七.
「勝利チームは十四番だ。よくやったな」
対戦表に結果を記入しながら審判がねぎらいをかける。形式的な言葉だと分かっていても、久しぶりの勝利の感覚も相まって、嬉しく感じた。
「ありがとうございます」
お礼の言葉を言って振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべる二人がいた。
「総君! 最後ありがと! やったね!」
「勝ちました! 勝ちましたね! 私たち!」
興奮冷めやらぬ様子で、抑えられぬ喜びを爆発させる二人。こういった試合の場が初めての二人にとっては、一ヶ月の努力が実を結んだ記念すべき初勝利なのだ。嬉しいに決まっている。
――だ、だけど、これは……
二人は喜びのあまり、俺の右腕を明華が、左腕を綾奈がそれぞれ抱きしめる。激しい試合の後の上気した笑顔と上がった体温による暖かな感覚に俺はたじろぐ。
「お、おい、二人とも」
「総君、私頑張ったでしょ? 褒めて褒めて!」
「そ、総真さん、私も頑張ったんですよ?」
しかし、二人の耳に俺の声は届かないようで、上目遣いに見つめてくる。それはまさにご褒美をねだる忠犬だ。
――か、可愛すぎるだろ! 二人とも!
犬の耳がついても違和感のない二人に、今度は俺の顔が赤くなる。
「あ、あぁ、よく頑張ったな! 二人とも」
忠犬みたいだからといって、頭を撫ぜるわけにもいかないので――というか、その二人に両腕を封じられているから、元から無理だが――とりあえずありきたりな言葉をかける。
「えへへ、そうでしょ?」
「うふふ、ありがとうございます」
でも二人は、それで十分嬉しかったみたいだ。満足したように俺の腕を離す。少し名残惜しい気もする。
「さて、次の試合の邪魔になっても悪いし、二階に戻ろうな」
「うん!」
「はい!」
元気のいい二人の返事を聞いて、俺はエリアから出ようと振り返る。
「ん?」
振り返って視界に映ったのは、ちょうど先ほどの人形が、エリア内に入ってきた光景だった。
その光景に少し疑問を感じる。人形は、試合中以外は動かないはずだ。試合が終わった今、通常ならエリアの外で待機している。
その異常に、審判をしていた陰陽師も気づいたようだった。
「あれ? なんで動いてんだ? こいつら」
陰陽師が人形に近づく。
「おい、おま――」
人形の肩に手をかけて、なにかを言おうとした言葉は、途中までしかその口から出なかった。
「……ごほっ」
代わりに出たのは、苦しげな咳と真っ赤な液体。――血だ。
「なっ!?」
俺はその状況が少しの間理解できなかった。
陰陽師の背中から血に濡れた刀が突き出ていた。陰陽師はなにが起こったのか分からないような疑問に満ちた表情をしている。逆に人形は、のっぺらぼうの顔に表情を出すことはもちろんなく、さも当然かのように刀を突き立てていた。
――人が刺された? 殺されたのか?
頭の中が混乱している。しかし、あの陰陽師が刺されたことは間違いない。
刺された刀を引き抜かれた陰陽師は、自身に起きたことを永遠に理解することなく、その身を床に横たえる。抜かれた際に増した出血が、陰陽師の体を中心に血溜まりをつくる。
「……なに? どうしたの?」
「……あの人、死んでいるんですか?」
俺の背後から、怯えた声が聞こえてくる。
ハッとなって振り返ると、二人が青い顔をして立ちすくむ。この二人も状況をうまく理解できていないようだ。
「……総君、あの人死んじゃったの?」
明華のすがるような視線に俺は逆に冷静になる。
……そうだ。混乱している場合じゃない。こいつらを助けないと。
我に返った俺は、すぐに二人に言う。
「明華! 綾奈! 逃げろ!」
俺が叫んだと同時に、会場の各所から悲鳴が聞こえた。周りを見てみると、同様のことが起こっていて、一部の人形は二階席にまで行っている。当然、会場内は大混乱だ。
――っ! 先生たちは!?
俺は、『貴賓席及び教師席』に目を向けてギッとした。その一角には、十数体の人形が押しかけていたのだ。
――これじゃあ、救援は望めない。
「おい! 早く行け! 走るんだ!」
教師陣の助けがないことを知覚し、まだ目の前に立ち尽くす二人に再度言う。
「……う、うん!」
その声に、やっと二人は反応し、エリア内にいる人形から離れるために走っていく。
「総君は!?」
「いいから行け! 俺もすぐに行くから!」
走りながら心配そうに振り向く明華に言う。しかし、すぐに逃げるつもりはない。
……あいつらが安全なところに行くまで、あれを止める!
俺は人形に意識を向ける。人形の方も俺の存在に気づいたのか、のっぺりした顔をこっちに向けてきた。
「……来いよ」
木刀を構える。相手は真剣だが、うまくやれば凌げなくもない。
覚悟を決める。
――来た!
無言で動き出した人形は、片手で持った真剣を振り上げて襲いかかる。
「ぐっ!!」
まともにくらえば命がなくなるであろう、その一撃を俺は身をひねって躱す。
――得物は刀だ。それなら避けれる! それに……
「隙もでかい!」
斬撃を躱された人形の側頭部に、俺は渾身の突きを見舞う。木刀といえども速度に乗ったその一撃は、人形の側頭部を貫いた。
――やったか?
動きを止めた人形。しかし、それだけだった。一瞬ののちには再び動き出し、変わらず刀を振ってくる。
「ちぃ!!」
その斬撃を制服の生地一枚分の幅で躱す。
……こいつ、不死身かよ。
俺は内心に舌打ちする。これではこのまま戦い続けるのは自殺行為だ。
――明華と綾奈は、もう逃げ切れたか?
あの二人が脱出できたなら、俺も撤退しよう。そう頭を切り替えて、チラリと二人が逃げた方向を見る。
しかし、その目に映ったのは、絶望的な光景だった。
先に逃げたはずの明華と綾奈は、エリアをしきる壁に阻まれていた。試合中ならば、ただ術を阻むだけのはずの壁が、今は人を阻んでいるのだ。
――脱出できないのか!?
俺の意識が二人の方へ向く。一瞬、だが決定的な隙だった。
――しまっ!
とっさに木刀を体の前にかざす。しかし敵の刃は、その木刀を軽々と両断し、俺に届いた。
「がはっ!!」
斬られた瞬間、俺の体に熱いなにかが駆け巡ったような感覚に囚われた。そして、次の瞬間に襲い来る激痛に俺は顔を歪ませる。
……斬ら、れたのか。
俺の左肩から入った斬撃は、斜めに走り、右のわき腹に抜けていった。少しは木刀が役に立ったようで、致命的な傷ではないようだ。しかし、着実に俺の体を斬り裂いてはいた。
たたらを踏んで、よろけるように人形から距離をとる。幸いにも人形は、ゆっくりとした動きのため、追撃はなかった。
体を見る。白い制服が俺の血で真っ赤に染まっていた。
……これ、は?
胸についていた『吸傷』の呪符が斬られていた。今、斬られたのではない。その前の斬撃の時、制服をかすめるようにして躱した時に斬られたのだろう。
いや、もしかしたらあの斬撃は最初から狙っていたのかもしれない。
……く、そ。
流れる血は止まらない。少し目がかすむ。
「総君!!」
「総真さん!!」
逃げようとしていた二人が、俺が斬られたことに気づいてしまったようで、悲痛な声を上げながら戻ってくる。
「くるな! は、早く逃げろ」
必死に声を絞り出ず。しかし、二人は止まらない。止まるはずがなかった。
「いやよ!」
「逃げません!」
「……バカ! 死ぬかもしれないんだぞ!」
俺は怒号を発する。しかし、それに負けない大声で二人も返してくる。
「死なないよ! 私も総君も!」
「そうです! こんなところで死ねません!」
俺のところにたどり着いた二人が、背後から俺の体を支えてくれる。
「……大丈夫?」
「ひどい……」
俺の傷を見た二人は、さっきとは裏腹に涙声だ。
「……大、丈夫だよ」
少しつっかえながらも返事をする。その間も人形はゆっくりと近づいてきていた。
……このままじゃ、みんなやられる。
最悪の想像が頭にちらつく。
……俺はいい。だけど二人は……
俺は自分を支えてくれる二人に目をやる。涙を流しながら、心配してくれる明華と綾奈。
――やらせない……やらせるわけにはいかない!
人形はほとんど目の前まで迫ってきた。俺を抱えているため、二人は思うように動けない。いや、恐怖で動けないのかもしれない。
――力をくれ。俺に……二人を……大切な仲間を守るための力を……
今、俺は心の底から願っていた。あれほど嫌っていた力を持つことを、仲間を守るための力を持つことを。
そして、俺は心の中で叫んだ。自分にではない。しかし自分の中にいると確かに感じたその人物に。
――『特別な力』ってもんがあるんなら! それを今すぐ俺によこせ!!
その瞬間、俺の視界はまばゆい光に包まれた。