四.
「さて、次はどこに行こうか?」
店から出てきた二人に聞く。俺たちはちょうど昼ご飯を食べ終えたところだ。――もちろん『レッドスター』ではない店で食べた。
そして、この後どうするのかを計画していた二人に俺が問いかけたのだ。そんな俺の問いに明華が口を開く。
「綾奈、行きたいところがあるんだよね?」
「あ、はい」
明華の言葉に綾奈が頷いた。
「――行きたいところって?」
今ご飯を食べたばかりで、そんなことはあり得るわけがないのに、俺は少し警戒してしまう。
……綾奈ならやりかねないからな。
しかし、警戒していた綾奈の口から出た言葉は、俺の予想をよい意味で裏切るものだった。
「本屋さんに行きたいです」
「本屋、さん?」
「はい、本屋さんです」
「そ、そっかぁ、本屋か」
俺は安堵のため息をつく。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
ため息の本当の理由をテキトーにはぐらかす。
「それじゃ、本屋さんに決定ね!」
明華の宣言に俺と綾奈は頷くと、本屋に足を向ける。本屋は、俺たちのいる飲食店街の一階下にあるはずだ。
このデパートは八階建てで、上から二階、つまり八階、七階は全フロアを使用した屋内駐車場。六階は一部が駐車場で、その他のフロアが映画館やゲームセンターになっている。
そして、五階が飲食店街、四階が各専門店、二階三階が紳士服、婦人服ときて、一階が食品売り場だ。
――やっぱり……
「広いねぇ」
四階の専門店フロアにエスカレーターを使って降りてきた俺は、そのフロアを見渡して内心に呟く。しかしその呟きは途中で遮られ、俺の思っていたことと同じことを明華が声に出して言ってくれた。
初めてこのデパートに来た明華は、その広さに感動し、目を輝かせている。俺も初めて来た時は、同じように周りをキョロキョロと見たものだ。
本屋はこのフロアの中ほどにあり、隣はゲームや映像媒体などを専門に扱う店だ。その店の前を通り、俺たちは本屋に入った。
「綾奈はどんな本を買いに来たんだ?」
広々とした店内を見渡しながら俺が聞く。
「お料理の本です」
「料理?」
綾奈には悪いが、正直意外だった。綾奈は言うなればお嬢様だ。料理や洗濯などとは無縁の生活をしていると思っていた。
「花嫁修業の一環です」
――あ、でも理由はなんだかお嬢様っぽいな。料理をする理由に、普通は『花嫁修業』は使わないだろうから。
俺はそんなことを思いながら、綾奈に言う。
「綾奈ならいいお嫁さんになれるよ」
俺がなんの気なしに言ったこの言葉を聞いた途端、綾奈の顔がポッという感じで朱に染まる。
「わ、わ、私がいいお嫁さんに!?」
「あ、あぁ……」
……なんでこんなに慌てているんだ? 自分で花嫁修行だと言っているのに。
「――私が総真さんのお嫁さんに……」
そしてそのまま小さな声でなにやら呟いている。内容は聞き取れないが、顔がすごく嬉しそうだ。
――ま、綾奈と釣り合うほどの男がいればだけど……
家柄を考えると、いろんなしらがみとかがありそうだ。俺としては、そういうのは恋愛には関係ないと言いたいが。
「総真さん!」
「ん?」
顔を伏せていた綾奈がいきなり顔を上げると、
「こ、今度、私の肉じゃがを食べてくださいますか!?」
「…………」
……なぜ『肉じゃが』限定なんだ? いや、作ってくれるのは非常にありがたいんだけども。
「……駄目ですか?」
「あ、いや、そんなことないぞ。よろしく頼むよ」
「はい!」
綾奈がとっても嬉しそうに微笑む。むしろこの笑顔だけでお腹一杯になりそうだ。
「私、頑張ります! 楽しみにしておいてください」
「うん、楽しみにしておくよ」
そう言うと綾奈は、天井から『料理・調理関連』と書かれた札が下がるコーナーに向かって行った。
その綾奈の姿を見送ってから、俺は振り返る。そこにはどこかムスッとした表情の明華が立っていた。
「お前はなにか買うものあるのか?」
とりあえず聞いてみる。買ったとしても漫画だとは思うが。
「ふん、どうせ私はあんまり料理うまくないですよ!」
「……は?」
……いきなりなにを言い出したんだ? こいつは。
「どうせ私はいいお嫁さんにはなれませんよ!」
フンッと顔を背ける明華。それに俺はどんな反応をすればいいか分からない。
――えーと、料理ができるといいお嫁さんになれるって、俺が言ったから悪いのか?
たぶんそうなのだろう。明華はそんなに料理の腕はいい方ではない。
――けど、それだけで怒るなよ。
「ハァ……」
俺は思わずため息をついてしまう。しかし困ったことに、それが明華に聞こえてしまったようだ。
横を向いていた明華が、キッと俺を睨む。そして、
「総君のバカ!」
そう言うと、身を翻して歩いて行く。
「お、おいっ!」
声を掛けるが、立ち止まることなく歩いて行く明華の姿が、人ごみにまぎれていく。俺は慌ててその後を追いかける。本屋を出て隣のゲーム屋の前を通り、ジュエリーショップを横目に雑貨屋の脇を抜ける。そしてやっと、明華に追いつくことができた。人ごみに邪魔されなければ、もう少し早く追いつけていただろう。
「おい! 明華!」
俺は明華の手を掴むと、こちらを向かせる。やっぱりまだ怒っているようだ。視線が鋭い。
「なんで怒るんだよ。料理くらいできなくたっていいだろ? それに――」
「うるさいな! どうせ私は駄目な女ですよ! ……綾奈とは違って!」
俺の言葉を遮って、明華が言う。なぜかは分からないが、綾奈に対抗意識を持っているようだ。
……まったくこいつは。
「とりあえず、人の話は最後まで聞けよ」
「えっ?」
明華の目が大きく開く。
「総、君?」
俺の右手が明華の頭を撫ぜていた。約一か月ぶりの必勝パターンだ。ただし今回は、おやつ等は抜きだが。
「俺は好きだぞ。明華の料理。特に卵焼きが。砂糖ベースの卵焼きってなかなかないもんな。甘くてうまいのに」
「好き? 私の卵焼きが?」
「あぁ、好きだよ」
「…………」
初めて明かした事実にもっと喜んでくれるかと思ったが、明華は逆に目線を下げてしまう。そして、チラリチラリと上目遣いでこちらを見てくる。
「じゃ、じゃあ……今度、私の卵焼き、食べてくれる?」
「当たり前だろ。俺がお前の卵焼きを食べない時があったか?」
「――なかった」
そう答えながら明華が優しく微笑む。なんとか機嫌は戻ったようだ。それを見て、ホッと一息ついた時だった。
「総真さん、明華さん」
俺の後方からすでに聞き慣れた声がする。
「もう……びっくりしましたよ。お二人ともいきなり行っちゃうから」
振り返ると、予想通り綾奈がそこにいた。急いで追いかけてきたのだろう。本は買っていないようだ。
「すまん」
「ごめんなさい。……私が悪いの」
俺と明華が頭を下げる。とっさのこととは言え、置いて行ったのは明らかに俺たちに非があった。
「いいですよ。見つかってよかったです」
綾奈はそれほど怒ってないようで、笑顔で許してくれる。
「ホントごめんな、綾奈。まだ本も買えてないだろ?」
「えぇ」
「じゃあ、戻って本を買おうか。明華もそれでいいだろ?」
「うん!」
「よしそれじゃ、本屋に――」
ワン! ワン!
「――えっ?」
聞こえてきた鳴き声に、俺は言いかけた言葉を途中で止める。そして声がした方を振り向くと、
――ペットショップか。
明華追いかけている間に、どうやらペットショップの前まで来ていたようだ。看板を見ると、『ワンニャン広場』と書いてある。
「わぁ! ワンちゃんだ!」
隣に立つ明華が歓声を上げる。すでに興味津々だ。
「おい、明華! 俺たちは本屋に戻るんだぞ!」
じりじりとペットたちがいるゲージに迫っていく明華を呼び止めようとする。
「な、綾奈」
そして綾奈に同意を求める。
「ハァ……可愛い」
しかし綾奈は、すでにその目をキラキラと輝かして、動物たちに見惚れてしまっていた。俺の言葉もまったく聞こえていないようだ。
「綾奈、ちょっとだけ見ていかない?」
「はい!」
……おーい!
俺の思いも空しく、二人はもう待ちきれないとばかりにペットショップに入っていく。
「ハァ……」
俺は今日何度目かのため息をつくと、先に行く二人に続いた。