二.
「で、質問攻めにあっちゃったんだ」
「……そういうことだ。まいったよ、ホント」
「あはは、災難だったねぇ」
「笑うなよ、明華」
今は昼休み、食堂で明華と食後のティータイムを過ごしていた。
この学校の食堂は広いうえに二階建てになっており、一階が普段の食事を行う『ダイニング』――まぁ、単に食堂と呼ばれているが――二階が食後のひと時を過ごせる『カフェテリア』だ。
俺たちは二階のカフェの一席に向かい合って座り、俺はブラックコーヒー、明華は紅茶を飲んでいる。明華のソーサーの上には空になったスティックシュガーの袋が四つ転がっていた。
……よくそんなに砂糖を入れて飲めるな。絶対胸焼けするだろ。
俺の心配をよそに、明華はおいしそうにそれを飲む。
「それでなんて答えたの?」
「ありのままだよ。《特待生》になった理由なんて俺も知らん。むしろ俺も聞きたい。ってな」
「総君、正直すぎだよ。そこで言っとけばよかったのに。俺にはすごい能力があるからだ!って」
そう言って笑う明華。本人は冗談のつもりで言ったのだろうが、実はもろに確信をついている。
俺には特別な力がある。――らしい。
『らしい』というのもそれがどういったものなのか、どういった力なのかも教えてもらっていないからだ。そして、俺はそのどんなものかも分からない力のおかげで、《特待生》としてこの学校に通うことになってしまった。
この経緯は、明華には伝えていない。けど明華のことだから薄々感づいているのかもしれないが。
「……なんでそんなすぐにバレる嘘をつかないとダメなんだ」
一瞬反応が遅れながらも口から出た言葉は、そのまま俺に跳ね返ってくる。
ホントに……なんですぐにバレる嘘をついているんだよ。俺は……。
心の中で自虐的になる俺に、明華は笑顔を向けてくれる。
「くすっ、それもそうだねぇ」
ニコニコ顔で紅茶――いや、ほぼ砂糖――を一口飲む明華を見ていると、俺の気持ちも和んでくる。
元来の癒し系だな、こいつは。
このまま明華を眺めておくのも面白そうではあったが、時間的にそろそろ本題に入ることにした。
「なぁ、明華」
「ん? どうしたの?」
明華が首をかしげる。
こういう仕種は本当にお人形さんのようだ。それが男に人気なのだろうか。
「お前、『月神』って知ってるか?」
「うん、知ってるよ」
「えっ?」
あっさり答えが返ってきたことに驚いて、思わずこっちが聞き返してしまう。
「つきがみって、お月様の月に、神様の神でしょ?」
「あ、あぁ……。なんで知ってんの?」
「ていうか、なんで知らないの?」
「そんなに当たり前のことなのか?」
「陰陽師の間ではね」
俺はガクッと肩を落とす。陰陽師の常識を、俺が知るはずがない。
明華の様に、父親が陰陽師だとかなら分かるが、俺の家は絵に描いたような一般家庭なのだから。
「そっちの常識を俺が知るわけないだろ……」
「入学決まってから一ヶ月もあったんだよ。それは調べとこうよ」
「し、調べたよ」
「それって文にしたら十行くらいじゃない?」
「うっ……」
図星をつかれて俺は言葉に詰まる。
こいつ……なんで俺のことに関しては、こんなに勘が働くんだ?
というか『文にしたら十行』ってなに基準で十行なのだろうか。
「俺のことはいいから早く教えてくれ」
このままいくと、明華は俺のことについて延々と語り出すので、強引に軌道修正を行う。すると、明華はまだなにか言いたげな顔をしていたが、すぐにあきらめて本題を話始めてくれた。
「あのね、月神っていうのは――」
◇
ガラッという音とともに俺は教室に入る。
時間は昼休み終了の五分ほど前。
教室の中を見ると、いくつかのグループができている。男子のグループ、女子のグループ、男女混成のグループ。新学年最初の昼休み、新しい仲間を作るならもってこいのこの時間、すでに仲良くなった者たち同士が集まってできたグループなのだろう。俺の視線は教室の各所でグループができている中で、一人だけ自分の席に静かに座っているだけの人物を捉える。
――月神綾奈。
生まれたその瞬間からエリート中のエリートであることを義務づけられた女の子。
『月神』という名の重さは、俺の想像を超えていた。
かなりの家柄なのだろうとは思っていたが、まさか日本の各地方を統率する陰陽師の八大名家の一つだとは思わなかった。
明華の説明では、この八大名家は通称《八神》と呼ばれているらしい。その中の関東地方を統べるのが、月神家ということのようだ。
この学校の名が《澪月院》なのも、俺たちが着ている制服の校章に『月』の文字が使われているのもそれが理由だった。確かにそれほど特別な名家の出だと分かれば、知っているやつなら萎縮してしまうのも分からなくはない。あの明華だって、小学校の頃は霊が視えるというだけでみんなから避けられ、いじめにあっていた。明華だけ普通の人から見れば特別だったからだ。
その頃のことを考えるだけで、俺の胸にズキッと鋭い痛みが走る。
俺はいまだに後悔している。
一番近くにいたはずなのに、明華がいじめられていることに気づいてやれなかったことを……
たぶん、この後悔の念は消えることはないだろう。
唯一の救いは、明華が今、笑えていることだ。ただそれだけで、なんとか俺の心も救われている。
だからこそ昔の明華と同じような顔をする女の子を放っておくわけにはいかない。昔と同じ過ちだけは繰り返さない。――それが俺の信念だ。
自分の席にたどり着くと、体を月神の方に向けて座る。改めてその横顔をはっきりと見た。
……うわぁ、やっぱりめちゃくちゃ可愛いな。ポニーテールもすごく似合っているし、髪もサラサラだ。
またしても見とれてしまう。
その体から発する物静かな雰囲気は、昼休みの教室の喧騒の中で、月神だけ別次元にいるように錯覚してしまうほど完成されたものだ。芸術品と言ってもいいんじゃないかと思う。
けどそれは……その芸術品は、長年の周囲の人間の特別扱いが、そしてそれに伴ってきた孤独に耐えきれず、月神自身が自己防衛のために作り上げたものだろう。
『月神』という名の重さに潰れないように、それでいて自分の居場所を確保するために。しかし、そんな完成された芸術品の居場所はガラスのショーケースの中にしかない。周囲の人は一歩引いて、それをただ鑑賞するだけだ。美しい、素晴らしい――そんなありきたりの言葉を並べるだけ。誰も触れようとするやつなんていやしない。壊してしまうのが怖いから。
なら、俺が触れてやる。女の子にあんな表情をさせるだけの芸術品なんて必要ない。
――懸念はある。俺のやろうとしていることは、ただの自己満足なのかもしれない。本人からしたらものすごく迷惑かもしれない。そう思う。
正直、失敗する可能性だってある 俺の盛大な勘違いだったなら、下手をしたらこの一年間笑いものになるだろう。
いや、勘違いって確率の方がかなり高い。どう見たって分の悪い賭けだ。
(入学初日からそこまでするか?)
と心の隅で俺自身が問いかけてくる。確かにその通りだとも思う。
けど、それで目の前のこの女の子が笑えるようになるのなら……それで孤独から救うことができるなら。
俺の一年間くらい、いくらだって賭けてもかまわない。
――あとは、なるようになるだけだ。
「月神」
俺は意を決して喋りかけた。
突然声をかけられたのに驚いたのか、月神はビクッと肩を震わせる。そして、恐る恐るといいた感じでチラリとこちらに視線を向けてきた。
しかし、俺がなにか言う前にその視線はすぐに元に戻ってしまう。
――まぁ、これくらいは十分予想内だな。最悪、完全無視も覚悟していたし、どちらかというとマシな方だ。
だから俺は、そんな月神の反応に気にせず喋りかける。
「月神、はじめまして。俺、山代総真。隣の席だし、これからよろしくな」
俺の一方的なあいさつに、月神が反応することはなかった。ギュッと瞼を固く閉じて、俯いてしまう。突然声をかけたことに怒っているでもあるし、恥ずかしがっているようでもある。その辺の判断が難しい。だが、せっかく喋りかけたのだ。このままあっさり引き下がってしまってもしかたがない。
どうするべきだろう?そんなことを考えていたその時、
キーンコーンカーンコーン……
学校に昼休みの終了を告げる鐘の音が響く。
ガタガタと音をたてながらクラスメイトが自分たちの席に着き始める。
時間切れのようなので、いったん月神に声をかけるのをあきらめる他はない。今の時間に一発で決められなかったのが吉と出るか凶と出るのかは微妙だ。
横目で月神をチラリと見てから、正面に視線を戻して、北条先生が現れるまで、次の一手をどうするか考えることにした。