五.
「うわぁ、月神さんの髪、綺麗だね! 手入れとかしてるの?」
「そんなことないですよ。天照寺さんの黒髪の方こそすごくサラサラです」
「そうかなぁ? えへへ」
背後のリビングから女の子らしい会話が聞こえてくる。
その微笑ましい内容に、普段なら俺も「どっちの髪も綺麗だよ」くらいのお世辞は――まぁ、実際にどっちも綺麗なのは間違いないが――言うかもしれない。
そう、『普段なら』! この鼻頭のテーピングさえなければ、だ。
「総君、まだぁ?」
明華の催促の声が聞こえる。悪びれもしないその声に俺は少しだけ語気を強めて返す。
「今、煎れてるとこ! もうちょっと待ってろ」
「もぉ、怒んないでよ」
「怒ってない!」
「怒ってるよぉ。だいたい、もっと早く言ってくれればよかったのに、友達だって」
「言ったよな? 俺は友達だって言ってたよな?」
「ご、ごめんなさい! 私がはっきりしなかったから……」
綾奈が申し訳なさそうに謝る声が聞こえてきた。姿は見えないが、深々と頭を下げている様子を想像するのは難しくない。綾奈を責めるわけにはいかないので、すぐにそれを否定する。
「いや、綾奈のせいじゃないよ」
「そうだよ、悪いのは総君なんだから」
「……俺かよ」
「総君が最初から嘘なんてつかなかったら、こうはならなかったと思うけど?」
「ぐっ……」
言い返せないのが腹ただしい。明華にしては、なかなか正論で攻めてくる。確かに嘘をついた俺が悪いとは思う。
けど、殴る必要はなかったんじゃないだろうか?
なんとなく釈然としないものを感じながら、コーヒーの入ったカップを持っていく。綾奈には新しく用意したカップを渡す。
明華のカップは俺と同じ種類のもので、薄い水色の下地にデフォルメされたトラ猫――明華は可愛いというが、俺はふてぶてしさしか感じない――が描かれている。
「おいしー、やっぱり総君のコーヒーが一番だね」
「お前のはコーヒーとは言わん」
「言うよー。それに今日はスティック三本、微糖だよ」
「全国の微糖派の人たちに謝れ」
「……うるさいなぁ」
明華が頬を膨らます。いつものことなので放っておこう。相手をすると余計にややこしくなる。
「くすっ……ふふふっ」
「つ、月神さん?」
いきなり笑い出した綾奈に、驚いた明華が声をかける。
「ふふふっ、すいません。総真さんと天照寺さんの会話がおもしろくって」
「笑われてるぞー、明華」
「わ、私だけじゃないでしょ! 総君も笑われてるの!」
明華は少し恥ずかしかったのか、顔を赤くしている。確かにいつもなら二人で言い合っているだけだから、今みたいに誰かの感想が入ることはなかった。綾奈が加わったことで、いつもとは違う会話が成立し、いつもとは違う明華の反応も見れたし、俺からしてもかなり新鮮だ。
明華と綾奈、さっきコーヒーを煎れに行った時は少し心配したけれど、それも杞憂だったようで、二人ともよく気が合っているみたいだ。傍目ではあるが、いい友達になれそうな雰囲気で安心した。
それにどちらももの凄く可愛い。――まぁ、これは俺が得しているだけなのだが。
この場を誰かが視たら、俺の場違い感が半端じゃないだろう。……虚しくなるからそれは考えないでおこう。
「天照寺さんと総真さんは、すごく仲良しですね」
「うん、総君とは小さい頃からずっと一緒だから。一番付き合いが長いし、一番同じ時間を過ごしているし」
「へー、そうなんですか」
「いろいろ言ってるけど、全部意味一緒だぞ。ていうか綾奈もツッコめよ!」
「えっ? つまりなんども繰り返すくらい仲が良いという意味じゃないんですか?」
「そ、その通り! さすが月神さん」
「……嘘つけ、素で言ってたくせに」
「ち、違うよ! ちゃんと意味分かって言ってたもん」
「ふふふっ、やっぱり二人ともすごく仲良しです」
「えへへ、そうでしょ?」
「どこがだ」
そう言いながら、俺は自分の口元に微笑みが浮かぶのを感じていた。
「もぉ、またそんなこと言う。総君のイジワル!」
ベーっと明華が俺に向かって舌を出す。いちいち反応が子供みたいなやつだ。今時、小学生くらいしかやらないだろ、そんなの。
「あ、それと月神さん。私のことは明華でいいからね」
「は、はい! それなら私のことも綾奈と呼んでください」
「分かった! よろしくね、綾奈」
「よろしくお願いします。明華さん」
昨日の俺と同じように、互いの呼び方を改めた二人だったが、どこか明華が不満そうだ。
「明華でいいって! 『さん』はいらない」
「え、えぇ!? でも私、そんな風に他人の方を呼んだことがなくて……」
「他人じゃないよ! 私たち、友達でしょ?」
「でも……」
「はははっ、綾奈、無駄だよ。明華がそうなったら呼ぶまで言い続けるぞ。早めにあきらめることをオススメするよ」
なおも言いづらそうにしている綾奈。けど、この時ばかりは俺も明華の側について、援護射撃をする。
「そうだよぉ! 私、しつこいよ?」
「自分で言うと、かなり危ないやつに聞こえるから止めとけ……」
ニヤリと笑う明華に、俺は呆れたように言う。しかし、これで綾奈の決意は固まったようだった。
「じゃ、じゃあ呼びます。…………あ、明華?」
「はぁい!」
恥ずかしそうに綾奈が名前を呼ぶと、明華が元気よく返事をする。
「どうだ? 呼んでみた感想は」
「……すごく、いいです。なんか、ホントに友達みたいで!」
「だからぁ、私たち友達なんだけど」
「そうでしたね、友達です。ふふふっ」
「そ、友達だよ」
明華がニッコリと笑う。それに釣られて綾奈も笑顔を見せた。
『みたい』じゃなくて、ホントにいい友達だ。将来的に名コンビになりそうな予感さえする。そんなことを思いながら、テーブルのカップを手に取ると、会話に夢中だったためか、コーヒーがすっかり冷めてしまっていた。一口、そのコーヒーを飲む。
……まずい。
やっぱり冷めたコーヒーほどまずいものはない。いつもならすぐにでも新たなコーヒーを煎れに行きたいところだ。けど、今はこの場を離れたくなかった。今はこの二人との会話がなにより大事だし、面白い。
まぁ、たまには冷めたコーヒーもありかな。
テーブルにカップを戻しながら、俺は小さく苦笑した。
◇
「これでよしっと」
さっきまで使っていたカップの最後の一個を洗い終えて、水滴のついた手をタオルで拭う。三人で過ごした楽しい時間を惜しむように台所に残った洗剤の泡が消えていくのを一瞥した後、リビングのテーブルへと視線を向ける。
テーブルの上に置きっぱなしになっている携帯電話の振動音が聞こえたからだ。マナーモードにしているため音で判断はできなかったが、振動の短さからメールを受信したことが分かる。
誰だろう?
すでに世間では、旧式になりつつある折りたたみ式の携帯を開いて、メールを確認する。送信者は明華だった。
<総君の言いつけ通りまっすぐ帰宅しました! 今日はしかたないけど、今度は絶対泊まるからね。でも、綾奈さんってすっごくいい人だね! それにすごく可愛いし! 友達になれてよかったよぉ! けど、今度会う時は必ず私に連絡すること! 勝手に会うのは許しませんからね!>
メールでもテンションの高さは変わらないのが明華だ。この文章を実際に明華が喋る時の様子が容易に想像できて苦笑してしまう。
<まっすぐ帰るのは当たり前だろ。まぁ、無事に帰れてよかったよ。泊まる件に関しては、論外だ。絶対に泊めないからな。綾奈は本当にいいやつだと思うよ。仲良くしてくれると俺も嬉しい。……けど、お前に連絡をしないといけない意味が分からん>
明華の文章一つひとつに俺なりの回答をしてやる。まぁ、読み返してみると、大概が明華の文章へのツッコミに近いものになってしまっているのだが。
「送信っと」
送信ボタンを押し、メールが送信できたのを確認して、携帯をテーブルに置く。と同時に携帯が振動した。表面の液晶には明華の名前が表示されている。
――返信はやっ! 宛先不明の通知メールと速度が変わらなかったぞ。
明華からの返信はいつも速いが、今日のは異常だ。携帯を開き、メールを見ると、本文に一言だけ文字が打ってあった。
<最後まで見て!!>
なんのことだろう?
俺がさっき送信したメールの内容からは、かけ離れた内容だ。なんの脈絡もない。
「最後まで見てってことは、さっきのメールかな?」
一通目のメールを開く。よく見ると、『勝手に会うのは許しませんからね!』からまだ下にスクロールできるようで、文章が続いている。
<……それと、大事なことを言い忘れていました。もし、総君さえよければ、一緒に《八卦統一演武》に参加しませんか? 返事、待ってます>
かなり下にスクロールした後、ここだけすごく丁寧な文章が現れた。とても明華が打ったとは思えない。まぁ、それはいいとして、
改行しすぎだろ……いくらなんでもこれは分からん。
これくらいのことなら続けて打てばいいのに、それに今さら改まる必要性も感じない。
<最後まで見た。お前、改行しすぎ。《八卦統一演武》の件だけど、俺からも頼もうと思ってたくらいだから問題ないよ。一緒に参加しよう>
少しだけ非難しながら、俺は参加の意思を伝えるメールを送る。すると、先ほどと同じ速度で返信がきた。
<ありがとう!! 頑張ろうね!>
今度はいつも通りの明華らしいメールだ。本当に喜んでいるのが想像できて、俺も思わず微笑んでしまう。
<あぁ、頑張ろう。悪いけど、風呂入って寝る。おやすみ>
けど、それは表に出さずに、いつも通りのメールを返す。
「さて、明日からも頑張りますか」
今度こそ携帯をテーブルに置いたまま、俺は風呂に入るための準備を始めた。