10:暗殺
「お、俺……高所恐怖症なんだけど」
「なにそれ? 高いところが怖いの?」
「うん」
「だいじょうぶだいじょうぶ。慣れるわよ!」
慣れるわけないんだよなぁ。
三階廊下の窓の向こう。そこから俺たちは精霊の加護とやらを受けて浮かび上がり、
いまは宿屋の屋根部分に腰を下ろしている。
俺はもうおっかなびっくりという感じで、両手を屋根瓦のうえに着けているのだが、エルフのほうは気楽な様子で気持ちよさそうに風を感じていた。
さすが森の種族だわ。俺ならこんな余裕もてないもん。
「どう。いい場所でしょ」
「う、うーむ。五〇点くらい?」
「なんでそんな低得点なのよ……せっかくわたしがあなたのために見つけてあげた場所なのに」
ふんっとそっぽを向くエルフ。それもまた絵になっているのが、さすがの美人というところ。
彼女は艶やかな黒髪を手で梳きながら通りを見渡す。
俺もそれに釣られて、一緒に景色を堪能することにした。
さすがに王都全体を見渡せるほどの高さではない。
せいぜい通りの端から端を眺められるくらいだ。
それでも真っ暗な夜暗に浮かぶ神殿の影だの、豪奢な王宮だの、ほかの建築物だのは見える。
わるくない気分だった。
「――ファラナ=エクザリル」
不意に、彼女がそうつぶやく。
「わたしの名前よ。あなたは?」
「俺は」
簡単なはずだ。自分の名前を口に出すだけでいい。
だというのに、俺は夜空に浮かぶ彼女のあまりにも美しい顔に、見惚れていた。
アリスの神聖さとはまたちがう、芯の通った美貌だ。
よく考えたら、こんな美女と一緒にいるなんて、なにかの夢みたいだった。
「……俺は榎本レイジ」
「変な名前ね。でも、いいと思うわ」
くすっと微笑む彼女――ファラナの髪を風が撫でていく。
彼女は数秒のあいだだけ、目をつむってそれを肌に感じていた。
「わたしに親切を施してくれるニンゲンもいたわ。ほかの異種族もね」
彼女が言葉を続ける。
「でも、みんな下心があるのはすぐに分かった。自慢するわけじゃないけど、エルフだしね」
「俺は別にそういうつもりじゃ」
「じゃあなに? 憐れみ? 慈悲? 同情?」
「それは……」
あのとき、俺はなにを考えていたのか。
たしかに美しいエルフ相手だったのもあるかもしれないし、ちょっと見下した感情もあったかもしれない。
ああ、でもいちばんは。
「面倒くさかった」
「はあ?」
「いや、君がギャーギャー騒いでたから、なんか、面倒くさくて。こっちは早く部屋を確保したかったし」
ファラナは一瞬きょとんとした表情を浮かべると、つぎの瞬間には頬をふくらませて明るく笑い始めた。
「ぷっ、あはは。なによそれ」
「しょうがないだろ。それが事実なんだから」
「うん、そういうのは初めてかしらね。そうか、面倒くさかったのかぁ……」
人の言葉をしみじみと噛みしめながら、ファラナは俺のほうへと身体を向けた。
彼女の簡素だが上品な旅装越しにみえる膨らみや、柔らかさに注視してしまうのは当然の反応だと思う。
……いかんいかん。
「改めて言うわ。ありがとう。わたしを助けてくれて」
真摯さがつまったその言葉を、俺はどう受け止めたらいいのだろうか。
胸のうちがじんわりと暖かくなって、なぜだか無性に顔を隠したくなる。
これじゃ、どっちがヒロインだか分かったもんじゃない。
「……気にするな」
「なあに、照れてるの?」
「んなわけないだろ!」
うれしそうにニヤニヤと口角を吊り上げる彼女。
前言撤回だ。胸アツはもはやどこかへ行ってしまった。
「あなたって、おもしろいわよね。よかったら一緒に――」
その瞬間だった。俺の耳が物体が飛来する音を捉える。
「! 横に飛べ――」
「え、きゃ!?」
突き飛ばす。駄目だ。間に合わない――。
俺は咄嗟に彼女を抱え込むと、飛来物の射線上に身を寄せる。
抉られる感覚とともに、鋭利な痛みがすばやく襲いかかってきた。
「ぐっ」
「レイジっ! 背中に矢が……!?」
俺はすばやく飛来物がやってきた方角へ目を向ける。
連なった建物の上。ここより20メートルは離れた別の屋根に、数人の男がいた。
黒装束に身を包み、顔を覆面で隠している。
俺の強化された視覚は、かれらの手にダガーとショートソード、それに短弓が握られているのを知覚した。
「宿に戻れファラナ!」
「え、ちょ! あなた放っておいて、ひとりだけ逃げろっていうの!?」
「いいからはやく!」
そのときだった。俺の視覚がぐらりと揺れる。
痛みとともに平衡感覚が鈍くなり、やがて手足が震えはじめた。
ああ、クソ。これは……。
「ッ……! もしかして」
ファラナが背中に刺さった矢を確認する。
そして苦々しくつぶやいた。
「あいつら、やじりに毒を」
「たぶん……俺の問題だから……巻き込むわけには」
「そんなこといってる場合じゃないでしょ!」
屋根を走ってくる数人の黒装束たち。その背後で短弓をもった男が、あらたに矢をつがえていた。
俺はそいつに手のひらを向けると、イメージする。
弓が粉々に砕け散る想像……。だが頭のなかがモヤに包まれているようで、うまく集中できない。
「クソっ」
ふらふらとして、屋根から滑り落ちそうだ。
なんとか膝をついて、両手を固定することでやっといくらかマシになる。
ファラナが、俺の顔を覗き込んだ。
「あいつらが何者かは知らない。あなたがなんで命を狙われてるのかも」
固い、意思のこもった表情だ。だけど、彼女の顔にそれがよく似合うのも事実だった。
「でも、あなたは恩人よ。それは変わらない事実」
ファラナは旅装のなかから短剣を取り出した。黒装束がもっているダガーとおなじサイズだ。
そんなもので戦えるわけない。はやく逃げてほしかった。
俺のことなんか放っておけばいいのに、どうして。
「だからわたしは戦う。絶対に逃げない」
「この……頑固者」
「ふん。褒め言葉だからねそれ」
意気揚々といった調子のこのエルフは、まったくもって度し難い。
だが、すごく暖かい人だとも思う。そんな女性を殺すわけにはいかないよな――。
俺には力があるんだから。アイツらを倒せるだけの力が。
さて、遠くに集中するのは難しい……なら、近くはどうだ?
俺は自分自身の体内をイメージした。
全身を巡る血液、内蔵、骨格。そこに生じているであろう毒素を。
注意深く精神の焦点を合わせる。
目はつむった。屋根を疾走してくる黒装束たちを、視界から消す。
だんだんと意識が薄れていき、聞こえるのは風の音色と心臓の鼓動だけ。
渦を巻くようなイメージ。
血液と毒素が分離され、片方が消えてなくなってしまうような。
この音色が全身に響き渡り、その清浄さを伝えてくれるような。
ふっと立ちくらみめいた感覚が俺を襲う。
「ん……おお?」
つぎの瞬間だった。もうそこには朦朧とした意識はなかった。
全身を襲う倦怠感も、かるく残る麻痺も、すべてが消え去っている。
平衡感覚も戻ってきた。屋根のうえに立っている、という感覚がはっきりと伝わってくる。
目を開けた。
「ファラナ!」
いま、まさに飛び上がろうとしていた黒装束のひとりに、俺は手のひらをかざす。
そして鮮烈なイメージとともに叫んだ。
「サンキュ! 元気出た!」
黒装束が不意に、なにかへ押し出されたかのように背後へ吹き飛ぶ。
黒装束はそのまま建物の外壁へとぶつかると、その勢いで通りへと落下していく。
かれが手にもっていたショートソードが屋根の上を滑り落ちるのを前に、それを自分の力で引き寄せた。
武器を手に掴む。剣豪スキルの効果なのか? なぜかひどく柄が馴染んだ。
ひとりの黒装束が驚いて、一瞬足が止まる。そこをファラナが指差して、すばやく詠唱した。
「わたしのおかげね……呪矢!」
「ぐっ!?」
ファラナの指先から黒い奔流のようなものが放たれ、電光のごとき勢いで黒装束に突き刺さる。
黒装束は胸を掻きむしると、悲鳴もあげられぬまま、屋根のうえを転がり落ちていった。
もうひとりの黒装束は、それをちらりと見ることもなく、ただ無心に突撃してくる。
かれはダガーをひらめかせ、通りすがりにファラナを斬りつけようとした。
慌てて横へ跳ぶファラナ。相当に速い一撃だった。かなりの手練だ。
黒装束はそのまま俺を目指して走り抜いてくる。
俺はショートソードを腰に構えた。スキルが俺に伝えている。これがいちばんいい構えだと。
そして俺の前方に足を踏み入れようとしたそのときに、俺は剣を疾走らせた。
「はぁ!」
咄嗟に黒装束が背後へステップする。紙一重の差で、黒装束は斬撃を逃れた。
もう少しでもタイミングが遅かったら、俺の剣撃で首を飛ばされたはずだ。
黒装束が着地する。かれの口元を覆っていた布が、ひゅうと風に飛ばされた。
「……なるほど。さすがの腕前だ」
重々しく、どこか不吉さを感じる声。
俺はは慎重に構えをとりながら、相手を伺うようにして言った。
「お前ら、どこから来た」
「分かっているハズだがな。カズマが、よろしくとさ」
「……盗賊ギルド」
「さてね。キサマは死ぬ。俺は生き残り、レイズから金を手に入れる」
それだけだ、と男がつぶやくと、同時に向こうの屋根から甲高い悲鳴が聞こえた。
エルフ――ファラナが短弓をもった男を、すでに魔術で打ち倒していたのだ。
それでも背後を振り向かない眼前の黒装束。その精神力に敬意を表しながら、俺は隙を見定める。
「もうお前ひとりだぞ。これ以上戦うつもりか」
「もとより仲間などもった覚えはない。俺ひとりで充分だ」
男は言う。それを証明してみせようと。
ヤツが倒れこむようにして駆け出す。俺は迎撃に備えて、ヤツを見据えた。
手にきらめくのはダガー。それで刺し殺すつもりか? だが間合いが足りない。
「シャ!」
ダガーが投擲された。俺は切っ先をずらして、ダガーを弾く。
同時にすでに男の姿がどこにもないことに気付いた。一瞬、対応がおくれる。
――そして理解した。ヤツは上だ。
「ッ!」
すでに眼前。月明かりに照らされて、その男は口になにかを咥えている。
吹き矢!
俺は瞬時に手にもっていたショートソードを平に構えた。
すさまじい勢いで向かってきた吹き矢が、ソードに弾かれる音がする。
俺は同時に、返す刀で落下してくる黒装束のハラワタを切り裂いた――。
どさっと土袋が落ちたような音。
俺の背後で黒装束が崩れ落ちている。
その死体はずるりずるりと屋根を流れていき、やがて屋根の縁で止まった。
「レイジ!」
向こうからファラナが駆けてくる。向こうも傷はないようだ。
俺? 俺は背中に矢が刺さっているくらいだし……まあ、いいんじゃないかな。
「斬られたりしてない!? だいじょうぶ!?」
「こっちは平気だ。ファラナのほうも大丈夫か?」
「わたしに傷はないけど……というか、あなたは背中に矢傷があるのよ! 人のこと心配してる場合じゃないでしょ!」
「は、ははは。そうだった」
しかしカズマか。
よく考えたら当たり前だよな。あんな性格のヤツが、あれでビビって終わらせてくれるはずない。
盗賊ギルドとも関係があるようだし、毎日こんな襲撃されちゃたまらん。
どうせ今回の襲撃で、向こうの面子を潰しちゃったろうし。
しゃあない。盗賊ギルド、うまい具合に対応してみるか。
「怪我してるんだから余計なこと考えないの!」
「はい、スイマセン……」
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