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古書店にて

 今日も僕の店には客が来ない。閑古鳥の鳴き声さえ聞こえない。

 その理由は分かっているつもりではある。この辺りは書店通りで有名なのだが、その書店通りから路地を入ったところに僕の店があるのだ。多分、立地が悪い。そのように言い訳まがいの言葉を並べないと、飯を食う程の収入さえないことに、発狂して暴飲暴食してしまいそうになるからだ。食費はこれ以上かけることはできない。

 ピンヒールの音が聞こえる。多分、あのお客さんだろう。このピンヒールの音は、毎日、決まった時間に聞こえてくる。それだから、街のスピーカーから流れる夕焼け小焼けであったり、朝に鳴く鶏よりも、正確な時間を把握できるのではないだろうかと、勝手に想像を膨らませていた。

「ねぇ、店員さん、ごめんなさい。前に頼んでいた本なんだけど…、あるかしら?」上品な口調で、ピンヒールの彼女は僕に質問を投げかけた。

「ああ…、それなら、今奥で別に取っておいてあるので、持ってきますね。ちょっと待っててください」

「わかりました。ありがと店員さん」

 彼女は微笑みながら、胸の前で両手を合わせた。

 その上品な微笑みをまじまじと見ることができない後ろめたさを感じながら、僕はカウンター奥へと向かっていった。

 今回彼女が頼んでいた本は、太宰治の本だった。彼女の読む本のジャンルはバラバラで、時にはミステリィだったり、時代小説だったりも読んでいた。彼女の趣味というものが読む本や言動からは全く理解ができないし、なぜこんな古ぼけた書店に足を運ぶのかさえ、全く理解できなかった。いや、それらが分かったところで、僕にはこの書店の1人の客なわけだから、僕に干渉できることは何もないのではないだろうか。

 僕はその本を彼女に手渡す。彼女はまた微笑んだので、先ほどの後ろめたさなど、とうに忘れ去っていた。

 僕は丸い黒縁の眼鏡をかけて、先ほどまで読んでいた本に目を通す。眼鏡をかけたのは、別に、目が悪いわけではない。眼鏡をかけると目の前の文章に集中できるのだ。多分、この習性は僕だけであろう。本を読む人種は、そんなことは考えないのだと、勝手に思っている。

「あのぉ…、店員さん?」

 僕は彼女の声に気が付く。どうしたか尋ねると、彼女は少し頬を膨らませた。

「もう…、何度も声をかけたのに、読んでいる本に集中なさってたんだからぁ…。お客より、本の方が大事なのですね」

「そんなことはないですよ、我が書店はお客様を第一に考える、というモットーで…」

「もう、そんなことは聞いてないです」彼女が僕の言い訳に割り込んで言う。言い訳がジョークのように言ったのが失敗だったか、と僕は反省した。

「それで…、ご用件はなんでございましょうか」先ほどの反省を生かし、丁寧な言い方を心掛けながら、彼女に質問した。

「…そういう冗談に聞こえる変な言い方、やめた方がいいと思いますよ」

 丁寧に話すという作戦は失敗だったようだ。そんな僕の脳内を駆け巡る考察を知らない彼女は、続けて話す。

「そうだ、そこの木の椅子に座ってこの本を読んでもいいかしら」

「ええ、ええ、もちろんよろしいですとも、お客様」

 彼女は僕の言葉など聞かなかったように、無言で椅子に座って、本を読み始めた。

 きっと、この言い回しは成功したのだろう。そう考えないと、今日の夜には暴飲暴食しそうだった。

 

 気が付いた時には、外はもう夕暮れ時だった。街のスピーカーから夕焼け小焼けが聞こえてくる。時計を見ると、午後5時だった。なるほど、街のスピーカーも案外正確であるなと、街のスピーカーを勝手に認めた。

 僕の店は、午後5時になると閉店の準備をする。周りの書店は大体午後6時から7時まで営業していることが多いのだが、それはその時間帯でも集客が見込めるからである。僕の店は、休日の昼間でも客が来ないというのに、その時間帯に店を開いたところで、本が光で劣化するだけである。ただ商品が劣化するだけのために店を開くというのは、愚の骨頂である。

僕は眼鏡を外し、彼女に近づいた。

「あの、お客さん…、今日はもう閉めます」 

「あら、もうそんな時間なのね…、残念」彼女は僕の顔をじっと見つめながら呟いた。そして、何かに気付いたような顔をしながら、ニヤリと微笑んだ。彼女の表情は豊かである。

「いや…、僕の顔に何かついてます?」

「いいえ、眼鏡…、本を読まない時は眼鏡をかけないのですね」

「まぁ…、そうですね、これは僕の持論なのですが、眼鏡をかけると目の前の文章に集中できるんです。一応、度は少し入ってますけど」

「へえ…、では私とお話しているときは眼鏡をかけていないので、集中してないってことですね、少し残念です」

 そんなはずはない、あなたみたいな麗しい女性とお話できて光栄です、なんて言葉が口から出そうになったが、また冗談のような言い方になりそうだったので、やめることにした。その代わり、「あの…、違うんです、その…」と何度も繰り返してしまった。そんなしどろもどろな言い方が彼女には面白かったようで、彼女はずっと微笑んでいた。

「ふふ、大丈夫ですよ、ありがと店員さん」彼女は微笑んだ後、少し黙り込んだが、また僕の顔を見つめる。「じゃあ、私も店員さんとお話するときは眼鏡をかけなければいけませんね」

「冗談のような言い方ですよ、それ」

「冗談じゃないですよ。私、最近盲目になっちゃったの。意味、お分かり?」


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