四.
「――――!!」
なんかいた! 絶対なんかいたぞ!
声にならない悲鳴を上げながら俺が二階へと到達した。駆け上がってきた俺を見て、明華たちが怪訝そうな顔をしている。
「なにしてるの? 総君。幽霊でも視たの?」
明華がクスクスと笑いながら聞いてきた。本人は冗談で言っているつもりだろうけど、まさにその通りだ。
「……なぁ、綾奈。さっき言ってたエレベーターの幽霊って除霊はしてあるの?」
「えっと……たぶん」
綾奈の答えはずいぶんと自信なさ気だ。
「兄は害がある霊は除霊しますが、ないものまで無理には除霊しません。ですから兄の判断によってはまだいるかもしれないです」
綾奈のお兄さんの判断からすると、どうやらさっきの霊は無害らしい。あのニヤけた笑い方は無害には見えないぞ。絶対なにか企んでそうだな、あいつ。
「そんなことより、早く行こうよ」
明華が先を促す。つーか、こいつ今『そんなことより』って言わなかったか? 確かに昔から視えるお前からするとそんなことかもしれないけど、最近視えるようになったばかりの俺からすると結構大事件なんだぞ! あんなにハッキリ視えたのは初めてだったし。
「ハァ……分かったよ。行こう」
そう言って明華に返事をしながら、俺は自身の変化について思い返してみた。
――霊が視えるようになったのは、やっぱりあの《神羅》という力を使ってから。つまり襲撃事件以降だ。
初めは気のせいかと思っていた。時々、道端や家なんかに白いモヤのようなものが化かっているのが視えるようになった。しかし、一週間くらい経つとそれが形を作るようになる。その形がどうやら人の形だということに気づいたのは、そのさらに数日後。その時、慌てて隣にいた明華に尋ねてみた。「あそこになにかいないか?」と。
明華は少し驚いた顔をした後、ずっと前からおばさんの霊がいることを教えてくれた。次いで、ただいるだけで害はないことも。その時にようやく確信した。俺は霊が視えるようになっていることに。……しかし、いきなりあんなにハッキリ視えてしまうとやっぱり驚くよな。
「……だんだん退き返せなくなっているよな」
俺の思い描いていた平凡な生活というのは最早別次元の話になっていて、これからはこんな体験が日常となっていくのだろうか。――なっていくんだろうな。
そんなことを考えているうちにも、俺たちは歩を進めて廊下を歩いていた。元々が高級マンションということもあって廊下も完全に建物内に収まっており、左右に部屋がある構造だった。一部屋の間取りも広いらしく、玄関の間隔も空いていた。その玄関のドアには、手書きで『資料室』だとか『道具置き場』などが書かれた紙が貼りつけてあった。字は達筆なのだが、間違いなく手抜きだ。
「左右の部屋はすべて建てられた当時のままの間取りで使われています。と言ってもこの階の部屋は基本的に倉庫になってしまっていますが。でも、この一番奥にある部屋だけは改装して事務所らしくしています」
綾奈の解説を聞きながら歩くと、廊下の一番奥に到達した。つまり目的の事務所に着いたというわけだ。
「ついに綾奈のお兄さんとご対面だな」
「噂の天才陰陽師に会えるなんてドキドキするね!」
「しっかりと話を聞いてもらうとしよう」
俺、明華、エンフォードの順で喋ると、綾奈は少し恥ずかしそうにうつむく。いや、実際に恥ずかしいのだろう。肉親の紹介なんてのは基本的に照れてしまうものだから。
「はい。では、兄を紹介いたしますね。……入りましょう」
そう言って綾奈が事務所のドアに手をかけた時だった。
「うわぁあああ!!」
事務所の中から男の人の悲鳴が聞こえた。――な、なんだ!?
俺だけでなく全員が驚いている。
「に、兄さんの声……」
綾奈がそう呟いた瞬間、俺はドアノブに手をかけていた。今の悲鳴だ。なにか緊急事態が起こったに違いない。助けないと!
勢いよくドアを開く。そして俺の目に飛び込んできた光景は――、
「ローン! 『緑一色』、役満だ!」
「ちょ、直撃だと! ば、馬鹿な!!」
バタン!
……思わずドアを閉めてしまった。飛び込んできた光景があまりに現実離れしすぎて。
「そ、総真さん! 兄さんは!?」
「総君、どうしたの!?」
「山代総真! なぜドアを閉じる! 助けに入らなければ!」
「…………」
三人に返事をすることができなかった。――だって、なんて言えばいい? 今見た光景を。どう伝えると信じてもらえるだろうか? いや、ありのまま話すしか、というか直接見てもらって方が早いだろう。
俺は無言でドアを再度開けた。無論、中の光景をみんなに見てもらうようにだ。三人がドアから室内を覗き込む。それに俺も続く。見間違いかどうか確認したかったから。
「…………」
しかし、どうやら見間違いじゃなかったようだ。
――俺が見た光景とは、事務所のテーブルで麻雀が行われていたというものだ。これだけ聞くと、普通に聞こえる。しかし、そのメンバーが普通じゃなかった。一人は人間の男性、机に突っ伏し頭を抱えていることから、振り込んでしまったようだ。しかも『緑一色』と言っていたから役満だ。どうやらさっき悲鳴を上げたのもこの人らしい。
そしてその他のメンバーは――鬼、一つ目、烏天狗。妖怪のオンパレードだ。しかし、三人? とも体は小さくて、小学生くらいの体格をしていた。
「あ………」
「こ、これは……?」
「に、にぃ……」
明華、エンフォード、綾奈の順番で一言感想を漏らす。うん、的確だ。この状況をうまく受け取れていない感がすごく出ているぞ。
「大家さん、そろそろ借金払ってもらわんと困りますな」
「もう二ヶ月は滞納してるでしょ」
「手元にないんかい?」
その三人? の妖怪たちが男の人に迫っている。
「すまん! 来週には必ず返すから! 今日は許してくれ!」
……金賭けてたのかよ。でも今、大家って言わなかったか? あの鬼。ここの大家って言うとつまり……。
「に、に、にに…………兄さん!」
綾奈が叫ぶ。……って兄さん!? 兄さんってことはまさか……この人が。この妖怪三人? に手を合わせて頭を下げているこの人が……天才陰陽師、月神聖斗さん!?
「ん?」
綾奈の声に反応して、頭を下げていた男性がこちらを振り向く。
「綾奈! ……そういえば、もう待ち合わせの時間だったか。勝負ごとに熱中しすぎたな。はははは!」
そう言って綾奈のお兄さん――聖斗さんは快活に笑う。明るい人だ。
「よっと!」
座っていたソファから立ち上がると、聖斗さんは俺たちの方に歩いてくる。すごく背が高い。俺よりだいたい十センチくらい高いので、百八十センチ後半といったところだろう。
そしてその顔は、街中を歩けば大半の女性が目で追うのではないかと思えるくらいの綺麗に整った面立ちだ。流石は兄妹、どちらも美男美女である。さらに二人が兄妹と思わせるような共通点は瞳の色と髪の色だ。聖斗さんも同じ淡い栗色で、髪型もどちらが真似したのかは分からないがポニーテールだった。まぁ、聖斗さんの方は、ポニーテールと言うより、伸びた襟足を後ろで縛っていると言った方が妥当だな。
「君たちが綾奈の友達?」
「は、はい」
もう見慣れるようになった白い陰陽師の着物をなびかせながら、俺たちの目の前に立った聖斗さんがおもむろに尋ねてきた。俺がすぐに返事をすると、聖斗さんは少し笑みを浮かべて言う。
「そうか。妹が嬉々として話してくれたから、どんな人たちかと思っていたんだ。会えて嬉しいよ。――っと、自己紹介がまだだったな。俺の名前は月神聖斗。この『拝み屋』の所長をしている。所謂、民間陰陽師というやつだ。よろしくな」
聖斗さんの右手が俺の前にスッと差しだされる。その右手を俺は慌てて握りながら自己紹介をした。
「や、山代総真です。綾奈さんにはいろいろと陰陽師のことを教えていただいています。よろしくお願いします」
「ははは、そう畏まらなくていいよ。俺は堅苦しいのは嫌いだしな。な、総真君」
「はぁ……」
口から空気が漏れたような間抜けな返事をしてしまう。……恥ずかしい。しかし、ホントにフレンドリーな人だな。天才陰陽師とか言われているから、もっとあまり人を寄せ付けない雰囲気を持っているのかと思っていたんだけど……。
俺の隣に並ぶ明華とエンフォードに握手を求める聖斗さんの横顔を見ながらそんなことを思う。――まぁ、こっちからすると、フレンドリーなのはすごく助かる。
「……さて、と」
俺たちとの自己紹介を終えた聖斗さんは、一歩下がって姿勢を正すと、軽く頭を下げて言った。
「ようこそ、拝み屋へ」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか身が引き締まる思いがした。たぶん、一瞬だけ醸し出された聖斗さんの真剣な雰囲気のせいだろう。……すごい。なんと表現するのが正しいのか分からない……空間を支配する力、もしくは掌握する力と言ったらいいのだろうか。この空間にいることへの安心感、しかし滅多な事はできないぞという緊迫感を同時に押し付けられたような感じだった。
「では、話を聞こうか。別室に行こう」
だが、それも一瞬のこと。すぐに頭を上げた聖斗さんは、先ほどまでと同じ笑顔で俺たちを促して部屋から出て行こうとする。
「――待ってください」
聖斗さんが先立ってドアノブを掴んだ時、今まで押し殺していたかのような低い声がその動きを停止させた。
「どこに行こうとしているんですか? 兄さん」
うわぁ……。
思わずたじろいでしまった。それほどまでの威圧感が声の主、綾奈から発せられていた。その威圧感を浴びせられた聖斗さんはドアノブを掴んだまま固まっている。……天才陰陽師がビビッていた。
「……い、いやー、今言ったじゃないか。このアリス君の話を聞こうって」
「へぇ……でも、それより先に私はこの部屋の状態を聞きたいのですけど? ……確か借金がどうとかと聞こえたのですが?」
「は、ははは……そんなわけないじゃないか! 俺が借金? ないない! こいつらの戯言だから」
振り返った聖斗さんの目が泳いでいた。言っちゃ悪いが、ものすごくカッコ悪い。
「そうなの? 三郎さん」
綾奈が聞くと、妖怪のうち鬼が反応する。どうやら鬼の名前が三郎というみたいだった。
「嘘に決まってるだろ。しっかり借金中ですわ」
あっさりと暴露された聖斗さんはガックリとうな垂れた。
「に、兄さん!」
その言葉を聞いて、綾奈がキッと聖斗さんの方を見た。――顔がすごく怒っている。いつもの綾奈ではなかった。最早別人……いや、暴走モード突入と言った方がいいのか。この綾奈を止められる人はこの場にいないんじゃないか?
と、そう思った時だった。
「……綾奈、それくらいにした方がいい」
綾奈の怒りが爆発する寸前、その一瞬の静寂を縫って声が響く。事務所の奥のドアから出てきた人物。その人物の名前を俺は思わず叫んだ。
「夜坂先輩!?」
灰色の髪をなびかせた小柄な救世主、夜坂由美先輩の登場だった。