海を越えて side:B
知らない人、知らない言葉、知らない国。
父の仕事の関係で一年間、住むことになった母の母国には、行く前に聞いていたブシと呼ばれる人たちも居なければ、ちょんまげとかいう髪型の人もいなかった。
母にまんまと騙されてしまったみたい。
でも、サムライはいなかったけれど、優しい人はいた。
日本人は誠実だって母から聞いていたけれど、本当にその通りの……それ以上に、もっともっと優しい人。
彼は私に沢山のことを教えてくれて、私の話も沢山聞いてくれた。
家で飼ってる猫の話。
ピアノの先生の話。
向こうでの友達の話。
いつもにこにこと聞いてくれる貴方だけど、いつからか少し寂しそうに笑っていること、私は気づいていたの。
何故そんな顔をするのかしら、と、貴方のことばかり考えていたら、私にもわかった。
私が帰った後のことを考えているのでしょう?
少しでもそれを惜しんでくれたのでしょう?
それに気づいたとき、私もまた気づいてしまったの。
貴方が居なくなったら悲しいって。
いつだったか、海を二人で眺めたわね。
私はただ、日本の海も美しいのねと思っていたのだけれど、勘違いしたのね。
貴方は、「この海の向こうに、君の生まれた国があるんだね」と言ったわ。
私は貴方の隣にいるのに、貴方の目には向こう側の私が見えているみたいだった。
どこまでも、優しい人。
引き止めたりなんてしないで、ただただ優しく笑ってる。
でも、ねえ、知ってる?
女の子っていうのは、時に強引に引き止めてもらいたかったりするの。
なんて、帰る期限は決まってるのだし、そうはいかないのも、わかってる。
だから私、待ってる。
いつか私を迎えに来る貴方を。
それまでは手紙を交わしましょう?
私は貴方の国の言葉で、
貴方は私の国の言葉で。
ゆっくりとだけれど、漢字だって覚えていくよう頑張るわ。
まずは覚えたばかりの漢字を手紙の最後に添えます。
「愛してる」