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前編

 求婚のお手紙?

 何かの間違いじゃないのだろうか、とリディア・コートネイは首を傾げる。自慢ではないが、ここ最近の生活を顧みても男性と話しすらしていない。もちろん、馬番のジーンや執事のモリスなどという身近な男性以外と言う意味だ。夜会にだって、ここ数年顔を出していない。顔を出したところで、自分などは男性たちの眼中にすら入っていないことはリディア自身よく分かっている。父親が珍しく早く帰宅して、居間に呼ばれたと思ったらこの話だった。二十五歳といえば、この国では完全に行き遅れ。一人娘の久々の浮いた話に喜んでいる両親を目の前にしても、悪戯という言葉が頭をかすめる。


 コートネイ伯爵家の居間は、現在の調度品は落ち着いた赤で揃えられている。天井を見れば、豪奢なシャンデリア。趣味がいいと言われる部屋の調度品は、母の采配で季節によって変えられる。どっしりとした赤いソファにリディアは腰をかけた。


「お父様、どちらの方からですの?」


 その奇特な方は。よっぽど年の離れた男性の後妻というならば、納得できるかもしれない。太って脂ぎっていて、どの女性にも相手にされないような。自分に来る縁談なんてその程度だと自嘲する。しかし、リディアだってそんな男性はごめんだ。


「驚かないでおくれよ。それが、レイモンド伯爵家だ。次男のフィル・レイモンド殿だよ」

「まあ、あなた! レイモンド伯爵と言ったら名家だわ!」

「しかもご本人だって、有能だと評判の陛下お抱えの騎士だ。次男というのも好都合じゃないか」


 両親は手を取り合って、喜んでいる。そんな両親を横目に見ているリディアは、さらに首を傾げるばかりだ。


 王宮でも評判で、陛下の覚えもめでたい騎士。フィル・レイモンド。世間に疎いリディアですら知っているほどの有名人だ。剣の腕前だけでなく、見目も麗しいという。もちろん、女性たちが放っておくはずがない。どんな女性でもよりどりみどりなはずの彼が、わざわざリディアに求婚するなんておかしな話だ。


「お父様。申し上げにくいのですが、悪戯ではなくて?」

「何を言うんだ! ほら、リディア、よく見てごらん。封にはレイモンド家の紋章が押されている。第一、これを持ってきたのはレイモンド家の従者だよ。悪戯なんて、とんでもない」


 手紙を手に取ると、たしかに封蝋がなされている。レイモンド家の紋章かどうかは、リディアには分からないが、悪戯だとすれば手が込んでいる。悪戯でないとすれば……。


「よほど、女の趣味が悪いのかしら」

「何を言うの! 私たちの大事なリディアは、とても素敵な女性よ」

「そうだ。君を見初めるなんて、見る目がある。頼むから自分を卑下しないでおくれ。君はどこに出しても恥ずかしくない娘だよ」


 無意識に思ったことが、口を吐いていたらしい。それに両親は敏感に反応してくれるが、二十五にもなる娘に言う言葉ではないのではないだろうか。


「お父様、お母様、私は結婚はしませんわ。卑下などではなく、もう男性なんてこりごりですの」


 その言葉に反応して、父親はソファに座って頭を抱え、母親はハンカチを出して泣き出した。

 茶番だ。


「お芝居は結構です。前から申しておりますように、私結婚などせず、好きなように生きようと決めましたの。私に求婚なさるなんて、レイモンド様も何か企みがあるのではないでしょうか?」

「まあ、そんな、すれっからしのようなことを言って……」


 泣いていたはずの母親が呆れたようにリディアを見たので、その瞳が乾いているのがしっかりと見えた。


「あれは、相手が悪かったんだよ。もう忘れなさい」


 忘れられるはずがない。


 ひどく嘲笑され、婚約破棄をされたのだ。十九歳のリディアのプライドは見事に砕かれた。リディアだって、結婚に夢を見ていた。愛する人に、素敵な求婚をされて結婚をしたかった。


 親同士が決めた婚約。相手のことを何も知らなかったが、こういうものだと思っていた。周りも親が決めた相手と結婚して幸せに暮らしている。しかし、相手はそうではなかったようだ。本当に結婚したい人がいたようで、あろうことか、婚約破棄の理由作りのためにリディアの醜聞を流したのだ。コートネイ伯爵家のリディア嬢は、夜な夜な男遊びをしていると。それを理由に婚約を破棄されたが、リディアには全く身に覚えがないので、寝耳に水だった。彼の謀だと知ったのは、すべてが終わった後のことだ。早々に意中の相手と結婚した元婚約者に対し、リディアに残ったのは夜遊び好き、男好きという、まことに不名誉な噂。


「とりあえず、一度会ってみなさい。会わずにお断りはできないよ。その後のことは、君の判断に任せるよ」


 仕方がないというように、父はため息をつく。


 もしかして、レイモンド伯爵家はその噂をご存知ないのかしら。では、そのことを知れば向こうからお断りしてくるのではないかしら。


「わかりました。お会いいたします」


 最近は女領主だって悪くないと思っているのだ。





***


 お会いする機会は、思った以上に早く来た。


 リディアが返事をした翌日には、レイモンド家より訪問日の伺いがあり、あっという間に日が決められてしまった。


 その日、コートネイ伯爵家はぴかぴかに磨かきあげられていた。客間は居間と同じく、赤を基調とした家具や調度品が並べられており、クリーム色の壁とは相性がいい。赤い色が一足先に秋を思わせるようだ。


 目の前で、その赤いソファに座るのは、フィル・レイモンド。略式にということで、ひとりで現れた。こちらも対応するのは、母とリディアだけだ。久しぶりに髪をきつく結い上げられ、モスグリーンのドレスに身を包んだリディアは、赤い部屋ととても相性がいい。ドレスを選んだのは母親だ。嬉しそうにしているところ申し訳ないと思うが、リディアは何と言ったら、相手がお断りしてくれるのか考えているところだ。


 そんなことを知らないフィルは穏やかに微笑んでいた。実際に会う彼は、上背はあるが騎士の割には細身だ。短くかられた栗色の髪は後ろに撫でつけられている。所作なども優雅で、戦いに身を置くような荒々しさなどは感じられない。


 噂に違わぬ美形だわ。ますます、自分へ求婚に来るのが信じられない。


「ご存知とは思いますが、私は次男坊です。レイモンド家は後継の兄がおります」


 母が承知しています、と頷く。コートネイ家としては、婿に入ってもらえるならば、さらに万々歳なのだ。もしかして、と思い当たる。伯爵家が目当てなのかしら。


「私は、近々陛下より領地を賜る予定です。コートネイ伯爵領には見劣りしますが、自分の家を興すこともできます」

「まあ! おめでとうございます。優秀でいらっしゃいますのね」


 母は手を叩き、黄色い声を上げた。どうやら、領地もあるようだ。


「先の戦での褒美です。しかし、本当に良かった」


 言葉を切ると、リディアを見つめて穏やかに微笑んだ。


「領地も何も持っていない次男では、あなたに結婚の申し込みなどできませんでした。そうこうしている内に、年ばかりとってしまいました。諦めていた頃に、領地を賜ることになり、早々に手紙を出した次第です。急にあんな手紙が来ては、さぞ、驚かれたでしょう」

「まあまあ、なんてこと!」


 乙女的思考の母は、自分が言われたかのように頬を赤くさせている。しかし、そんな母のことを言えない。斜めに構えてみているはずのリディアでさえ、胸が高鳴っていた。結婚する気はないが、やはり見目麗しい男性に微笑まれたら、女性なら穏やかではいられないだろう。


 しかし、ますます首を傾げてしまう。容姿に財力、地位と申し分ない。そんな男性がわざわざ婚期を逃した、しかもひどい醜聞のある自分に求婚するのだろうか。彼の言い方では、まるでずっと機会を伺っていたようではないか。


「リディア殿は、普段はどのようなことをされて過ごされているのですか?」


 来た。昔なら、刺繍や読書と答えていたところだ。深層の令嬢としては申し分ない返答だ。リディアはにっこりと微笑む。


「そうですね。最近はチェスや、乗馬ですね」


 この国では馬に乗る令嬢はいない。女性が使用するのは馬車だ。隣に座る母を見ると目を白黒させていた。チェスだって男性の遊び。若い女性がする遊びではない。


さあどうぞ。

はしたない女性だと言ってくださって結構ですよ。

 目の前の男性の反応をわくわくしながら見ていたが、瞳に侮蔑の色は浮かんでは来なかった。それどころか、興味深そうに身を乗り出してきた。


「それはいい。私もどちらも好きですよ。チェスができる聡明な女性にはなかなか出会えません。ぜひ、お手合わせ願いたいですね。あと、乗馬も。今度ぜひ、ご一緒いたしましょう。馬を駆けるのに良い場所があるのです」


手強い。ならば、


「あと、私お酒も少々……」


 母がふらふらと立ち上がり、あとは若い二人で、などと言って部屋を出て行った。聞いていられなくなったのだろう。


 フィルはおかしそうに笑っている。なぜか、幻滅はされていないようだ。


「お酒だって、嗜まれるでしょう。リディア殿、大丈夫ですよ。私の家族は、女性が多いのです。姉たちや、叔母たちという女性に囲まれて育ちました。ですから、女性に幻想など抱いてはおりませんよ。第一、私は二十七です」


 許容範囲は広いようだ。そして微笑んでことも無げに、


「狩りもなさいますか? それならば良い場所をご案内しますよ」


 まあ! 狩りですって! 今度は、リディアが目を白黒させた。乗馬だって婚約を破棄されて、やさぐれた気持ちで始めたぐらいなのに。どうにでもなれ、と思ったのだが、一度で好きになった。馬で駆けてみれば、今まで感じたことのない気持ち良さだったのだ。


「私の姉は、趣味で狩りをしております。これが、なかなかの腕前なのです」


 どういう姉なのか。瞳をぱちぱちと瞬きをさせているリディアを見て、満足そうにフィルは微笑んだ。


「どうやら、私の方があなたを驚かせることができたようですね。私の気を削がせようとなさっているようですが、先ほども話したように私は数年待ったのです。私から、お断りすることはありませんよ。ああ、跡取りが気がかりということであれば、もちろん、婿養子にだって喜んで入ります」

「あなた……女性の趣味が変わってるとか言われない?」

「言われたことはありませんね。とても良い趣味だと自分ではおもっていますが。ところで、今度乗馬はいかがですか?」


 リディアはため息をつく。予想外だ。シミュレーションでは、これより前にフィルは呆れて帰っているはずだった。全く意に返さない様子のフィルにリディアの方が困ってしまう。


「レイモンド様……」


 リディアにまとわりつく噂を知らないのかしら? しかし、それは全くの嘘でもあるし、リディアの口からは言えない。口に出すのですらおぞましい。


「どうぞ、フィルとお呼びください。ああ、お母上にお伺いいしたほうがよろしいですか?」


 何といって断ろうかと逡巡していたのに、母に聞いたら意味がない。打って響くように、はい、と返事をするだろう。しかし、先ほど趣味で乗馬をすると言ったために、断るための理由が見つからない。理由もなく断れば、目の前の男性に対して失礼だ。リディアの中で、奔放な振る舞いを見た彼がそれを理由に断るのはよいが、自分が嫌だからという理由で断るのは矜持に反する。婚約破棄をされて、人から拒絶されることの辛さを思い知った。だから、自分はそうはしたくないのだ。まあ、フィルが自分の発言でショックを受けるとは、到底思えないが。


「レイ……、フィル様。ご一緒いたしますわ」


 それを聞いて、嬉しいというようににっこりと微笑んだ。

 相手の方が、一枚上手のようだ。

 始終相手のペースで話が進み、リディアがどんなことを言っても彼の顔色が変わることはなかった。穏やかな瞳に見つめられている間に、あっという間に時間が過ぎてしまい、気づけば玄関ホールで見送っていた。さすがに見送りには、母も姿を見せた。


「楽しい時間をありがとうございました。では、リディア殿、今度は乗馬のお誘いに参りますね」

 乗馬、という言葉に母は目を剥いたが、何も言わなかった。愛想よく送り出しただけだ。

「ええ、楽しみにしておりますわ」


 こう返すしかないではないか。隣の母の視線が痛い。愛想笑いではなくなったのが分かったのは、親子だからなのだ。扉が閉まるのを確認すると、


「どういう気持ちの変化かしら? まあ、いいでしょう。だってこんな嬉しいことはありませんもの。お父様にもご報告しなくては」


 語尾を上げて喋るのは母が上機嫌な証拠だ。


「仕方なくです。あの方、強引なんですもの」

「あら。その割にはお顔は楽しそうですよ」


 くすくす。いつまでも少女のような母。こういう時は、まるで気のおけない友人と話しているような気になる。リディアは身をもって分かっているのだ。友人たちと同じで、こういうときに否定をすると、さらに騒ぎ立ててからかわれてしまう。そして、いつの間にか、さきほどの会話を一から十まで話す羽目になるのだ。リディアは、小首を傾げて煙に巻くことにした。


 だって、私結婚なんてまっぴらですもの。

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