八.
「うっ!」
その光に一瞬視界を奪われる。とっさのことでなにが起こったか分からない。
――人形の攻撃!?
迫り来ていた人形が、なにか閃光弾のようなものを使ったのかと思った。しかしその割には、その後なにもしてこない。
徐々に光が弱まってきて、俺の目も視力を取り戻す。
――こ、ここは!?
目の前に広がっていたのは、以前見た大きな木造の門だった。
驚いて周りを見る。深い森、ここだけ開けた原っぱ、さらには目の前に鎮座する屋敷。
すべてが以前見たものと一緒だった。唯一違うのは、目の前の門が最初から開いていることだ。
「なんで俺、こんなところに!」
さっきまで戦っていた第二訓練所の姿は影も形もなかった。
「明華! 綾奈!」
二人の姿も確認できず、大声で名前を呼ぶ。しかし、返事はない。
「――っ! なんだんだよ、ここは!」
直前までの状況とはかけ離れすぎていて、助かったという気持ちより、焦りの方が湧いてくる。
「――君の望むものを手に入れる場所だ」
その時、この場所のように静かな声が俺の耳に届く。
その声に反応し振り返ると、開かれた門の前に人が立っていた。
理事長が着ていたのと同じ黒い着物、整った面立ちの男性。黒髪は流れるように長く、腰くらいまであった。歳は二十代後半くらいか。しかしその雰囲気は、年月を重ね、成熟した威厳を纏っていた。
「……あんたは?」
あれほど焦っていた俺の気持ちが、その人物を見た瞬間に収まってしまった。
「私が何者か、という質問はまたにしよう。とにかくついてきなさい」
そう言ってその人物は門の中に入っていく。その声は、以前この扉ごしに聞いた声だと今さらながらに気づく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺の制止も効果はなく、その人物は歩いて行く。
――なんなんだよ……。けど、あの人、今確か……
君の望むものを手に入れる場所、あの人物は確かにそう言ったのだ。
――俺の望むもの……『特別な力』。
あの人物が言っていることが本当なら、ついて行くほかに道はない。
……どっちだ?
どっちなのかは分からない。しかし迷っている時間もない。
「くっ!」
――行くしかない。今の俺に選択肢はないのだから。
俺は、前を行く人物に追いつくために駆け出した。その人物はゆっくりと歩いていたためにすぐに追いつける。
真後ろにまで距離を縮めると、俺は走るのをやめて前を行く人物の歩調に合わせる。
声はかけられなかった。聞きたいことはたくさんあるが、今聞いても答えてはくれないことは、その体から醸し出す雰囲気が言っていた。
だから俺は、その人物が口を開くところまで黙ってついて行くことにした。もちろん警戒は怠らないが。
俺は自分の体を見た。今まで混乱して気づかなかったが、斬られた俺の体は治っているようだった。しかし、制服は傷も血もそのままだ。
しばらく無言で歩く。
門を抜けた先には、外からもその一部が見えていた屋敷が建っていた。門と屋敷の間には、庭園が広がっている。その中には、前方の大きな屋敷とは別の小さな木造の一軒家もあった。
庭園に植えられた木々が、そよ風に吹かれたように揺れていたが、やはりその風を感じることは俺にはできなかった。前を行く人物の黒髪も風に吹かれて揺れているが、この人は風を感じ取れているのだろうか。
屋敷の前まで歩いて行く。そこで初めて、ここが生活をメインとした場所ではなく、お寺のような礼拝を行う場所なのだということに気づく。
屋敷の正面の部屋は、大きく開かれた空間で、昔、京都に行った時に見た清水寺の本堂のような広さがある。
前を行く人物が中に入っていく。俺もそれに続く。一瞬、靴は脱いだ方がいいかなとも思ったが、前に倣ってやめた。
中に入ると、よけいにその広さを感じ、思わずその造り感心してしまう。
床、壁、天井、そして床から天井へと伸びる太い支柱、そのすべてが木製だ。さらにそれらには細かに彫り込まれた装飾がしてある。かなり凝った豪勢な建物だ。
その部屋の最奥まで着いた時、その歩みが止まる。俺も同じく歩くのをやめる。
部屋の最奥には、木の像が立っていた。その数は全部で五体。そのすべてが柔らかな表情で目を閉じている。顔はそれぞれ違うが、服装はみな陰陽師が着る着物とよく似たものだ。木像ではあるが、今にも動き出しそうなほど精巧に彫られていて、大きさもモデルにした人物に合わせてあるのか、まちまちだ。
その木像たちの足元には三つの大きな木の箱が並んでいて、そのうちの右端の箱が開いていた。
「ここは《継承の間》だ」
ずっと黙っていた人物が、いきなり口を開いた。
「《継承の間》……?」
「そうだ。君は選ばれたんだよ、山代総真君」
「なっ!? なんで俺の名前を?」
「私がずっと君を見ていたからだよ。君の心の片隅でね」
そう言うと、その人物は頭を軽く下げると、
「はじめまして、私の名前は六道。よろしく」
六道と名乗った人物が微笑みを浮かべる。しかし、俺にそんな余裕はない。
「俺の、心の片隅……?」
俺の質問に、少し肩をすくめながらも六道は答える。
「そう、正確には眠っていた君の力の鱗片を借りてと言うべきかな」
「俺の力だって?」
六道は軽く頷く。
「君の、その目の力だ」
そう言って、左手を少し上げる。
「『水鏡』」
次いで、そう唱えると、左手にどこからともなく水が集まる。清らかなその水は、やがて平たい楕円の形を取り始め、鏡へと姿を変える。まさに『水鏡』だ。さらにその鏡が俺の顔の高さに掲げられる。当然、鏡は俺の顔を映す。今まで何千回と見てきた顔がそこに映るはずだった。
「――これは!?」
鏡に映った自分の顔に思わず声を上げてしまう。
大きく変わっているわけではない。九割九分は一緒だ。どこにでもいる凡人顔、普通の高校生だ。しかしあとの一分、決定的に変わっている部分がある。
――右、目が……
そう、右目が変わっていた。俺の黒い瞳の中に、青く輝く《八卦印》が現れていたのだ。
「……これは、なんなんだ?」
俺が聞くと、六道は『水鏡』を解除しながら静かに言う。
「その目の名は《神羅》、かつて世界を統べた力だ」
「しん、ら……?」
「そうだ。その目を持つ者は、神の力を操れる」
「神の力……」
――それが俺の持つ『特別な力』?
俺の予想を大きく超えたあまりにスケールの大きな話だ。
「正しくは、神の力を宿した道具。君たちの世界では、《三種の神器》と呼ばれているものだ」
――《三種の神器》、聞いたことのある名前だ。それを俺が使えるのか?
「今回、君の願いに呼応して、右の箱が開いた。この中にあるのは――」
「ちょっと待ってくれ!」
俺を置き去りにして話を進める六道に、俺は制止をかける。
「どうかしたか?」
「どうかしたかじゃない! 俺が神の力を使えるって? なんでそんなことできるんだよ?」
「それは愚問だな。言っただろう、君は選ばれたと」
「選ばれたって、誰に?」
「古来より脈々と続く『神の血』にだよ」
……『神の血』? なんだよそれ。
「……今は分からなくてもいい。しかし、この力は君が欲したものだ。君の仲間を救うための力だ」
六道のその言葉に俺はハッとなる。
――そうだ。俺がここまで来た理由……それは仲間を、明華と綾奈を救うためだ。
「《神羅》は資格だ。神の道具を使う資格だ。当然、使わなくともいい。――君の自由だ」
「……俺の自由」
「あぁ……ただ、今さらながら言っておく。使えば君は、いつの日か後悔する日が来る。それも踏まえて――」
「――使う」
「……なに?」
「その力、俺にくれ」
「今言ったことが聞こえたか? ……後悔するぞ」
「……しないさ。俺は絶対後悔なんてしない。仲間を救って後悔する事なんてありえない!」
六道にまっすぐ目を向けて俺は言う。
「だから、だからその『神の力』を俺にくれ!」
俺の決意を込めた視線を六道はジッと受け止めていた。それは俺の意志を見極めようとしているようだった。だが、やがてフッと微笑むと、
「分かった。ならば君の望む力をあげよう」
そう言って六道は右側にある開いた木の箱に手を伸ばす。そして、その中の物を取り出した。
「……刀?」
出てきたのは刀だった。通常の日本刀よりも長く、刀身が一メートルほどもある。『大太刀』と呼ばれる部類に入る刀だ。
「受け取りなさい」
六道が差し出すその刀を両手で受けとる。重いものかと思ったが、その刀身に比べて全然重さを感じない。まるで竹刀を扱っているかのような軽さだ。
刀はその鞘、鍔、柄のすべてに精巧な意匠が凝らされていた。
「すごい……」
思わずため息が出てしまうくらいに素晴らしく、美しい刀だ。
少しだけ刀を抜いてみる。
するとその瞬間、俺の目と同じ、淡く青い光が発せられる。その刃は一点の曇りもなく、磨き抜かれていた。
「君の思うままに振りなさい。さすれば、その刀が、君の敵を滅してくれるだろう」
六道が諭すように俺に言う。
「――分かった」
「うむ、ならば行きなさい。その刀が君を導く。その刀の名前は、《天叢雲剣》――」
その言葉を聞きながら、俺の視界はまた、まばゆい光に包まれた。
◇
取り戻した視界に映ったのは、すでに目の前まで迫ってきた人形だった。刀を振り上げ、今にも振り下ろす寸前だ。
とっさに右手を見る。そこには、まるで最初から持っていたかのように刀が、俺の力、《天叢雲剣》が鞘に入った状態で握られていた。
それを俺は素早く掲げる。そこに人形の持つ刀が振り下ろされた。
次の瞬間、ガキッという鋭い音がして、人形の持つ刀が真っ二つに砕ける。逆に振り下ろされた側の《天叢雲剣》の鞘には傷一つついていない。
俺は見た。人形の振り下ろした刀が、鞘に衝突する瞬間を。いや、正確には衝突していない。刀は衝突する直前に、鞘から発せられた青い光の壁に阻まれ、真っ二つになったのだ。
――その辺の刀には触れる事さえもできないってわけか。とんでもない力だな。《天叢雲剣》は。
俺は内心苦笑する。物質としてのレベルが根本から違うからだ。
片や人間の作った刀、片や神の創った《三種の神器》なのだ。しかたないと言えばしかたない。
後ろを振り向く、そこには唖然とした表情の明華と綾奈がいた。それもそのはず、寸前まで――たぶんではあるが――斬られ血を流していた俺が、いきなりどこからともなく刀を取り出し、相手の刀を粉砕し、おまけに傷まで治っているのだ。誰だって驚くだろう。
そんな二人の顔を見て、俺はもう一度決意を固める。
――この力で、俺は仲間を守る! そのための力だ。
「いくぞ! 《天叢雲剣》!」
俺は叫ぶと共に、《天叢雲剣》の鞘を抜き去る。一段と増した青い輝きが周囲を照らす。俺は弾かれた衝撃でよろめいていた人形をキッと見据える。
「これで! 終わりだぁ!!」
俺の放った振り下ろしの一閃が、目の前の人形を縦に真っ二つに両断する。左右に裂けた人形は、その瞬間に動きを止めて、崩れ落ちた。
「やっ、た……」
人形を倒したと分かった瞬間、俺の体をドッと疲れが襲う。倒れそうな体をなんとか持ち堪えさせて、体ごと後ろを振り向いて明華と綾奈の顔を見る。
「勝ったぞ……二人とも」
俺はそう言って微笑むが、二人の反応は芳しくなかった。
「……あれ? どうかしたか?」
俺のその問いに、二人同時に俺の背後を指差す。
「ん?」
俺は振り返ってその方向を見る。
「な!?」
そして、驚愕に目を見開いてしまった。
人形が立っていた後方の第二訓練所の壁に穴が開いていた。いや、よく見ると、人形が立っていた位置から壁までの床はすべて捲りあがり、その間にあった《八卦統一演武》のポールは両断されていた。――つまり、斬ったのだ。
《天叢雲剣》を振った先にあった空間すべてを両断したのだ。
「ははは……すげ……」
あまりのすごさに、俺の口からは乾いた笑いが漏れる。それと同時に俺の体も限界がきたようだ。
グラリと傾いた体を立て直す力は最早ない。
「総君!」
「総真さん!」
二人の焦り声をどこか遠くに聞きながら、俺の意識は暗転した。