3:ここはどこ、わたしはだれ?
あの女神たちに遭遇したのが、いまは遠いむかしのように思える。
いや、目を覚ましてまだ一時間くらいしか経過してないのは分かってるんだけどさ。
「それで、いまの状況だけど」
「うむ」
「食糧もない、水もない、武器もない」
「うむ……」
「ないない尽くしで、あるのは――」
「この風景だけであるなぁ……」
となりのヤスとため息を付く。
周囲には鬱蒼とした森林が広がっており、俺たちが腰を下ろしているのはどこかの遺跡であろう石造りの床の上だった。
鳥の鳴き声が時折聞こえ、たまに木々と茂みのなかでがさりと動くものがあるのだが、それも視界に入ることはない。
上空には白い綿雲と抜けるような青空。陽光はあたりを照らし出している。
「ほんとにどうすんだこれ。いくらデーモンロードったって、食べなきゃ死ぬだろ」
率直な感想である。最初の十分間くらいは全てに驚いて興奮もしていた。
が、さらに数十分経つと冷静になり、そこからはもう現実を直視するほかない。
だって俺たち人間のままなんだもの。とくに変化もないし、放り出されたのは自然のなかときた。
そんな状況に慣れてしまえば、俺たちのようなアホとて危険を感じたりもする。
「デーモンというぐらいだから、なにか特殊能力みたいなものがあるのではないかのう?」
ヤスは俺を元気づけるようにして、明るい話題を提供しようとするが、さすがにそれはないと思う。
「んなゲームじゃあるまいし……おっなんだ。本、かな?」
ふと苔が生えた石畳の地面に視線をやると、そこには深茶色の背表紙が印象的な一冊の本が落ちていた。
「先ほどからあったではないか。お前の目は節穴なのであるか」
ぽんぽんと自分の脇を叩いて、そこにあるもう一冊の本を取り出すヤス。
なるほど、こいつちゃっかり自分の分だけ確保してたわけか。
「中身読んだのか?」
俺は本を引きよせつつも、そう尋ねてみる。
ヤスは難しい顔をしてかぶりを振った。
「怪しいものだからな。先にお前に読ませて安全を確保しようと思ったのだ」
「このヤロー。あとで覚えとけよ」
イイ笑顔を見せながらサムズアップするヤス。こいつのメガネを思う存分に破壊したくなった。
しかしここで仲間割れをしてもどうしようもあるまい。
なので、俺は内心文句を吐きつつも、好奇心には勝てずにページを開いてみることにした。
「ぬっ?」
白紙? いや、白紙ではない。
一瞬白紙ではあったのだが、だんだんとそのページに文字が浮かび上がってきた。
「ど、どうした……?」
「いや、ちょい待て」
ぴっと片手で制止する。呪いの品ってことはないと思うが、このメガネを巻き込むのも気が引けるし。
ページに寄り集まった文字は、次第に形を成してきて、やがてはひとつの文章となった。
――榎本 礼史/エノモト・レイジ/黒のデーモンロード/善・中立/評価:S
――スキルを表示しますか?
「あれ? なんで見知らぬ文字なのに、文を読めるんだろうな。俺」
「見せろい!」
ヤスが強引に顔を突っ込んでくる。こいつも長いあいだ文章を凝視していたかと思うと、ほうと感嘆の息を付いた。
「すごいのう。まるでRPGみたいである」
「突っ込むところそこかよっ! まぁ、俺もおなじ感想だけどさ」
「このスキルは、ネットの異世界FTでよくあるアレであろうか?」
「たぶんな。とするなら……」
俺たちはにやりと笑みを交わす。そう、これこそが俺たちに与えられたギフトだ。
さてさて。中身は何だろうなぁ。
「開けゴマっ!」
スキルを表示させてみた。
――スキル。無し。
「ファァァァァwwwwwwwwwwww!?」
「うひゃひゃひゃひゃうおごほごほげふんげふん」
腹を抱えて大笑いして、遂には咳払いまで始めたヤスに中指を立てながら、俺は必死に本を揺さぶる。
「動けぇ! 動かんかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
果たして俺の想いが届いたのかは知らないが、本のやつは文字を慌てて組み替え直した。
そこにはきちんと、スキルが一覧として掲載されている。
「ぜぇぜぇ……この野郎。心臓が止まるかと思った……」
「いやぁ、正直ワガハイも気が気では無かった。くっくっ」
決めた。こいつの本体は、あとでぶち壊す。
「えーとスキルは……おお」
本の中身を確認してみる。
幾つかのスキル項目が表示された。
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★『ティラの執着/グレイトジェラシー』
レア度:SS 属性:混沌
女神ティラーア:クラシルから祝福を受けている。
関連スキルを自動的に取得できる。
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ふむ。ティラーア様の祝福か。まったくいい想像ができない。
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★『混沌ノ君主/デーモンロード』
レア度:S 属性:混沌
取得者は種族をデーモンロードに変更する。
あらゆる身体能力をデーモン級(S級~A級)まで底上げする。
なお、この力は自由に制御できる。
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デーモン級ってのがいまいち分からんが、これは超人になったってことでいいのか?
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★『混沌魔術LvA/ケイオスマジック』
レア度:A 属性:混沌
取得者は混沌魔術を使用可能。
このLvでは高度な魔術を自由自在に操ることができる。
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魔術と言われてもイメージしづらいが、これどうやって出せばいいのだろう。
「全般的に肉体関連、かな? 頼もしいっちゃ頼もしいけど」
「おい」
「魔法とかは純粋にうれしいな。俺、いちどは手からフ●ースとか出してみたかったんだよ」
「レイジ」
「うん? なんだよ」
俺の肩を強く引っ張ったので、俺は仕方がなくヤスに視線をやる。
ビビった。メガネの奥にある目が、なぜか血走っていた。
「こ、これはなんであるかのう?」
震える指でさしたのは、ページの下部。そこにはとあるスキルが載っていた。
「えー、デーモンの香気……れ、レディキラー?」
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★『デーモンの香気LvA/レディキラー』
レア度:A 属性:混沌
取得者は異性から好感を抱かれやすくなる。
このLvではパッシブ的に異性からの信頼を受けることができる。
アクティブ的に使えば、異性からの強い愛情を受けることができる。
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「おにゃのこ相手に抜群のスキルではないか!? うらやましいィィィ!」
「あ、こらっ! 飛び付いてくんな! お前のにもあるのかもしれないだろ!?」
暴れ始めたメガネの変態をローキックで迎撃すると、ヤスははっと気付いて自分の本を開く。
そこから舐めるようにしてページを凝視していたが、唐突にぱたんと閉じた。
唐突に啜り泣く。ああ、お前には無かったのね。
まあ、それはともかくとしても、俺にはヤスに対して尋ねなければいけないことがあった。
「でさ……転生したはいいが、これからどうする?」
俺の足元を、リスに似た齧歯類が走っていく。
じいっと見つめてやると、そいつは俺のほうへ振り返り、腹を出してゴロゴロと地面を転がった。
「というと?」
「いや、目標だよ。目標。いくらゲームに巻き込まれたからって、馬鹿正直にあの神様のために戦う理由なんてないし」
また電撃が飛んでくるのではないかと心配しつつ、率直な感想を話す。
実際、俺たちがあの契約に乗ったのは、あの退屈な場所から逃げ出して、転生世界をエンジョイするためである。
別に混沌とか秩序とか、そういうのはあまり興味がないのが本音だ。
俺の質問に、ヤスはまるで愚問だとでもいうようにかぶりを振って、野心に満ちた笑みを作った。
「ふっ、そんなのは決まっておろう。ずばり――ハーレムじゃ!!」
「あー」
「なんだその妙に納得したような声は。いいか、この本によればワガハイたちには一種の特別な力が備わっておる!」
「うん」
「となればそれを使わないのは、むしろ世界に対する損失というものであろう」
「いや、世界の迷惑な気もするけど。まぁ、男として気持ちはすげえ分かる。うん」
悲しいながらもね。男からしたら一世一代の夢だからね。
でもなヤス。ハーレムの実際ってたいへんらしいぞ。気配りとか調整とか。
「じゃあお前はハーレムか。俺は……」
俺は、なんだろう。たしかにハーレムにも心惹かれるし、女の子にも超モテたい。
そのはずなんだが……いまいちなにをしていいか分からん。
「分かんねえな、マジで」
「はぁ!? いいかレイジ。お前の手元には素晴らしい力があるのだぞ? 神様公認である」
「まぁ、そうだな」
「男ならいろいろとあるであろう! 世界征服とか! 美人を侍らせるとか! 世界でいちばん強くなるとか!」
「ぬう……たしかにどれも面白そうではあるが、ピンと来ない」
仰々しく俺を鼓舞していたヤスだが、遂にあきれ果てたのか、ふうと重いため息を付いた。
「お前がそこまで覇気のない男だったとは……」
「う、うるせえ! ちょっと疲れてるだけだ! その気になったら欲望まみれになってみせらあ!」
「ムリムリ。お前さんと付き合ってもう二年だが、根本のところで臆病だからのう」
ぐぬぬ。言い返せないのが悔しい。たしかに俺は踏み込む前に、いろいろと考えてしまうタイプだ。
自分でももっとヒャッハーだったり、俺TUEEEEEしてみたかったりもするのだが、なんかイメージが届かない感がある。
でもそうだな。言えるとしたら――。
「……世界を知りたい」
「ほう」
ヤスが眉をあげた。
「ハーレムにしろ最強にしろ、まず世界があってこそだと思うんだ。だから……」
だから、ひとまず世界を回ってみたい、と俺は言った。
数年来の付き合いであるメガネは、ふむと少しだけ考えこんだ後、大きくうなずいた。
「殊勝であるなぁ。しかし言っていることは悪くない。ワガハイも同意見である」
「なんだ。悠長なこと言ってんじゃねえって怒鳴られるかと」
「ふん。そこまで愚かではないわ」
ハーレムだのオッパイだの言ってるような阿呆に、どういう感想を持てと言うのか。
そんな俺の視線を振り切るようにして、ヤスは改めて周囲を見回した。
「さて、現況は変わらん。食事もないが、水もない。武器もない。あるのはスキルだけである」
そこは同意だ。さすがにこんな状況じゃ、いくら大志を語ったところでどうしようもない。
さて如何しようと意識を研ぎ澄ませてみれば、俺は鬱蒼とした木々のなかに、下生えが比較的少ない場所を見つける。
ちょっと驚きもする。普段の俺は、こんな恐ろしい観察力があるほうじゃないんだが……。
「ともかく移動しよう。ここでキャンプしててもしょうがない」
「どちらへ行く? 下手な方向にいくと遭難するぞ」
「ほれ、あそこ見てみろ」
「むっ、獣道か? しかし素直に辿ってよいものか。ばったり野生動物と遭遇するかもしれんぞ」
もっともな疑問をぶつけてくるヤス。ハーレムやらが絡まなければ、比較的優秀なんだけどなぁ。
「かもしれん。論理的な理由もあげられないけど、俺の直観はその道を正しいんじゃないかって言ってる」
「直観で判断するのか貴様は!」
「? そりゃサバイバルの知識も技術もないんだから直観だろ」
ヤスはなにか言いたげに歯を軋らせていたが、遂には折れてため息を付いた。
いや、だってほんとに判断材料ないんだもんよ。
「……このまま待機するというのは?」
「人里まで降りないと、ヤバいんじゃねえかな……。火とか点けられる?」
「むう。ずっとむかしに実習かなにかでやったような」
「俺もそんな感じ。ちょっと望み薄だよな。荷物もなにひとつ持ってきてないし」
顔を見合わせる。やっぱ歩くしかない。
俺はヤスに笑みを向けると、一足先にたちあがって獣道のほうへ向かっていく。
振り向いてみた。ヤスは不本意ながらも、といった感じでメガネをかけ直すと、俺のとなりに並ぶ。
「うし、進むか」
「死んだらはいそこまで、ということであるな」
そんなのはいやだけどなぁ、俺。
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