二.
「絶対に嫌だ!!」
……やっぱりな。エンフォードの否定の言葉が俺の耳に聞こえてくる。
「えー、なんで?」
それに続いて説得役である明華の少し不満そうな声が届く。あいつ大丈夫かな? 説得とか基本的に向いてないやつなんだけどな。
「なんで私があいつの部屋に!」
「だって、総君の部屋が作戦会議の場所になってるんだもん」
「ここですればいいじゃないか!」
「無理! 総君のコーヒーがないと駄目!」
「そんなの我慢しろ!」
「いやー!」
予想通り説得は難航しているみたいだ。しかも明華の言い分に私的な部分が多い。単にここだと試合の映像が見れないだとか、夜にここは開放されてないとか言えばいいのに……。
「ハァ……」
……俺も説得に参加しないと駄目かな。そう思って腰を上げようとした時だった。
「あの、総真さん」
「ん?」
事の成り行きを見つめる俺の後方で、ずっと座っていた綾奈から声がかかった。返事をして振り向くと、綾奈がどこか深刻そうな表情をしていた。
「綾奈、どうしたんだ?」
「えっと……その……」
俺が聞くと、綾奈は曖昧な言葉を発してうつむいてしまう。綾奈自身、まだなにかを言おうか迷っているようだった。綾奈がチラリと視線を移し、明華とエンフォードの方を見た。二人には聞かれたくない内容なのだろうか。
「とりあえず外に出るか?」
俺がそう尋ねると、綾奈は頷いた。そして、入り口のドアに向かって歩いて行く。
「だから! コーヒーは缶コーヒーでいいだろう!」
「総君のコーヒーをその辺のコーヒーと一緒にしないで!」
「コーヒーはコーヒーだろう!」
「全然違います!」
……後方でなにやら言い争う声が聞こえる。論点がずれまくったその言い争いはしばらく終わりそうにない。ある意味ちょうどよかったのかもしれない。綾奈と話す時間ができたから。なにやら深刻そうな様子ではあったし、ゆっくり話をした方がいいだろう。
「なら、ここで山代総真にコーヒーを作らせればいいのではないか?」
「――その手があったか!」
……いや、あんまり長引かせるとまずいかも。あいつらを放っておくと、最終的に「お前はこれからここで寝泊まりしろ!」とか言われかねん。――困ったものだ。
俺はまた小さくため息をつきながら、綾奈に続いてドアをくぐった。
外に出た俺と綾奈は、無言のまましばらく歩く。特に目指している場所はない。
俺たちのいる《特待棟》の付近は、この《澪月院》の敷地の端に位置している。正門と真逆の方向にあることもあって、他の生徒と会うことはまずない。
周囲には植樹された木々が立ち並ぶ。俺たちの身長より高い高木や膝くらいまでの低木、そして芝など様々な種類のものがある。そのどれもが綺麗に手入れされていた。人が歩くところは、四角いブロックが敷き詰められていて歩道のようになっている。その人工的なブロックの隙間からも青々とした草が少し顔を覗かしている様に自然の凄さを感じた。頭上には、六月になりやや自己主張が強くなってきた太陽が昇っているが、その主張を高木たちが遮っていてこの場所は心地のよい気温だ。さらに、その木々の間から木漏れ日が差し込む光景は、どこか自然公園の遊歩道を歩いている気分になれた。
歩いていると、やがてベンチが見えてきた。本物の木は使っていないが、そう見えるように少し加工を施したタイプのベンチだ。そのベンチの前で綾奈が立ち止まった。ここで話すということだろう。
「座る?」
「はい」
一応尋ねてみてから一緒に座る。――そして再びの沈黙。
「なぁ、綾奈」
「は、はい!」
これではいかん! と思って俺から話しかけてみた。綾奈はビクッと驚いていた。俺の方から喋るとは思っていなかったらしい。
「話って《八卦統一演武》のこと?」
「……はい」
まぁ、このタイミングで話すとしたらそうなるだろうな。内容は全然分からんが。
「もしかしてこの前提案してくれた『あの作戦』のことを気にしているとか?」
「い、いえ! ……気にしていないと言えば嘘になりますが、あれは総真さんにも分かってもらえたようですので、さほど」
「だったら……」
なんだろう? 綾奈が気にすること……他にあっただろうか? 俺が顎に手をあてて考えていると、綾奈が申し訳なさそうに口を開いた。
「気にしていることは……その、昨日のことです」
「昨日のこと?」
昨日のことと言えば、間違いなくみんなで聖斗さんの事務所に行ったことだろう。けど、その時に《八卦統一演武》に関わることがあったか? 強いて挙げるなら、昨日の一日目に俺たちが次に戦う相手が試合を行っていたことくらいだ。確かに直接見られなかったのは痛いけど、鳴瀬に頼んで試合の様子を録画してもらったし、そのDVDもすでに入手したのだからさほど問題ないと思う。――家で一度鑑賞したけど、すごく上手に撮影してくれていた。鳴瀬には今度なにか奢っておこう。
「はい……兄の説明の中で出てきたことです」
「あ……」
そう言われてピンときた。聖斗さんが依頼を終わらした後、俺たちの質問に答えてくれていた時のことだ。自身の能力を説明するのに、綾奈に了解をとっていたっけ。
「《月の眼》のこと黙っていてごめんなさい!」
俺が勘付いたことが分かったのか、綾奈が一気にまくしたてる。当然一緒に頭も下げていた。
「謝ることないって! とにかく顔は上げてくれ!」
俺が慌てて言うと、綾奈は渋々といった感じで顔を上げた。そして、もう一度謝ってきた。
「……ごめんなさい」
「いいって。それに――」
もう一度謝る必要はないということを強調しようとした矢先、綾奈が俺の言葉を遮って言う。
「でも! 私、総真さんを騙していました! 総真さんは私を信じてくれているのに……私は総真さんを信じることができませんでした! 心のどこかで疑っていたんです……怖かったんです。人とは違うこの能力を見せた時の総真さんの反応が……また一人になるんじゃないかって思うと、言い出せませんでした」
綾奈の思いは、俺の予想以上に深いものだった。いや、予想できなかった俺が馬鹿なだけなのかもな。綾奈にとって初めての友達である俺たちを信じきることができなかったことは、本当に悔しいことだろう。……迂闊に許そうとした俺も反省しないと。下手なフォローは余計に相手を傷つけることもあるのだ。
「……ごめん、なさい」
「…………」
再度謝ってくる綾奈に、今度は俺も軽々しい返事は控えた。
「……も、もし……っ! もし、私のしたことが許せないのであれば……私、チームからの辞退を……」
俺が難しい顔をしているのを見て、悪い方に解釈したのか綾奈は震える声を絞り出しながら言う。その言葉を聞いて、俺は思わず声を荒げた。
「そんなこと俺が! 俺たちが望むわけないだろ!」
「――っ!?」
その声に驚いた綾奈がビクッと体を震わせた。そして、ついにその瞳から涙を溢れさせる。
「だ、だって……私……ど、どうしたら……分かんない」
嗚咽の間にこぼれる言葉は、いつもの綾奈からは想像できない駄々っ子のような言葉になっていた。そんな綾奈の頭に俺は軽く手を置いて言う。
「俺はさ、綾奈。確かに綾奈に信じてもらえなかったことは悲しいよ」
包み隠さずに正直な気持ちを綾奈に伝えた。
「けどさ。今日、綾奈は俺に話してくれたじゃないか。それはとっても嬉しいよ。だから俺は気にしてない」
「で、でも……」
「それに、これは戦術的な話になるけどさ。綾奈が能力を隠してくれたことで助かったこともある」
「……え?」
「月神家が能力を持っているのは上級生なら知っている可能性は高いけど、綾奈がどこまでの力があるのかを隠せた。これは使える。――上級生たちの印象としたら、去年までいた聖斗さんの印象が強いはずだ。うまく警戒してくれる。――って俺もどれくらい綾奈が術を使えるのか知らないんだけどな。はははは……」
いつの間にかこれからの試合への対策へと思いを馳せてしまっていた。ホントになにやってんだ俺! しかも気がつくと綾奈に凝視されていて、思わず苦笑いまでいれてしまったじゃないか! ……かっこつかん。
「……くすっ、総真さんは本当にいつも前向きですね」
綾奈が微かに笑ってくれる。俺が前向きかどうかは正直分からないけど、とにかくよかった。
「よし! それじゃ、もう一つ前向きな話をしようか」
「……はい」
「これからその能力に頼っていいかな? みんなで勝つために」
「は、はい!」
俺の質問に元気に答えてくれた綾奈の顔は、もう先ほどの弱々しい雰囲気はなかった。
「でも……どんな風に使うのですか?」
「それは綾奈の判断に任せるよ。でも、ここぞ! ってところまで使わないでほしい。隠せるところは隠しておきたい」
「分かりました! 本当に私の判断でいいですか?」
「いいよ。俺は綾奈を信じているから」
ニッコリ笑って言うと、綾奈は面食らったような顔をした後、同じように笑ってくれた。――よし、なんとか問題は解決したみたいだな。
「戻ろっか」
「はい!」
ベンチから立ち上がった俺たちは、もと来た道を戻っていく。でも、本当に今日話してくれてよかった。こんなわだかまりを抱えたまま試合に突入していたら、たぶん負けていただろう。……もっと意見が言い合える空気を作ることも大切なのかもしれないな。
そんなことを思いながら隣を見た。
「あれ?」
そこにいるはずの綾奈の姿がない。不思議に思って振り返ると、綾奈は数歩分後方で立ち止まっていた。
「どうした? 綾奈」
またなにかあったのか、心配になって声をかけた。すると、
「総真さん、あの……」
言葉に詰まるのは先ほどと一緒だったが、その顔を見て俺は安心した。先ほどの不安に包まれた表情ではなく、微笑みを浮かべどこか照れたような表情だ。
「どうした?」
俺は同じ言葉を繰り返す。しかしその言葉に焦りはない。
綾奈は少し逡巡した後、言葉を発する。
「あの、今度のAブロック予選なんですが。もし……もし突破できたら私のお願い聞いていただけますか?」
両手を胸の前で結んだ綾奈は期待を込めたような目で俺を見てきた。――お願い、か。俺としてはいつ頼まれても聞んだけど。予選の突破という条件はなんなんだろう? まぁ、断る理由もないか。
「いいよ。予選突破できたら綾奈のお願いを聞こう」
俺がそう言うのを聞くと、綾奈が顔をほころばせた。そして、満面の笑顔を向けてくれた。
「はい! ありがとうございます! 私、頑張ります!」
木漏れ日の中、少し眩しそうにしながら微笑む綾奈に、俺は心臓の鼓動を速くなった。それと同時に、お願いの内容が気になってしまう。けど、綾奈の様子からそのお願いの内容を今言う気はないようだ。――気になる。気にはなるが……ま、いっか。今ここでその内容を聞くのはとても無粋な気がして、俺は聞くのをあきらめた。
――――余談になるが、この後《特待棟》へ戻った俺に、心底疲弊した顔でエンフォードが近づいてきた。そして、「部屋へは行く。……お前、よくあれの幼馴染が務まっているな」とある種の畏怖の念を込めた瞳と共に言われた。……一体なにがあったのやら。