9:エルフと借金
俺はやっと『安楽の新月亭』を見つけることができた。
神殿の脇を入った通りの片隅に、数階建ての細長い家屋があるが、
そこに宿屋を示す木の看板が、二階からぷらぷらと垂れ下がっていたのだ。
「ふう……やっとか」
追っかけてくる冒険者たちを死ぬ気で振り払ったあとだから、それなりに疲れていた。
いくら俺がデーモンロードとはいえ、限界というものがある。
汗をぬぐうと、木製の扉を開けて宿のなかに入った。
「なによ! 耳長はこの宿には泊められないとでも言いたいの!」
「そうじゃないよ、お嬢さん。つまりねぇ……」
宿のロビーはいい感じの雰囲気で、さすがに現代のホテルと比べることはできないが、
質素ながらも清潔で、インテリアは気を配られていた。
見たかぎり、あのおっちゃんはいい宿を紹介してくれたんじゃないかと思える。
カウンター越しに気のよさそうな中年と、ぞっとするほどの美貌をした耳の長い女性(エルフ?)が口論をしていなければ、だけど。
「すいません」
「お、悪いね。エルフのお嬢さん。お客さんが来てる」
宿の主人であろう中年男性が、カウンターを回って俺のほうまでやってくる。
表情は笑顔だった。というか、やっぱりエルフだったのか。あの娘。
「安楽の新月亭へようこそ。泊まりだね?」
「あ、はい」
「予定は?」
「とりあえず一泊……」
「部屋は空いてるよ。料金は前払いで銀貨二枚だ」
とんとん拍子で話が進むな、オイ。
カウンターのほうでは女性エルフがこちらをじとーっと睨んでいる。
美人は美人だけど、強気な美人なので、ああいうふうに睨まれると怖いんだよな。
「えーと、これで銀貨二枚」
「まいど」
「店主! なぜその銀貨が受け取れて、わたしの銀貨は受け取れないの!」
相当目がいいらしい。
彼女がずんずんとこちらへやってくると、その芸術品みたいな指を使って銀貨を指し示した。
「だ、だからなぁ。お嬢さん。きみの銀貨はカティウム銀貨で、価値が低いんだよ。4枚はもらわないと」
「世間知らずのエルフからぼったくろうとしても、そうはいかないから!」
エルフといえば輝くような金髪のイメージだが、彼女は真っ白な肌に、鴉の濡羽色とでも言うべき漆黒の艶やかな長髪をしていた。
それがまるで、彼女の怒りを表しているかのようにふわりと揺れる。
「どうしてもというなら裏庭の小屋にでも」
「小屋ァ!? わたしを侮辱しているの、ニンゲン!」
「あのー」
なんだとばかりに、エルフから睨まれた。おーう。
正直、俺は疲れていた。ここでガタガタとやられたくないし、店主があまりにも可哀想だ。
この美人エルフさんにだって得はしないと思う。
なので俺はこういう提案をしてみた。
「その銀貨二枚と、こっちの銀貨二枚で好感しません?」
「……え、聞き間違えかしら」
「おれにもお嬢さんの銀貨二枚と、お客さんの銀貨二枚を交換するって話は聞こえたが……いいのかい?」
「ええ。実は理由があって、いろんな銀貨を集めてるんですよ。んで、カティウムはまだだったんで、ほしいなーと」
苦笑を作りながら、そんな内容を語ってみる。
これで怪しまれたり、向こうからバカにするなと怒鳴られれば失敗だ。
肝心のエルフは、渋い表情をしてからため息を付いたり、かと思えば俺の顔をまんじりと凝視したりしている。
やがて、どこか納得のいかなそうな表情でうなずいた。
「まぁ、その。わたしは大歓迎だけど」
「じゃあ交換しましょう」
手早く終わらせてしまおう。袋からさらに銀貨二枚を出すと、彼女の華奢で美しい手に二枚置く。
彼女はそれを数秒眺めてから、おそるおそるとカティウム銀貨を二枚つまんで、こちらの手に置いた。
「うん。契約成立……かな」
「え? ええ、そうね」
「きみも物好きな人だねぇ」
宿の主人があきれたような笑みを浮かべる。
金子に余裕があるのだし、チート持ちなんだから、これぐらいの社会貢献はしておかないとな。
「事情があるんですって。ところで、さっそく部屋を見てみたいんだけど」
「ああ、三階の部屋だよ。廊下の突き当りだ」
ホテルのサービスみたく、部屋に案内してくれたりはしないらしい。
ま、そうだよな。ここ見た感じはファンタジー世界だもん。
「どうも」
俺はエルフの妙にねっとりとした視線を背中に感じながら、ロビー脇にある階段を昇っていった。
踊り場を越えるのを二階やれば、遂に三階へ辿り着く。木の階段はたまにぎしぎし鳴ったが、まぁ、大丈夫だろう。
さてと、廊下の突き当り突き当り……お、あれか。
取っ手を掴んで、奥に開ける。
部屋はきれいなシーツが敷かれたシングルベッドと、小道具が置かれた棚、
おそらく荷物の中身をしまうための櫃と、あとはテーブルと椅子がひとつあるだけだ。
部屋は狭いほうだが、よく掃除されているのが分かる。
荷物といえば、この貨幣が入った布袋くらいだ。
俺はさっそくベッドに腰を下ろすと、目をつむってため息を付いた。
「ふー……」
今日だけでたいへん濃い体験ができた。
異世界に来て、聖女と出会って、クラスメイトたちに遭遇して、追いかけられて。
そして相棒とも別れてしまって。
唯一の救いはこの能力だ。これさえあれば、まあ、なんとか生きていける。
「にしてもなぁ」
とりあえず泊まるところは確保できた。
あとは食料と、この世界に馴染めるような服だな。
金はある。布袋のなかには金貨が数枚、銀貨もそれなり、あとはお釣りの銅貨も8枚ある。
当分はこれでいけるんじゃね。
俺はベッドに背中から倒れ込む。
肉体的には疲れていないけど、精神的にはけっこう疲労していた。
向こうの世界で感じるようなふかふか感はないが、これでもわるくない。
次第にうとうととし始めた。
頭が鈍くなり、身体を動かすのが億劫になる。
そのまま知らず知らずのうちに眠りへ落ちようとしていたそのとき、
部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
「おーい、お客さん」
「ん、んん?」
非常に面倒くさい。面倒くさいが、宿の主人が呼んでいるなら仕方ない。
せっかく気持ちいいところだったのに、という文句を呑み込みながら、俺は立ちあがって扉を開けた。
そこには気のよさそうな宿屋の主人。
「きみが来ていないか、って訪ねてきた人がいてね。いま下にいるよ」
「げっ、冒険者ふうですか?」
「あー、そうだけど……忘れ物を届けにきたって、言ってたな。マモルと伝えてくれれば分かるとか」
ほっ、クラスメイトのほうか。
こっちを冒険者に引きこもうとする集団の仲間じゃないわけだ。
「それにしてもなんでここにいることが……」
「そりゃきみの服装は目立つからな。あんまり客には詮索しないタチなんだが」
苦笑する主人。はやく着替えないとアカンわこれ。
「うちの古着でよかったら売るよ。酔いつぶれた客が残していったものがあってね」
「すいません。じゃああとで」
主人の言葉を受けながら、俺は階段を慌てて下っていく。
宿のロビーに顔を出すと、そこには相変わらず気弱そうな感じのマモルが待っていた。
「あ、ごめんね。忘れ物があったから」
「おお、いや全然いいって。ところで忘れ物って」
マモルが懐から一冊の本を取り出す。
げっ、あれって。
「……中身、読んだ?」
「少しだけ。白紙だったよ」
「白紙?」
俺は本を受け取りつつ、中身を開いてみる。
ああ、うん。白紙だ。
これって俺のような存在が触れないと、文字が出てこないのかね。
「ところで、カズマのことだけど」
「ああ。借金? とか言ってたな。大丈夫なのか?」
「……ヒロユキのこと覚えてる?」
「ヒロユキ。ああ、アイツか」
口がうまくて、世間慣れしてて、困ったときにはいつも逃げているヒロユキ。
アイツがどうかしたんだろうか。
「ヒロユキがね。こっちに来た頃、魔物に襲われて怪我したんだ」
「え」
「それで、その魔物は特別な毒をもっていたみたいで、解毒にはお金もかかるし、しょうがないからクラスメイトからカンパを募ったんだけど」
「カズマはお金を出したけど、いまになってお前の借金だろ、って言い付けてきたのか」
「うん。ヒロユキは治療されたらどこかへ消えちゃうし……僕がバカだったんだ。パーティのみんなも巻き込んじゃうし」
暗い表情を浮かべながらも、せめて微笑を作るマモル。
しかし異世界に来てモロに人間性出てるよな。カズマとか完全にチンピラだったもん。
……でもアイツを殺さなくてよかった。
「借金はいくらくらい?」
「金貨100枚。僕たちの生活費や、仕事にかかる費用も出したうえで、さらに稼がないといけない」
うーん。この表情からいうと相当難儀してそうだ。
こっちに来たばかりで、ぜんぜん相場については分からないからなぁ。
「でもそんなの踏み倒せばいいんじゃないか」
「カズマはエヴインの盗賊ギルドと関係があるんだ。ボスのレイズって人に気に入られてるらしくてね」
「盗賊ギルド……そんなに怖い相手なのか」
「裏社会の顔役だよ。逆らったら、僕たちスキル持ちの冒険者だって危ない」
レイズ。そういえばカズマがそんな名前を口に出してたっけ。
「そうか。俺、なにか力になってやりたいけどさ」
「ご、ごめんね! そういうつもりで話したんじゃないから!」
慌てて両手をあげるマモル。
「僕はただ、事情を説明したくて」
「分かってる分かってる」
俺が笑いながらそう言ってやると、マモルはほっとしたように肩を落として微笑む。
その表情には、どこか疲労の影もみえた。
異世界にきても、こういうハメに遭うって、なんだかアレだなぁ。
「えと、じゃあ僕はこれで」
「うん」
「良ければまた訪ねてきてよ。基本的にあの宿にいるから」
宿の入り口から外に出ていくマモルを見送りながら、俺は考える。
はたしてアイツらのために俺はなにかするべきなのか。
それとも、放っておくべきなのだろうか。
正直、マモルたちとはあまり親しくない。学校時代もそうだったし、いまもわりとそうだと思う。
だけどおなじクラスメイトだ。
あっちの世界からここへやってきた貴重な仲間のひとりで、きっといい奴だ。
相手が盗賊ギルドの親玉だろうが、俺にはすさまじい力がある。
きっと解決できないこともないだろう。
だけど、なんとなく気が乗らなかった。勝手に突っ込んでいいものなんかな。こういう問題って。
静まり返ったロビーの椅子に腰を下ろしながら、俺はひとまず古着を売ってもらおうかな、なんて思っていた。
+ +
それからはずっと部屋にいた。
なにかすることがなかったのかといえば、まあ、古着を身体に馴染ませたり、例の本を確認してみたりだけど。
実質、F●teも、艦●れも、グ●ブルだってやれないわけで。
手軽な暇つぶしがないんじゃ、俺は今後この力を活かしてどう動いてやろーか考えるぐらいしかない。
そんなことを考えていたら、いつの間にか外は真っ暗になっていた。
俺の部屋には燭台があって、ぼうっと包みに入った炎が灯っているので、さほど不便は感じなかった。
この包みが何製かは知らん。とにかく耐熱性やらが強いんだろう。
「どうすっかなあ」
夕飯を食べにいかなきゃいけないのは分かってる。
だけど、いきなり環境が激変したからか、あまり食欲がわかない。
さて、どうしようと考えていると――。
「ん?」
唐突に、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
だれかな。宿の主人かも。
俺は横になっていたベッドから起き上がると、そのまま扉を開けてみた。
驚いた。だって廊下にいたのは、あの美人エルフだったから。
「……こんばんは」
「あ、うん。こんばんは」
「……」
「……」
え、なに。なんなの。
とりあえず会話が止まってしまったので、俺から言葉を返す。
「えーと、昼間のエルフ?さんだよね」
「見ればわかるでしょ」
「……うん。そうだな」
腕を組んで、どこか気難しそうに周囲を見渡す女エルフ。
こちらと視線を合わせるのを、あえて避けようとしているようにも見える。
というか、受け手の俺がどうしてこんな目に遭わないといけんのだ。
「あの、なにも用がないならこれで」
「ま、待ちなさい!」
俺が扉を閉めようとすると、慌てて隙間に足を入れてくる女エルフ。
「昼間の礼を言いに来たのよ!」
「昼間?」
「あなた、わたしが困っているのを知って、あえて銀貨を交換してくれたでしょう」
ありゃー。バレバレだったか。
たしかに傍目からみれば、稚拙な会話だったかもしれないな。
「そんなことでわざわざ」
「あなたにとっては"そんなこと”でも、わたしにとっては重要なのよ。フェルス支族は名誉を重んじるの」
彼女はそこまで続けると、なにか迷うようにしてから改めて言った。
「……ちょっと風の当たる場所へ行かない?」
「どうして」
「さ、察しなさいよ。お礼がしたいのよ……!」
恥ずかしそうに小声でそうつぶやくエルフさん。
いや、俺からしたらふつうに「ありがとう」という一言をくれるだけで充分なんだけど。
まぁ、彼女は眼前でそわそわとしているみたいだし、誘いに乗ってやるのもいいか。
「ま、そうしたいならいいよ。じゃあそこの窓でも開けて」
「こっち」
「え?」
ぎゅっと手を掴まれて、相手の望む方向に引っぱり出される俺。
彼女はどしどしと廊下の端までいくと、そこにあった両開きの窓を開けた。
「お、おい。なにしてんだよ」
「? 屋根に登るのよ」
「はぁ!?」
「ああ、ニンゲンは精霊の加護を受けられないのよね。大丈夫。私が加護をかけてあげるから」
彼女はすばやく手印を切ると、なにごとかをぶつぶつとつぶやいた。
俺とエルフの周囲を、なにかちいさな光がくるりと囲む。
それから、ふわっとした感覚があり――俺はエルフに連れられて、窓の外に飛び出した。
やべえ。金玉が縮む。
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