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陰陽記―総真ノ章―  作者: こ~すけ
第三章『覚醒』
18/69

一.

「――八十九! 九十!」

 

大きく声を出しながら俺は両手で握っている木刀を振り下ろす。


 少しずつ取り戻してきた感覚を確かめるように素振りを続ける。


「――九十八! 九十九! 百!」


 素振り一セット百回、その四セット目を終えた俺は、『第五訓練所』の床に座り込む。


「ふー……」


 息を吐き、周りを見る。

 俺以外に誰の姿もなく、第五訓練所は閑散としていた。

 と、その時ガラリと出入り口の扉が開き、俺と同じく剣道着を着た人物が入ってくる。

 向こうもすぐに総真がいることに気づき、ニヤリとした笑いを浮かべながら話しかけてきた。


「おーおー、今日も一人だけで頑張ってるな。いや、サボり中かな」


「違いますよ。休憩中です。田賀崎先生こそ、サボらないでくださいよ」


「相変わらず嫌味なやつだなぁ」


 俺にそう言って悪態をついているこの人物は、田賀崎麻美たがさきまみ。この第五訓練所の管理者にして剣術担当副主任の女教諭だ。

 綺麗な黒髪、漆黒の瞳を持つ純正日本人。長身でおまけに美人。芸能人だとか言われても信じるレベルだ。――ただしそれは、本人が身なりを完璧にして口を閉じていればの話。

 肩口まで伸びている髪はピンピンと好き勝手な方向にはねていて、明らかに手入れ不足なのが分かる。しかし、それでも髪は艶を失っておらず美しい輝きを見せているのが不思議でならない。

 目つきは鋭く、口調は粗暴、性格は男勝りかつ好戦的だ。

 二十代前半で剣術の副主任までになっていることからも分かるように、剣の腕もたつらしい。

 そんな理由で美人なのに男子からの人気は――一部の熱狂的ファンを除いて――あまりない。むしろ女生徒の人気がすごいようだった。

 ……確かにカリスマ性はあるもんな。

 俺がじっと横顔を見つめていると、その視線に気づいた田賀崎先生が少し恥ずかしそうに言う。


「な、なんだ? 私の顔がどうかしたのかよ」


「いえ、ずいぶんと暇そうだなと思いまして」


「……ケンカ売っているのか、お前は」


「負けると分かってるのに売りませんよ」


「減らず口を叩く。それに変わり者だ」


「そうですか?」


「そうだよ。この時期にここにいるくらいだからな」


 そう言って田賀崎先生は肩をすくめる。


「みんな術の習得に必死になっている頃なのになんでお前は剣にこだわる?」


 田賀崎先生が不思議がるのも無理はない。

 今の時間は一年生のほぼ全員が陰陽師の使う術――その総称を『陰陽術』というらしい――の習得を行っているはずだ。

 というのも、この学校では週に一度、『自由学習』と称して午後の時間を生徒が自由に学ぶ時間を設けている。学年ごとに日替わりで行われていて、今日は一年生の日だった。

 今回で二回目のこの授業、例年一年生は初めての《八卦統一演武》の準備期間ということもあって陰陽術の習得に専念しているらしい。

 その中で一人、剣の訓練をしている俺は、先生たちから見ても変わり者のようだ。


「勝ち残るために必要なことをしているんですよ」


 俺は立ち上がりながらそう答える。

 あの明華と一緒に寝た夜からもう一週間が経っていた。その間にすでに三回の作戦会を行っている。

 その中でいくつか決まったことがある。

 その一つが各々の鍛錬のポイントについてだ。

 俺たちのチームの要である綾奈は、元もとのスペックが高いのもあって、実力は同じ一年生の中ではずば抜けている。

 「上級生と戦うには心もとないですよ」と言って苦笑いを浮かべていたが、それは言葉の裏を返すと、「一年生相手だったら負けませんよ」と言っているのと同じだ。正直、心配はいらないだろう。

 問題はあとの二人、すなわち俺と明華だ。

 明華の方は、この前確認した通り武術関係はまったくできない。他人に手をあげた事すらないのだからしかたない。――因みに「俺には手をあげてるよな?」と聞いたのだが、「総君は他人じゃないでしょ」と一蹴されてしまった。

 その代わり、符術に関してはかなり得意なようで、二回目に行われた授業では例の藁人形を焦がす程度の炎を発生させることができたようだ。

 そして俺はその真逆で、武術関係、特に剣術は昔やっていたこともあり少しはできるが、符術なんかはさっぱりだ。二回目の授業でも呪符は『光の加減か、目の錯覚』と評されるくらいにしか光らなかった。――もしくは本当に『光の加減か、目の錯覚』だったのかもしれないが。

 このことを含めて考えた末に出た結果が一ヶ月――実質は三週間ほど――ではオールラウンドに鍛えていくのは無理だということだった。

 だから逆に苦手な方の鍛錬は最小限にして、得意なものを伸ばすという方針を定めた。

 つまり明華は『符術』、俺は『剣術』をできる重点的に鍛錬することにしたのだ。

 それが、俺が今ここにいる理由だった。

 明華の方もこの時間は綾奈に教えてもらいながら符術の鍛錬を行っているはずだ。

 ――これでうまくいってくれればいいんだけどな。まぁ、やるしかないか。

 そう思いながら俺は木刀を正眼に構えて集中する。


「へぇ、お前やっぱりかなりできるだろ」


 すると横から田賀崎先生が声を掛けてきた。


「前回もいいましたけど、そんなことはないですよ」


「いや、私の目に狂いはない」


 そう言うと、田賀崎先生は俺の正面に回る。

 俺は木刀を正眼で構えているため、切っ先が田賀崎先生の喉元に向いている。


「ほら見ろ。教師の私に、木刀とはいえ刀を向けているのに構えにまったく躊躇がない。もし今、私が襲い掛かったとしたら……どうなるかな?」


「……逃げさせてもらいます」


「嘘つけ。このまま喉を一突きにするくせに」


 田賀崎先生がニヤリと笑う。


「よし、山代! 今から私と立ち合いしろ」


「……はっ!?」


「決定な!」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


「なんだよ?」


「なんで俺が先生と立ち合いをしないといけないんですか!?」


「私が決めたからだよ」


 田賀崎先生は投げやりにそう言うと、壁に掛けてある刀をとる。


「そんな理由ですか!? ていうかそれ真剣!」


「あっそか! わりぃわりぃ、そういやお前たち一年生はまだ持ってなかったんだな」


「一年生はって……それ以外の人はみんな持ってるんですか?」


「そうだ。昔から刀は陰陽師の標準装備だからなぁ。みんな二年生になったら貰えるさ。まぁ、一年生でも今度の『予選の予選』で優勝すれば貰えるけどな」


 そう言って、田賀崎先生は残念そうに真剣を置くと、代わりに木刀を手にとる。

 ……もし俺が真剣を持ってたらどうなってたんだ?

 それ以上は考えたくないが、この人ならやりかねない。

 そう思えるほど危険なオーラを醸し出している。


「さて、立ち合いは実戦形式だ。綺麗に決める必要なし! 最後に立ってたら勝ちだ!」


 俺の前まで歩み寄ってきてとても楽しそうな声でそう告げると、俺から少し距離をとる。


「さぁ、始めだぁ!」


 その合図と共に田賀崎先生が俺に向かって突進してくる。

 ――速いっ!

 そのスピードに面食らっている間に、一気に間合いを詰められた俺は、相手の動きを見てとっさに正眼に構えていた木刀を真横にし、頭上に振りあげる。

 カァン! という乾いた音が訓練所に響く。とっさに振り上げた俺の木刀に一拍の間も置くことなく振り下ろされた田賀崎先生の木刀が衝突した音だった。

 片手での一撃だったのだが、十分にスピードに乗った一撃の威力は高く、受け止めた木刀に伝わった振動で俺の両手がしびれる。


「……っ!」


「はははっ、初撃を防いだか。いきなり突進すると意外と虚を突けるんだけどな! いいぜ、山代!」


 鍔迫り合いの中、田賀崎先生が嬉々として喋る。

 だが、返事は返せない。俺にそんな余裕はない。


「なんだぁ? 返事をする暇もないほど必死なのか? まぁ、必死なのもいいが……他がお留守だぜ!」


 次の瞬間、俺は腹に衝撃を受けて後ろに吹っ飛ばされた。倒れる前に状態を立て直したが、腹に残る痛みに顔をしかめる。

 ――っ! 刀で上に意識を振っておいて腹に蹴りの一撃か……

 自分の身に起きたことをなんとか理解しながら、俺は田賀崎先生の方を見る。


「悶絶もんだと思ったんだけどなぁ。少し外されたか。ますますいいねぇ」


「全然、よくないですよ」


「そうか? それに私は、お前のリハビリに付き合ってやってるつもりなんだけどな」


 田賀崎先生には前回の授業の時に、俺が昔剣術を習っていたこともしばらく刀を握っていなかったことも伝えてある。


「リハビリにしては、少々荒療治すぎはしませんかね」


「良薬は口に苦しっていうぜ?」


「……口が苦いんじゃなくて腹が痛いんですが」


「ははっ! やっぱおもしれぇな、山代!」


「……それはどうも」


 そう言うと共に俺は正眼の構えを解くと、切っ先を天井に向けて構え直し、木刀を顔の右側に持ってくる。

 ちょうど野球で右打者がバットを構えた時のフォームに似ている。

 俺の構え直した姿を見て、田賀崎先生も少し目を大きくする。


「へぇ……『八双の構え』じゃねぇか。そんな実戦的な構えどこで習った?」


「……うちの流派の構えなもので」


「お前の流派は、市街地戦でも想定してるのか?」


「…………」


「……ここからは本気ってわけか。空気が変わったぜ」


 田賀崎先生はそう言った後、片手で持っていた刀にもう一方の手を添えると、正眼の構えをとる。

 どうやら向こうも少しだけ本気になったらしい。

 ――構えたはいいけど、まだ距離感が掴めていない。もうしばらく凌ぐしかないな……

 『三年』、言葉で表すとたった二文字だが、確実に流れたその月日による影響に俺は舌打ちをする。

 当時、小学生だった頃の俺と比べると、今の体格はかなり違う。これが大きな問題だった。

 まず、歩幅が違う。今の俺の一歩は、小学校の俺の二歩分に相当するだろう。それだけ聞くと、メリットのように聞こえるが、実際はそう甘くない。

 踏み込む感覚が違うから余計に踏み込みすぎて、打点が近くなりすぎる。振りが窮屈になり力のない打ち込みになってしまう。

 回避の方にしてもそうだ。避ける幅が広すぎて、相手につけ入る隙ばかり与えてしまう。この前の北条先生に奇襲された時も、二撃目は反撃できるように避けたはずが、その距離感のずれから間一髪になってしまった。

 次に身長が違う。当然だがかなり伸びている。それによって目線の高さに違いが出てきている。普通に生活していればあまり意識しないが、剣を交えるとなっては別だ。

 昔は大人ばかりを相手にしていたため、当然視線は上を向く。そして相手の攻撃も上からくる。覆いかぶさるようにくる攻撃の軌道は、今でもイメージできる。

 しかし、それはこれから先あまり役に立たないかもしれない。

 現に今、相対している田賀崎先生は女性にしては長身だが、俺より背は低い。攻撃はそれに伴って、下から抉るように襲ってくる。まったくイメージにない攻撃だ。


「ぐっ……」


 素早い動きから放たれた胴薙ぎを俺はなんとか受け止める。しかし、安堵するわけにはいかない。

 すぐに引き戻された木刀が、今度は俺の喉笛を貫かんとばかりに向かってくる。それを体ごと横に跳ぶことで躱す。いや、正確には躱せていない。少しばかりかすった頬がヒリヒリと焼け付くような痛みをよこす。


「ちぃ!」


 田賀崎の斬撃は、的確に人体の急所を突いてくる。しかも実戦形式の言葉通り、上半身だけでなく、下半身へ攻撃を散らしてくるのが鬱陶しい。

 反撃のチャンスを窺うが、切れ目なく押し寄せる斬撃に防戦一方だ。

 左上からのくる袈裟斬りを身を捻って躱す。次いで、躱した方向に追尾するようにして放たれる横薙ぎの一撃を木刀を使って受け止める。そして、受け止めた瞬間に田賀崎の木刀を跳ね上げた。 

 次のモーションに入るのを遅らせるためだ。

 ――そろそろ攻守交代だ! 田賀崎!

 田賀崎は、一瞬遅れながらも次の斬撃を放とうとするが、その出所に俺の木刀を打ちつける。


「なっ!?」


 この立ち合いの中で初めて、田賀崎が本当に驚いた表情を見せた。

 今度は、俺が間髪入れずに放った右の袈裟斬りを田賀崎が顔の前で受け止める。俺はそのまま力で押さえつけて、強引に鍔迫り合いにもっていく。


「ぐっ……お前……なにもんだよ」


 田賀崎が俺の押しに抗いながら声を絞り出す。その問いに、俺は無意識に叫んでいた。


「俺は……俺だ!」


「はっ! お前も……大概の刀狂いだな! さっきまでと別人だぜ!」


 その言葉に俺はハッとなる。込めていた力が抜ける。

 その一瞬を田賀崎先生が見逃すはずはなかった。

 ボグッという鈍い音が耳に聞こえると共に、腹に伝わる衝撃とそれに伴う痛みが体を駆け巡る。

 俺はそれらの感覚をすべて知覚する前に、前めりに床へ崩れ落ちた。



    ◇



「げほっ! げほっ!」


 腹からせり上がってくる圧迫感に押され、俺は咳き込む。立ち合いが終わってからしばらく経っているというのに情けない。

 さらに情けないのは、いまだに倒れ込んだ床から起き上がれていないということだ。大の字に寝転んで、無様に天井を見上げている。


「大丈夫か? 山代」


 横に座る田賀崎先生が、俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。


「けほっ……大丈夫です」


 その問いに、少し詰まりながらも答えると、田賀崎先生はどこかホッとしたような表情を一瞬見せた後、顔を上げる。

 そして視線を逸らしたまま、今度は不満気な声を俺に浴びせる。


「お前、なんで力を抜いた?」


 田賀崎先生が聞いているのは、当然最後の鍔迫り合いのことだろう。


「それは……」


 俺は思わず口ごもってしまう。

 その答えは明白なのにも関わらずだ。

 『刀狂い』、その一言にあの時、俺の体は硬直してしまった。その言葉はあまりにも俺の状態を正確に表していたからだ。

 人は条件が揃うと、自制心などをすべて捨てた完全に素の自分を見せるという。その条件は、人によって様々だが、俺の場合はそれが『刀での戦い』なのだ。

 一度その状態に入ってしまうと、自分ではどうにも止められない。周りを気にせず、相手への態度も悪くなる。

 先ほどの立ち合いの中でも、いつの間にか田賀崎先生のことを内心に『田賀崎』と呼び捨てにしていたのがいい例だ。

 勝利を求めるためだけに刀を振るうもの、『刀狂い』とはよく言ったものだ。


「あのままいっていればお前は押し切ることができたかもしれない。……なぜだ?」


 口をつまんだままの俺に、田賀崎先生が再度尋ねる。

 確かにあのまま力を抜くことなく戦っていれば、田賀崎先生に勝てたかもしれない。

 しかし、それでは駄目なのだ。

 それでは昔と変わらない。

 俺一人で勝っても意味がない。

 なぜなら、


「仲間と共に勝つため、です」


 その続きは言葉にして発する。

 田賀崎先生の質問に答えるために、そして自分に言い聞かすために。


「ほぅ、あの時の力は、その『仲間と共に勝つ』という目的には不必要な力というわけか」


「はい、今は必要ありません」


「ふん、おもしろくないやつだ」


 田賀崎先生が残念そうに言う。いや、実際に残念なのだろう。自身の前方を見つめるその横顔は、どこか寂しそうだった。

 その横顔を見上げながら、俺は声をかける。


「あの田賀崎先生、ありがとうございます」


 俺の言葉に田賀崎先生が視線を向けてくる。


「なにがだ? もしかして『殴ってくれて』とか言わないよな?」


「……その盛大な勘違いは今すぐ消去してください」


「じゃあ、なに?」


「うまく手加減してくれてましたよね?」


「あぁ、気づいたか」


「いくらなんでも気づきますよ。剣術の副主任までしている人が、ブランク明けの学生に苦戦するわけないですし」


「まぁ、そう自分を卑下するな。そこら辺の学生に比べれば、十分強いよ、お前は」


「ありがとうございます。いいリハビリになりました」


「ふん、今度は手加減せんからな」


 そう言って田賀崎先生が立ち上がる。


「私はもう行く。お前は?」


「もう少し、このままいます」


「まったく……風邪をひくなよ」


「はい」


 返事だけ立派に返し、俺は寝転がったまま壁にかかった時計を見る。

 この自由学習の終了まであと少し。

 もうしばらく体を起こすことはできそうになかった。

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