一.
四月、少しずつ暖かくなっていく日差しが心地よく降りそそぎ、さわやかな風に乗り桜の花びらが舞い踊る。
その下を真新しい制服を着た男女が歩いて行く。
目の前に見える学校の新入生なのだろう。これから始まる新しい生活に期待した晴れやかな表情を浮かべている。
と、目に映る光景を物語風に語ってみたものの、俺、山代総真もなにを隠そうその『男女』の括りの中にしっかり入っていた。ただし決定的に違うのが、俺の顔がどこから見ても晴れやかな表情をしていないという点だ。
「ハァ……どうしてこうなった」
思わずため息が出てしまう。
はたからは、新学期から辛気臭いやつだなと思われるかもしれないが、そういうやつにはこう反論したい。
いきなり人生百八十度変わればため息の一つもつきたくなるわ! と。
――そう、人生が変わってしまったのだ。
中学時代、なにに関しても俺は普通だった。普通の容姿に中肉中背な普通の体型。普通の家族に普通の友達。学力も普通だから進学も普通の高校。
そんな『普通こそ個性』と言えるような、これから先もずっと続くはずの俺の普通の人生は、つい一ヶ月前に終わりを告げた。
そして今、俺は学校の敷地内に立っている。通うはずだった『普通』の高校ではなく、この『特別』な学校の敷地内に。
「ハァ……」
また一つ深いため息をついた瞬間だった。
「おはよー!」
「うわぁ!」
耳元で響いた声に、俺は反射的に振り返った。
振り返った先には女の子が立っていた。
「なんだ、明華か……」
「おはよー、驚いた?」
「耳元で叫ばれたら驚くに決まってるだろ」
「えへへ、誰かさんが春なのに辛気臭い顔してるからですよぉだ」
そう言っていたずらっぽく笑うこの女の名前は、天照寺明華。俺の幼馴染だ。
腰まである長い黒髪、白く透き通るような美肌。
小さな顔に備わった、少し赤みのかかっている大きな瞳と愛嬌のある微笑みを浮かべる口元は、目が合ったものを――おもに男子を――十数秒間釘付けにするほどの威力を持っている。
背は、同世代の女子の標準より少し高めで、制服のスカートから伸びる足はスラリと長く、細い腰、そしてそれに反した大きな胸のふくらみも彼女の流麗なスタイルを強調するのに一役かっているのだ。
――以上が中学時代の友人が、明華の説明を行う際に用いた言葉だ。
正直、俺にはこれほど熱く語れる要素が明華のどこにあるのか分からない。小さなころからずっと一緒で、兄妹みたいに育ってきた仲だからなのかもしれないが。
しかし、中学時代の明華のモテっぷりは半端じゃなかったのも確かだった。サッカー部の先輩から吹奏楽部の同級生、帰宅部の後輩とより取り見取り、次々にコクられては断っての繰り返し。その姿からついたあだ名が『撃墜女王』、男のハートを次々射抜くが、その後バッサリ切り捨てる。二重の意味での撃墜を成し遂げる女。
そんなすごいのか、すごくないのかよく分からないあだ名で畏怖されていたのは事実だ。
けど、なんでこいつ付き合わないんだ?
中学時代、明華にコクったやつの中にはかなりのイケメンがいたのを知っている。というか、学校でナンバーワンの人気者だった男子からの告白も断っているのだからお手上げ状態だ。
……明華は理想が高そうだからなぁ……高すぎて結局独り身なんてのになりかねない……幼馴染としてはかなり心配だよ。
そんな余計でアホな心配をしながら明華の顔を見続けていると、どんどんその顔が赤くなっていく。
「え、えっと……私の顔がどうかした?」
明華が、片手で口元を隠しながら、上目遣いで聞いてきた。
久々に少しからかってやるか。
「言いづらいんだが……おでこに特大の海苔が……」
「えぇ!? そんなことないよぉ! だって今日の朝ごはんは、ごはんとお味噌汁と鮭だったし、のりなんてどこにもなかったのに」
それを分かっていながら明華は必死で額の辺りを手で払う。その姿がどこか小動物に似ていておもしろい。
「嘘だよ。ついてない」
「へっ?」
「朝食のメニューになかったんだろ? じゃあ、ついてるわけないだろ」
「もぉ! またからかって! 総君のイジワル!」
俺がニヤリと笑うと、その顔を見た明華が頬を膨らまし、フイッと顔をそむけた。
この天然さも怒ったときの仕種も昔から変わらない。だから機嫌の直し方もよく知っていた。
「悪かった。機嫌直せ」
そう言いながら頭に手を乗せて軽くなぜてやる。するとまだふくれた表情のままだが、顔を俺の方に向けてくれた。
そこでもう一言、
「あとでジュースおごってやるから。なっ?」
「ホント!?」
「本当だ」
「りんごジュース!」
「はいはい、果汁100パーセントのやつだろ?」
「うん! ありがと、総君」
「機嫌は?」
「直った!」
そう言って微笑む明華。完全に機嫌は直ったようだ。しかし、この勝利の方程式はあまり使わない。少し財布に優しくないからだ。ジュースを買いに行ったとき、大概大量のお菓子を追加で買うはめになる。それをすべて買ってやる俺も悪いのだが、ジッとこっちを見つめてきて無言のおねだりをしてくる姿を見ているとなかなかに断りづらい。結果、いつもジュースの十倍を超える金額を支払うことになるのだ。
「ん? どうした?」
二人並んで校舎の方に歩いていると、明華が笑顔で俺の方を見続けていることに気づく。
「俺になにかついているか?」と聞こうとして思いとどめた。さっきの仕返しをされるのもめんどくさい。
けど、明華の答えは俺の予想とは違ったものだった。
「また一緒だなぁと思って」
「そうだな。今度こそ違うと思っていたけど」
「総君は……私と離れたかった?」
明華の顔がひどく心配そうな表情になる。
「そんなわけないだろ。離れたかったなら、わざわざジュースをおごる約束なんてしないよ」
俺が笑いかけると、明華の表情もまた明るいものに戻った。
ホントに昔から表情がコロコロ変わるやつだ。
「そうだよね、えへへっ。それじゃあ改めまして――これから五年間よろしくね、総君」
「こちらこそよろしく、明華」
そう言って二人とも軽くおじぎをした。一ヶ月で状況が一変してしまった俺の人生だが、こうして気心の知れた幼馴染がいることが、今はとてつもなくありがたく思えた。
明華、本当に五年間よろしくな。
心の中で呟いた後、顔を上げた俺の視界に映ったものがあった。それは校名石だった。
『陰陽師養成高等専門学校、《澪月院》』
横長の御影石に彫られた文字を読み、やっぱり小さくため息が出てしまう。
「……よりによって俺が、『陰陽師』とはなぁ」
そのつぶやきは突然吹いた風に乗って空に舞い、誰の耳にも届くことはなかった。
この陰陽師養成高等専門学校とは、名前を見れば誰だって分かるだろうが、『陰陽師』の養成を目的とした学校だ。
区分としては、高等専門学校つまり『高専』に分類されている。『高専』とは、普通の高校より、専門的かつ実践的な知識を学ぶ学校で、在学期間は、十六歳から二十歳までの五年間だ。
ここでは当然、陰陽師としての知識を学ぶことになる。陰陽師の養成を目的とした高専は、全国に八校あり、《澪月院》はその中の関東校の通称らしい。
そして陰陽師だが、ここ約半世紀で急速に一般化してきた心霊、妖怪退治などの専門家の総称で、現代ではすでに職業として確立していた。最近では街の大通りでもよくその手の看板を見かけるようになった。
「それで、このクラス全員がその陰陽師を目指しているってわけか」
以前、軽く調べた情報を頭の中で反芻しながら教室を見回す。
ここは一年三組、俺が一年間過ごすことになる教室だ。席は運がいいことに一番後ろの窓際の席になっていた。
クラスメイト達は、男女の比率がちょうど半々くらい。
着ている制服はブレザータイプで、白を基調としたデザインだ。左胸には赤いラインで正方形が二つ重なった星型正八角形が描いてあり、その中心部に漢字で『月』の文字が刺しゅうされている。それがこの学校の校章だ。
みんな見た目はその辺にいる同世代の高校生と変わらない。しかし俺を除いたたぶん全員が、所謂霊能力というものを大なり小なり持っているのだろう。考えただけで先が思いやられる……。
そうこうするうちに教室の扉から入ってきた人物は、歳のほどは四十歳くらい。短く切った頭には黒い髪の毛に混じって白いものがちらほらと見える。長身でほりの深い顔をしており、伸びた無精髭とくたびれた様子の見える紺色のスーツから一見して苦労人、または単にだらしのない人物という印象を受けた。
その男は教壇に立つと、生徒の方をを向いて口を開く。
「おはよう。俺はこのクラスの担任だ。名前は北条康彦。まっ、一年間テキトーによろしくな」
そう言って担任はニカッとした笑顔を浮かべた。いきなりテキトーによろしくとか言ってるが、本当に大丈夫なのだろうか? この担任は。
「ここでお前たちに朗報だ。この学校はめんどくさい入学式だったり始業式だったりは一切ない。長ったらしい話を聞くメリットなんてないからな。まぁそこでだ。代わりと言っちゃなんだが、今から一人ずつ自己紹介をしてもらう。そこから順番にだ」
北条先生は廊下側、最前列の生徒に立つように指示する。こうして自己紹介は始まった。
思ったよりも時間のかかった自己紹介も終盤にさしかかっていた。今は俺の隣の列が順に自己紹介をしていっているところだ。
うーん……やっぱり特殊だったな……この学校。
俺はげんなりした表情を隠せずにいた。人の名前くらいは覚えようと、まじめに自己紹介を聞いていた。一人ひとり名前、出身地などを軽く喋る。そして、言い終わったあとに北条先生が補足を加えるのだが。
……寺や神社の子供とか、それこそ陰陽師の子供ばっかりじゃないか……一般家庭出身でも当たり前のように霊が視えるみたいだし。それでもだれか一人くらい霊が視えない一般人はいないのだろうか? ……いや、いるわけないか。一般人はこの学校に来ないもんな……普通。
ガタッという音で俺の思考は中断された。いつの間にか自己紹介は進んでいたようで、今の音は俺の隣の人が立ち上がった音だった。そういえば隣の席に座る人の顔を見ていない。さっきまで空席だったから確認し忘れていた。
そう思い、俺は隣にヒョイッと顔を向けた。そして、不覚にも俺は目を奪われてしまった。――隣の席の女の子に。
――可愛い。
その一言に尽きた。というかそれ以外にその子を現す言葉を俺はあまり知らない。
髪の色は茶色。と言ってもそれほど濃い色ではなく、淡い栗色だ。髪型はポニーテールで、結んだ髪の長さは、背中の半分ほどまで伸びていた。身長は少々低め、そしてそれに比例して胸のふくらみも控えめだ。髪と同じ栗色の大きな瞳を携えた顔は、やや幼さの残る面立ちをしているが、それを感じさせないのはその身にまとう凛とした雰囲気のせいだろう。
「月神綾奈です。よろしくお願いします」
よく通る声が教室に響く。
――月神、綾奈。
心の中でその女の子の名前を反復する。目はまだ放せないでいた。しかし、そこで教室の中の雰囲気が変わっていることに気づく。
なにをざわついているんだ? 月神の容姿について話しているのだろうか。いや、違う。そんな軽い雰囲気ではないことが感じ取れた。気にはなるが、今は誰かに聞けるような状況じゃない。あとで明華にでも聞いてみよう。何か分かるかもしれない。
「おーい、お前ら。ざわつくのは分かるがまだ自己紹介の途中だ。最後まで聞け。んでもって休み時間にでもざわつけ。よし、再開だ」
北条先生の言葉にクラスは一応鎮まった。しかし、みんな次の生徒に注目せずにチラリチラリと月神の方を盗み見る。なかには懲りずに隣の席同士で小声での雑談を続けているやつもいるようだ。当の本人である月神はまったく意に介した様子はない。こういうことに慣れているだろうか?
そう思った矢先、ほんの一瞬、その表情が変化した。机の上に視線を落とし、その目に悲しげな色が浮かぶ。
……慣れてるわけじゃなさそうだな。
その表情がすぐに消えてしまったが、俺はそのまま月神を見続けていた。すると突然、月神がこっちに顔を向けてきた。
――っ! しまった。ずっと見てたのがバレてしまったか。
内心ドキドキしながらも、俺はその綺麗な瞳を見た。――魅入られてしまいそうだ。それほどの魔性が、その瞳にはある気がした。
というかせっかく目が合っているんだし、なにか一言ぐらい話しかけないと。だが、俺から話しかけるその前に、予想外にも月神の方が口を開いた。
「あの……呼ばれてますよ」
「へっ?」
俺の月神への一言目は、世にもマヌケな一言だった。きっと、顔の方もマヌケだったに違いない。月神に言われた言葉の意味を理解する前に、北条先生の声が耳に届いた。
「おい、ラスト! 月神に鼻の下伸ばすのもいいが、お前の番だ。早く自己紹介しろ」
「えっ? あ、はい!」
俺は自分の置かれている状況をやっと理解する。いろいろ考えているうちに自分の番が回ってきていたようだ。
それにしても鼻の下伸ばしてって……なんてこと言ってくれるんだ。あんた教師だったら登校初日を失敗するとどうなるかくらい分かっているだろ! ……すでに遅そうだけど。
北条先生の一言で、教室内はクスクス笑いに包まれていた。この空気の中で自己紹介とか泣けてきた。しかし、しないわけにはいかないので、あきらめて口を開く。
「山代総真です。よろしく」
手短に名前だけ言って席に座った。というか他に言うことが特にない。そんな俺でもなにか情報はあるようで、補足説明のために北条先生が手元の資料に目を落としている。
「あー、山代だが、実家は特に言うことないが……《特待生》だ」
ざわっとクラスの空気が揺れた。先ほどの月神の時と同様に。――いや、驚きはそれ以上かもしれない。
「……《特待生》?」
「あいつが?」
「マジかよ……。てことはすでにライセンス持ちとか?」
「でも、実家は普通の家なんでしょ? おかしくない?」
教室の各所でクラスメイトが驚きの声を上げる。みんな信じられないという表情で俺を見てきた。――いや、一番驚いているのは俺だけど。
……まいったな。《特待生》ってそんなにすごいもんなのかよ。
俺の家に説明に来た陰陽師たちが、すごく名誉なことだとは言っていたが、入ったばかりの新入生たちさえもこんなに反応するぐらいだとは思っていなかった。俺自身、まだなんの実感もないっていうのに。
改めて、自分の境遇に苦笑する。
「と、いうわけで入学式、始業式、ホームルームを兼ねた自己紹介終了。あ、この後はみんなまとめて身体検査だからな。また呼びに来るからそれまで休憩。以上」
しかし、そんな俺を差し置いて、みんなのざわつきを鎮めることなく、さらっと流して北条先生がドアから出て行く。
いや、ちょ、ちょっと待て! あんたどんだけテキトーなんだ? この雰囲気の中に俺を残していくんじゃない!
しかし、俺の心の声が届くことはなく、ドアが閉まる音がすると共に、好奇の目が一斉に俺の方に向けられた。