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陰陽記―総真ノ章―  作者: こ~すけ
第二章『八卦統一演武』
9/69

四.

 五分後、綾奈もようやく落ち着きを取り戻してきたようで、もう嗚咽は聞こえてこない。


「綾奈、大丈夫か?」


 恐る恐る声をかけると、その声に反応し、コクリと頷く。しかし、それからの動きがない。俺の胸に顔を押し当てたまま、綾奈は動かなかった。


「どうかした?」


 俺が尋ねると、綾奈が顔を胸にくっつけたまま消え入りそうな声で言う。


「あ、あの……私、恥ずかしくて……いきなり総真さんに抱きつくなんて……総真さんに合わせる顔がありません」

 

 見ると確かに耳まで真っ赤になっている。

 ……あのー、綾奈さん? 恥ずかしいのはよく分かった。けど……その顔を俺に見せたくないからって、俺の胸にくっついて隠すのはなにか違うと思う。いや、絶対に間違っていると思う。


「あ……」


 俺は心の中でツッコミを入れた時、綾奈がなにかに気づいたように息を漏らす。


「そ、そ、総真、さん……わ、私、あの……抱き、抱きついてますよね?」


「あ、あぁ、そうだな」 


 ものすごく今さらな感じもしたが、その質問にきちんと答えてやる。


「ど、どうすれば……どうすればいいですか?」


「………………」


 この質問に関しては俺に聞かれても答えようがない。一つ言えることは、「このままいればいい」などと口走ってしまえば、後々後悔することになるということくらいだ。だから、俺は一番当たり障りのないアドバイスを言うことにした。


「体を離せばいいんじゃないかな?」


「け、けど……それだと、総真さんに顔を見られてしまいます」


「別に問題ないと思うけど?」


「ありますよ……きっと私、ひどい顔していますから」

 

 それはない。断言できる。 綾奈の顔はもともとのスペックがずば抜けて高いのだ。例え、涙で濡れていようがひどくなりようがないだろう。むしろ場合によっては魅力がアップするのではないかとも思う。


「大丈夫、絶対笑ったりとかしないから」


「……分かりました」


 再度、励ましの言葉を言ってやると、綾奈は決心がついたようで、俺の体から顔をゆっくりと離していく。接触していた部分の温かみと、かかっていた重みが消える。――少し名残惜しい。


「変、じゃないですか?」


「変じゃないよ」


 俺がニコリと微笑むと、綾奈もようやく安心したみたいで、小さく微笑み返してくれた。目が少し赤くなっているが、もう大丈夫だろう。涙の効果は、俺の思った通りいい方向に働いたようで、潤んだ瞳で上目遣いに見られると、もう一度俺から抱きしめてしまいたくなるので困る。――それほど、今の綾奈の瞳は綺麗で魅力的だった。


「あのー、総真さん」


 綾奈が遠慮がちに聞いてきた。


「なに?」


「私、常識はずれでしょうか?」


「え? いきなりどうしたんだ?」


「総真さんが言ってたことですよ。『この部屋に訪ねてきた常識はずれの行動力』って」


「あー、そういえば」


 さっきとっさにそんなこと言っていたな。


「すまん! とっさに出てしまった。気に障っただろ?」


「い、いえいえ、そんな!」


 綾奈が首を左右に振る。


「……私は、嬉しかったです。そういうことを言い合えるのも、友達だからですよね?」


「ま、まぁ、そういうことかな」


 面と向かって嬉しかったと言われると、少し照れる。相手が女の子だからなおさらだ。


「ふふっ、ありがとうございます。それで、私やっぱり常識はずれですか?」


「正直に言うと、常識はずれだ」


「やっぱり……」


「……ぷっ……あはははっ」


 『常識はずれ』と言われて肩を落とす綾奈を見ていると、自然に笑いが込み上げてきた。


「うぅ……総真さん、笑わないでください。私だって少し強引だったかなって、帰ってから反省したんですから」


「ごめん、ごめん。でも普通、会って初日に男の家に訪問はしないぞ」


「だってしかたないじゃないですか。私、声をかけてもらったのなんて初めてだったんですから……どうしても、この機会を逃したくなかったんです」


「そっか、そうだよな。まぁ、おかげでこうして綾奈と仲良くなれたわけだし、俺からしたらかなり得したよ。教室で無視された時は、この後どうするか本気で悩んだんだぞ」


 ――実際は、そんなに悩んでいなかったというのはこの際内緒にしておこう。


「あぅ……すいません」


「大丈夫、もう気にしてないから」


 俺がニヤリと笑うと、それにつられて綾奈も微笑む。会話は一端途切れてしまったが、この部屋の雰囲気はとても居心地のいいものだった。


「総真さん」


 そんな雰囲気の中、会話を再開させようと口を開いたのは綾奈の方だ。


「んー?」


「お願いがあります!」


 直前の会話とは違い、綾奈は力強くそう言うと姿勢を正し始める。

 ……正座とかしだしたけど、どうしたんだろう。

 綾奈の綺麗な姿勢につられて、俺も思わず姿勢を正す。おかげで今まで経験したことのない、自宅で――それも普通の日常の中で――正座をするという意味の分からない構図になってしまう。

 一つ屋根の下、男女が正座で向かい合わせに座る。この後の展開は残念ながら俺の頭では、シリアスなシーンしか思いつかない。

 さっきの居心地のいい雰囲気は消えてしまい、昨日も感じたアウェイ感が漂いだす。

 いったいなにが始まるんだろうか……

 ………………

 …………

 ……

 ホントなにが始まるんだよ!

 心の中でツッコミを入れてみる。もちろん口には出さないが。真剣な雰囲気にドキドキしながら待っていたが、一向に綾奈が話し出すそぶりを見せない。だから、俺から少し声をかけてみることにした。


「……綾奈?」


「ひゃい!」


 ……見事に噛んだ。

 というかそんなにうまく噛めるものなのだろうか。


「い、い、い、今のはなしです!」


「でも今、噛んだよな?」


「噛んでません!」


「いや、やっぱり……」


「噛んでません!」


「それで……」


「噛んでましぇん!」


「…………」


「…………」


「噛んだよな?」


「……噛みました」


 両手を床について、ガックリと綾奈がうなだれる。体勢は綺麗な正座から見事な四つん這いへと変化した。その様子を見ていると、なんだか悪いことした気分になってしまう。


「ひどいです……総真さん。私がせっかく真面目なお願いをしようと思ったのに……」


 綾奈が、ぼそりと呟く。


「……すまん」


 とりあえず謝っておくことにする。つい、明華と喋る時のようなノリで話してしまったのがよくなかったようだ。綾奈には、こういう軽いノリに対する免疫があまりないのを忘れていた。

 今まで無菌室で過ごしていた人をいきなり普通の病室に入れるようなものだ。そんなことをしたらすぐ病気になってしまうだろう。普段が免疫バリバリのやつ――明華のことだが――と話しているから調子が狂ってしまっている。

 気まずい……この雰囲気なんとかしないと。


「それで、そのお願いってなに?」


「へっ? あっ、それは……」


 なんとか取り繕って聞いてみたが、綾奈はその先を言わずにまた黙り込んでしまう。

 いったいなんなのだろう? そこまで言いづらいことなのだろうか?

 綾奈はモジモジと体を動かしてみたり、赤く頬を染めたまま、チラチラとこっちを見てくる。単に言いづらいというより、言うのが恥ずかしいといった感じを受ける。

 ――まさか!

 その時、俺の脳裏にある可能性が浮かび上がった。

 いや、そんなまさか……まだ会って二日目だぞ?

 でも、そういうものには時間は関係ないと言うのはよく聞く。もしかしたら、もしかするかもしれない。

 頭の中に、普通に考えると、あり得ない想像が広がっていく。けど、俺の予想を飛び越えていく綾奈なら十分にあり得る気もする。一度、その可能性を考えてしまうと、期待感だけがドンドン上がっていく。

 目の前の綾奈同様に、俺も落着けない。胸の鼓動を抑えながら、綾奈の言葉を待つ。


「あ、あの!」


 ついに決心がついたのか、綾奈が口を開く。


「あの! 総真さん! 私と、私とその――」

 

 ピンポーン! ピンポーン!


 一言も聞き逃すまい! と意気込んで待っていた言葉は、綾奈の口から紡がれる前に、甲高い電子音によってかき消された。

 誰なんだ!? まったく、空気を読めないのにもほどがあるだろ!

 俺は心の中で毒づきながら、玄関のドアの方を睨みつける。すると、そのドアの外から、今一番聞こえてほしくない声が聞こえてきた。 


「総くーん! 明華でーす! えへへっ、来ちゃった!」


 ……来ちゃったの? あれほど用事があるって言ったのに?

 背中にすぅーっと冷や汗が伝っていくのが分かる。


「お客さん?」


「しーっ! 綾奈、静かに」


 俺は自分の口に人差し指をあてながら、空いた方の手でとっさに綾奈の口をふさぐ。


「ふぇ!?」


「ここはなにも聞かずに静かにしてくれ。居留守を使う」


 俺が小声でそう言うと、綾奈はコクコクと頷く。


「総君、いないのー?」


 ドア越しに明華がもう一度声をかけてくる。しかし、返事をするわけがない。俺は用事があって、この部屋にはいないことになっている。

 だから、そのまま帰るんだ!

 しかし俺の必死の思いは、玄関のドアが開く音であっさりと打ち破られた。


「あっ、開いた! やっぱりいるんだぁ。ダメだよ、総君。鍵を開けっ放しにするのは総君の悪い癖だよ」


 あまりの絶望感に俺は天を――いや、正確には天井を――仰いだ。

 ……あぁ、ホントにな。その癖だけは絶対に直すようにするよ。

 俺は心にそう誓った。――この展開を生き延びれたらの話にはなるが。


「そう、くん?」


 因みにこの207号室の間取りは玄関から廊下を通って、直接リビングに行くことができるような構造だ。廊下とリビングの境にドアがあるのだが、今は完全に開放してため、廊下の延長線上にある範囲だけリビングを見渡すことができる。

 運悪く、俺たちはその範囲に座っていた。


「な、な、なにしてるの!?」


 明華がこれ以上はないくらいの大声を上げた。両手に持っていた荷物――たぶん右手がおかしで、左手がパジャマと着替え――を取り落す。靴を盛大に脱ぎ捨てると、なぜかこの時間まで着ている制服のスカートをひらめかせながらリビングに走ってくる。

 そして俺の前に仁王立ちし、怒りで紅潮した顔で睨む。


「こ、これはどういうことなの!? なんで女の子が総君の部屋にいるの!?」


「ま、待て、明華! これには深い訳がある!」


「……深い訳ってなに?」


「…………」


 ……あるか? 深い訳。……ないんじゃないか?

 元はと言えば、この状況になったのは俺が綾奈を誘ったからだった。それが例え、なかなか『明日も来たい』と言い出せない綾奈を見かねて誘ったのだとしてもだ。


「やっぱりないんじゃない!!」


「いや、ちょっと待て! 今考える!」


「今考えるってなによ!」


 無用な一言を口走り、俺は思いっきり墓穴(ぼけつ)を掘った形になる。昨日に引き続き、連日の穴掘りだ。しかも今日のは、昨日と違って本当に使用される恐れがある。

 明華が俺に一歩近づく。いつもなら軽やかなその一歩が、今日はずいぶんと重そうな音をさせている。


「……この人は誰なの?」


 明華が俺から綾奈の方に視線を向けて聞いてきた。


「お、同じクラスの月神綾奈さんだ。ほら、昨日話しただろ?」


「……女の子とは聞いてませんでしたけど?」


 ギロリと明華の視線が俺の方に戻ってくる。その視線に俺の声はうわずってしまう。


「あ、あれぇ? 言ってなかったかな?」


「言ってない!」


「すいません……」


 なんで俺は謝っているんだろう? という考えが一瞬浮かばなくもなかったが、すぐに消し去る。そんなことを言っても火に油を注ぐだけ……ようするに言うのが怖い。


「あのー……」


 そこで綾奈がとっても遠慮した声で割り込んできた。


「総真さんのお友達の方ですか?」


「あ、あぁ、紹介するよ。こいつは天照寺明華、俺の幼馴染」


「幼馴染さんですか。えっと、初めまして、月神綾奈です。よろしくお願いします」


「あっ、初めまして、天照寺明華です。こちらこそよろしくお願いします」


 この空気の中、礼儀正しく挨拶をする綾奈に釣られて、明華も挨拶を返す。やっぱり綾奈って常識はずれというか、ものすごく大物なのかもしれない。さすが月神家出身といったところか。なんにせよ、この動じなさは心から学びたいところではある。


「――って、そうじゃなくって!」


 綾奈のペースになりかけた空気を明華が一声で飛ばしてしまう。


「この人は総君のなんなの!?」


「なにって……友達だよ」


「友達?」


「そうだよ。なっ、綾奈?」


 これは本当だ。俺たちは正真正銘の友達、家に上げているという点では少し問題があるかもしれないが、それ以外はなにもない――はずだったのだが……。


「そ、それは……えっと……」


 同意を得ようと綾奈の方を振り返ると、なぜか綾奈は真っ赤な顔になっていた。

 ……綾奈さん? 照れる内容じゃないでしょ!? 誤解されるだろ!? それじゃ!

 綾奈の予想外の反応に、俺は慌てて明華に弁解する。 


「明華、違うぞ! ホントに友達だからな!」


「………………」


 ものすごい目つきで睨まれた。そろそろ人を睨み殺せるのではないかとも思えるほどの鋭さだ。

 さらに明華は、体を震わしながら右手を固く握り込む。いや、右手を固く握りすぎているので、体が震えているのかもしれない。


「あ、綾奈? 大丈夫か?」


 俺は何も言わない綾奈にもう一度声をかけた。


「だ、大丈夫ですよ。えぇと……そ、総真さんとは……誠実なお付き合いをさせていただいています!! 不束者ですが、よろしくお願いします!」


「………………」


「………………」


「……あれ? 私、もしかして……またやっちゃいました?」


「……うん」


 綾奈の問いかけに、俺は力なく答える。


「――そぉくんの……」


 ……あぁ、終わった。俺ってそんなに日頃の行い悪かったかな?


「ばぁかー!!」


 激しい衝撃が俺の顔面を襲った直後、俺の意識はあっさりと暗転した。

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