八.
「――《水子曳》は女性専用の呪殺法でな。君たちが見た通り、水子に対象となる女性を母親と誤認させて憑りつかせる。水子は赤ん坊ゆえに純粋だ。ただただ母を求める。だからこそ、その思いは強いんだ。一方の対象となった女性は、自分が母親であるという意識はない。そこに歪みが生まれてしまう。女性は水子からの一方的な執着を常に受けてしまい、最後には精神が崩壊する。この呪殺法の厄介なところは、水子を憑けてしまいさえすればなにもしなくていい点。そして、もしその水子が祓われても運び手がやられない限りは永遠に続けられる点だ。通常は長期的にゆっくりと追い詰めていくものなんだが……今回の術者はよっぽど焦っていたんだろうな。一週間に五体もの水子を憑ければ、誰だっておかしいと気づくさ」
「それであの時、『本当に一週間か?』と念を押して聞いていたんですね?」
俺が聞くと聖斗さんは頷いた。
「そうだ」
そしてそう答えた後に、手元のコーヒーカップを口に運ぶ。それにつられて俺も同じようにカップに口をつけた。本日、この事務所で飲む三杯目のコーヒーだ。
俺たちは呪いの解除が終わった後、二階の事務所に戻って来た。そこで依頼主の鈴木さんと今後のこと――もし、また被害があった場合の対処法など――を相談し、それが終わって今に至るというわけだ。鈴木さんはすでに帰宅していて、俺たちは依頼が入る前と同じように座って、聖斗さんへの質問をぶつけていた。
「もう一つ、聞いていいですか?」
「いいぞ。いくらでも聞きな」
俺の言葉に聖斗さんは気さくに応じてくれる。わざと聞きやすく振る舞ってくれているのかもしれない。
「『あの眼』についてです」
だから俺も遠慮せずに聞きたいことを聞くことにしていた。薄暗い部屋の中で淡い黄色に光っていたあの左眼のこと、それが俺の一番聞きたかったことだ。答えてくれるかは分からないけど、聞いてみる価値はある。
俺がその質問をぶつけると、聖斗さんはすでに黒い瞳に戻った左目を少し細めた後、口を開いた。
「あの眼と言うのは、俺の《月の眼》のことかな?」
「そうです」
俺が頷くと、聖斗さんは顎に手をあてて思案顔になった後、チラリと綾奈の方を見た。
「綾奈、みんなに喋っていなかったんだな?」
「……はい、すいません」
喋っていなかった? どういうことだろう? そう言えば処置室にいた時も同じようなことを言っていたな。
「喋ってもいいか?」
「……はい」
聖斗さんの問いに綾奈は小さく頷いた。それを見た聖斗さんは満足したのか、俺の方に視線を戻す。
「では、話そう。――処置室でも言ったが、この《月の眼》は月神家だけに代々伝わる力だ。この力こそが月神家が《八神》たる由縁だよ」
「《八神》たる由縁?」
「そう。なにも《八神》はただ古くから家があるだけで選ばれたわけじゃない。全陰陽師の中で月神を含む八つの家系だけが左目に同等の力を宿す。そしてその力は、どれも圧倒的なものだ」
世界で八つだけの力。それが《八神》の由縁か。ということは雪神の名を持つ雫さんもか。
俺が聖斗さんから視線を移すと、雫さんはその意図を読み取ったように微笑む。
「もちろん、私も使えるわよ。《雪の眼》、それが雪神家の力。今は見せてあげられないけどね」
「簡単に見せてはいけない力ということでしょうか?」
「そういうわけではないのだけれど……」
明華の質問に雫さんの表情が苦笑へと変わる。
「明華君、ではなんで《月の眼》は見せられたか分かるかな?」
そんな雫さんに助け船を出すように聖斗さんが反対に明華へ質問した。
「えっと、それは……」
ムムムッという感じで口を結び考える明華。――あいつ、分かっているのかな?
「……あ!」
明華の顔がパッと明るくなる。なにか思いついたようだ。昔からの経験上、あまり期待はしないで聞くことにしよう。
「気合!!」
……期待しないで正解だった。よくそんな答えを自信あり気に言い切れたな。しかも俺に向かって、「あれ? 違った?」っていう感じの顔をするな! 反応しづらいわ!
「惜しいなぁ! 確かにそれも大事なんだがな」
聖斗さんが指を鳴らしながら言う。……この人、本当にノリがいいな。でも、こいつの前であんまりそういうこと言わないでもらえますか? 調子に乗るから。
「やる気じゃなかったかぁ。でも惜しかったのならいいよね?」
だから俺に聞くな! 今さら全否定できないだけにマジで反応に困る。
「……うーむ。やる気ではないとしたら……根気か?」
「そんなわけあるか……」
「なっ!?」
しまった! ついツッコんでしまった! いや、だってエンフォードがあまりに定番なボケをかますから……。当のエンフォードは俺のツッコミが聞こえてしまったようで、カァッと顔を赤く染めていく。
「な、なんだ! 違うと言うのか!?」
「違うに決まってるだろ! なんだよ、やる気とか根気とかって!」
俺の言葉に今度は明華が反論してきた。
「私のは惜しいって言ってもらったもん!」
「惜しいわけあるか!」
「ほぇ? 違うの?」
「違うわ!」
その明華の反論を、俺は一刀のもとに斬り捨てる。――むしろ手で破く。心理的に刀を使うのももったいない。
「じゃ、じゃあ、お前は分かっているのだろうな? なぜ《月の眼》が使えたのか」
そんな俺に、逆にエンフォードが問うてきた。……おそらくではあるが、俺なりの答えはある。間違いないと思う。
「……月が出ていること、じゃないですか?」
「――正解!」
俺が言うと、聖斗さんは一拍間を置いてから俺の答えを肯定した。……やっぱりか。だからあの時、聖斗さんは「月は出ているか?」と聞いたのだろう。けど……こんなこと簡単に教えていいのか?
「ずいぶんと簡単に発動条件をばらしたな。って顔をしているな」
「え……?」
聖斗さんがニヤリと笑いながら図星をついてくる。洞察力ではこの人には敵いそうにないな。
「そのことに関しては問題ないよ。《八神》の能力は有名だ。就職するまでに一度は耳にするくらいにな。それが遅いか早いかの違いだよ」
「そうなんですか」
「あぁ、そうだよ。それに、《月の眼》の発動条件を知られても《八神》は負けないさ」
「『術適正』もあるものね」
術適正? また新しい単語が出てきたぞ。俺があまりに分かっていない顔をしていたのか、雫さんが丁寧に教えてくれる。
「術適正は簡単に言えば、得手不得手というものね。個人差があって、例えば明華ちゃんなら符術が得意とか、アリスちゃんなら破魔術が得意とか。みんな本来バラバラなものなのだけれど、《八神》の家系はそれが固定されているの。私の雪神家なら氷を使う術全般、聖斗、綾奈ちゃんの月神家なら結界、封印術全般といった具合に。私たちの場合、適性のある系統の術は最初から詠唱の破棄が可能になるし、その際の呪力の減少もないのよ。だから仮に《雪の眼》が使えなくても私は簡単に負けないわ」
術適正の説明をと共に、聖斗さんと同じ自信に満ちた瞳を向けてくる雫さん、その瞳を見ると、本当に《眼》の発動条件など気にしていないことが確信できた。――この人たちすごい……。
「まぁ、そういうことだよ。さて、そろそろいい頃合いだな。みんな、帰る準備をしなさい」
会話が途切れたのを見計らって、聖斗さんが言う。確かにもう外は真っ暗だ。縦陸市は都会だから電車の心配はしなくても大丈夫だが、いつまでもここにいるわけにもいかない。時間としては、頃合いなのは間違いない。
「はい、そうします」
俺が言うと、聖斗さんも頷く。
「それがいい。由美君、帰り道別れるところまでみんなを送ってくれるかな?」
「……了解です」
俺たちの帰りの心配までしてくれている。聖斗さん、最初はイメージとかなり違ったものがあったけど、たった数時間一緒にいただけで俺は間違いなく聖斗さんに魅せられていた。――その人間性に、その実力に。つまり尊敬してしまったということだ。普通にかっこいい。
「よし、下まで送ろ……あっつ!! コーヒーこぼした!」
……でも、最初のイメージが消えないところもすごい。
「うわぁ……またシミになった。テンション下がるわー……」
とりあえず最終的なイメージは、底の知れない人ということにしておこう。
すっかり暗くなった路地を総真たちが帰っていく。それを事務所の窓から聖斗と雫が見つめていた。
「うーん……見送りできなかったな」
「あなたがコーヒーなんかこぼすからでしょう。本当に……」
「ははは……まぁそう怒るなよ」
雫の鋭い一言に聖斗は苦笑する。
「それより……よかったの? さっきの依頼、料金受け取ってないんでしょう?」
「バレたか」
「いつものことじゃない」
「今回の依頼は綾奈たちを立ち会わせてもらった。言わば綾奈たちに現場の空気を体験させてもらった。本当はこっちが授業料を払うべきだ。それを依頼料で帳消しにしてもらったのさ」
そう言って微笑む聖斗を見て、雫はため息をつく。
「……やっぱりあなたは無印には向いていないわ」
「だからと言って、黒服を着る気はないぞ」
「――っ」
雫が言いたいことを先回りして聖斗は答える。もう何十回と繰り返したやり取りだ。
「でも……!」
「それよりな」
なにか言いかけた雫の言葉を遮って聖斗が言う。
「……なによ」
「総真君のことだ。――気づいたか?」
聖斗のその一言を聞き、雫の表情が一気に真剣なものへと変わる。
「《眼》のことを言っているのかしら?」
「そうだ。俺が《月の眼》を使った時、それに呼応するように総真君の右目が微かに青色に光っていた」
「あの青色は見たことがないわ。……しかも右目」
雫が口元に手をあてた。端整な顔を少し伏せて考える。
「そう、右目だ。俺たち《八神》の家系のみにしか発現しないと言われている瞳に宿る力。そのすべては左目に宿る。……だが、総真君は右目」
「……父様は知っているのかしら?」
「知っているだろう。《八神》現当主たち、少なくとも俺の親父は知っている。だから総真君を《特待生》にしたんだ」
「ということは、あれは失われた術? もしくは禁術ということかしら?」
「分からない。だが、俄然興味は湧いてきた」
そう言って聖斗がニヤリと笑う。そんな聖斗に雫が釘を刺す。
「あまりいろいろなところに手を出すのは止めておいて」
「はいはい、分かっているよ」
ヒラヒラと手を振る聖斗に向かって、「ホントに分かってる?」とばかりに一睨みした雫は、これ以上話しても無駄だと思ったのかテーブルの上に残ったコーヒーカップをまとめると奥の部屋へと消えていく。
その姿を視線で追いかけていた聖斗は、奥の部屋のドアが閉まったのを合図に視線を動かし、夜空に輝く月を見上げる。そして呟く。
「――総真君、君は何者なんだ?」
そう言った後、聖斗はフッと笑うと、窓から離れて雫を手伝うために奥の部屋へと歩いて行った。