。私はもうギブアップ。理解できる話になったら、起こしてください」
それだけ言うと、また彼女は頭を抱える。
「この部屋には、女神が現れる紋章が刻まれています」
蒼一は後ろに視線を送った。
「あー、もう分かるわ。そのピンクのやつだろ。青いのの隣」
「さすがは勇者様。御理解が早い」
埒があかない。
チラチラとテーブルの上を気にしながら、彼は話を進めることにした。
「まあいい。その勇者は、何のために現れるんだ?」
ライルが大袈裟に驚いたフリをする。
「それをこの老体から話せと!?」
「他に誰が話すんだ。ヒゲ全部抜かれたくなかったら、早く話せ」
今度は悲しげな表情で、ライルが訥々と語った。
「勇者の使命は、勇者様のみが知ること。私がどうして知り得ましょうか……」
蒼一は、ジジイの髭で何本の筆が作れるか算段を始める。
「呼ばれ出た勇者様たちは、皆、目的を持って城を出られました。女神様が、その行く先をお示しになられるでしょう」
「だ、そうだぞ?」
「私が知ってるわけないよう。あなたと一緒だもん。晩御飯作ってたら、いきなりここなんですよ」
お手上げのポーズを取った彼女は、同じ日本人のようだ。持っていた和包丁が、机に転がっている。
他にテーブルに有るのは、他に巻物らしきものと、無地の表紙の本だけだ。
「オホンッ、女神様にはお渡しする物があります」
ライルはその巻物のような紙を、仰々しく差し出した。
「これは神託の書。女神様だけが読める、神のお言葉です」
彼女がそれを受け取り、クルクルと巻きを解いた。広げられた紙は、蒼一には白紙に見える。
「……何か書いてあるか?」
「うん。びっしりと」
幸い、これについては老人が説明してくれた。
「そちらには、勇者の目的が記してあると伝えられております」
「何だかいっぱい書いてあるけど?」
「それは、私も女神様たちから聞いた話ですが……。なんでも、勇者様に授ける能力が選べるとか。それが女神様のお力なのです」
力と聞いて、蒼一も興味が沸く。
「それは凄いな。いくつでも貰えるのか?」
「勇者は百の異能を持って、悪を討ち滅ぼす。伝説の基本ですな」
イラッと来た蒼一が、思わずライルの顎目掛けて手を伸ばしかける。彼女の質問が無ければ、筆二本分はいっていた。
「さっきから聞いてるとさ。勇者も女神も、いっぱいいたってことなの?」
「さようです。竜の勇者様と永遠の女神様は、何度もこの国を助けてくださってます。一人目の勇者様は、悪辣な魔物にやられ、命を落とされましたが……」
ライルが目を伏せる。
「物騒だな、おい。二人目は?」
「はい、お二人目は魔王の手にかかり、目的半ばで――」
「ははーん。その魔王を倒せと言うわけだな?」
老人は頭を上げ、明るく顔を輝かせた。
「いえいえ! 魔王は三人目の勇者様が、見事討ち果たされたのです。伝説のきほ……痛っ、痛いですぞ!」
ライルの髭を引っ張り、蒼一は顔を近づける。
「おい、俺は何人目だ?」
「じゅ、十八番目でごさいます!」
「なんだそれは」
ドサッと椅子に座り直し、天を仰いだ不運な日本人一号に替わり、二号が口を開いた。
「……女神も十八人目?」
「そうでございます。初代は時の女神と呼ばれ、時間を巻き戻す異能もお持ちでした」
「一応聞きます。他にどんな女神がいたの?」
「三代目は氷の女神。絶対零度とかいう力をお持ちでしたな。七代目の癒しの女神も素晴らしかった。どんな傷も瞬く間に……」
彼女の眉間に、深い皺が寄る。
「その何とかの女神っていうの、もしかして、この表紙に書いてあるやつかな」
ブラブラと巻物をつまんで持ち上げる彼女に、蒼一が尋ねた。
「なんの女神なんだ?」
「雪の女神」
「お、いいじゃん。ブリザードとか使えるのか?」
彼女は首を横に振る。
「違うと思う。名前ですね、きっと」
「名前?」
「赤坂雪、よろしくね」
雪がヤケクソ気味に微笑んだ。
――本名かよっ! 雪の女神じゃなくて、女神の雪じゃねえか。
心でツッコミを終えると、彼は真面目な顔で、最も大事な質問をする。
「それ、目的も書いてあるんだろ、何だって?」
雪は巻物を開き直し、最初の部分をトントンと指で叩く。
「これ」
「俺には見えん。読んでくれ」
息を深く吸った彼女は、キッパリと宣告した。
「『帰れ』」
「バカか、ホントに帰りたいわっ!」
この国の神官長らしいライルが、話を締めにかかる。
「王国としても、援助はいたします。旅の資金と、装備をお渡ししましょう」
「ちょっと待て、なんで旅に出る前提なんだ?」
「八番目以降の勇者様は、皆さん大賢者様の元に赴かれております。きっと貴方様の助けになるかと」
それが既定路線なのだ。
帰るにしろ、何にしろ、何かヒントが欲しい。大賢者は、色々と知っているだろう。
考え込み出した蒼一に、ライルが王国の地図を見せる。
「王都の境を出てナグサの森を抜けると、カナン山が見えます。その山頂近くに、賢者様はおられるでしょう」
「遠いな。ちゃんと引っ越すように言っとけよ」
「この地図も差し上げます。他に御必要な物は?」
勇者の不平をスルーし、ライルは他の要望を聞こうと構える。
蒼一には、気になることが残っていた。
「あんたらの国でも、もちろん食事はする訳だよな?」
「当然でごさいますな」
「何を使う?」
意味を理解しそこね、神官長が首を傾げる。
「あるだろ、スプーンとか、フォークとか」
「おお、食事方法でごさいますか。我が国では、二股フォークと、四股フォークというのがございまして……」
「何でもいいから、それを持って来い。麺が伸びたじゃねーか、馬鹿野郎……」
机の即席坦々麺は、どう考えても五分以上経っている。
「フォークは二つお願いします。半分もらえれば協力しますから」
雪もこの坦々麺を、最初から狙っていた。
フォークを待つ間、二人は天井を見上げて会話を続ける。
「……行くしかねーよな?」
「そうみたい。この部屋から、さっさと出たいです」
「ヒゲ、胡散臭いしな」
伸びていても、坦々麺は美味かった。
支度金と装備を手に入れると、二人は挨拶もそこそこに城を出る。
十八回目ともなると、王国も手際がいい。テーブルに置いてあった本は、勇者のためのマニュアルだった。
外は夜かと思いきや、まだ午前中らしい。
城の前に並ぶ歴代勇者の石像が、蒼一たちの旅立ちを見送る中、彼らはマニュアルを片手に、ナグサの森を目指したのだった。
◇
「とりあえず、その勇者の能力ってのを手に入れとこう」
「うーん、これ……選択制みたいですよ」
「自分で選ぶのか?」
巻物の記載の大半は、この能力一覧で埋まっていた。
蒼一は勇者マニュアルをパラパラとめくる。
第二章、勇者の能力。
「……あった。能力は女神が選び、勇者に与えます。小さく消えそうな文字は、既に選ばれた力です。大きく記載された物に、女神が力を注いでください」
二人には、嫌な予感しかしない。
雪が目を凝らして、リストを追っている。
「なんでかスラスラ読めるけど、効果がイマイチ分からない……」
「ファイアーとか火炎とか無いのか。いきなり魔物が出たら洒落にならん」
「火炎、火炎壁、火炎弾、極大火炎……」
「火炎弾だ。使いやすそう」
雪が溜め息をつく。
「今のは全部売り切れです」
そう来るか。このリスト、歴代の十八人で共有してるとは。
「あとは……雷、氷、水、風なんてのは?」
彼の出す単語に、雪は一々首を振って否定する。
「全て灰色になって、消えかかってます」
「じゃあ、何ならあるんだよ? 試しに読み上げてくれ」
雪が巻物を半分以上先送りし、読めるリストを声に出す。
「跳ねる、見極める、睨む、寝る……」
「やる気無さ過ぎだろ。攻撃っぽいのは?」
彼女の目が巻物をさ迷う。
しばらくして、いくつか候補を挙げた。
「朧、分離、月影、地走り……」
「急に分かりづらくなったな。月影ってなんだろう?」
「剣術のところに載ってます。地走りがいいんじゃないかな? 地属性っぽい」
地震とかの仲間であろうか。城でロングソードは貰っているので、月影も使えそうだ。
勇者なのだから、聖なる剣でもあるのかと思ったら、ヒゲが用意したのは飾りだけが立派な普通の剣だった。
今頃、城の職人が、蒼一に渡された素材で新しく筆を作っているだろう。
「地走りと月影をくれ。百も取れるんだ、最初は遠慮しなくていい」
「オーケーです」
彼女が文字を押さえると、巻物から青い光が溢れる。能力の取得作業は、簡単にできるようだ。
「どうだ、変化はあるか?」
「字の色が変わりましたよ。もうちょっと取っときます?」
「ああ、回復系を頼む」
これも遠征には大事だ。だが、そういう能力は、誰しもが真っ先に求める。
「回復、大回復、回復の光、蘇生……」
「分かってる。売り切れだろ。何でもいいから、回復コーナーには他にどんなのがある?」
まともな回復魔法は残ってないだろうさ。五番目くらいで切れてておかしくない。
「……回復歩行、毒反転、回復弾」
とても回復用とは思えないスキル名が続く中、まともに使えそうなものは数種類だけだった。
「回復歩行だ」
歩いて回復、これは分かる。怪我したら歩けばいいんだ。
歩きながら能力確保に勤しむ二人を、街の人々がにこやかに見送る。どうも勇者というのは、一目で分かるものらしい。
食料を手渡そうとする婦人までいて、勇者と女神の人気が窺えた。これはこのロクでもない冒険の、唯一救われる要素だった。
地図に記載されている通り、城下町の端に馬車の乗り合い所がある。そこから王都外れの街までは、馬で半日だ。
二人は馬車内を読書で過ごす。蒼一はマニュアルを、雪は巻物を。どちらも降りる時には、目をしばたかせていた。
「勇者に関しては理解した。七番目の奴の話は、なかなか読ませる」
「能力一覧より面白そう。女神の話は、こっちに書いてありました」
「オススメは?」
「六番目がヤンデレで凄まじい」
なにか一夜漬けで試験勉強した気分だと、二人は深く息を吐き出す。
理不尽な頭脳労働で偏頭痛が起きそうだが、やるべきことは見えてきた。
「帰ろう」
「うん」
同じ境遇が、彼らの絆を強くする。
目的は馬車の中で定まった。
「まずは大賢者を」
「ええ」
「一発殴りに行こう」
「二発です」
王国の空は、腹立たしいほど無駄に青かった。




