三.
「えっ!? 《八卦統一演武》で組む相手ですか!?」
「そ、そうだけど?」
放課後、俺の部屋で昨日約束した通り、俺は綾奈を部屋に招いてテキトーに雑談をしていた。その中でかなり自然に《八卦統一演武》で組む相手の話に持っていたつもりだったが、俺の予想を上回る反応を示した綾奈に、俺は少々面食う。
「ど、どうしてそんなこと聞くんですか?」
「いや……単に気になっただけだけど? 別に他意はないよ」
「そうですか……」
……あれ? なんで残念そうな顔をするんだ? 別におかしなことを言ったわけじゃないのにな。
綾奈の反応に俺は首をかしげる。
そんな俺に、綾奈が逆に質問をしてくる。
「総真さんは誰かと組む予定とかあるんですか?」
「あるにはあるよ」
「そう……ですか……」
質問にはきちんと答えたのに、その反応はさっきより酷くなっていて、綾奈はなぜか泣きそうな表情になっている。
「でも、そいつは二組のやつだからな。もしかしたらもう組む相手が見つかってしまってるかも。そうだったら、誰と組むかは白紙だな」
「そ、そうですか! それは残念ですね」
口では残念と言っているが、俺の追加情報に綾奈の表情が明るくなる。言葉と表情がまったくマッチしていない。……綾奈の表情の変化パターンが全然分からない。
そこで綾奈との会話が途切れてしまった。うまく雰囲気が落ち着いてしまったので、俺からも話かけづらい。それは綾奈も同じのようだ。なにか言いたげに口を開き始めるが、その口からは言葉が出てくることはない。
ちょうどいいので、コーヒーを一口飲む。
――うまい。
専用のマグカップを置きながら、今日のコーヒーの出来に満足する。綾奈には、今日は紅茶を出した。なかなかうまく煎れられたと自負しているのだが、まだ感想は聞けていない。飲んでいる時の顔を見ていると、まんざらではないと思う。
もう一口コーヒーを飲みながら、目の前に座る綾奈を見ていると、不意に今日の符術の授業を思い出す。
――あれはすごかった。
他のみんなが、呪符が光ったり、火花が出る程度なのに対して、綾奈は呪符から大家先生とほとんど変わらないほどの炎を出現させた。その炎は明確な意思を持って空間を走り、標的となった藁人形を燃え上がらせる。その炎の明かりに照らされた綾奈の顔は真剣そのもので、普段の可愛い感じではなく、凛として美しく、その時は陰陽師の八大名家、『月神家』の血筋だというのを納得させる雰囲気を纏っているのを感じた。
そんなことを考えていると、ふいに気になったことができたので、綾奈に尋ねるために口を開く。
「綾奈、月神聖斗――君のお兄さんはどんな人なんだ?」
「……兄、ですか?」
「そう、君のお兄さん」
「なんで、そんなこと聞くんですか?」
俺の質問に対して、綾奈の声に初めて明確な嫌悪の色が混じった。顔もムッとしかめている。
どうしてだ? お兄さんのことを聞いたのはまずかったかな……。
しかし、そこはあえてそれに気づかないふりをしてみることにした。
「先生たちから天才って言われる人ってどんな感じなのかなと思っただけだよ」
「そうですか……」
「家族のことだし、話しづらかったら別にいいよ。俺は綾奈のことをもっと知りたかっただけだから」
「わ、私のことをですか?」
「だってまだ会って二日だからな。お互い知らないことばかりだし」
「そ、そうですよね」
そこで綾奈は紅茶を飲む。一息つきたかったみたいだ。そして、ティーカップを持ったまま話始める。
「兄さんは……みなさんがおっしゃるように天才です。月神家でも歴代最高と言われるほどの実力を持っていて、学校に入る前から特級陰陽師にスカウトされていたほどですから」
「それって……」
「はい、とってもすごいことです。上級陰陽師で多くの実績を積んでこられた方ならともかく、学校に入学する前の年齢でスカウトされるのは、過去にもほとんどないことです」
「じゃあ、お兄さんは特級陰陽師に? でも、あれ? 学校は出ているよな?」
「はい、兄さんは特級陰陽師にはなりませんでした。今は、民間陰陽師として働いています。民間陰陽師は学校を出ていないと申請することができませんから」
「でも綾奈のお兄さんはなぜ民間陰陽師に? たしか民間ってのは基本的にはライセンス試験に落ちた人が行くものじゃなかったのか?」
「兄さんは自由に生きることが好きでしたから。のんびりと暮らしたいと言って家を出て行きました。――もちろん親は猛反対しましたけど……」
だろうな……たぶん《八神》の家系の人間が民間陰陽師になるというのは、世間的にもまずいことだと想像できる。
「けれど兄さんは自分の意志を突き通して出て行きました。月神なんて関係ないと言って……そう言い切れる兄さんが、私はとっても羨ましかった……」
綾奈の顔が、悲しげな表情になる。
「兄さんには『月神』と名乗っても恥ずかしくない力がありました。そして、その力を認め、『聖斗』として慕ってくれる友達も……」
綾奈がなぜお兄さんの話を嫌うのか、俺にはなんとなく分かった気がした。
「けれど……けれど、私にはそのどちらもありません。『月神』と名乗っても、返ってくるのは兄さんへの称賛の言葉ばかり……『綾奈』としては、慕ってくれる友達もいません……私の……『月神綾奈』の存在意義ってなんなの? って思ってしまうんです……思い知らされてしまうんです……」
必死に言葉を紡ぐ綾奈の語尾は震えている。そしてその瞳に光るものを見た瞬間、俺は綾奈に手を伸ばしていた。
「……えっ?」
綾奈の濡れた瞳が驚きのあまりに大きく開かれる。そりゃそうだろう。いきなり自分の頭を撫でられれば誰だって驚くに違いない。そうは思いながらも、俺は撫ぜるのを止めなかった。自分の手のひらに、フワリとして触り心地のいい髪の感触が伝わってくる。
「綾奈、悪いが俺からも言わせてもらう。――『月神』なんて関係ないよ。君のお兄さんが言ったのとは少し意味が違うけどな」
そう、関係なんかないんだ。
「俺は昨日教えてもらうまで、『月神』の名前なんて、そしてその名前がどれほどすごいかなんて知らなかった。いや、いまだに分かってない。ましてや『聖斗』――君のお兄さんのことなんてなに一つ知らないし、見たこともない」
実物も見ず、話の上で出てきただけの人を称賛するなんて俺には無理だ。
――けど、
「けど、『綾奈』のことは知っている。もちろん全部を知ってるわけじゃない。でも、教室で一人寂しそうにしていた姿も、俺の部屋に訪ねてきた常識はずれな行動力も、自己紹介をした後の優しい微笑みも、符術の授業で見せた真剣で凛とした表情も、お兄さんの偉大さと月神の名に押し潰されそうになっているその涙も、俺は知っているんだ」
俺はもう『綾奈』のいろんなことを知っている。――『綾奈』が見せてくれたから。
「自分を慕う友達がいないって? そんなことない。ここにいるだろ? 俺は……『綾奈』の友達だ。昨日、そう言っただろ?」
「くっ……つ、あぁ……」
綾奈の口からついに嗚咽が漏れる。瞳からはすでに大粒の涙がとめどなく溢れていた。
「……うぇっ……ごめ……ひっく……ごめん、なさい」
「謝ることないよ」
俺は立ち上がり、綾奈の隣に腰を下ろす。背中でも撫ぜて落ち着かせてやろう。――セクハラだろ! という問題に関しては、ノーコメントで。
「そ、総真さぁん……」
しかし、すぐにセクハラ云々の心配もなくなった。俺が手を伸ばす前に、綾奈の方から抱きついてきたからだ。そして、俺の胸に顔を埋める。
こ、これは……また……
俺の予想の斜め上を再度飛び越した綾奈の行動力には驚くが、この状況はかなりおいしい。さすがに、背中に手を回すのはまずいだろうから、空いた手で頭を撫ぜてやる。
綾奈の吐息が胸にかかった。その吐息の持つ熱に頭がのぼせたようにクラクラしてきてしまう。自分で分かるほど、心臓の鼓動が速い。
胸に顔を埋める綾奈にも、この鼓動は聞こえているのだろうか? だとしたら相当恥ずかしい。
「……ひくっ……ひくっ……」
綾奈の嗚咽は続いている。もうしばらくは、動くことはできそうになかった。