九.
「じゃあ私こっちだから!」
「おう! それじゃあまた明日な」
「うん! おやすみ、総君!」
「おやすみ」
そう言い合って、互いに軽く手を振る。ここで明華とお別れだ。歩いて行く明華を見送った後、俺は歩き出す。
縦陸市から電車に乗って、俺たちが住む町の駅へと帰ってきたのは十分ほど前のこと。
その駅の改札を出たところで、綾奈と別れた。どうやら迎えが来ていたようで、綾奈は少し恥ずかしそうに別れの挨拶をすると、車に乗って帰っていった。
その次に別れたのはエンフォードだ。本人にとってもつらい話をしたというのに、俺たちと別れる際は笑顔で手を振ってくれた。その心中を察することは、俺にはできなかったので、今日のところはその笑顔を信じて俺も手を振り返した。今日でまたエンフォードのことが少し分かった。このままもっと仲良くなれたら、そしてもっと手助けできたらとは思う。
そして三人目、明華と別れた今、残ったのは俺だけ――というわけではなくて、聖斗さんの事務所からずっとついてきてくれている夜坂由美先輩も一緒にいた。
聖斗さんは夜坂先輩に、「帰り道が別れるところまで送ってくれ」と言っていた。駅からはもういくらか歩いてはいるが、別れる気配はない。この周辺には《澪月院》が借り上げて学寮としている建物がいくつも存在している。夜坂先輩の住む寮は、駅から少し離れたところにあるのかもしれない。もしくは俺に気を使って、最後まで送ってくれるつもりなのかな? ……駄目だ。無表情すぎてどちらかまったく分からない。ずっと変わらぬ速度で、俺の後ろを無言で歩いている。この状況、夜坂先輩が顔見知りじゃなかったらかなり怖い。
歩き続けていくうちに、俺の住む寮が見えてきた。夜坂先輩といることは苦痛ではなかったけど、少しばかりのプレッシャーは感じていたので、ホッとした。
俺が寮の前で立ち止まると、同じように夜坂先輩も立ち止まった。向かい合った夜坂先輩に俺は言う。
「俺はここに住んでいるです。あの、ここまで一緒に来て下さってありがとうございました」
夜坂先輩に頭を下げる。しかし、なんの返事もない。頭を上げて夜坂先輩を見ると、先輩は変わらぬ無表情で俺を見ていた。……困ったな。なにか言ってくれないと非常に別れにくい。このまま立ち去るわけにもいかないし……。
「えっと……」
どうしよう……。そう思った時だ。
「……私もここ」
「え?」
まさか夜坂先輩の方から喋ると思っていなかったので、思わず聞き返してしまう。
「……私もここに住んでる」
「ここ……?」
俺は寮を指差して聞く。すると、夜坂先輩はこくりと頷いた。
「えぇ!? 夜坂先輩ってここなんですか!? 何階ですか?」
そう言ってからハッとなって口を押えた。この時間に出すには少々声量が大きすぎた。
「……五階」
「そうだったんだ……。俺は二階に住んでいるんです。二階の207号室」
「……そう。……私は503号室」
同じところに住んでいるのが分かると、夜坂先輩に一気に親近感が湧いてきた。それに意外と夜坂先輩も喋ってくれる。顔は無表情のままだけど。
「夜坂先輩」
そう呼びかけると、夜坂先輩は少し怪訝そうな顔をして――そう見えただけかもしれないが――言う。
「……先輩と言われるの慣れてない。だから由美でいい」
「そうですか。じゃあ、由美さん」
「……なに?」
呼び方を変えると、由美さんは返事をしてくれた。話を聞いてくれるようだ。
「《八卦統一演武》、同じブロックですね」
「……それが?」
「負けません。俺たち」
宣戦布告――そうとられたかもしれない。というかそれ以外のなにものでもない。
由美さんはなにも言わなかった。そのまま俺たちは少しの間見つめ合う。俺は小柄な由美さんを見下ろして、逆に由美さんは俺を見上げてだ。そよ風が由美さんの灰色の髪をなびかせる。近くに立つ街灯の光を受けて、その髪は煌めいて見えた。
「……関係ない」
「関係ない?」
「……そう、私には関係ない。……誰が来ようと私は負けない」
そう言った由美さんの表情は、明らかな敵意を俺に示してした。
「それが先輩との約束だから」
強い口調――あくまで普段の由美さんと比較してだ。実際には少し声を張ったくらいでしかない――で由美さんが言う。
「……それに、キミが私と戦うためにはあと二回は勝たないと駄目。……できる?」
元の声量に戻った由美さんが尋ねてきた。
「やります。必ずたどり着いて見せます」
由美さんの目をまっすぐに見つめて言う。するとその言葉を聞いて由美さんはスッと顔を伏せる。その顔を伏せる瞬間、由美さんが微笑んだ気がした。
「……キミ、先輩に少し似ているかも」
すぐに顔を上げた由美さんが言う。その表情はいつもと変わらない。
「えっ?」
「……そのまっすぐなところが。でも顔のとか、実力とかは天地の差」
ぐっ……由美さん、後半は言わなくてもよかったんじゃ? 地味にダメージを受けているんですが……。これも宣戦布告をしたからか?
「……でも」
精神的ダメージを受けて、少しうなだれている俺に由美さんが言葉を続けた。
「……頑張って」
予想外の後押しの言葉。それは強者の余裕か、はたまた深い意味などないただの応援か。それは分からないが俺はその言葉をかけてくれた由美さんを見つめて言う。ずっと一緒に戦ったであろう由美さんが、聖斗さんに似ていると認めてくれたまっすぐな言葉で。
「はい! 頑張ります!」
その言葉に由美さんは満足そう――あくまで俺の主観だ――に頷く。そして寮の階段へと足を向けて言う。
「……それじゃ、私は帰る。……おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
別れの言葉交わすと、由美さんは振り返らずに階段を上がっていった。俺も自分の部屋へと戻るために同じ階段を少し遅れて昇ることにした。
部屋へ戻り、リビングのテーブルに鍵やら携帯電話やらを放り投げる。同時にソファへと崩れ落ちたい衝動に駆られたが、それを押さえてより快適なひと時を過ごすため、コーヒーを淹れに台所へと向かう。
コーヒーメイカーをセットして、コーヒーが出来上がるのを待っている間、今日の出来事を振り返る。
今日、親しくなった人のこと。改めて知ったエンフォードの身の上のこと。聖斗さんが見せてくれた陰陽師の仕事のこと。由美さんと《八卦統一演武》について話せたこと。――いろいろあったな。
そんなことを思っていると、コーヒーメイカーがメロディを奏でて出来上がりを告げてくれる。出来立てのコーヒーをカップに淹れてその場で一口。――うまい。いろいろと実力を見せつけられたけど、コーヒーだけは聖斗さんのより俺の方が上だな。
そんな負けず嫌いで幼稚な俺の性格に自分自身で苦笑しながら、俺はもう一口コーヒーを口に含んだ。