六.
ズシンと腹に残る重低音が辺りに響き渡る。それも一回きりではない。断続的にその音は発せられ、そのたびに周りにいる同級生たちが驚嘆の声を漏らす。
ここは昨日、符術の授業を受けた第二訓練所のメインアリーナ。その二階席だ。メインアリーナの上部は、その四方をぐるりと座席が囲っている。
所謂、観客席というわけだ。その席数は多く、かなりの人数を収容できそうだ。
なぜそんな大人数を収容できる観客席が必要なのかというと、それは今、俺の眼下で行われている光景がすべて説明してくれていた。
メインアリーナに十六本のポールが立ててある。ポールの見た目は簡素なもので、一般的に例えるならバレーボールのネットを張る際に使うあのポールに似ていた。地面に差し込むようになっている点もそっくりだ。ポールは四本で一セットになっているようで、その四本のポールを端点にして結ぶと、十五メートル四方ぐらいの大きさの正方形が出来上がる。
現在、メインアリーナには全部で四つの正方形の空間が出来上がっており、北条先生の説明によると、この空間を『戦闘エリア』と呼ぶらしい。呼び方になんのひねりもない。まさにそのままだ。
四つある戦闘エリアの中で、一番近いものに目をやると、自分と同じ制服を着た男女が戦っている。ついさっきまでは、四人一組のチーム戦ということもあり、八人の男女が入り乱れて戦っていたが、すでに両チーム三人ずつリタイヤしていて、今は男子一人、女子一人のみだ。しばらく攻撃の機会を探るように睨み合う二人。その緊迫した空気の中で、先に動いたのは男子の方だった。素早く手を上げ、持っていた呪符から紅蓮の炎を噴出させる。炎は激しくうねりながら相対する女子に向かって殺到した。しかしその女子は、怯むことなくヒラリと炎を躱す。その動きは俊敏だ。目標を見失った炎は、そのまま空しく直進し、ポールで結ばれた空間まで来ると見えない壁に激突したように爆ぜて、先ほどと同じ重低音を残し消滅する。
炎を阻んだのは四本のポールに張られた結界用の呪符で、ポール間に結界を張り、今ような流れ弾――いや、流れ術か――を阻止しているらしい。この結界のお蔭で俺たちは安全に戦いを見ていられるというわけだ。
戦いの方は一気に動いたようで、炎を躱した女子は、見事な動きで瞬時に男子へ肉薄すると、手に持った刀で渾身の胴薙ぎを叩き込んだ。男子の腹部に刀身がめり込む。しかし、刀が模造刀なのか切れてはいないようだ。
かなり痛そうに見えたが、男子の表情は平然としていて、すぐに反撃しようと体勢を立て直すかに見えた。――だが、それはできなかった。
先にリタイヤした他の六人と同じように、いきなり男子の胸の部分が光出す。 そして、警察官に捕らえられた犯人のように手を後ろ手に拘束されてしまう。バランスを失った男子は、右肩から床に倒れこみ、その衝撃で顔をしかめている。今度は痛かったみたいだ。
男子が拘束されたのを見て、女子の方は両手を上げて「やった!」と叫ぶ。戦闘エリアの外では、その女子と同じチームだった生徒が歓声を上げている。どうやら勝負が着いたようだった。
拘束に関してはなにが起こったのか、まだ説明がないので分からないが、それは呪符によって起こされたと考えるのが自然だし、あんな風に拘束されると、この戦いからのリタイヤを意味することだけは分かった。
「よし、終わったな。全員集まれ」
生徒と同じように戦闘を見ていた北条先生が、観戦に区切りをつけて生徒たちを集合させる。
「今の戦闘実習の模擬戦を見てある程度分かったと思うが、この戦闘方法が《八卦統一演武》でも使用される。教室で説明するより分かりやすかっただろう?」
俺たち一年三組の現在の授業はLHR、その内容は『《八卦統一演武》のルール説明』だ。通常ならば、教室でのルール説明になる予定だったのだが、いつもながらテキトーなこの担任は、「口で説明しても分からん」と言い出した。そして四年生の戦闘実習の授業に飛び入りで見学をさせてもらうことになり、今に至るというわけだ。しかし、今回ばかりはこの担任の判断が正しかったと言わざるを得ない。『百聞は一見に如かず』ということわざがあるように、こういうのは見た方が断然早く理解できる。
俺は少しだけ北条先生を見直しておくことにした。
「いくつかの補足はしておく」
俺の心の中での称賛を無視して――ていうか聞こえるわけがない――北条先生は胸元から一枚の呪符を取り出す。
「全員さっきの模擬戦で見たと思うが、リタイヤしたやつらが直前に拘束されていただろう。それはこの呪符の効力が原因だ……まぁ実際にやってみるか」
そう言うと、北条先生は一度生徒たちを見回した後、俺の方に視線を向ける。
「山代、ちょっと前に出てこい」
……よりによって俺かよ。呪力とかに耐性ないからこういうのは極力避けたいのだが……。
しかし、そのまま立っていても状況が変わるわけではではないので、俺は渋々前に出る。前に出る途中、少しだけ目が合った綾奈の顔は、なんだかとっても心配そうな顔をしていた。
……大丈夫なんだよな? 前に出ても。
「では、今からこの呪符の効力をみんなに見せる」
俺の心配をよそに、北条先生は俺の制服の右胸に呪符をあてる。呪符は制服に触れた瞬間だけ淡く光ると、そのままペタリと貼りつく。
おぉ、すごいな! これどうやって貼りついているんだ?
まるで初めからあったと言わんばかりに綺麗に制服に密着した呪符。それをまじまじと見ている時、視界の隅で影が素早く動いた。殺気を纏ったその影の動きに、俺は危険を感じてとっさに身をひねる。ビュンっという風切り音が左耳に届き、ほんの一瞬前まで自分の顔があった空間を右拳が通過していく。
「なっ!?」
突然のことに俺は自分の目がおかしくなったのかと思った。俺に右拳を叩き込んできた人物、それは北条先生だったのだ。
なんで北条先生がいきなり殴りかかってくるんだよ!
本当は声に出して叫びたかったが、すでに北条先生は次のモーションに入っている。
左の上段蹴り!
正確に顔面を狙ってくる蹴りを、思いっきり上体を反らして躱す。
……間一髪! ていうか前髪にかすった!
北条先生が蹴り足を戻す瞬間に、バックステップで距離をとる。少し間合いを空けることには成功したが、あの攻撃をそう何度も避けきれるとは思えない。避け続けたとしてもいずれは捉えられるだろう。――このままではジリ貧だ。
北条先生がこちらを向く。
……くそ! 避けられないのなら、なんとか一矢報いてやる。
俺はそう思いながら拳を握り込んだ。
「山代。お前、すごいな」
「……へっ?」
しかし北条先生は攻撃してこずに、少し……いやかなり驚いた顔で俺に話しかけてきた。俺はというと、どんな攻撃にも対応できるように身構えていたので、北条先生の言葉に逆に反応できずに間抜けな声を上げてしまう。
「俺の不意打ちによく反応した。武術の心得でもあるのか?」
「えーと……昔に少しだけ……といっても避けるの専門ですけどね」
「ふっ……相撃ち覚悟で攻めようとしていたやつの言葉じゃないぞ」
……見透かされていたのか。
どうやら最後の特攻もあのまま行けば失敗していたようだ。
「まぁ、それだけ動ければ上出来だ」
「先生もすごい蹴りでした…………じゃなくて! なんで俺がいきなり殴られたり蹴られたりしないといけないんですか!?」
動きを褒められるたので、思わずこっちも褒め返してしまいそうになる。しかし今は、そのすごい蹴りを俺に向かって放ってきたのかが問題なのだ。
「だから、その呪符の効力をみんなに見せてやろうとしたんだよ」
「だから! それと俺が殴られるのと関係がないでしょ! それにこの呪符、まったくなんの反応もしてないじゃないですか!」
「そりゃそうだろう。お前が避けるんだから」
「……はぁ?」
「その呪符は攻撃を受けた時に効力を発揮するものだ。だから不意打ちをくらわしたんだよ」
「それを先に説明してくださいよ!」
「だってなぁ……説明って面倒臭いだろ? それよりサクッと殴った方が早い」
――こ、このテキトー野郎……。
……前言撤回だ。たしかに『百聞は一見に如かず』は大切だが、この北条先生の場合そんなこと考えていないことがハッキリ分かった。ただ本当に面倒臭がりなだけだ。
「というわけで、一発殴らせてくれ」
それはこっちのセリフだよ!
悪びれもせずに言う北条先生に、俺は内心で思いっきり毒づいた。