二.
次の日の放課後、俺たち四人は、教務課の前にある掲示板の前に集まっていた。ブロック抽選の結果が発表されたからだ。抽選結果は、高学年の教室がある『高学年棟』、低学年の教室がある『低学年棟』、そして先生の研究室や教務課、学生課などがある『本棟』、そして各『専門棟』に掲示されていた。
一年生の俺たちの場合、一番近いのは低学年棟なのだが、そこは二年生や三年生でごった返していたため、次に近い本棟の教務課前に来たのだ。しかし、ここも同じ考えの一年生や他で出遅れた他学年の生徒がすでに来ていて、ブロック別のトーナメント表を見るのも一苦労だ。
「んー、私たちどこだろ?」
俺の右隣で、明華がトーナメント表を見ようと頑張っている。しかし、人だかりの中心にいる俺たちは、ほとんど身動きが取れないため、なかなか自分たちがどこに入ったのかを知ることができないでいた。
「端の方が見えないね」
明華はそう言いながら背伸びをした。その時、効果音にするとムニュッという音が立ちそうなほどの、柔らかいものの感覚が俺の右腕に走る。
「――っ!?」
その感覚に驚いた俺が右腕を見ると、背伸びをした明華がバランスを崩さないように俺の右腕をしっかりと抱きかかえている光景が目に入ってきた。――原因は『それ』か!
いつもなら制服の上からでも分かるくらい張り出し、かつ均整のとれた形を保つ『それ』が、今は俺の右腕を包むように形を変えていた。
明華がさらにググッと体重をかけてきた。それとともに俺の右腕が『それ』に包み込まれていく。その光景を見て、ゴクリッと俺は生唾を飲み込んだ。恐るべし……『それ』。まさに物体Xだ。
「お、あそこではないか?」
エンフォードの声が後ろ側から聞こえ、今度は左肩をグッと持たれる。どうやら俺の後ろに立っていたエンフォードが、それらしい――『それ』ではない――ものを見つけて確認しようと身を乗り出したみたいだった。
「うーむ……よく見えないな」
そう言ってエンフォードは体を寄せてくる。フーっとそよ風のようなエンフォードの吐息が俺の耳を撫ぜた。今まで受けたことのない感覚に、俺はビクッと体を震わせてしまう。
俺の身長とほぼ同じ身長を持つエンフォードとは、当然だが顔の位置もほぼ同じだ。そのエンフォードがすぐ真後ろまで接近しているのだから、こうなってもしかたないのだろうが……。
お、俺はなんてラッキーなんだぁ!
俺は内心で自分の幸福っぷりにガッツポーズをした。これを幸せと言わずなんと呼ぶのだ! ――俺は今、幸せだぁ!!
――ダンッ!
俺のテンションは登竜門を登る鯉の如く上昇していた。しかし、それは足元で響いた鈍い音で一気に急落する。
「てぇー!」
左足に走った激痛に、俺は思わず叫び声を上げてしまう。その声に驚いた周りの人がギョッとした顔で俺に視線を向けてきた。
「そ、総君?」
「ど、どうしたのだ?」
明華とエンフォードが驚いて聞いてきた。
「い、いや……いきなり足を思いっきり踏まれた」
そう言って俺は左側を見た。……そして凍りついた。
俺の左側でもみんな一様に驚いた顔をしていた。たった一人、綾奈を除いてだ。
「総真さん」
微笑みを浮かべた綾奈が俺の名前を呼ぶ。俺の頭の中では警戒音がけたたましく鳴り響いていた。――この微笑みは危険だ、と。
「は、はい……なんでしょうか?」
語尾が敬語になりながらも、なんとか返事をした。そんな俺に、綾奈は変わらず微笑みを浮かべたまま言う。
「違うところばかり見てないで、ちゃんと探してくださいね?」
「わ、分かりました……」
そうとしか答えられない。今の綾奈は怖すぎる。たぶん明華やエンフォードのことで怒っているのだろう。……今度から気をつけよう。
「えっと、俺たちはどこかなー?」
気まずい雰囲気を振り払おうと、ほぼ棒読みになりながらもトーナメント表を見て俺たちの名前を探す。
「そっちじゃないです。あそこですよ」
俺が見ている方向と正反対の方向を綾奈が指差す。……見つけたなら先に伝えてほしかった。
俺は内心で涙ぐみながらも、綾奈が俺たちの名前を見つけたトーナメント表の前に移動した。
「あった!」
横で明華が声を上げた。そのトーナメント表の中に、確かに俺たちの名前が載っていた。ブロックは……。
「Aブロックか」
エンフォードも名前を見つけたようで、同じ紙を見上げて呟く。
「Aブロック、第二シード……」
「はい。つまり私たち、一回戦は不戦勝ですね」
俺の隣で綾奈が言う。流石にもう怒ってはいないようだった。
「そうみたいだな……あっ!」
「どうしました?」
Aブロックのトーナメント表を隅々まで見た。その中で唯一知っている名前を見つけたのだ。
「あれって……」
俺が指差す先には、Aブロックトーナメント表の第一シードの欄に、『夜坂由美』の名前が記されていた。
「由美さん!」
綾奈もその名前を見て声を上げる。
夜坂由美、前年度の《八卦統一演武》を制したメンバーの一人だ。つい十日ほど前にデパートであった時のことを思い出す。印象的な灰色の髪。そして、無表情な顔。だが、猫を抱いた時の微笑みは、とても可愛らしかった。……と言っても相手は五年生なんだが。
「うわー……むちゃくちゃ強敵だね」
明華が隣でげんなりとした顔をしている。そんな明華にエンフォードが呆れたように言った。
「こらこら、その前に目の前の敵だ。まだ確定もしていない敵の話をしても仕方ないぞ」
「俺たち一回戦シードだから、目の前の敵も決まってないけどな」
「……なにか言ったか?」
「いえ、なにも」
ギロリと睨んでくるエンフォードを素知らぬ顔で躱す。……冗談が通じないやつだ。
トーナメント表を見た俺たちは、人ごみから抜け出して、近くのベンチに腰かけた。二つある三人掛けのベンチに俺と差女性陣が向い合せで座る。
「ん? じゃあ、今週の土曜日ってどうなるの?」
座った途端、明華が気づいたように言う。
「俺たちは試合がないし、たぶん休みだろ」
「そうなりますね」
綾奈が頷いた。俺の予想は当たっていたようだ。
「ところで皆さん、土曜日は予定ありますか? 特にアリスさん」
「え? 私?」
俺を含めた三人を見回して綾奈が言う。しかも特にエンフォードをご指名とは……何の用事かさっぱり見当がつかない。エンフォードも戸惑っているようだ。
「私は空いてるよ? 総君は?」
「俺も空いてる。綾奈、どっか行きたいのか?」
「はい。実は……行きたいのは兄のところなんです」
綾奈のお兄さん? ……てことは月神聖斗さんか。でも、なんでお兄さんのところに?
その疑問に答えるように、綾奈が口を開いた。
「兄に先日のアリスさんの話を相談したんです。そうしたら、アリスさんから直接話を聞きたいって。今度の週末を逃すと、《八卦統一演武》も始まって、なかなか会いに行けなくなるので、みんなでどうかなっと思いまして……」
「本当か!? 私の話を聞いてくれるのか?」
エンフォードの問いに綾奈が頷く。
「あ、ありがとう、綾奈! 是非、行かせてほしい!」
エンフォードは立ち上がって、綾奈の手を握り、ブンブンと振り回す。
「あ、は、はい。よ。喜んでもらえて嬉しいです」
手を振りまわされて、その反動で体全体が振りまわされて、綾奈はあうあうと悲鳴に近い声を漏らしていた。
「えへへ、じゃあ今度の土曜日はみんなでデートだね」
「他で言うなよ。ものすごい誤解を生むから……」
綾奈とエンフォードを横目で見ながら、俺と明華は笑い合った。