新生活に慣れない。
2019/04/09 加筆・誤字修正
目が覚めて数日は手厚い看護の元、休養を取っていた。
休んでいる間、この家の三人の子供達がちょくちょく顔を覗かせてくれたので暇はしなかった。
ただ、目が覚めた初日に絡んだのが災いして、体力が戻ってない私がその日でまたダウンしてしまったのを、かなり怒られたらしく本当にお見舞い程度の物だった。
その間、私に「マーガリータ」や「マーギー」と呼びかけていたので、恐らくそれが私の名前なんだろうと、我ながら他人事の様に自分の名前を知った。
数日の間に自力でトイレなどに行ける位には回復し、タヌキ先生にもう一度に診てもらう頃にはすっかり元気になっていた。
タヌキ先生からも太鼓判を貰えたのか、その日の夕飯は部屋では無く食卓でとる事になり、そこで改めてこの家族から自己紹介をされた。
まずは、家長のリカルド様と奥様のマレーア様。
二人の子供達が上から、グラン様、リリアーナ様、ルカ様の五人家族。
家族一同揃って見たのは、この時が初めてだったけど一言に尽きた感想がこちら。
この一家、揃いも揃って顔が良い。
リカルド様はいわゆるイケメン、という訳では無く、味がある良い男という風貌。
奥様のマレーア様は改めて見なくても清純派若奥様って感じの凄い美人。
そのお二人の子供達もその血を引き継いでるなっていう事がしみじみ伝わる程に顔が良い。
おいおい、ここの国の人達は皆こんな感じなのか?
それともこの家族が異様に顔が良過ぎるのか?
ダメだ分からん、比較対象がタヌキしかいない。何の比較にもならんな。
アホな事を考えてボーッとしていると、隣に座っていたリリアーナ様に大丈夫?と顔を覗き込まれたので、急いでご飯の方に意識を戻した。
と言っても食事マナーもイマイチ分かっていなかったので、その都度リリアーナ様とマレーア様に教えて貰いながら食べていた。
初めてちゃんとした食卓での食事という事もあってか、いつもよりとても美味しかった。
その翌日は、朝からルカ様も一緒にリリアーナ様がこの家の事を案内してくれた。
もちろん何を言ってるかは分からず仕舞いだったけど、全力のジェスチャーも添えてくれたお陰で、大体の内容は理解できた。
案内も終盤に差し掛かった頃、マレーア様に呼び止められる。
何だろう、と思いながらついて行くと、玄関を出て庭先へ向かう。
庭の隅に小さな椅子が置かれ、そこに座って、と指示される。
何をされるのかと緊張していると、始まったのは散髪だった。
爽やかな風にそよぐ花を見つめながら、シャキシャキと軽やかに響くハサミの音の音に耳を傾ける。
なんだかドキドキしていると、ポン、と肩に手を置かれる。
終わったよ、という意味だろう言葉と共に、サラリと髪を撫られた。
少しだけ短くなったものの、ある程度の長さを残してくれていた。
しかし、驚いたのは髪の軽さ。
整えられただけなのに随分とスッキリした感触に、おおお……っ!と感動していると、マレーア様はクスクスと笑い、そのまま待ってて、とジェスチャーをして何処かに行く。
分かったワン。
と頷きながら聞こえない返事をして待機していると、リリアーナ様と一緒に戻ってきた。
嬉々としたリリアーナ様は見覚えのある木箱を抱えていた。
その木箱の中身は知っている、リボンだ。
前回、何故か髪にリボンを大量に結ばれた時に、あの木箱の中からリボンを取り出していた。
という事は……。
予想するまでも無く、親子二人にせっせと三つ編みをされ、二人が吟味したリボンでそれを纏められる。
……うん、流石にね、ここまで来たら思うよ。
なんかもう優しさが天元突破してるのにも程が無いか??!!って。
私は何処から来たのか自分でも分かっていない、何処ぞの馬の骨なのにこんなに良い扱いされて良いのか?!
危機感とか無いんだろうか!!他所から来た怪しい奴め!とか!!そういうの!!
心の中でそう叫んでみたものの、目の前で親子は綺麗にできたらしい私の髪型を見てキャッキャッと盛り上がっている。
なんだろう……、私が荒んだ考えなのかな、コレ……。
己の世知辛い感性を見つめ直そうとしたが、「マーギー!」とリリアーナ様が呼びかけてきたので、そのタイミングは無くなってしまった。
昼食まで頂いていると、何処かに行っていたグラン様が帰ってきた。
帰ってくるなり、紙束とペンを片手に私に満面の笑顔で話しかけてくれる。
しかし何を話しているのかを分からずに固まっていると、マレーア様がグラン様の耳を引っ張りながら、食卓をつかせる。
あぁ、これあれだな。
何はともあれ、先に飯を食えって奴だ。
リリアーナ様に笑われた事に、少しムッとした表情をしたものの、すぐに何か切り返した様でリリアーナ様がムキに言い返していた。
二人が揃うと大体いつもこんなやり取りが繰り広げらているのだが、仲が良い兄妹なんだろうなぁと思う。
昼食が済んだ食卓で、何やら文句を言っているリリアーナ様を制しながら、グラン様が改めて私に何かを話しかけてきた。
そして、帰宅直後に持っていた紙束を改めて広げる。
グラン様が持ってきた紙の束は二種類に分かれていた。
一つは白紙が束ねられ、少し大きめの簡易的なメモ帳の様なもの。
一つはそれより小さめで様々な絵が描かれていたもの、絵の下には何か文字が書かれていた。
目の前にメモ帳とペンが置かれ、グラン様は私の対岸に立ち、身を乗り出して小さめのカードを一枚選ぶ。
選んだ紙を私に見せて、絵を指差しながらたった一言。
「ガット」
指された絵柄は、猫。
不意に、彼が名乗ってくれて時を思い出す。
彼は自分を指差してグラン、と名乗った。
あ、と出ない声が漏れた。
聞こえない声で、そのままあの時の様に同じ様に復唱する。
がっと、と。
通じた!と言わんばかりに嬉しそうに笑うグラン様。
猫の絵と共に書かれている文字を指して、もう一度「Gatto」と唱える。
あぁ、そうか彼は私の言葉を教えようとしてくれてるのか。
それが理解できた瞬間、私は弾かれた様に目の前のメモ帳にその字を書き写していた。
言葉が理解出来なければ、今後先苦労するのは目に見えている。
それを教えてくれようとしているのだから、こんな有り難い事は無い!
かぶりつく様に書き始めた私に、グラン様も側で見ていたリリアーナ様も驚いていた。
けれど、グラン様は本当に嬉しそうに笑い出したと思ったら、ワシワシと私の頭を撫でてくれた。
多分、何かしら褒めてくれたんだろうけど、一言余計だったのかリリアーナ様が怒鳴り始めた。
でも、それを無視した辺り、なんとなくグラン様がどういう人なのか分かった様な気がした。
このグラン様による言語の授業は、それから毎日開かれた。
気づけば、リリアーナ様もルカ様も一緒に参加する様になり、マレーア様がその様子を微笑ましくと眺めているのが常になっていた。
そんな穏やかな生活がこの家で始まったのだった。
しかし、私は何故かこの現状に、ジリジリと追い詰めれていく感覚に陥っていた。
ふと気を抜くと、胸を、頭を、侵食する様に、焦燥と不安が綯い交ぜになった感情が、根を張るように冷たく拡がる、そんな感触に襲われのだ。
その状態が一番酷かったのが、眠りに落ちるまでの間だった。
一日が終わり、使わせて貰っている部屋に戻り眠りにつこうとする。
そうすると、何処からともなく囁いてくる。
これだけ世話になっているのに、何一つこの家の人間の役に立っていない。
タダ飯喰らいを普通置いておく訳が無いのに。
私を置いて特に何か得がある訳でも無い筈なのに。
自分が誰かも分からないまま、何が出来るか分からないままでいるのに。
そんな自分に情けをかけてくれているのに、何一つままならない。
そんなお前に何の価値があるのか、と。
何故こんな思いが込み上げてくるのか、分からなかった。
ただ、あの家族の優しさを有り難く受け取って、ここから新しく始めればいいだけだ。
そう思ったとしても、自分の中に在る得体の知れない何かが、それを許さない。
お前は許されない。
お前は認められない。
お前が安らぎなど得られる訳が無い。
そんな毒の様な感情が喉元を締め上げてくる。
息苦しくて、無視をしようとしても寝つけ無い。
それどころか、不安が余計な誘い水になって、必至に目を逸らしている現実を目の前に連れてくる。
私は、目が覚めてから今に至るまで、自分に関する記憶を一切を思い出せないままでいた。
最初の頃は、マジかよ、記憶も無いのかよ。一周して笑える事が増えたな。
その程度しか考えていなかった。
いや、あの時は、ただただ現状に衝撃を受けるのに精一杯で笑うしか無かった。
だけど、時間が経てば少しは冷静になる。
それが平穏な時間であればある程、今自分に置かれている状況の異常さが浮き彫りになる。
どうして自分が今こうなっているのかも、それまでどんな人物だったのかも。
何一つ、思い出せない。
思い浮かばない。
それどころか、思い出そうとすると唐突に激しい頭痛が襲いかかって来る。
拒否反応の様なそれには恐怖すら覚えた。
忙しない頭痛と耳障りな感情の騒がしに苛立ち、視界が歪む。
そんな自分が気に入らなくて、意味も無く天井を睨みつけたりもした。
けれど、そんな事をしてもただ無意味で。
暗闇に包まれた室内、私には広すぎるベッドの中でひたすら縮こまって夜が過ぎるのを待った。
いつの間にか無くしていた意識が覚醒するのは、大体早朝。
マヒしたままの頭を振って、のろのろと身支度を整え始める。
二度寝をしてしまえば良いのに、自分の中でそんな声がしたが、直ぐに反論も返ってくる。
そんな事が許されるとでも?
途端にその気は意気消沈し、変に目が冴えてくる。
だったらもう起きてしまえば良い。
どうせだったら、今頃朝食の支度をし始めているであろうマレーア様の元に向かって手伝いをしに行けば良い。
考えても仕方が無い。
私は、今、私が出来る事をするしか無い。
大丈夫、大丈夫。
呪文の様にそんな言葉を繰り返してやり過ごしていた。
しかし、そんな状態が続けば睡眠不足になるのは当然な訳で。
ご家族の方々に代わる代わるに顔色を伺われ、心配そうな表情をされ、誤魔化そうにも誤魔化せずにいた。
まずい!余計な心配をかけてしまっている!
このままではいけない!
そう思い、いつもより早めに寝て、睡眠時間を確保しようという作戦に出る事に。
今日こそ何も考えずに寝ようと何度目かの誓いを立て、ベッドに入ろうとした時、元気なノック音が響いた。
このノック音はリリアーナ様だろうなと思いながらドアを開けると、予想通り、リリアーナ様がそこにいた。
ムフーッ!と謎のやる気に満ちた笑顔で、彼女は私の手を取りこう言った。
「マーギー!***、寝よう!」
毎日の授業のお陰で、少しは単語の聞き取りが出来る様になってはいたものの、話しかけられると、まだまだ分からない単語が多く、きちんとした意味を汲み取れ無い事が多い。
ただ、今回は状況的に察しがついた。
恐らく、リリアーナ様はこう言ったんだろう。
「マーギー!一緒に寝よう!」
なるほど、あの単語は一緒、っていう意味か。
なんて事を片隅で思いながら、特に断る理由も無いので、こくりと頷く。
私が寝ているベッドなら無駄に広いので、子供二人が寝ても余裕がある。
寝るならここの方が良いだろうかと考えていると、握ったままだった手をぐいっと引かれた。
あ、これ、リリアーナ様の部屋に直行便だな?
そう思ったのも束の間。
相変わらず、可愛い顔に似つかわ無い力強さで、部屋から引っ張り出された。
良いんだけどね!もう引っ張られる事には慣れてきたから良いんだけどね!?
灯!せめて、部屋の灯だけ消させて!?油が勿体無いから灯だけ消させて!!
そんな私の叫びが聞こえる訳も無く、そのまま駆け足でリリアーナ様の部屋へ連行された。
大分投稿が遅れてしまいました。
次回はもう少し早めに投稿できる様にします。